ボディチェックにご用心 1


「次の方、どうぞ」
「手荷物は、こちらです」
「はい。ご協力ありがとうございました」
ここは空港の検査ゲートだ。どこでもドアの、ドアなしドアと、ベルトコンベアが設置されており、そこで危険物の検査を行うのだ。
僕は、前に並ぶ人が、少しずつ前進していく様子をぼうっと眺めていた。僕も荷物を持って、1mほど前に進む。順番が回ってくるまで、後5人。僕の後ろにももちろん人が並んでいる。次のアメリカ行きの便に搭乗する人は結構多いのだろう。合計30人くらいの列になってしまっている。すでに15分は待っているだろう。
例の事件以来、検査が一段と厳しく、時間のかかるものになっていた。しかし、ちゃんと検査しないと、またあんな事件が起きたりしたらたまらない。安全と便利さは背反なのだと、自分を納得させる。
「はい、次の人」
やっと僕の番になった。手荷物はベルトコンベアの上に乗せる。

ビ〜〜〜〜〜〜

「あれ?」
僕がゲートをくぐると、警告音が鳴った。
「お客様、何か電子機器などはお持ちでいらっしゃいますか?」
係りの人が、前に立ちはだかり、確認を求めてくる。ちょっと嫌な感じがしたが、安全確認のためだ、仕方ない。
「いや、特にそういったものは・・・」
「では、金属を身につけては?」
「ズボンのベルトがそうですが、でも、前に乗ったときは大丈夫で・・・」
「規則ですから、それを外してもう一度、くぐってください」
去年、旅行したときも同じベルトを使っていた。そのときには何も反応が無かったのだから、これではないと思うのだけれど、係員はきわめて事務的で、僕の言葉の後半部分には耳を貸さない。僕はベルトを外すと、係員に手渡し、ズボンをひっぱりながら、もう一度ゲートをくぐった。

ビ〜〜〜〜〜〜

ほら、ベルトじゃない。
「お客様、どうやらもう少し調べる必要があるようなので、別室に来ていただけますでしょうか」
もっと別の部分にひっかかりがあるらしい。来ていただけますでしょうか、と柔らかい表現だが、こっちに来るか、さもなくば、警察を呼ぶかもしれないよ、と言っているに等しい。いろいろ手間取ってしまい、後ろに並んでいる人が、揶揄したり、大げさにセキをしたりする。僕はベルトまで外したのに。恥ずかしさで真っ赤になってしまった。ベルトをもう一度付けると、係員の後について隣の部屋に入った。

「では、これから特別検査の説明をさせていただきます」
別室に入ると、ドアにはカギがかけられた。うーん、それは厳重すぎなのではないだろうか。その部屋は、3畳程度の広さしかなく、記者ブースみたいだった。正面には、何やらいろいろなケーブルが刺さっている椅子があり、そこから伸びるケーブルは、係員の手元のパネルに接続されている。そのパネルで何やら操作しながら、係員が説明を始める。
「お客様には、とりあえずその椅子に座っていただきます。検査中は、お客様には別室で待機していただくようお願いします。そこで、別の係りのものがおりますから、その指示に従ってください」
「は?」
なぜ僕のボディチェックをするのに、別室の係員が関係するのだろうか。また別の部屋に行くのか。それにしては、椅子に座るというのは何だか変だし。もしかして、椅子が動いて、別の部屋に連れて行かれるとか・・・。
「では、座ってください」
係員の言葉に、僕は半信半疑のまま、座った。遊園地のジェットコースター程度だが、それでも十分身動きできないほど、体をバーで固定されてしまった。
「・・・大丈夫ですよね?」
「はい。体には何も影響はありませんから、ご安心ください。それでは、始めます」
「あ、ちょっと待っ・・・」

・・・バジッ・・・

「うわっ?!」
言い終わる前に、目の前がフラッシュした。瞬きしても、視界は真っ白で何も見えない。しかし、少しずつ見えるようになってきた。
「あれ・・・ここは?」
僕は辺りを見回した。さっきの部屋よりも少し広い。それに、目の前にいる係員は、さっきの人とは別の人だ。さっきは男の、ちょっと怖い感じの人だったのに、今ここにいるのは女の人だ。男の人が女の人にかわってしまったんだろうか。その人は僕と目が合うと、にこっと笑った。僕もつられて笑ってしまう。
「検査には5分から10分かかりますので、くつろいでお待ちください」
そういって、棚の中から、ティーセットを取り出す。
「何か、お飲みになりますか? コーヒー、紅茶、お茶、烏龍茶、それにソフトドリンクがありますが」
「えーと、検査はしなくていいんですか?」
僕は状況がさっぱりわからない。だって、検査するといいながら、何も調べようとしないだけでなく、お茶を飲んで待っていろなんて。
「あらっ。ご自分の体を見ていただけますか」
そういって係員の女の人は笑った。僕は、先ほどから感じていた違和感の正体を、今はっきりと理解した。
「お、女の子になってる〜!?」
そう。僕は僕でなくて、誰か知らないけど、女の子になっていた。顔はわからないが、どうやら20歳前後らしい。
「どうかしら、女性になった感想は?」
僕が戸惑っている様子があまりにもおかしかったのだろう、そういって、その係員はふふふと笑う。
「だ、だって、こんなことって・・・」
「こうすれば、お客様のボディチェックを完璧にできますから。全身検査も容易ですし、自分自身の体を置いて逃げるわけにもいきません。非力な女性の体では暴力的なこともできませんし」
「あ、ああ、なるほど」
僕はこの検査の合理性を理解したが、何だか不思議な気持ちになっていた。そりゃそうだ。だって、他の人になっているとは・・・、それにそれが女の子だったりしたら・・・。うーん、そういえばこの胸が気になるな。
「ごほんごほん、お客様、そういうことはおやめください」
係りの人に注意されてしまった。まぁ、当然だろう。
そして僕は、自分が自分で無いような居心地の悪い気分で、すすめられるままお茶を飲んでいた。

「まだですか?」
「もう少しかかるようですが、どうかされましたか?」
5分経ったが、検査はまだ終わらない。しかし、切羽詰った問題が、今、僕を襲いつつあった。
「・・・トイレに行きたいのですが・・・」
「え、あ、そ、それは・・・我慢できませんか?」
「も、もれそうなんです。何だか、いつもよりあっという間で・・・」
「女性というのはそういうものなんですよ。それに、もう10杯くらい飲んでいますし」
「僕はまだ3杯しか飲んでいませんが?」
「あ、その体が、ということですよ。今までで10杯ということで・・・」
「とにかく、早くトイレに行かせてください」
「困ったわ・・・。今連絡するから、できるだけ我慢してください」
係りの人が、壁に備え付けられている電話でどこかと連絡を取っている。おそらくこのような前例が無いに違いない。想定もしていなかったということもあるようだ。電話のやりとりから、そう思われた。僕は、必死になって、耐えるが、しかし、いつもと、勝手が、違う。
「うーーー」
も、もれちゃう。
そのとき、部屋にもうひとり、女性係員がやってきた。そして、「どうぞこちらへ」と僕を誘ってくれる。やったー、トイレにいけるんだ・・・。僕は慌てて駆け出す。トイレは意外と近くにあった。ま、間に合いそうだ。急いで男子トイレに駆け込もうとする。
「あ。こっちです。こっち」
係りの人に、止められてしまった。
「え? そっちは・・・あ、そうか」
僕は自分が、今、女性になっていることを思い出し、指示通りに女子トイレに入った。
そういえば、女子トイレなんて、小学校の掃除の時間以来だ。あのときも、一番最初に入ったときは、何だか照れくさくって、でも、毎週となると、そのうち全然気にならなくなったんだよな。
などと、もれそうなのを忘れようと必死になって空想していた。だって、ズボンを脱ぐのも何だか勝手が違うのだ。体型が違うから脱ぎにくいったらありゃしない。
「あ、だめ、出ちゃう・・・ふぅ〜」
何とか危機一髪、間に合ったんだけど・・・。
「あ、あう? な、何だこれ、あ、あああ」
おしっこの出てくる感触の違いに、僕は思わず変な声を出してしまった。ウォッシュレットのトイレでボタンを間違えたときのように、ちょうど真中辺りがくすぐったい・・・。
「そういえば」
僕は、おしっこの後始末をしようとして、気が付いた。・・・触ってもいいのかな・・・。それに、その気になれば、見たりもできるし、あんなことやこんなこともできてしまう。ま、係りの人が扉の前で待っているから、そこまではできないだろうけど。ちょっと見るくらいなら・・・。

・・・どうにか、トイレも終わり、部屋に戻ってくると、検査は終わっていた。僕は始めと同じように椅子に座らされ、一瞬のフラッシュの後、また自分の体に戻ってきた。目の前にいるのは、はたしてちょっと強面の男性係員。しかし、その顔はちょっとユニークにゆがんでいた。どうやら笑いを堪えているらしい。
「ちょっとトラブルがありましたようですが、検査は無事終わりました。さ、どうぞ」
僕のトイレ事件は、すぐに職員全員に伝わるに違いない。もう恥ずかしくって、この航空会社は利用できないよ。
後で聞いた話だが、検査中のドリンクサービスは中止になったらしい。そりゃそうだろう。別の人に振舞っているつもりでも、飲む体は一緒なんだから。なぜもっと早く気づかなかったのか、と、僕は大いに憤慨したものである。

ようやく空港を飛び立ったが、僕は新式の検査ゲートに嫌われるらしく、たびたび、この「入れ替わり検査」を受ける羽目になった。で、やっぱり何らかの問題が起きるのであった。