俺とお前と


『もしもし』
「・・・広志か、俺だよ、昭宏だよ」
 声は少し高くなっていて、震えていた。
『何だアキか。どうしたんだ、風邪でも引いたか?』
「会いたい。相談したいことがあるんだ・・・」
『・・・実は、俺もさ。これから行く』
 そういって、広志は電話を切った。

 15分後、広志が来た。俺は、部屋の中だというのに、上着を着た。まだ見せたくなかった。
「何だ、相談って?」
「お前こそ、何かあるんだろ」
「俺は・・・いいよ、お前から話せよ」
 広志はそう言って、座布団を引っ張ってきて座った。勝手知ったるなんたらだ。
 俺は、躊躇いながら、ぽつりぽつりと話し始めた。

 何でも無いのについ身体のどこかを触ってしまう癖ってあるだろ?
 手とか足とか、耳や髪の毛とか。
 俺は、実は胸を触る癖があった。別にそういうケがあったわけではなく、単なる癖だ。
 気持ち良いわけもない。むしろ、20歳過ぎてから脂肪が付き始めたため、感触は気持ち悪かった。

「・・・やな癖だな」
 ぼそりと広志が呟く。
「よけいなお世話だ」
 俺は続けた。
<>

 昨日もレポートをやりながら、いつの間にか胸を触っていた。
 レポートに集中していたため、別段何も意識していなかった。
 だけど、ふとした瞬間に、気付いたんだ・・・胸がある・・・って。
 始めは、また太ったかぁ、って思っていたんだけど、どうも様子が違う。
 なんかこう張りがあるというか、形も整っているし、今までしていた脂肪脂肪っていう感じじゃないんだ。
 びっくりして、立ち上がると、ベルトをしていたにも関わらず、ズボンがずり落ちた。
 ウエストがそれより細くなっていたんだ。

「・・・そして、知ったんだ・・・俺の身体がオンナになってるってな」
 そう言って、広志の目を見る。瞳がギラッと光ったような気がした。
 呆れられるか、笑われるか、とにかくそういったリアクションを期待していたが、その顔は真剣そのものだった。
 俺は、自分の事で、狂ったように、騒いだり暴れたり泣いたり笑ったり叫んだり嘆いたり喜んだり悲しんだり、結局、事実は事実なんだと悟るまで、昨日からさっき電話をかけるまでまる一日かかったというのに・・・。
「本当か?」
 広志は、からかう風でもなく、真顔のまま聞いてくる。
「嘘だって思わないのか?」
「ああ、声も高くなっているし、自分じゃわかってないだろうが、お前、ずいぶん体格変わったし、なにより、他人事に思えなくて、な」
 最後の言葉が気になったが、上はTシャツだけの広志は、どこをどう見ても女ではない。
「それで、俺に何をしてほしいんだ?」
「・・・抱いてくれ・・・」
 俺は、下を向いたまま、吐き出すように言った。
「正気か?」
 さすがに驚いたようだ。そうさ、俺だって驚いているさ。こんな結論しか出せなかった俺自身に。
「・・・俺、失踪するよ。こんな風になっちまって。消えたいくらいだ。いや、本当に死んでしまいたいんだ・・・」
「それと、さっきの言葉とどういう・・・」
「今すぐにでも、まだ誰にも知られないうちに、どこか誰もいないところへ行きたい! 行きたいけど、そんなことはできない! ・・・だから、死ぬ。 だけど、嫌なんだ、本当は! 消えたくない! 俺はここにいるって大声で叫びたい! でも、今、俺は俺じゃないんだ!」
そこまで一気に言い捨てると、俺は泣いた。皮肉にも今の姿に似合っていた。
「だから、だから、その前に、お前に・・・」
 その時、急に、がっしりとした広志の手で抱きしめられた。
「広志?! ・・・うっ?」
 びっくりして顔を上げた途端、口を塞がれる。目を閉じた。鼓動が感じられる。
 ずっと、ずっと、そうしていたかった。

「・・・俺は行くよ」
 そう言って、広志を見つめる。
 目が覚めても、俺はオンナのままだった。
「俺の話を聞いてからでも遅くないだろ」
「・・・ああ・・・」

 お前が触り癖があるって言ってたが、実は俺もしょっちゅう触ってる所があった。
 同じように20歳過ぎた頃から、腹に脂肪がついてきてな、ちょっと気になってたんだ。
 ところが、やっぱりお前と同じく一昨日のことだが、それが単に太っているっていうことではなく、何だか、こう、だぶだぶな服を着ているっていう感じだったんだ。
 何だか気になって、風呂でじっくり観察したり、あちこちなで回したり、その、何だ、っていうか、あのな・・・

「回りくどいな、はっきり言ってくれ」
「あぁ、す、すまない。未だに夢みたいなんだ」
「それなら、俺のことだって同じだろ」
「そうだな・・・」
 そう言って、広志は続けた。

 俺は、そして、その腹の脂肪が、ずずっと上に持ち上がることに気付いた。
 そして、皮膚というか腹の下から出てきたんだ。
 やっぱり、俺が感じたように、太ったんじゃなくて、服を着ていたんだ。
 人間という生き物の皮を、な。

「・・・お前は、じゃぁ、人間じゃないのか?」
「どうやら、今まで生きてきて全く気付かなかったが、そうだったらしい」

 人間の皮を全部脱ぐと、鏡に映っていたのは、B級ホラーかSFに出てくるような、触手と粘液に覆われた奇怪な生き物だった。
 人間だったときにこんな姿を見たら、恐怖で吐いてしまったかもしれないが、それが自分の本当の、というか、今の自分の姿だったせいか、むしろ、人間の方が変に思えてきた。
 そして、その姿で居るときの、人間から見ると奇妙な感情、習性。

「・・・その姿になるとな、女が喰いたくなるんだ」
「女を喰う?」
 俺は、ハッとした。広志の目つきが変わっている。
「お前が、女になったって聞いたとき、怖かった。人間の皮を被っていれば、多少は我慢できるが、もうだめなんだ。そして、お前が死にたいなんて言わなければ・・・」
「う・・・あっ?!」
 下腹部に感じる、鈍く重い痛み。広志の腹から現れた緑色の腕のような触手が、俺に潜り込み、体液をすする音が聞こえてくる。
 しかし、俺はむしろそれに快感し興奮していた。布団に快楽の液体が染みる。
 広志に殺してもらえるなら・・・、まっとうな人間だった広志になら、そんな事はとても言えないが、今の広志になら・・・
「アキ・・・すまない、俺は・・・」
「・・・あり、が、と、う・・・」
 広志は泣いていた。もうすでに人間の姿をしていなかったが、俺は構わず、しっかりと抱きしめた。
 顔だった部分の空洞が、まるでキスをするかのように、俺の顔を覆う。
 視覚に暗闇が訪れる。
 そして、意識にも暗闇が訪れ