ST
五月雨が地面を湿らしていた。
咲子はこの雨を喜び、かつ嘆いていた。
何故なら、雨が降ると客が減る。だが、雨が降ると車も服も汚れる。
「あーあ、こんな日はバイト休みたかったなぁ」
隣にいた彩美が、客がいないのをいいことに、かなり大きな声で愚痴をもらす。
「彩美ぃ、店長に聞こえるよ」
「いいのよ。聞こえるようにいってるんだから」
二人は店の奥の方で段ボール箱と格闘している店長をちらっと見ながら、作業もそこそこに話を続けた。彼女たちが現在しているのは、「値付け」と呼ばれるもので、値札のついていないお菓子のパックに、値段のかかれたシールを貼っていくというものだ。
STというバーコード読みとり機を使うと、値段が表示される。そして、その値段を値札に印刷する(といっても手動でカシャカシャ打つのだが)。二人とも慣れたもので、雑談しながらも次々と値付けを済ませていく。
店長の方はというと、そんな会話は何とも思っていないのか、聞こえているはずなのに、あまり気にした様子はない。むしろ、段ボール箱がどうにも片づかないことにとまどっているようだった。彼は、非常に不器用で、箱を開けるときに中身をばらけてしまうのだ。
「ね、これでこれを読むと何て出るかなぁ?」
少しして、彩美がSTと胸のプレートをそれぞれ指しながら言った。この店では全員が、バーコードと写真付きのプレートを胸につけている。
「何っていったって、エラー表示が出るだけじゃないの?」
咲子が呆れて言う。彩美の考えはいつも突拍子もない。
「まぁ、やってみればわかるよね、ピッと」
そういうと、彩美は自分のプレートのバーコードをSTに読みとらせた。通常の商品であれば、「商品番号」「品名」「値段」「消費期限」などが表示されるはずだが、いくら同じバーコードであっても、さすがに社員のデータまで出てくるわけがない、彩美も咲子もそう思っていた。
だが、そこに表示されたのはエラーではなかった。液晶画面にはくっきりと次のように表示されたのだ。
『商品番号:6801053
品名:大谷彩美
価格:560000 』
「え?」
二人ともびっくりして、言葉が出なかった。客がいない店内に、店長の作業音だけが響く。
「な、何よ、これ! この私がたった56万円なんて、馬鹿にしてるわ」
「それもちょっと違う気がするけど・・・」
彩美の言葉に、咲子はまた呆れてしまった。
「咲子はどうなのよ」
「あ、ちょっと、やめてよ」
「だめよ。えい!」
ピッという音とともに、咲子のバーコードも読まれる。
「価格は・・・えー!?」
「ど、どうしたのよ、彩美ぃ」
「さ」
「さ?」
「300万円よ、300万!」
「え?」
「きぃっ、くやしい。私が56万で、咲子は300万なんて、もう、むきぃ」
彩美がわめいている間、咲子は「まぁまぁ」とか「そうに出ただけでしょ」とか言って必死に宥めなければならなかった。
なんだかんだと時間が経ち、咲子の終了時刻になった。
「お先に失礼します」
「あぁ、お疲れさま」
「じゃあね」
店長と彩美に声をかける。彩美はあと2時間残っている。
咲子は帰宅すると、食事、宿題、風呂、と一通り済ませ、寝るまでの時間をくつろいでいた。
そこへ、彩美の母親からの電話がかかってきた。
「あら、おばさん。どうしたんですか?」
「あ、咲ちゃん。うちの彩美なんだけど、そちらにお邪魔していないかしら」
「いいえ。・・・彩美、どうしたんですか?」
「バイトは終わっているはずなのに、帰ってこないのよ。店長さんにも聞いたんだけど、店は出ましたって。ま、彩美のことだから、またどこかで遊んでいると思うんだけど、咲ちゃん、何か聞いてない?」
「いえ、特に・・・」
「そう・・・ごめんなさいね。それじゃ」
いつもの事なので、彩美の母もあまり気にしてはいないようだった。
だが、翌日になっても彩美は帰ってこなかった。彩美の両親は、警察に捜索願を出した。だが、三日経っても、一週間経っても、彩美は帰ってこなかったのだ。
「彩美さんの事が心配かい?」
店長が新しいバイトの女の子にいろいろ指示しながら、咲子に聞いた。咲子は相変わらずバイトを続けている。彩美がいなくなってから1ヶ月経っていた。
咲子は、店長の言葉に、ふと、最後に彩美と一緒にいたときのことを思い出していた。
彼女が、自分のバーコードをSTで読み込んだ。だから、どうしたというのだ。単にデータが表示されたにすぎないではないか。だが、そのデータは価格が出ていたのだ。もしかして、売られたのか、商品として。
それじゃ、この人の良さそうな店長が犯人ということになる。馬鹿な考えだ。私はどうかしている。
そこまで考えて、咲子は店長の顔をじっと見つめた。店長は、どうしたんだい?、といった表情で見つめ返す。咲子は視線をはずして、先ほどの考えを捨て去るかのように、頭を振った。
だが、彩美は帰ってこないのだ・・・。