「あるお店」

作:吹田まり

今思い返しても、それは不思議な体験でした。

僕がたまに通る道に、一風変わったお店がありました。
そのお店のウインドウには、いろんなタイプの顔のマネキンが10体以上、流行のファッションの服を着て飾ってあったのですが、どうも洋品店ではないようなのです。まるでマネキン自体を展示して販売しているような・・・。
でも、店の看板もなければ、どこを探しても入り口らしき物さえありません。
しかもマネキンとはいえ、まるで実際に人間が動かないパフォーマンスでもしているようなリアルさです。
まるで今にも動き出しそうなほど・・・。

最初は「へぇ・・・、リアルなマネキンだなぁ」ぐらいにしか見ていなかったのですが、何度かその店の前を通るうち、時々配置換えでもしているのか、きのうまであったマネキンが違うマネキンと変わっていたり、明らかに数体減っている事や、たまに奥の方に男性らしきマネキンを見かけた事もありました。

いつしか僕はその道を、いや、正確にはその店の前を通る事が多くなっていました。

そんなある日、いつものように何気なくその店のウインドウを覗くと、新しいマネキンが飾られていました。
お店にある数体のマネキンの中で、何故か僕はその新しいマネキンに妙に惹かれてしまったのです。
その顔つきがもろに僕のストライクゾーンだったからなのかもしれません。
それからというもの、毎日必ずその店の前で30分以上、そのマネキンを見続ける日が続いていました。

そんなある日、「どうやらあんたは、相当この子が気に入ったようじゃな」と言って初老の紳士がいつの間にか僕のすぐそばに立っていたのです。
突然のことに驚く僕に対して、老紳士は穏やかに「そんなに気に入ったのならこちらに来なさい」と微笑むのでした。
その笑顔になぜかすっかり安心感を感じ、老紳士に付いて行くと、一体どこにあったのか、店の入り口へ入っていました。

とある部屋に通された僕は、「ここでちょっと待っていなさい」と老紳士に言われ、しばらくその部屋で待っていると、やがて老紳士が僕の「お気に入り」のあのマネキンを担いで戻って来たのでした。
僕がリアルだと思ったのも当然で、「生命感(?)」が全くないとはいえ本当に人間そっくりで、それにいわゆる「肌」の感じが、普通のマネキンの「ツルツル・テカテカ」とは明らかに違い、実際に触って見なければ作り物とは分からないほどの出来です。
触ってみると確かに硬くて、マネキンであることは間違いありませんでした。

老紳士がマネキンの服を脱がせ立たせると、まるで本当に普通の女性が裸で僕の前に立っているようで、目のやり場に困りドキドキしている僕に、老紳士はおもむろにこんな事を言い始めたのです。
「君は女性になってみたいと思った事はないかね? 誰でも大なり小なり変身願望という物を持っておる。強くなりたい。美人になりたい。背が高くなりたい。カッコよくなりたい・・・。 どれも変身願望の現われじゃ。それは自分の努力次第で叶う場合もあるが、実際は現状に満足、いや半ばあきらめて強引に納得しているのがほとんどじゃろう。」

いきなりの発言に驚いている僕とは裏腹に、老紳士は落ち着いた様子でそう言いながらマネキンの頭をなでると、
「この店の前に君が毎日来るようになってから、君の事を観察させてもらったが、君は『こんな彼女が欲しいなぁ』という思いとは別に、『こんな女の子になったら人生楽しいだろうなぁ』という考えもあったのではないかな?」と言って僕を見つめた。
僕は自分の心の奥底を見透かされたようで動揺を隠せなかった・・・! ど、どうして、そんな事が・・・?!

「フッ。やはりな・・・。君でもう何人目になるじゃろうな・・・」と老紳士は目を閉じて微笑んでいた。

やがてカッ!と目を開くと、「さぁ、『着たまえ』!君にはその資格がある!」と言い、マネキンの背中に近づくと小さな「ファスナー」を下ろし始めた。
その途端、硬い人形でしかなかったはずのマネキンは、まるで空気の抜けた風船のように「フニャ」っとしてしまった。 ・・・ま、まさか?!
「さぁ、君も裸になって『この子』に入りたまえ!」と僕に『それ』を差し出してきた。

僕はあまりに突然の出来事に、半分朦朧とした頭で言われるがまま『それ』を着込んだ。
「いいかね?閉めるぞ」とファスナーを閉める音が聞こえた。
その音にハッと我に返った僕は、「えっ?あ、あの・・・・・、えっ!?」と言ったが、その声はいつもの自分の声とはまるで違っていた!
そう。これはまぎれもなく女の子の声だ。しかも結構かわいい声で、まさに僕好み♪
「さあ、これが今の君だ。よ〜く見たまえ。」そう言って老紳士は、僕の前に姿見を立てた。
鏡に写っているのはあのマネキン、いや、あのマネキンのモデルだったんじゃないかと思うような女の子がそこに立っていた。
そう、間違いなく「人間の女の子」が、下着すら着けていない生まれたままの姿で僕を見ていた。
僕より頭半分ほど背が低く、スタイルもよくて、とってもカワイイあの女の子が鏡の中からこっちを見ている。
僕は鏡を見ながら身体のあちこち触ってみたが、写っている女の子はまぎれもなく僕自身である事は間違いないようだ。
それに、何かを着ている上から触っているという感じは全くなく、まさに裸のままの自分を触っている感覚しかない。

「明日は日曜日だ。その子は一日君に貸してあげよう。 明日の夜、またこの店に来たまえ。そして君の気持ちを聞かせてくれ」
老紳士はそう言うと、マネキンが着ていた下着を取り、僕に着かたを教えてくれた。
そうしてマネキンが着けていた下着や服を身に着け、明らかに僕自身のサイズより小さいローヒールの靴を履くと、姿見の前には一人の美人、というよりかわいい女の子が恥ずかしそうに立っていた。 これが僕だなんて・・・・。
老紳士に別れを告げ、財布や鍵を持つと、僕は女の子の姿のまま、とりあえず自分のアパートへ帰っていった。

部屋に戻ってからも、しばらくはボーッとして、鏡を見ていろんな表情をしたり、「女の子座り(ぺたんこ座り)」出来る事に感心したり、いつも歌う鼻歌を「ふふ〜ん、ふふふ〜〜ん♪」と歌ったら女の子の声になってる事に今更ながら驚き、しばらくいろんな歌を歌ったりした。
そんな事をしてる内に、キュルルとお腹がなり、そういえばもう何時間も食事してなかったなぁと思い出して、とりあえず食事を作る事に。
相変わらず「ふふふ〜〜ん♪」とかわいい声で歌いながら、簡単な料理でも作ろうかな〜と思ったが、ふと思いついて鏡を持ってきた。
キッチンに鏡を置いて、料理しながら『料理している女の子』の自分を見ながら、「もう少しで出来るから待っててネ♪」なんて言ってみたりして。

食事を済ませ、しばらくしたら尿意を感じたのでトイレに入り、いつものように立ってしようとしたら、あれ?!ない!!
あ。そうか。今の僕は女の子なんだ・・・! 今度は便座をおろして座ってみたけど、どうやればいいのかな・・・?
・・・・あ、力を抜いたら出てきた・・・! へぇ、女の子ってこんな風におしっこが出るんだ・・・。 終わったらちゃんと拭くんだよね。女の子だもん♪

その後お風呂に入ったら、体を洗うだけでも普段と感じ方が全然違っていた。 うぅ〜〜、こんなにやわらかいなんて罪だよ〜。(^^;)
普段は30分もしない内にあがるのに、きょうは1時間以上もお風呂に入って女の子を体感していた。はぁ、のぼせそう・・・・。

とりあえず、他にないので自分のパジャマを着て寝る事に。わぁ、なんか大きい。 窓に映った自分を見ると、男物のブカブカのパジャマを着た顔の火照った女の子が。 うわぁ、メチャメチャかわいい♪ すると窓に映った女の子は余計顔を真っ赤にしてこっちを見ている。
「あ〜ん、もう、かわいいかわいい♪」と自分で自分を抱きしめながら、ドタバタやったりして。 普段の僕の姿でこれをやったら・・・。ははっ・・・・。
少し正気(?)に戻ってきた僕は寝る事にした。 ベッドに入ると、いつもと違っていい匂いがする。 あぁ、これって女の子の、ボクの匂いなんだ。
その匂いに包まれながら、その晩、ボクは何だかとてもいい夢を見たような気がする・・・・・・・・・・。

次の日曜日は、近所に女の子として買い物をしたり、本屋さんで女性雑誌を読んでみたり、喫茶店でミルクティを飲みながら通りを見ていたり・・・。
歩いている途中、イケメンの若い男に「ねぇ君、いま空いてる?」と声を掛けられた時は、「えっ?ボク?・・・じゃなくてアタシ?」と驚いたけど、きょう一日しか時間がないので、「ごめんなさい。きょうはダメなの」と言うと、「じゃあ、今度会えたら俺に付き合ってくれる?」って笑ったから「・・・う〜ん、また会えたらネ」って答えたら、「そっか。楽しみにしてるよ。バーイ♪」って言いながらほっぺにチュッてキスされちゃった・・・!
・・・・何?この感じ・・・。  今までだったら男にキスされるなんて、気色悪い意外のなんでもない物だったはずなのに・・・・。


その日の夜。アタシはあのお店に来ていた。
「どうだったかな?女の子として過ごした一日は。君は今後どうしたいかね?」老紳士は心の奥を覗くように聞いてきた。
アタシはさんざん迷った末に出した一つの結論を答えた。
「はい・・・。アタシ・・・、いえ、ボクは田舎に両親が暮らしています。今の仕事もいきなり辞めるわけにはいきません。
いきなりこの世から『ボク』という人間が消えるわけにはいかないんです・・・・・」
どうしようもない事だと分かっていながらも、アタシ、いえ、ボクは涙を浮かべていた。
ボクとしての人生。アタシとしての人生。どちらを選んでも、大切な何かを捨てなければならない。

ボクの答えを聞くと、老紳士は少しさびしそうに微笑み、「そうか・・・。君がそういう答えを出したのなら、それはそれで仕方のないことじゃな」
そういうと服を脱ぐように言い、すっかり裸になったボクの後ろにまわると、ボクががいくら探しても見つからなかった背中のファスナーを下ろした。
すると、まるで自分の皮が一枚ベロンと剥がれるように『あの子』が脱げた。 ボクは女の子から、再びいつもの男の「僕」に戻った。


その後、あの店では相変わらずいろんなマネキンが飾られている。
でも、あの日以来、僕は二度と入り口を見つけることは出来なかった・・・・。
                                                                                 おしまい。