変格探偵活劇

帝都幻想遊歩奇談

 

第二話「驚天動地、怪人現わる。」

「まったく暇よねえ、あの人たち。」

 表の和光宝石店の前で、わいわい騒いでいる野次馬を眺めながら、3人は、それぞれに飲み物を飲んでいた。

 野次馬を見ながら、暇だという暇人もあったものじゃない。どちらが暇人かわからないというものだ。

 そんな時、一台の白い高級車が、店の前に止まった。この当時、日本では、車は、ほとんどが、黒一色で、白塗りの車などかなり珍しかった。白の帽子に、白の制服を着た長身の運転手が、運転席から飛び出すと、後部のドアをかけた。

 ドアの影から、パールカラーのヒールと、白いソックスをはいたスラリと白い足が見えた。そして、車から降り立ったのは、純白のドレスと、白い帽子を被った、その服の白さにも負けないくらい、透き通った白い陶器のような美しい肌をした、清楚な美少女だった。

 その美少女に気づくと、姉やは、店のドアから飛び出していった。そして、その少女に飛びついた。あまりの出来事に、早島は、唖然となってしまった。

 飛びつかれた少女も、運転手も、一瞬のことに、ただ呆然としていたが、その呪縛から逃れた少女は、回りのものが驚かんばかりのはしゃぎようで、姉やと共に飛び跳ねだした。そして、少女は、運転手をその場に残して、姉やと共に、店の中へと入って来た。

 早島は、その少女の端整な顔立ちと、その気品ある姿に見とれてしまい、言葉を失った。

「あら、若旦那さまもいらしたのですか。」

「いらしたのですかはないでしょう。近緒さん、若旦那の行くところ、姉やありですよ。」

「まあ、姉や様の行くところを、若旦那様は、避けていらっしゃるのかと思っておりましたわ。」

 その清らかな美しい山奥の小川のせせらぎのような、心地よく、透き通る声に、早島は、ボーイソプラノの聖歌を聞いているかのような思いがした。

「あの、そちら様は・・」

「アット、こちらは、東京日日新報の記者の、早島早紀さん。若旦那の知り合いなの。」

「は、早島です。」

「はじめまして、最遠寺近緒です。」

 早島は、相手は、同性なのに早まる心臓の鼓動を感じた。

「最遠寺さんですか。」

「そう、最遠寺公爵のご令嬢ですよ。」

「そう、最遠寺公爵の・・・え、」

 最遠寺公彦、近緒の父は、今上天皇の縁筋に辺り、近緒の祖父は、維新の影の功労者でありながら、決して表に立とうとはしなかった。この爵位さえも、拒否したのだが、長年仕えてきていた側近の者が、御家の為にどうしてもと、命をかけて願ったために授かったという、逸話が残っていた。近緒の祖父は、国会議員になっていたが、貴族院ではなく、衆議院の議員だった。庶民を愛し、庶民に愛された人だった。

 その息子である、彼女の父も、華族でありながら、下町を愛し、そこに住む人を愛し、神田明神町裏に、小さな診療所を開いていた。そんな家に彼女は、生まれた。幼い頃からの、人目を引く美貌と、利発さから、その関係の人から進められ、俳優をしていた。だが、時代は、無声映画からトーキーへと移り、無声映画時代の名優といわれた人たちが、かなり去っていく中、まだ若く、姿ばかりではなく、声も美しく、台詞回しも軽やかな近緒は、人気女優の道を歩き始めた。

 そして、来日中だったハリウッドの有名な映画監督に目を留められ、来米し、出演した映画が大ヒットし、世界的女優になっていた。

 だが、本人にはそんな意識はまったくなく、絣の着物に、もんぺ姿で銀ブラしても、一向に気にしない性格だったので、実は、さっきの車も、映画会社が、人気保持と、近緒の監視のために手配した物だった。

「最遠寺近緒って、最遠寺公爵の娘さんだったの?」

「へ、早坂さん、知らなかったの。」

「ええ、聖林(ハリウッド)女優の最遠寺近緒が、現れたから、驚いただけよ。でも、姉やさんと、最遠寺さんとは、どんな知り合いなの。」

 近緒としゃべっていた姉やが、いきなりこちらを向くと怖い顔をして睨んだ。

「若旦那、しゃべったら、わかっているでしょうね。」

「わかっていますよ。あたしも命はおしいですからね。」

「命までは取りませんよ。ただ、晩御飯は、抜かせていただきます。」

「そりゃ殺生ってものですよ。あたしから、おまんまを取り上げたら、どんな楽しみが残ります。」

「まるで、綾奴みたいなことは言わないの。」

 と、姉やが言ったとき、道路側から、ガラスのウインドウ越しに、木村屋のアンパンをかじって、じっと中を覗いている人影があった。

 その人影に向かって、近緒は優しく、手招きをした。まるで、飴を上げるからおいでと言われた幼子のように、その人影は、うれしそうな余韻を残して、ウインドウから消えた。と、思った瞬間、店の扉が、吹っ飛んで如何ばかりに開いて、矢絣の着物に、茶袴の、後髪をリボンで結んだ、少女が、右手には、齧りかけのアンパン、左手には紙袋いっぱいのアンパンを大事そうに抱えて入って来た。その少女が、今築地で、人気上昇中の売れっ子芸者、綾奴姉さんだとは、誰が信じるだろうか。少し、ぽっちゃりとした顔には、まだ幼さが色濃く残っていた。

 彼女は、気骨のある芸者で、家が置屋で、看板になる芸子がいなかったので、小さい頃からみようみまねで覚えた芸に磨きをかけて、芸者としてお座敷に出ていた。『芸は売っても身は売らぬ。』その、しっかりしたポリシーを旦那と言われる人たちは、気に入り、彼女を座敷に呼ぶ人が多く、その天真爛漫の性格と、年からは想像もつかないしっかりとした芸に、ご贔屓どころか、親衛隊すら出来ていた。それも、政界、財界、官界、軍人に至るまで、トップといわれる人々だったので、野暮な奴は彼女を呼ぶのをためらうほどだった。

 まるで女学生のような格好をしている彼女は、その職からは信じられないかもしれないが、名門女学校の生徒だった。

やはり、周りの口はうるさかったが、彼女の通う学校の校長のこの言葉に、黙らざるをえなかった。

『彼女は本校の生徒です。彼女は、自立し、職を持った女性です。そのような新しい女性が本稿の生徒であることをわたしは誇りに思っています』

 それは、女性の地位向上を図る団体や知識人といわれる人々に支援され、彼女に対して、表立ってなにも言う人はいなくなった。

 女学生でありながら、芸者の彼女は、その自分の環境に誇りを持っていた。

「あの子、今評判の綾奴じゃない。」

「そうですよ。」

「あの子も、姉やさんの知り合いなの。」

「そう、姉やは、誰とでも親しくなるし、誰もが、姉やを慕ってくれる。それが、姉やですよ。」

そんな姉やを、若旦那は、少し自慢に思った。

「そう、確かに、あの子のそばにいると暖かさを感じるわね。」

 早島は、不思議そうに姉やを見た。ごく平凡な少女なのだが、言い表せない暖かさが身体からあふれていた。

 綾奴は、店の中に入ると、見知らぬ早島に、折れんばかりの会釈をすると、姉やと近緒のあいだに座った。それはまるで、幼子がやさしい姉達のあいだに入って安心したような、やさしい母猫の懐で、眠る子猫のような、かわいらしい笑顔で、近緒と姉や、早島を交互に見ていた。まるで、若旦那の存在を気づかないかのようだった。

 しばらく、4人は他愛もない話に花を咲かせた。その間、若旦那は、ムスッとして、コーヒーを飲むだけだった。ふと、近緒が、立ち上がると、ちょっと、会釈をして店の奥のほうに立つ、女急のそばに行った。そして、女給と一言、二言話すと、一緒に店の奥へと入っていった。

「おや、近緒さんどうしたんだい。」

 三人は、あきれた顔をして、若旦那をみつめていた。

「何か、あたしの顔についているかい。」

 無言でみつめる三人の視線に、若旦那は、戸惑ってしまった。

「若旦那、気づいてないの。だから、もてないのよ。」

「なまいきなことをいうんじゃないよ。」

 若旦那は、伸びだして、綾奴の頭をこつんと叩いた。

「若旦那!綾奴も本当のことを言うんじゃないの。」

 姉やのその一言に若旦那は、こけてしまった。

「おねえちゃん。」

 綾奴は、姉やの胸に飛び込み、思いっきり甘えだした。姉やもそんな綾奴の頭を優しくなでた。

「若旦那、わからなかったのですか。近緒さんは、ご不浄ですよ。」

 耳元で、小さな声で早島に教えられて、若旦那は、赤くなってしまった。

 そんな小喜劇が、一段落したテーブルに、近緒が戻ってきた。

「おねえちゃま、お帰りなさい。」

 今度は、近緒に、綾奴は甘えだした。

 近緒は、子猫をあやすかのように綾奴の頭をなでた。そのとき、綾奴の顔が一瞬変わったのに、気づく者はいなかった。綾奴自身、顔が変わったことを忘れたかのように、近緒に甘えた。

「ところで、最遠寺様は、なに用で、銀座に?」

「早島様、近緒とお呼びください。」

「近緒さま、私のことは、早紀とお呼びください。」

「ただの近緒です。わたくしは、和光宝石店の怪人福助に狙われた「アメンホテップの瞳」を拝見に参りましたのよ。」

「へえ、ちかちゃんて、宝石に興味があったんだ。」

 姉やのその言葉に近緒は、少し慌てたようだった。

「それは、女ですもの。それに、怪人福助に狙われたとしたら、これが見納めですからね。」

「ふ〜ん。」

 姉やは、不思議そうに呟くと、通りむこうの和光宝石店を眺めた。今だ、野次馬と警備の警官の攻防戦は続いていた。

「でも大丈夫なのですか。怪人福助のために誰もはれないような厳重な警戒をしているのですよ。」

「大丈夫ですわ。早紀さん、わたしにお任せください。」

 そう言うと、近緒は、皆の勘定を済ませ、店を出て行った。

 皆はそんな近緒の後をついていった。店の玄関で、入ろうとした近緒は止められた。しかし、何か、一言二言言うと、警備の警官は、直立不動で、敬礼をして警備していた警官の中で一番偉そうな警官が、近緒を中へと案内した。しかし、若旦那たちが続いて中へ入ろうとしたとき、やはりとめられてしまった。だが、近緒が連れだというと、その警官が通すように命令し、すんなりと中へと通された。

 店の中は、物々しい警戒で、警備の警官であふれていた。その中を、近緒たちは、警官に案内されて、奥へと進んでいった。中央の階段を上がり、2階の展示室へと案内された。

 その部屋は、道路側に面した窓のある明るい部屋だった。その部屋にも、かなりの警官がいた。その中に、制服や私服の警官とは雰囲気に違った二人がいた。一人は、英国製のスリーピースを着こなし、髪を軽くウェ〜ブさせたスマートな青年紳士で、もう一人は、もしゃもしゃ頭の小柄な男で、洗いざらしの着物とよれよれの袴をはいていた。

 小太りの、カイゼルヒゲをはやしたいかにも警官といった顔をした背広の男が、突然入って来た近緒たちに近づいてきた。

「お前達は誰だね。おい、お前、なぜ、彼らを連れてきた。」

恐ろしいほどの剣幕でがなりたてられ、近緒たちを案内してきた警官は、答えようにもしどろもどろに成ってしまった。

案内してきた警官が答えに困窮していると、エセ英国紳士の青年が、近緒の顔を見て呟いた。

「ちょっと待ってください。波村警部。あの、女優の最遠寺近緒さんじゃありませんか。私は、あなたの大ファンなのです。」

そう言って、近緒に近づいてきた。近緒たちを追い出そうとしていた波村警部は、またかという顔をして、その青年の顔を見た。

「あの、あなたは・・・」

「これは失礼しました。ボクとあろうものが、ご挨拶を忘れるなんて。」

 少し、しゃくれたあごを上に向け、気障ッたらしく、男は言った。

「ボクの名は、陣内小五郎。私立探偵をしています。」

 陣内小五郎、洋行帰りの探偵で、最近売出し中の男だった。

「あの、陣内様。有名な私立探偵の。」

「そうです。その陣内です。」

 青年は、アクションを付けて答えた。その後で、さえない小柄の男が、陣内のスーツの裾を引っ張っていた。

 陣内は、気づかぬ振りをしていたが、しつこく引っ張るので、振り返り、その小男に、何か言った。だが、その男の抵抗にあい、しぶしぶ振り向くと、小男を前へ出させると、近緒に言った。

「彼が、ボクの同業の探偵で、片岡耕助といいます。」

 紹介された片岡は、真っ赤な顔をして、少しどもりながら挨拶をした。

「ど、どうも、片岡耕助です。」

「まあ、あなたが、あの、脇本陣殺害事件や、蛇神家連続殺人事件を解決した片岡様ですの。」

 近緒にそういわれ、片岡は、ますます顔を赤くした。それに比べ、まったく反応がなかった陣内は、面白くなさそうな顔をした。

「女優だか、なんだか知らないが、今日は忙しいのだ。買い物なら、またにしてくれ。」

 まったく無視されていた波村警部が、この場の指揮権を取り戻すために、大声でどなった。

「おや、波村警部、それはまずいですよ。この、最遠寺サンは、あの、最遠寺伯爵のご令嬢で、この店のオーナーですよ。」

「オーナー?」

波村警部は、あまりのことに絶句してしまった。近緒が、この店のオーナー。その言葉に、その場の人は驚いた。

「ねえ、若旦那。オーナーって何ですか。」

「それはねえ、姉や。追っかけようとしている人に言う・・・」

「それは、追うな。これは、オーナー。」

「おなかを押しと出る。くさい・・」

「おなら。」

「外人が、両手をすくめてやる。」

「オーノー。」

「え〜と、それじゃあ。」

「もういいわ。若旦那に聞いた、私が馬鹿でした。他の人に聞きますよ。」

「ふん、どうせ、あたしは、南蛮人の言葉なんてわかりませんよ。なんだい、あの、どぶで漂ういとめめずのようなへたらへたらした字は、日本人は、漢字が書ければいいんです。」

「でも、若旦那の字は、ミミズが卒倒したような字ですけど。」

 すかさず、綾奴がちゃちゃを入れた。

「うるさい。あれは、芸術なんです。もう、アンパンあげないよ。」

「ごめんなさい、若旦那、だから、木村屋のアンパン〜。」

 うるうるとした目で、綾奴は、若旦那に訴えた。その目で見られるとだめとは言えず、若旦那は、つい答えてしまった。

「わかった、また買ってきてあげるよ。」

 雨雲がかぜに流されて、晴れ間が見えてくるように、綾奴の顔がほころんで来た。

 こんな、あほなやり取りをよそに、姉やは、早島に聞いてみた。

「オーナーというのはね。この店の持ち主ということよ。でも、近緒さん凄いわね。この店の、持ち主だなんて。」

 姉やは、改めて、近緒を見た。彼女から、そんなことを聞いたことがなかったからだ。それに、近緒がこの店に興味を持つとは、姉やにはどうしても思えなかった。

 宝石はかならず女性なら興味を持つもの。という、固定観念の塊のような世間常識を、まったく無視したような価値観を持つ近緒が、宝石に興味を持つとは信じられないからだった。そんな彼女が、宝石の興味を持ち、この店のオーナーになるなんて、信じられないことだった。

「警部さん、アメンホテップの瞳を見せていただいてもよろしいかしら。」

「いくらオーナーといえども、われわれの警備の邪魔になるような事は・・・」

 と、いいかけた警部の口をふさいで、あの気障な陣内探偵が、アクションを加えながら、ショーケースの中の宝石を手に取り、近緒の純白の手袋を通した手を取って、その上に、宝石を落とした。

 「お嬢様、どうぞご存分にご覧ください。」

 「ありがとう。」

 近緒は、おもちゃを与えられた子供のように、その宝石を手のひらの上でもてあそんだ。しばらく、陽射しにかざしたり、身に付けたりしていたが、元のショーケースに戻すと、探偵や警官たちに微笑みかけると、さっさと、その場を去っていった。後姿を追う、陣内探偵の顔は、にや下がっていた。

 「陣内君、もしもの事があったらどうするんだ。」

 「大丈夫ですよ。予告の時間までかなりあるし、彼女はこの店のオーナーですから。」

 「だが・・・」

 陣内探偵は、その先を告げさせなかった。そして、若旦那達のほうを向くと冷たく言い放った。

 「部外者は、御引取り願おう。」

 その一言を待っていたかのように、彼らは、警備の警官たちに、店の外へ追い出されてしまった。外にはすでに、近緒の姿はなかった。若旦那達は、その場で別れ、家路についた。

 翌朝、若旦那は、姉やの騒がしい声に起こされた。

「一体どうしたんだい。鶏を絞め殺し損ねたような声を出して。」

「なに言っているんですか。やっぱり出たんですよ。」

「御通じがかい。それはよかった。これで姉やのご機嫌も治るってものだ。」

「なに馬鹿な事を言っているんですよ。怪人福助ですよ。」

「なに、怪人福助?」

 若旦那は、姉やが持ってきた新聞を奪い取るようにして、読み出した。

「違う記事を読むボケはなしですよ。」

 さきに、フェイントをかけられ、若旦那は仕方なく、福助の記事を読み出した。そこには、もっともらしい事がかかれていたが、手順はわからず、警察や探偵が、右往左往する様子が描かれていた。小説には、間抜けな警官がよく出てくるが、実際は、それほど間抜けではない。いかにして、盗んだのか。謎が、謎を呼び、帝都は新たな、活劇の幕を開けようとしていた。その事に、姉やも、若旦那もまだ気づいてはいなかった。

 

され、次回第3話「新たなる怪人登場」でお会いしましょう。