俺の顔


 華奢な身体つきに、二十歳そこそこのあどけなさの残る顔。ストライプのシャツに薄いブルーのスカート。肩からは小さな白いショルダーバッグ。清楚な女子大生といった感じのその女を、しかし俺は逃がさないように壁際に追い詰めていた。
「何をするんですか! やめてください!」
 女はそう叫んだが俺はそれを無視し、腕を掴んで地面に引き倒した。そのまま女に馬乗りになると、その恐怖に歪んだ顔を鷲づかみにする。
 この様子だけを見たら、まるで俺の方が悪人に見えるだろう。しかし俺は警察官で、この女――女かどうかも怪しいが――は、悪質な窃盗犯なのだ。

 最近世間を騒がせている、連続窃盗犯。その窃盗の手口自体は非常に単純なものなのだが、そいつは老若男女ありとあらゆる人物に化けることによって、これまで捜査の網をことごとくかいくぐってきたのだ。ただ変装が上手いというだけ
ではない。最大10枚ものマスクを重ねて装着することによって、状況に応じて瞬時に姿を変えてしまうというのだからタチが悪い。
 マスコミはセンセーショナルに『怪人10面相』などと面白おかしく書き立てているが、警察からすれば笑い事ではない。このまま泥棒を半ばヒーローのように扱わせておくというわけにはいかないのだ。
 そして俺はついにそいつを追い詰めた。そいつが盗みに入った宝石店からここまでずっと追跡してきて、これまで9人の人物に化けてきたことを確認した。今ヤツが装着しているマスクこそが最後の1枚の筈だ。このかわいい顔の下には、ずっと追い求めてきたヤツの素顔があるのだ。

「お前の本当の面、拝ませてもらうぜ」
 そいつの顎に手をかけると、顔と首筋との間に不自然な継ぎ目があることを確認した。俺はその境目に指を差込み、力任せにマスクを剥ぎ取った。
「!」
 マスクの下から現れた顔を見て、俺は思わず息を呑んだ。
「参りましたね。僕をここまで追い詰めるとは。あ、ちょっとどいてもらえますか?」
 そいつは俺の下から這い出ると、スカートについた砂を払った。
 なんと言うことか。逮捕しなくてはいけないという思いとは裏腹に思わず数歩あとずさった。そいつの素顔を目の当たりにして、俺は狼狽していた。
「どういうことだ! お前、その顔……
「どうもこうもないでしょう。あなたが望んだんじゃないですか。僕の本当の顔を見たいって」
「しかし、その顔は……
「ええ。この顔こそ、僕の本当の顔ですよ」
 そいつは屈託無く笑った。俺はその笑顔に背筋が凍る思いがした。
 マスクの下から現れたそいつの顔は、俺とまったく同じ顔をしていたのだ。
「バカを言え! それは俺の顔だ! くそっ、まだマスクを被ってやがるのか」
 俺の偽者の正体を暴くべく怒りに任せてそいつに掴みかかり、そいつの顔から首筋から、とにかく手当たり次第にまさぐった。しかし先ほどとはうって変わって、マスクの継ぎ目のようなものを見つけることは一向にできなかった。
「バカを言っているのはあなたですよ。これはまぎれもなく僕の素顔です」
 疲労のため俺の動きが鈍くなってきたのを見計らい、そいつは俺の動きを制した。
 俺は勤めて冷静であろうとしたが、そう考えれば考えるほどわけがわからなくなってくる。何故こいつは、俺と同じ顔を持っているのだ。おかしいのはこいつなのか、それとも俺なのか。
「そうだ。僕が素顔に戻ったからには、あなたから僕の顔を返してもらわないと」
 そう言うとそいつはおもむろに俺の顔に手を伸ばすと、そのまま俺の顔面を剥ぎ取ってしまった。

 !?

 奇妙な感覚に襲われ、俺は戸惑う。一体何が行われたのだろうか。
 そいつは俺の顔から剥がしたものを俺に見せ付けた。皮というのか、マスクというのか、だらしなく歪んではいたが、それは紛れも無く俺の顔だった。
 俺は自らの顔に手を当てる。妙につるりとした皮膚は、普段からなじんでいるひげ面とはまったく異なった感触だった。
 そいつはバッグの中から鏡を取り出すと、俺の目の前に差し出した。その鏡を覗き込むと、中には見知らぬ若い女が映っていた。
「これでわかりましたか? この顔はあなたのものじゃない。僕のものなんですよ」
 何が起こったのか理解できずに混乱し、俺はその場に力なくへたり込んだ。
「着替えないといけませんね。その顔にその服装は似合いませんよ。僕もこの格好じゃまるで変態みたいですしね」
 そいつは俺を立たせようとするが、力が抜けてしまって立つことができないと見るや、ひょいとかかえ上げてそのまま俺を車の後部座席へと押し込んだ。
「僕のアパートに戻りましょう。それまではおとなしくしていてくださいね。あなたに合う洋服も貸してあげますから」
 俺はすっかり抵抗する気力も無くし、身じろぎ一つせず、ただシートに深く身を沈めていた。
 イグニションキーが回され、エンジンが低くうなり声をあげた。やがて、静かに車が動き出した。

 赤信号で車が停止したときに、ふとバックミラーを見上げた。鏡の中には運転席でにやけている俺の顔と、後部座席に悄然とした表情で座っている見知らぬ女が見えた。
 俺は再び自分の頬をなでる。鏡の中の女も、それと同時に手を動かす。
 この顔は一体、誰の顔なのだろうか。警察官だった俺は何処へ行ってしまったのだろうか。
 しかし頬に受ける指先の感触が、この顔が確かに俺のものだということを教えてくれていた。


(おしまい)