TsトラQ
深夜の高速道路を一台のスポーツ・カーが走っていた。
「もっと飛ばして。」
「いいけど、なにを怒っているんだよ。」
運転席の男は、アクセルを踏み込んだ。夜の高速を走る遠距離トラックの間をすり抜け、車はスピードを上げていった。
「何よ、あの女。」
「だからさっきから言っているじゃないか。会社の同僚だよ。」
男は、横の助手席でふくれている女のほうをちらっと見て言った。
「そんな言い訳、もう聞き飽きたわよ。それより前を見て運転してよ。」
「わかったよ。女のおまえにはわからないんだよ。男の付き合いってものが。」
「わからないわよ。あなたも、私の気持ちがわからないのよ。」
男は、前方に顔を向けて運転を続けた。
『それなら、入れ替わったら?』
そんな声が聞こえてきた。
「何か言ったか?」
「何も言わないわよ。ちゃんと、前を向いて運転していてよね。」
『入れ替わると、相手の気持ちがわかるよ』
そういう声が聞こえたかと思うと、女はいつの間にか運転席に坐っていた。そして、横の助手席を見ると、唖然とした顔をした自分が、運転席の自分を見つめて坐っていた。
「え、何で私が運転しているの。それに、わたしがなぜそこにいるの?」
「おれがいる。あ、前。カーブ、カーブ。」
「いや〜、私、運転できない!」
男がそう叫んだ瞬間。車は、ガードレールを飛び越し、崖下へと落ちていった。
『キャハハハハ・・・・・』
無邪気な子供の笑い声が何処からともなく響いていた。
天使っ子
テーマミュージック
ナレーション「この事故の原因は無謀なスピードの出しすぎとして処理されました。ですが、皆さんは、事故の真の原因を垣間見られました。あの信じられないような現象。そう、あの二人は知らないうちにこのセクシャルアンバランス・ゾーンへとはいってしまったのです。
これからしばらくの間、あなたの魂は、あなたの身体を離れ、このセクシャルアンバランス・ゾーンへと入っていくのです。」
「レディースアンドジェントルマン。今宵おいでの紳士氏淑女の皆様方は、不可思議な出来事を体験することになります。最後までお見逃しのないように・・・」
ステージに立つ、黒のタキシードにシルクハット、痩せた悪魔紳士。メフィストフェレスのような男は、テーブルに座る客たちを見回しながら不適に笑った。その彼の横には一人の幼い少女が立っていた。
「先生が、僕たちをこんなところに招待してくれるなんて珍しいですね。」
白髪に豊かな白髭で顔を覆われた優しそうな目をした一の谷博士に、向かいに座っていた一平が言った。
「そうよ。どうしてこんなところをご存知なのですか。先生。」
由利子も不思議そうに聞いた。
「ふむ。それはじゃな・・・」
「それはあとで、ショーが始まるよ。」
万条目の声にみなが舞台を注目すると、いつの間にか奇妙な機械が設置されていた。
「これから皆様にお見せするのは、欧羅巴は巴里大学の大教授・メルメス博士の動物電気理論をもとに、愛弟子であるわたくし、Drカリガリが発明いたしましたる任意相互精神交換機を、今宵は皆様にご紹介いたします。」
ご大層な紹介の割には発表の場たるここは、場末の小汚いキャバレーの舞台だった。そして、このショーを見ているのも万条目たちだけだった。
「どなたか、入れ替わってみたいとお思いの方はいらっしゃいませんか。異性との身体の交換は至上の快感を得られるといわれますぞ。」
さっきまでは、舞台を見向きもしなかった、酔ったサラリーマン風の中年男の客が、そばに座っていた若いホステスの手を握って立ち上がった。
「おい。俺とこいつを入れかえてくれ。できるのだろう。」
「やめてよ。あんたとなんか・・・」
「なんだと、さっき俺を好きだといったのはうそかよ。」
「そ、そうじゃないけど・・・ね。」
「うるせえ、いくぞ。」
かなり酔っ払っているその客は、ホステスを引きずるようにして、舞台の上に連れて上がった。
「おい。先生よ。俺とこの姉ちゃんを入れかえてくれ。できるのだろう。」
「ヨ、ブチョ〜いいね。」
「おれかわりた〜〜い。」
そんな野次を気にする様子もなく、自称Drカリガリは、二人をそれぞれ椅子に座らせた。そして、どうみてもアルミ製のボールに豆電球とか電線とかをごちゃごちゃとくっつけただけにしか見えないものを、二人にかぶせた。そして、そばにいたアシスタントの少女に合図した。すると、二人のかぶったボールの豆電球が点滅しだして、二人の身体が震えだした。だが、やがて、震えは止まり、電球の点滅も止まった。そして、椅子に座っていた二人が動きだした。
「もう終わったのかよ。なんだ、てえしたことねぇな。」
「何言っているのよ。もう、身体はしびれるし、もうこんなのいやよ。」
男言葉をしゃべるホステスと、女言葉で愚痴るサラリーマン風の中年男。この二人の会話をただ、黙ってみていた観客のうちの一人が、突然笑い出した。それを待っていたかのように笑いは、すべてのテーブルに広がった。
「あはは、おかしい。あの二人、サクラだったんですね。」
「ほんと、うまいわ。一瞬、本当に入れ替わったのかと思ったもの。」
だが、一の谷博士と万条目は、だまったまま、じっと舞台の上の二人を見つめていた。
「先生。」
「うむ。万条目君、間違いない。」
「そんなことが・・・」
二人の会話に由利子は、事件の香りを感じた。だが、一平は、まだ続く舞台の上の二人の、入れ替わりパフォーマンスを笑いながら見ていた。
「ふっふぉ〜、女の胸ってこんな感じなのか。おまえの胸、シリコン入っているだろう。妙なしこりがあるぞ。」
ホステスは、自分の胸を両手で揉みながら言った。
「や、やめてよ。仮にもあなたは、今は女なのよ。はしたないでしょ。それにそれは私の体よ。あ、そんなところを撫で回すのはやめて!」
「い、いいじゃない・・か。あ、んんああ〜〜〜ん。」
さっきまでは、入れ替わったお互いの姿に派に食っていた二人だったが、女のほうが身体を触り始めると、男のほうがあわてて止めだした。その姿がまたこっけいだった。そのうえ、身体を撫で回す女の姿のエロチックさに、客たちの間ではいやらしい笑いがたち始めていた。そして、ホステスのみだらな姿に、仲間のホステスたちの中で、そのホステスを軽蔑する声が上がりだしていた。
「ねえちゃん、もっと胸見せて。」
「股を広げろ。股を・・・」
「おう、ちゃんと見ろよ。」
ホステスは、股を大きく広げた。男たちの間で歓声が上がり、ホステスたちの間に悲鳴が上がった。
「どうだ。どうだ。スケベども。」
ホステスは、調子に乗って、男たちを挑発するかのように、みだらなポーズを取り出した。横に座っていた男がそれを止めさせようとしたとき、まだ、かぶったままになっていたあの機械が動き出し、電球が点滅した。そして、また二人に痙攣が走り、点滅が終わると二人の様子が変わっていた。
「いかがでしたかな。」
二人の頭にかぶせたボールを外しながら、カリガリ博士は二人に聞いた。
「なんてことをしたのよ。」
ホステスは、客の頬を思いっきり張り飛ばした。それを見ていた客席では、爆笑の渦が巻き起こっていった。
二人が舞台を降りると、カリガリ博士は、その山羊のような髭をさすりながら、客席に向かって言った。
「さあ、お次はどなたですかな。」
その声を待っていたかのように、いくつかの席から声が上がった。一平もその中に混じっていた。
「一平君。するの?」
「ああ、由利ちゃんとね。」
「私はいやよ。一人でやってね。」
「そんなぁ。」
一平が情けない声を出して、由利子にすがろうとした時、客席から悲鳴が上がった。舞台の方に目をやるとそこには、慌てふためくカリガリ博士の姿があった。ぐったりとしたアシスタントの少女を抱きかかえて、おろおろするカリガリ博士に、万条目は、席を立つと駆け寄って、少女を抱いたままおろおろするカリガリ博士を、舞台の袖へと連れて行った。一の谷博士や一平たちも、その後を追って舞台の裏へと向かった。
楽屋の中には、慌てふためくカリガリ博士と、ソファーに横になった少女を看病する派手な衣装の女性がいた。
一の谷博士と万条目が、部屋の中に入ろうとすると、カリガリ博士が、入り口のところで、二人が中に入ろうとするのを邪魔した。
「お前たちはなんだ。ショーは終わったのだ。帰ってくれ。」
「わたしは医者でもある。君のアシスタントをしていたお嬢さんの様態が気になるのじゃ。通したまえ。」
「医者?」
そういわれれば、白髪で豊かなひげを生やした恰幅のいい一の谷博士は、医者に見えなくもなかった。だが、まだ戸惑っていると、女の子を看病していた女性が、後ろから怒鳴った。
「お医者さんなら、診てもらいましょうよ。あなたの娘でしょ。こんなに苦しんでいるのに、知らん顔しているつもり?」
その女性にそう言われて、カリガリ博士は、戸惑ってしまった。
「先生。この子を見てください。」
「う、うむ。」
一の谷博士は、ソファーに横たわる少女のそばに座ると、少女の力もなくだらりとした手を取った。脈を診ながら、博士の顔色が変わっていった。
「こ、これは・・・万条目君、すぐに、救急車の手配をしてくれたまえ。一刻を争うぞ。」
ただならぬ一の谷博士の様子に、いつもは冷静な万条目が、躓きながら、部屋を飛び出していった。
「いらぬお世話だ。娘の様態は、いつものことだ。出て行ってくれ。さあ、リリィ、これを見て、お父さんの声だけを聞いて。」
水晶のボールのついたステッキを、リリィの目の前で、左右に動かしながら、囁いた。
「君は、催眠術で、状態を抑えているのかね。それは危険だ。すぐに入院させるべきだ。」
「いいんだ。この子は、生まれつき、心臓が弱く、大人まで生きられないのだから。それに、この子には、痛み止めは効かないんだ。だから、手術などできないし、この子を傷つけたくはない。」
そう言うと、何を言おうとも耳を貸そうとはせずに、リリィに催眠術をかけて眠らせた。一の谷博士も、万条目も、ただそれを黙って見ているしかなかった。
「大体だなぁ。女房の奴はわかってないのだよ。俺の身にもなってみろってんだ」
「まあまあ、そう怒らずに。」
ある居酒屋で、よく見られる光景だったが、それが、そのままでは終わらなかった。
『じゃあ、変わってみたら?』
「ああ、変われるものなら変わりたいよ」
『じゃあ、変えてあげる』
そんな少女の声が聞こえたと思ったら、男は、いつのまにか自分のうちの居間に横になっていた。
「ん?さっきまで、奴と酒を飲んでいたはずだが、いつの間に家に帰ったのだ・・・・あ!」
どちらかと言うと、やせ気味だったが、今彼の身体は、はちきれんばかりにブヨブヨしていた。
「どうしたことだ。このぶよぶよいた身体は・・・まさか?」
彼は、でっぷりした身体を起すと、風呂場に走った。そして、洗面台の鏡に顔を映すと、そこに映っているのは・・・
「ま、昌枝!」
それは、彼が愚痴っていた妻の顔だった
「や、止めろ!死ぬなんてやめろ。まだ若いじゃないか、まだやり直せる」
「いや、死なせて。もう、生きてなんかいられないわ。」
「君の気持ちはわかる。だが、死ななくても」
「あなたに判るはずがないじゃないの。私の気持ち。私じゃないのだから。あなたなんかに・・・」
今、まさに飛び降り自殺をしようと、最上階のベランダから身を乗り出した若い女性を、思い留まらせようと、警官は、必死に説得していた。
「わかる。わかるから・・・」
「わからないわ。私の立場になってみなさいよ。わたしの・・・」
『そう、なってみたら?』
警官の耳元で、少女の囁きが聞こえた。
「え?」
その声に、警官がいぶかしんだ瞬間、彼は立ちくらみがして、意識が戻ると、ベランダから身を乗り出していた。
「なんでここに。あの女性は?」
ふと、身を戻そうとしたとき、バランスを崩して、彼は、地面めがけて落ちていってしまった。落ちていく途中で、窓ガラスに映しだされたのは、落下していくあの若い女性の姿だった。
「入れ替わり現象 各地で勃発!自殺しようとする女性を説得中の警官。女性と入れ替わり、死亡!なに?この記事。デマにしてもひど過ぎるわ。こんなこと書いているから、新聞記者の常識って疑われるのよ」
「由利チャン、こんなのもあるぜ。飼い主と犬が入れ替わり?ははは、まったくアメリカのタブロイド紙みたいだぜ」
一平が、新聞の見出しを見ながら笑っているそばで、万条目は、一の谷博士を真剣な顔をして見つめた。
「先生」
「ウン、恐れていたことが、怒り始めたようだ。これは一刻を争うぞ」
「はい」
だが、一平も由利子も、二人の会話が理解できなかった。
「いったいどういうことなのです?それに先輩もそんな真剣な顔をして。この馬鹿な笑い話が、どうしたというのです」
「博士、まさかこれは現実に起こった事で、もしかして、この間のあのショーと関連が・・・」
「さすが、由利ちゃん。いい感しているね」
「あら、淳ちゃん。茶化さないで」
「茶化してはいないのだ。由利子君。これらの事件は、この間のあのショーとの関連性が、高いのだよ」
その豊かなひげを震わせながら、一の谷博士は言った。
「でも、人が入れ替わるなんて・・」
「普通の状態では起こりえない事だが、ある条件さえ与えてやれば、可能なことなのじゃよ」
「ある条件?」
「論より証拠じゃ。一平君と・・・そうじゃな、由利子君。実験台になってくれんかな?」
「実験台?」
「そうじゃ、この事件を解明するための実験じゃ」
「なんだかこわいなぁ」
「判りました。実験台になります。さ、一平君行くわよ」
由利子と一平は、一の谷博士に指示されるままに、巨大な機械を間にして、大きなガラス窓をはめ込んだ左右の部屋に、一人ずつ入った。一平は、右の部屋に、由利子は左の部屋にといったように。
「聞こえるかね」
マイクに向って一の谷博士が、言った。部屋の中の二人は、ガラス越しに博士を見ながら頷いた。どちらの部屋にも、一個の椅子と、姿見が置いてあった。
「いいかね。それでは、実験をおこなう。気を楽にして、椅子に座っていえくれたまえ。何も感じないはずだから・・・」
一の谷博士は、二人が、イスに座ったのを確認すると、操作パネルをいじくりだした。
「万条目君。人には、体内電気と言うものがあるのは知っているね」
「はい」
「これは、そのバランスが取れている状態だ。このバランスが狂うとどうなるか。見ていたまえ」
一の谷博士が、ダイアルを回すと、異様な音が、その機械から流れ出し、部屋の中の由利子と一平の身体が青白く輝きだし、二重写しをした写真のように、彼らの身体に、もう一人の彼らの姿が、重なっていた。
「そして、バランスが狂ったこれを強制的に入れかえるとどうなるか。相模君、パワー最大だ」
一の谷博士は、インターホーンに叫んだ。
『先生。それでは、5分と持ちませんが』
インターホーンのスピーカーから助手の相模学士の悲壮な声が聞こえてきた。
「かまわんやりたまえ!」
二人の間の機械は、怖ろしいほどの唸りを上げた。
「見たまえ。シノプスの交換現象だ」
二重になっていた二人の姿は、青白くぼんやりと重なっていた姿が、二人の身体からはなれ、機械の方に引き寄せられていった。すると、二人は、がくんと、頭を前に倒し、気を失った。そして、機械の中に吸い込まれたと思った次の瞬間、由利子の姿をした青白い物体は、一平のほうに、一平の姿をしたほうは、由利子のほうに現れ、由利子と一平の身体に重なった。
「由利子君、一平君。目を覚ましたまえ」
一の谷博士の声に、青白いものが重なったままの二人は目を覚ました。
「気分はどうかね。一平君」
「はあ、頭がぼんやりとして、変な気分です」
「由利子君は、どうかな?」
「ええ、なんだか自分じゃないみたいです」
一の谷博士の問いに答える二人を見て、万条目は、自分の目を疑った。一平として答えたのは、由利子で、由利子として答えたのが、一平だったからだ。万条目は、一の谷博士を見た。
「これが、シノプスの交換現象だ。二人の人格は入れ替わったのじゃよ。だから、今は、一平君が、由利子君で、由利子君が、一平君なのじゃ」
「でも、この現象を起こすにはこれだけの機材がいるのでは?」
「そうじゃ。人工的に起こすには,これだけの設備が必要だし、強制的に入れかえておるので、拘束力が弱まると元に戻ってしまう。じゃが、これが、別の方法で行われたとしたら。この行為は、固定化してしまうじゃろう」
一の谷博士と万条目の会話は、中の二人にも聞こえていた。一平は、自分の身体を確かめてみた。
「うわ、俺の胸にふくらみが、それに・・・ない。あ、由利ちゃん」
部屋に置かれていた姿見に映し出されたのは、あの勝気な江戸川由利子の姿だった。
「え、まさか、いや〜。一平君、わたしの身体に変な事しないでよ」
「へへ、変な事しないで、て言っても、今は俺の身体だよ。由利ちゃんて、結構胸大きんだ」
由利子になった一平が、服の上から胸を触っていた。
「一平君。やめてよ」
「一平、やめろ」
「淳ちゃん。わたしは由利子よ。一平君は、隣よ」
混乱して来ていた万条目は、頭を抱えて、由利子の姿をした一平のほうを見て、言った。
「一平。由利ちゃんの身体をおもちゃにするのじゃない」
「あら、淳ちゃん。わたし由利子よ。失礼しちゃうわ」
「え、あ、え、え、え?」
万条目はなおさら混乱してしまった。
「博士。元に戻してください。もう、いや」
「うむ、そうするとしよう。一平君もいい加減にしなさい。由利子君が泣き出しそうだぞ」
「は〜い、ごめん由利ちゃん」
「もう知らない」
手を合わせて謝る由利子と、ふくれ面をして、そっぽを向く一平の姿を見て、万条目は、いっそう、頭の中が混乱してきた。
「それじゃあ、戻すぞ」
一の谷博士が、装置を操作しようとした時、突然実験室の照明が消え、部屋の中が、真っ暗になった。ドアが開き、相模が、血相を変えて、部屋の中に飛び込んできた。
「先生。オーバーヒートしました」
その時、万条目は見た。由利子と一平に重なっていた青白い物が、勢いよくもとのところに帰っていくところを、そして、戻ったとたん。二人ははじかれたように、椅子の上から、床の上へと倒れこんだ。
「ひどいですよ。痛くないって言っていたのに。これだもの」
「それは自業自得よ。人の身体をおもちゃにしたのですからね」
「由利ちゃんはいいよ。先輩が、すぐに飛び込んで、抱きとめてくれたから。あたた・・・・相模さん、もっと優しくしてくださいよ」
「いいのよ、相模さん。もっとしみる薬をつけてくださいな」
「ひどいなぁ。由利ちゃん」
悲壮な顔をして哀願する一平の顔に、皆、笑い出してしまった。
「先生。機械を使ってもこれだけ大変なのに、それが機械なしで行うなんて、可能なのでしょうか」
「うん、そのことじゃが。あの子が、機械のサポートなしで行っておるとすると、大変なことが起こるぞ。万条目君」
「先生」
一の谷博士のその言葉に、その場にいたものは、すべて、黙り込み、博士のほうを見た。
「つまりじゃ。これだけの事を行うには、人の身体では無理が来るということじゃ。その上に、あの子がかけられている催眠術も気になるのじゃよ。」
「それは、どういうことです」
「うむ。それはじゃ。幼い子供に催眠術をかけ続けると、肉体とシノプスのつながりが、まだしっかりしていないので、分離する可能性があるのじゃよ」
「つまり、肉体と精神の分離が起こる可能性があると」
「精神体になったら、エネルギーは、空間から得られるので、無限の力が出せるじゃろう。そうなるには、肉体が邪魔じゃ。そうなると、肉体を滅ぼそうとするかもしれん」
「でも、なぜ、あの子は入れ替わりなんかするのかしら。誰もが、困惑するだけなのに・・・」
由利子の問いに、誰も答えられなかった。いや、ただの悪戯とは思えなかったからだ。
「それは、ひょっとすると、いい事って思っているからじゃないかな」
「いい事?無理やり入れかえるのが」
何気なく言った一平の発言に、由利子は、食いつかんばかりに、睨み付けた。
「いや、たとえばだよ。あのショーで、入れ替えをすると、お客さんや、父親に喜ばれるだろう。だから、いいことだと思って・・・」
「そんなバカな」
「いや、由利ちゃん。意外と一平のいう通りかもしれないよ。先生」
「うむ、そうだとすると、これからも、このような事件が起こるぞ。なんとしても止めなければ」
一の谷博士と、万条目の顔に辛く重苦しい表情が浮かんだ。
「どうだい、由利ちゃん」
「精神年齢は、同じですものね。一平君とあの子は」
「あのねぇ」
なにか、一の谷博士と話し合っていた万条目は、二人のほうを振り向くと怒鳴った。
「相模君。超短波ジアテルミーを、急いで、持ってきてくれたまえ」
「先生その機械は?」
「分離しようとするシナプスを、つなぎとめてくれるはずじゃ。頼んだぞ、万条目君」
「はい。一平、由利ちゃん。じゃれあっている場合じゃないぞ。一刻を争うのだ。さあ、一平は、相模さんからその機械を預かってくるんだ。由利ちゃん、行くぞ」
万条目は、二人の返事を待たずに、実験室を飛び出していった。
「待ってよ、淳ちゃん。一平君、なにをぐずぐずしているの、行くわよ」
「由利ちゃん、それはないよ。これ重いんだから」
一平は、相模から機械をつるしたバンドを肩にかけてもらうと、飛び出していった二人を追った。
「ねえ、パパ。リリィのお母さんは?」
「お前のお母さんは、死んだんだよ。昔、リリィと行っただろう。あの小高い丘の上に眠っているんだよ。今度お母さんところに行こうな」
「うん」
「さあ、かけるぞ」
そういうと、Dr.カリガリは、リリィに催眠術をかけた。リリィは、静かに眠った。その寝顔は天使のように安らかだった。そのリリィの寝顔に見入っていたDr.カリガリに、この間、リリィが倒れたときに介抱してくれた踊り子が、声をかけた。
「なぜ、リリィに、お母さんとあわせてあげないの?」
「なにを言っている。この子の母親は死んだんだ。この子が幼いときにな」
「そんなこと言って、この子の母親は生きているじゃないの。それに、あんたが追い出したんじゃないの」
「うるさい。なにが、わたしの気持ちがわからないだ。俺の気持ちなどわからないくせに。ペテン師と追われて学会を追われ、場末のこんなキャバレーで、娘を使ってショーをやるしかない俺に、どうしろというんだ。俺の気持ちになってみろ」
『じゃあ、変わってみたら?』
ふと、Dr.カリガリの耳元でそんな声がした。
「何か言ったか?」
「いえ、何も。それでも、リリィちゃんの気持ちを考えると・・・」
「うるさい、黙っていろ。俺の気持ちなんかわからないのに」
『入れ替わればわかるよ』
またそんな声が聞こえたかと思うと、今までと視線が変わった。さっきまで、あのおせっかいな踊り子が見えていたのに、今目の前にいるのは、自分の姿だった。
「ん?こんなところに鏡があったかな」
「何でわたしがそこにいるの。それに、この身体は、なに?いや〜、わたしじゃない。帰してわたしの身体を・・・」
Dr.カリガリには、いったいなにが起こったのか理解できなかった。この騒動に、店中の者が、楽屋に集まってきた。だがこの騒ぎの間に、眠ったはずのリリィが姿を消したのに誰も気づかなかった。
「ついに始まったな。急がないと大変なことになるぞ」
Dr.カリガリと、踊り子を挟んで、パニックになっているキャバレーを後に、万条目たちは、リリィの後を追った。いよいよ始まったのだ。肉体消滅の序曲が。これを阻止しないと、人々、いや、あらゆるものを入れかえる悪魔を誕生させてしまう事になるだろう。万条目たちは、リリィの行方を追った。彼らが、遅れたのは40分だった。だが、それだけの時間が、彼らとリリィとの距離を広げていった。
万条目たちは、一の谷博士に頼んで、警察も動員してもらい、リリィの捜索をした。だが、その行方は、容易にはわからなかった。
「な、何で、そこに俺がいるんだ」
「いや〜、わたしは、痴漢じゃないわ。返してよ、わたしの身体を」
交番で、痴漢行為の事情徴集をしていた警官は、被害者の女性と、容疑者の男性の態度の急変に戸惑った。ふと、警官は、手配のことを思い出して、表に飛び出すと、そこには、幼い少女が、歩いていた。だが、その身体は、青白く輝いていた。
「ゆ、ゆ、ゆうれい〜」
どんな凶悪犯でも、恐れるものではないが、相手が、得体の知れないものでは、さすがの彼も腰をぬかしたとしても、誰も笑えないだろう。彼は、それでも、本部への報告だけは怠らなかった。急報を受けて、駆けつけた万条目たちは、何とか、リリィに追いついた。だが、リリィは、高速バスの乗り場へと階段を上がっていた。万条目たちは、リリィに気づかれないように後を追った。リリィは、乗り場に出ると、車が高速で走る道路のほうへと歩いていこうとしていた。
「一平。すぐにスタンバイだ」
「合点だ」
一平は、肩から、超短波ジアテルミーを下ろすと、電源を入れて、ダイヤルを回して調整を始めた。このまま、リリィを捉えるという方法もあるのだが、それでは、今、リリィの身体を操っているもう一人のリリィが逃げ出し、戻ってこない可能性があった。そうなったら、リリィは、2度と元に戻れないのだ。危険を承知で、万条目たちは、チャンスを狙った。
リリィは、高速道路に出ようとしていた。調整を急ぐ一平、リリィを助けるタイミングを図る万条目、そんな二人を見つめるだけの由利子。3人それぞれの思いを込めながら、高速道路へと、ふらふらと、歩いていくリリィを見つめていた。道路に歩き出たリリィのはるか後ろからトラックが、走ってきた。障害物などない高速道路を走っている安心感からか、スピードはかなり上がっていた。だが、前の道路をふらふらと動くものに気づいたのか、クラックションを鳴らしだした。だが、リリィは気づく様子もなく、ふらふらと歩いていた。
ぼんやりと、二重に重なっていたリリィの身体が、ぴったりと重なった。必死に機械を操作する一平が、叫んだ。
「やった!重なった」
その声を合図に、万条目が飛び出し、リリィを引き戻した。間一髪、警笛を鳴らしながら、トラックが走り去った。
しっかりと、その幼い身体を抱きかかえた万条目の腕の中で、リリィは、すやすやと眠っていた。
「こいつ。寝顔は天使みたいだなぁ。あんな悪魔みたいなことをしたのに」
一平は、うれしそうに笑いながらも、ふと、つぶやいた。それを聞いた由利子が、いった。
「いえ、天使だからよ。善悪の観念のない天使だからだわ」
三人は、気持ちよさそうに眠るリリィを、ただ、黙って見つめた。
数日後、リリィと父親のショーを観覧する万条目たち。そのショーは、入れ替わりショーなどではなく、リリィを中心にしたコメディショーだった。
「リリィちゃんの病気治るんですってね」
舞台のショーに笑いながら、由利子が言った。万条目が、舞台を見つめながら答えた。
「ああ、一の谷先生の紹介で、見てもらった心臓外科の先生が、太鼓判を押してくれたよ」
「お母さんも帰ってきたしね。これで、あれさえ起こらなければ・・・」
「大丈夫だよ、一平君。もう、出ることはない」
4人は、心から、リリィのショーを楽しんだ。
ナレーション「子供は天使といいますが、本当にそうなんでしょうか。善悪の観念が、まだ確立されてない子供は、人に喜ばれることを善と判断します。だが、そのままで育っていくと・・・・人の望みを叶える事は善なのでしょうか?あなたの望みをかなえて見ますか?このセクシャルアンバランス・ゾーンで・・・・」