トワイライト・シアター
復員だより
語り部・よしおか
戦後、外地の戦場から引き上げてくる兵士たちの到着状況を知らせる放送がありました。それは、いろんな悲喜劇を生みながら、その年の昭和21年7月に、「尋ね人」という番組に変わり、その使命を終わる。だが、そのときも、まだ、異国の地には、日本兵は、生きていた・・・
『復員だよりの時間です。本日、博多港に上陸された方は・・・・』
夕方のラジオから、いつもの声が流れてきた。外地の戦場に行っていた兵隊さんたちの帰国放送を聞きながら、わたしは、床に伏せった姉の様子を見つめた。
赤紙が来て、あわただしく出兵していった義兄の安否を気遣い、床に伏せってしまった姉。そんな姉を、わたしは、不憫に思えてならなかった。妻として過ごした時間は、たったの5時間。そして、銃後の妻として、義兄の安否を心配して過ごした5ヶ月は、元々丈夫ではなかった姉の身体を衰弱させるのには十分だった。
激戦地へ行った義兄。誰か尋ねてくるたびに、びくびくとしていた姉の姿に、わたしも疲れ切っていた。この年の正月から始まった「復員だより」を聞くのが、日課のひとつになったのも、仕方がないことといえるだろう。
先の大空襲で、家は残ったが、両親を失い、姉とわたし、たった二人だけの肉親となった姉妹にとって、義兄の復員は、わずかな希望でもあった。
「ともちゃん」
「だいじょうぶだよ。明日には、きっとお義兄さんの消息もわかるわよ。それまでに、姉さん、元気にならなくちゃ」
力なく頷く姉の顔色は、日に日に悪くなってきていた。
やがて、日差しも強くなり、あれから、一年が経とうとしていたが、義兄は、戻っては来なかった。そして、義兄の消息もわからないまま、また、一日が過ぎようとしていた。
『ガタガタ。ガタガタ。』
夏だというのに陽もすっかりかげり、あたりが、闇に包まれた頃、玄関のほうで物音がした。
荒々しく玄関を開ける音と、悲鳴と物を壊す、激しい音の後は、すすり泣きが、聞こえていたが、それも、いつの間にか途絶え、静寂が夜の帳の中に、沈んでいった。
「ジ〜ジ〜ジ〜」
うるさくセミが泣いていた。そんな声を聞きながら、八百屋の親父は、道に水を打っていた。当時は、今と違って、まだ、舗装がされていず、砂利を敷き詰めていたが、そんなものは、すぐに道の中に埋まり、あるいは弾き飛ばされて、どこかに行ってしまい。道は、いつもその地肌を見せていた。打ち水をされた道からは、かすかな冷気が漂ってきていた。
「すみませんが・・」
ふと、打ち水をしていた親父が顔を上げると、そこには、この暑いのに、スーツをピシッと着た初老の紳士が立っていた。
「あの、このあたりに、安田さんというお宅はありませんか?」
「安田さん、安田さんねぇ。結構あるから。安田なんて言うんだい。」
「お嬢さんが、二人いる安田さんですが・・・」
「お前さん、あの、奥の安田さんじゃないかい。」
店の奥から、世話好きそうなお上さんが声をかけた。
「何言ってやがる。あの安田さんは、娘が三人だ。この方は、二人だと仰ってるのだぞ。やすださんねぇ。」
「お姉さんのほうは、もう、三十四、五になっているはずなんですが・・・」
「いないなぁ。ほかに手がかりは?」
「はい、近くに大きなイチョウの木がありましたが・・・」
「イチョウの木がある安田さん?」
「おまえさん、その安田さんだったら、あの家だよ。」
お上さんが、奥から血相を変えて飛び出してきた。
「あの安田さん?・・・あ、あの安田さんか。でもなぁ、あそこは・・・」
「それはどこですか。教えてください。」
「ここをもう少し行ったところを、左に曲がるんですけど、でも、あの安田さんは・・・あ、チョット待って、おきゃくさん。」
八百屋の親父が止めるのも聞かずに、その紳士は、いわれた方向へと歩いていった。そして、言われたように、左に曲がると、そのまままっすぐに歩いていった。
しばらく行くと、イチョウの木とは、名ばかりの枯れかけた木のそばに、一軒の家が立っていた。空襲にも耐えたその木造の家は、昼間だというのに、暗く静かな雰囲気が漂っていた。古びて、すこし腐りかけた玄関の柱には、確かに、「安田」の文字が書かれた表札がかけてあった。初老の紳士は、戸惑いながらも、玄関を開け、家の中へ声をかけた。
「ごめんください。ごめんください。」
暗くすこし、じめついた家の中には、人の気配はなかった。
「留守か。出直すか。」
そうつぶやいて、玄関を出ようとしたとき、後ろから声がした。
「あの、どちらさまでしょうか?」
紳士が振りかえると、そこには、18・9の若い女性が立っていた。
「あの〜こちらは、安田さんのお宅では・・・」
その女性は、黙ったまま、不審そうに紳士の顔をまじまじと見つめていたが、急に明るくなって、叫んだ。
「お義兄さんでしょ、お義兄さん。」
「お義兄さん?どなたとか、勘違いされているのでは?」
「いえ、お義兄さんだわ。豊崎啓二さんでしょう?」
「ええ、そうですが・・・あなたは?」
「いやだわ。智子です。安田雅恵の妹の。智子です。」
「ともちゃん?でも、彼女は・・・君は、若すぎるよ。ともちゃんは・・・」
「お姉さん、お姉さん。お義兄さんが帰ってきたわよ。生きて、生きてかえってきたわ・・・」
奥の部屋に向かって走りながら叫ぶその声は、涙にむせいだ。
戸惑う紳士をよそに、奥の部屋に入っていった智子は、痩せながらも、耐えることのない美貌の姉を、抱きかかえるようにして連れてきた。病に臥せていたのであろうその姉は、白く透き通る肌を赤らめ、赤い紅をさし憂いを秘めた唇は、美しく、この世のものとは思えなかった。
「まさえ・・・」
「あなた。」
何年ぶりの妻との再会であろう。入隊前の一夜限りの夫婦生活の後の二人は再び会うことはなかった。あの日、着物の袖で、涙を隠していた妻、すこし痩せたとはいえ、あの別れた時のままだった。雅恵は、抱きかかえる妹の手を振り解き、夫の下に歩み寄った。今にも倒れそうな妻の歩みに、啓二は、駆け寄り、しっかりと抱きしめた。
「雅恵。」
「あなた。」
抱き合う二人には、もう、何も言葉は要らなかった。そして、啓二は、この家に来た本来の目的を忘れてしまっていた。
「お義兄さん、今日はゆっくりして行けるのでしょう?」
「ああ、もちろんだ。」
「あなた・・・」
「お義兄さん、姉さんは、毎日、『復員だより』を聞きながら、お義兄さんの帰りを待っていたのよ。」
「『復員だより』を・・・?」
それは、もう数年前に、『尋ね人』という名前に変わっているラジオ番組だった。なぜ、今頃そんな番組の名を・・・啓二は、ふとそんなことを思ったが、しなだれかかる妻を見つめると、そんな思いはどこかに消えた。そして、いつの間にか、外は暗くなっていた。
誰もが寝静まった深夜、啓二は、寝床から起き出した。家の中は静まり返り、妻も義妹も、眠っているようだった。そっと起き出すと、物音に注意しながら、家のあちらこちらで、何かを探し始めた。
「どこに隠してあるんだ。この家の権利書は・・・」
戦後、十数年たった現在。啓二は、ある会社の社長をしていた。終戦直前、運良く帰国していた彼は、終戦のどさくさにまぎれて、軍需物資を、横流しして、財産を得ていた。そして、続いておきた朝鮮戦争で、さらに増やした財産であったが、ある投資に失敗して、かなりの借金を作ってしまっていた。その借金の返済のために、この家の権利書を奪いに来たのだった。
戦後の動乱が、人を変えたことはあるだろうが、彼の場合は、最初から、この家の財産が狙いだった。だが、それも、戦中戦後の物資難で、ほとんどないと考えていた。その、彼の考えは正しくて、この家には、財産らしき物はほとんどなかった。
「こんな、財産のない家の娘を、妻にしておくことはできない。さっさと頂く物をいただいて、トンズらするか。」
だが、彼の探すものは、簡単には見つからなかった。
「後は、あいつらが眠っている部屋だけか。」
啓二は、台所に立ち寄り、包丁をつかむと、妻と義妹の眠る部屋へと忍び込んだ。もし気づかれたときの用心だった。いつも妻が寝っきりになっているせいか、かび臭い匂いがする気がした。啓二は、二人に気づかれないように、あたりを探し始めた。よほど、深く眠っているのか、寝息さえ気にならないほどだった。
あちらこちらを探し回ったが、目的のものは見つからなかった。
「いったいどこに隠したのだ。」
そうつぶやきながら、探し回っている啓二の耳に、声が聞こえてきた。
「あなた」
「お義兄さん」
それは、妻と、義妹の声だった。
『気づかれた。』
そう思った啓二は、まずは、義妹が眠っている布団にまたがると、掛け布団の上から、包丁で、めちゃくちゃに刺しまくった。だが、まったく手ごたえがなく、身体の形に膨らんでいた布団は、包丁で刺すたびに、その形を崩していった。原型をとどめぬほどに崩れた布団をめくると、そこには、何もなかった。啓二は、妻の布団もめくってみたが、同じくそこには、何もなかった。
『馬鹿な、それでは、あの二人は・・・』
啓二が、あまりの出来事に、呆然となって立ちすくんでいるとき、また、妻と義妹の声が聞こえてきた。
「あなた」
「お義兄さん」
辺りを見回したが、二人の姿はなかった。だが、どこからともなく聞こえてくる二人の声。啓二は、辺りを見回した。二人の人影はおろか、気配さえなかった。どこからともなく聞こえて来る二人の声。
ふと、啓二は、その声の出所を知った。それは、彼の胸から聞こえていたのだ。リズミカルに聞こえて来る二人の声。
啓二は、持っていた包丁を握りなおすと、それを、自らの胸につきたてた。何度も何度も、その声が聞こえてこなくなるまで・・・やがて、その声は聞こえてこなくなった。啓二は、安堵の表情を浮かべると、その場に崩れた。
「おまえさん、おまえさん、たいへんだよ。」
八百屋のおかみさんが、血相を変えて,店の中に飛びこんできた。親父は、またかという顔つきで、おかみさんを睨んでいた。
「お前の、大変だ!は、聞き飽きた。この間も、ミケが、犬の子を生んだって言って、騒いだだろう。あれは、ミケーネてぇ名前の犬が子供を産んだだけじゃねえか。」
「うるさいねぇ、そんな昔のことはいいんだよ。それより、お前さん。この間、安田さんの家を聞いた紳士がいただろ。」
「ああ、いたな、それがどうした?」
「あの紳士さ。お化け屋敷のなかで、死んでいたそうだよ。」
「お化け屋敷って~と、あの、枯れた木のそばの、あの家か。終戦直後、酔っ払ったアメ公にやられて、自殺しちまったあの姉妹が住んでた。でも、あそこは、入れねぇだろう。いり口は、すべて、打ちつけてあるから。」
「そうだよ。それが不思議なことに、どうやって入ったのかわかんないんだけど、家の中で死んでいたそうなんだよ。それも、自分の胸を包丁で刺してね。」
「そんなばかなことがあるわけねぇだろうが。さ、仕事、仕事。野菜がくさっちまわぁ。」
「でも・・・」
「でもも、田楽もあるか。仕事しろ。」
親父にそういわれて、おかみさんは、しぶしぶ仕事を始めた。
やがて、八百屋の前の道も広がり、舗装され、そのお化け屋敷も取り壊されて、町は、昔の面影もないくらいに様変わりをした。そして、そんなことが会ったことを知る人はいなくなった。
『あなた』
『お義兄さん』
『ウフフフ・・・・・・』