トワイライト・シアター
振り返ると、そこには・・・・
語り部・よしおか
これは、70を過ぎた、わたしの母の幼いころの体験談です。ですから、ここに来られる方々には、古臭い話になりますが・・・
わたしの母には、もう亡くなりましたが、兄がいて、当時、十歳前後だったそうです。
ある日、その兄が、辺りが暗くなっても帰ってきません。そこで、父親が(わたしの祖父で、もう亡くなっていますが)、近所を探し回ったそうです。
当時は、まだ、人攫いなどが、実在して、本当にどこかに連れて行かれることもあったそうです。近所の人にも協力を願って探し回ったそうです。
母は、母親(わたしの祖母で、80過ぎで、亡くなりました)や、幼い妹たちと、家で、兄が見つかったという連絡を待っていたそうです。ですが、いくら経っても、その連絡はなく、父親も、近所の人たちの間にも、焦りの色が現れてきたといいます。
手がかりさえも見つからない状況で、母親は、母に、近所の拝み屋さんに、兄の行方を探してもらうように、頼んだそうです。
幼いといっても、子供達を残して、自分が、頼みに行くよりも、近所で、何度かお使いを頼んだことのある母を、行かせたほうがいいと判断したのでしょう。母は、言われるままに、その拝み屋さんのうちに行ったそうです。
拝みやさんと言うのは、ここにこられる方には、改めて説明は不要でしょうが、初めて、この名前をお聞きの方の為に申しますと、一種の霊媒師です。祭壇に、神をかざり、お祭りし、お祈りを挙げることによって、神を自分の身体におろしたり、神の声を聞いて、そのお告げを、依頼者に告げる人のことです。
母が行った拝み屋さんは、ごく普通のおばさんで、そんな特殊なことをするような感じではなかったそうです。こういう方は、意外とごく普通の感じの人が多く、そのものという人は、少ないのです。
母は、その人に、兄のことを告げ、拝んでもらいたいと、お願いしたそうです。すると、その拝み屋さんは、やさしく微笑むと、母の頭をなでてこう言ったそうです。
「それは心配ね。ここまで来るのにも、怖かったでしょうに。おばちゃんと一緒に、神様にお伺いしましょうね」
この家に行くには、近所といっても、当時は、街頭もなく、人家はあっても、まばらで、頼りになるのは、月明かりぐらいだったので、幼い母が、震えながら、ここに来たのを、この人は、知っていたのでしょう。その人の優しい笑顔に、ほっとしながらも、母も、その人の後ろに座って、神棚に向かって、一心不乱に拝んだそうです。
「お兄ちゃんが無事でありますように。お兄ちゃんが帰ってきますように」
この祈祷所は、家の奥にあり、道路に面した玄関から、離れていたそうで、お祈りしている時には、玄関に人が来ても、気づかないこともあるそうです。そして、祈祷所の裏手は、田んぼで、蛙か、虫の声しかしなかったそうです。
どれくらいお祈りを続けたのでしょう?時間はわからなかったそうですが、ふと、母の後ろのほうで、何か音がしたそうです。気のせいだろうと、母はお祈りを続けたそうです。
すると、また、何か音がして、後ろの光景のはずなのですが、ある光景が見えたといいます。
「ガラガラガラ・・・・」
今のリヤカー(といって、わからない人もいるのかなぁ)のように、クッションがよくないので、かなり大きな音がしたそうですが、リヤカーを引くおじさんと、その後ろをついて行く男の子が見えたそうです。母は、その男の子に見覚えがありました。
「おにいちゃん」
思わず、母がそう叫ぶと、お祈りをしていた拝み屋のおばさんが振り向いて、にこやかに、母に言ったそうです。
「おかえりなさい。おにいちゃんは、お家に帰ってきていますよ」
母は、礼もそこそこに、その家を飛び出して、急いで、家に戻ったそうです。帰りは、怖いとも感じる暇もなく、家に着いたそうですが。
玄関を上がり、家に上がると、そこには、父親に叱られている兄の姿があったそうです。
後日、母親に、拝み屋さんでのことを話すと、こう言われたそうです。
「ふしぎなこともあるもんだねぇ」
兄は、リヤカーを引くおじさんの後を、テクテクと付いていって、迷子になっていたそうなのです。まさに、母が見た光景そっくりに・・・
不思議そうに、母は、わたしに話してくれました。