トワイライト・シアター
待合室の夜
語り部・よしおか
怪談の舞台によく出てくるのに、学校や病院があります。
昼間は、騒がしいくらいに人の動きがあるのに、夜になると昼間の騒がしさが嘘のように人の気配がなく静寂に包まれるからです。
しかし、本当に夜の病院の待合室は静かなものですよ。
これは、私が中学生のころの出来事なのですが・・・
中二の春休み前、その日は寒い日で、体育の授業のサッカーで、ゴール前の守りをすることになり、ぼけ〜とゴール前に立っていました。ボールは真ん中あたりで激しく奪い合われていましたが、こちらに来る様子もないので、今日の給食のことなどを考えていたときです。
いきなり両チームの均衡が破れ、ボールがこちらに向かって転がってきました。わたしはあわててそれに対応しようとしたのですが、寒い日に体も動かさずに縮こまっていたので、身体が硬くなっていて、動いたときに膝をおかしくしてしまいました。そのことで、私は春休み中入院することになりました。
私が入院した病院は、国立(今は私立大学の付属病院になりましたが)病院で、近所に自衛隊の駐屯地がありました。そのせいか、私が入院した整形外科の病室には自衛隊の方も入院されていました。
入院したと言っても、足の膝以外は別に悪いところはないのですから、すぐに入院生活に飽きてきて、松葉杖を使って動き回れるようになると、私は病院のあちらこちらを見て回るようになりました。
その病院の消灯は午後9時で、午後8時ごろまでは、病室にいなくても怒られることはありませんでした。今なら大部屋でもテレビがあるのでしょうが、当時は病棟の娯楽室と、待合室にしかテレビがなく。娯楽室の方は、年配の患者さんたちがほとんどで、自分の見たい番組を見ることはできませんでした。そのとき、その病棟に入院している子供は、私だけと言うのもあり、大人と一緒にいるのが窮屈と言うのもありました。ですから、いつのころからか。外来の患者さんたちがいなくなると、待合室でテレビを見るようになりました。
昼間は患者さんたちでいっぱいの待合室なのですが、私がテレビを見るころには、照明の明かりも落ち、非常用の明かりがついているぐらいで、薄暗く静かな場所でした。不思議と怖いと言う感じはなく、好きな番組を見られることがうれしかったのを覚えています。
そして、一人でテレビを見ていると、サイレンの音とともに、閉じられているはずの入り口のドアが開くことがあります。それは何かと言うと、救急患者が運び込まれて来たのです。ここは、救急病院も兼ねていたので、急患の方が運び込まれてくることもありました。当時は級急処置室がまだ独立して作られていなかったので、病院に運ばれてきた人は、待合室を通って、処置室に運ばれて行くのです。または、夜間訓練中に怪我をした自衛官の人が運ばれてくることもありました。そんなときにはさすがにびっくりするのですが、それもいつの間にか慣れてしまいました。テレビを見ている私の後ろを血まみれの人がキャスター(人を運べる台車)で、運ばれていくこともありました。そんなときには、さすがに振り向いて、大丈夫かなあと思ったりします。
それは、入院する前から気になっていた新番組を見ていたときです。いつものように入り口のドアが勢いよく開いて、タンカを持った救急隊員の人と、タンカに乗せられた人の付き添いの方なのでしょう。心配そうにタンカの中を覗き込みながら女の人がタンカに付き添っていました。かなりの大怪我をされているのか。身体に掛けられた白いスーツが血で真っ赤に染まっていました。それに乗せられたタンカから血が床に滴り落ちて、タンカが通った跡に血溜りができているほどでした。
「大丈夫かなぁ?あの人」
待合室を通り抜け、処置室へと運ばれていくタンカを見送りながら、私はそうつぶやきました。でも、あの血の様子では助からないでしょう。私は、再びテレビのほうを向きました。不謹慎かもしれませんが、いやなものを見たと言う気持ちでテレビに集中できませんでした。仕方なく、自分の病室に帰ろうとしたときです。
「ウ〜ウ〜ウ〜」
サイレンの音が近づいてきて、入り口の前で止まりました。そして、入り口が勢いよく開いて、前後に救急隊員の人が付き添ってキャスターが運ばれてきました。
「ガラガラガラ」
救急隊員の人の小走りに急ぐ足音と、キャスターが運ばれる音が静かだった待合室に響き渡り、通り過ぎて行きました。
「よく運び込まれるひだなぁ」
そう思いながら、私はテレビを消して、病室に戻りながらふと足を止めました。
「あれ?」
さっき聞こえていた音が聞こえないのです。また歩き出すと音が聞こえてきました。
「ぺたぺたぺた」
それは、私が履いていたスリッパの音でした。そうなのです。昼間と違って静かな夜の病院では、私のスリッパの音でさえも響き渡るのです。でも、おかしい。確かにさっきは・・・。私はあることに思い当たり、急に怖くなって自分の病室に駆け戻りました。
「病院内は走っちゃだめでしょう」
ナース・センターの前で、声をかけられました。それは当直の看護婦さんでした。
「どうしたの?真っ青な顔をして、気分が悪いの?」
私は、看護婦さんを見て、安心感とこみ上げてきた恐怖からその場にへたり込んでしまいました。私はナース・センターに連れて行かれると、椅子に座らせてもらいました。ほかの看護婦さんにジュースをもらい、それを飲んで気を落ち着けるとさっき見たものを話しました。真剣に私の話を聞いてくれた看護婦さんたちは、私の話に頷きながらもこう言いました。
「そう、でも、この話は誰にも言っちゃだめよ。私たちの秘密ね」
幼い子供ではないのですから、こんな約束をされても仕方がないのですが、私は決してほかの人に話してはいけない気がして、頷きました。看護婦さんたちは、私が落ち着いたのを確認すると一緒に病室に戻ってくれました。病室ではほかの患者さんたちが、帰りが遅い私のことを心配して、ナース・センターへ連絡しようとしていたところでした。看護婦さんは、私をベッドに横にさせると薬をくれました。その薬を飲むと、眠くなりいつの間にか眠ってしまいました。
後で聞いた話ですが、看護婦さんは、部屋のほかの人たちに、私のことを気をつけてくれるように頼んでくれていたみたいです。私に何が起こったかは話さなかったみたいですが、その依頼を黙って引き受けてくれたそうです。
数日後、私はその病院を退院しました。それ以来、入院するほどのこともなく今に至っています。
あの日私が見た最初に入ってきた人たちは何だったのでしょう?使われなくなっていたタンカを担いだ救急隊員と付き添いの女の人。あの後キャスターの通った跡には、血溜りはその影もなく。聞こえるはずのサイレンの音はおろか、私の後ろを駆け抜けていった彼らの足音さえしなかったのです。音もなく現れ、通り過ぎて行った彼ら。彼らはいったい・・・・