トワイライト・シアター

電車の窓

語り部・よしおか

自動車の運転免許は持ってはいるんですが、車のほうを持っていないので移動はほとんど電車かバスなんです。

でも電車に乗っているときってけっこう暇なんですよね。車両の窓から景色を見るといっても、最近の電車の車両は車両の壁に席がくっついていてお見合いでもするかのように向かい合わせに十数人が座る形なので車両の窓から外の景色を眺めるには首を後ろにねじらなければならないし、かといって車内を見回していると不審者と思われそうです。そうなると手持ちの本を読むか、車内に釣り下がった雑誌などの看板を眺めるか、あとは寝るか、向かいの窓から流れていくような景色をぼんやりと眺めているしかないんですよね。

でも、夜の電車って外が暗いので電車の窓に外の景色の代わりに自分が座っている座席側の人たちが写るでしょう。それって、結構面白いものですね。普段は見ることの出来ない人たちを堂々と観察する事が出来るのですから興味深いです。

向かいの窓を見ていると、車両の通路に立つ乗客の隙間から、中年のおっさんが足を広げてよだれをたらして寝ていたり、若者が手に持った携帯を真剣に見つめながら涙ぐんでいる(彼女からの別れのメールでも読んでいるのでしょうか?)そんな自分の姿を見られているということにも気付かずにいるんです。

ある夜、わたしは、最終の一本前の電車に乗りました。深夜近くとはいえ乗客は結構多く、つり革を掴んで通路に立っている人たちが居ました。いつものように車両の向かいの窓を眺めていると、通路に立つ乗客たちの隙間から何人か向こうの座席に、隣の男性に肩に頭を乗せてうたた寝しているまだ幼さが残る綺麗な若い女性が窓に映っていました。

よほど疲れているのでしょう。気持ちよさそうに眠っていました。若い女性の頭が肩に乗ったその初老のサラリーマン風の隣の男性は、まんざらでもない風な笑みを浮かべて、彼女の眠りを妨げないように身動きもせずに座っています。彼女はそんな男性に心遣いも知らずにすやすやと眠っているのが、なんとなくほほえましくも、うらやましくもありました。

と、いつの間にかその眠っている若い女性に前にうらぶれた姿のおっさんが立っていました。カーブとかで、車両が揺れるのに、そのおっさんは吊り輪を掴もうともせずに立っています。立っているほかの乗客たちは、吊り輪を掴んで車両の揺れに対応しているのに、そのおっさんはバランスを崩す事もなくその場に立ち続けているのです。それも、信じられないほどのバランス感覚のよさで。わたしは、思わずそのおっさんに目を奪われました。

そのおっさんは、じっとサラリーマンの肩に頭を預けて眠っている若い女性を見つめていましたが、背を丸めて若い女性に顔を近づけて彼女の顔を覗き込みました。

でも、若い女性の眠りは深いのか、そのおっさんの行動に気づく様子はありませんでした。その上、不思議なことにナイト気取りの初老のサラリーマンさえもそのおっさんの行為をとがめようとはしないのです。おっさんの周りの人も誰もそのおっさんの行動をとがめようとはしません。そう、なんだかおかしいのです。誰もそのおっさんの行動には気付いていないんです。まるでそこにおっさんが居ないかのように・・・

おっさんは身を乗り出して、さらに若い女性の身体を嘗め回すかのようにねちねちと見回しはじめました。そのあまりの変態的な行為に注意しようかと思った時、車掌が前の車両から入ってきました。そして、あのおっさんに近づいていったのです。これでおっさんは車掌に厳重に注意されると思っていたのですが、車掌は、おっさんに注意する事もなくその場を通り過ぎていったのです。

そ、そんな・・・

わたしは、その車掌に注意しようとして、あることに気づきました。なにかおかしいのです。誰もあのおっさんに注意しようとはしない。そのうえ車掌もあのおっさんを無視している。ですが、おかしいのはそれだけではないのです。なぜ、若い女性がおっさんに覗き込まれているのに、まだ眠ったままなのがわたしにわかるのでしょう。眠っている彼女の前にはおっさんが立っていて、彼の身体で彼女の姿は隠れて見えないはずなのに・・・

その時、わたしはある事を思い出しました。さっき車掌がこの車両に入って来て、おっさんのそばを通りかかった時、電車が揺れて車掌はバランスを崩し、慌てて吊り輪を掴んだのですが、揺れているのにもかかわらずおっさんはまっすぐに立っていて、車掌はその少しも揺れずに立っているおっさんの身体を通り抜けてしまったことを。わたしは、おっさんの正体が気になりだしました。でも、向かいの窓から視線をはずし、おっさんが本当にそこに立っているのかを確かめる事が出来ませんでした。もし身を乗り出しておっさんを見た時、おっさんがそこに立って居なかったら・・・

窓に映るおっさんは、満足そうな顔をすると身体をくるっと回し、若い女性に背を向けると、彼女の座っている座席にゆっくりと座ったのです。おっさんの身体は、まるで二重写しのように若い女性の身体と重なり、おっさんが寝ている彼女と同じ体勢になり、おっさんと彼女の身体がぴったりと重なった時、彼女の身体から何かが、ゆっくりと彼女の頭上に浮かんできました。

それは、うすぼんやりとした眠ったままの格好をした彼女でした。窓には、上下に二人になった彼女が映っています。すると、いままで眠っていた若い女性はゆっくりと目を覚まし、口元に嫌らしい笑みを浮かべると、突然、さっきまで肩を借りていた初老のサラリーマンに、「このスケベ爺」と怒鳴ってそのサラリーマンの頬をはたき、怒りながら立ち上がると少し蟹股気味の歩調で、女性専用車両のほうへと歩いていきました。彼女に怒鳴られたサラリーマンは、何が起こったのか理解が出来ず、女性専用車両の方へ移っていく彼女の後姿を唖然として見送っていました。

さっきまで彼女の座っていた席の上に浮かんでいた影の薄い彼女は、その姿が徐々にぼやけていき、やがて消えてしまいました。

でも本当に、このことには誰も気付いていないのでしょうか?いえ、本当はみんな気付いているのでしょう。でも、誰もそのことを取り立てて騒ごうとはしないのです。なぜなら、みんなの上には、薄ぼんやりとした姿のもう一人の自分が浮かんでいるのですから。

ほら、わたしのうえにも。そして、貴女の上にも・・・