トワイライト・シアター

手・しゃべる犬

語り部・よしおか

 

 今宵は、ちょっと、趣向を変えて、わたしのよく知っているやつの話をすることにします。

 そいつは、小学5年の秋ぐらいまで、借家に住んでいました。借家といっても、2階建てで、結構広い家でした。ですが、子供たちが、大きくなってきたら自分の部屋も欲しくなるだろうということで、彼の両親は、家を建て、そこを引っ越したのですが、これは、まだその家にいたときの話です。

 

 小学3年ぐらいのときのことでした。彼は、流感にかかり、40度近くの熱を出して、寝ていました。その横では、母親が、彼の看病をしながら、裁縫をしていたそうです。彼が寝かされていた部屋は、両親と彼がいつも寝ている部屋で、病気がちだった彼は、この頃もまだ、両親と一緒に寝ていたのです。彼の上の姉兄たちは、2階に自分の部屋を持っていました。その当時、彼はまだ自分の部屋など欲しいとは思っていなかったようです。

 その部屋のすぐ隣は、玄関で、昔のつくりの家ですから、土間と床の間は広く、土間から床までは、50センチほどはありました。玄関と、彼が寝ている部屋との間は、2センチ間隔の格子の引き戸で仕切られていました。そして、格子戸には、隙間風などが入らないように、白い障子紙が隙間なく張られていました。

 彼が寝込んで数日たったある日、いつものように裁縫をしながら母親が看病をしていると、彼が、妙なことを言い出しました。

「お母さん、誰か来たよ。」

 その家の玄関も、格子戸で、ガラスがはめ込まれていましたから、誰かがあけたら、その音に気づくはずです。でも、母親は、そんな音を聞いた覚えがありません。彼女は、熱で、彼がうわ言を言ったのだと思ったそうです。

 すると、また、彼が言いました。

 「お母さん、玄関に誰か来てるよ。」

 「誰も来てないわよ。だって、玄関が開く音はしなかったでしょう。」

 「でも、誰かがそこで、手を振っているもの。」

 彼の言うほうを見ると、そこは、玄関とこの部屋を仕切っている格子戸でした。それも天井近くの一番上のところです。そこから振っている手が見えるには、大人でも、玄関の土間に椅子を置いて、背伸びしなければなりません。そんな、人影は格子戸には映っていませんし、そのうえ、格子戸には、隙間なく障子紙が張ってあるので、そんな手が見えるはずもありません。

 母親は、彼が熱で幻を見たのだと思ったそうです。でも、あまりしつこく言うので、玄関に出てみましたが、やはり誰もいませんでした。彼にそういうと、もう手は見えなくなったのか、彼は、そのままに眠ってしまったそうです。

 それから、彼の熱も下がり、それ以来、学校を休むほどの病気には、余りかからなくなったそうです。その手がなんだったのか、いまだわかりませんが、熱で彼が見た夢の話ではなく、彼が大きくなって、その話をすると、母親も覚えていたそうです。

 

 これは、その彼が、高校くらいになったときの話です。彼の家では、一匹の犬を飼っていました。父親が、友人から貰い受けたもので、大学受験の彼の兄の気晴らしのためだったようですが、いつしか、彼が、その犬の世話役になっていました。末っ子だった彼には、弟が出来たようで、食事や散歩は、彼の仕事でした。

 ある年の暮れ、数日、忙しくて、散歩に連れて行けなかった犬の散歩に出かけようと、犬小屋に行くと、いつもなら、飛び掛らんばかりに来るその犬が、妙に大人しかったそうです。そこで、やめようかとすると、その犬は、吼えて、散歩をしたがりました。彼は、気になりながらも、その犬にロープをつけて、散歩に出かけました。

 それこそ、いつもなら、彼を引きずらんばかりに飛び出していくのに、その日は、彼に引き摺られるように歩いていました。彼の家から70メートルも行ったでしょうか。その犬は急に立ち止まり、座り込んで動かなくなってしまいました。彼は、いつもの駄々っ子だと思い、犬をひっぱったのですが、数歩、歩くとまたとまり、そこで、ワインレッドのおしっこをしました。そのとき彼は、きれいだなぁとおもったそうです。ですが、すぐに、異常に気づき、何とか犬を家に連れ帰ると、母親に犬の異常を話し、仕事納めだった父親にすぐに帰ってきてもらい、二人で近くの動物病院に、その犬を連れて行ったのです。ですが、病状はかなり進んでいて、すでに手遅れで、入院させるよりも、家族のそばにいさせてあげるように、医師に言われ、彼は、父親とともに、その犬を連れて帰って着ました。

 それから、毎日、彼は嫌がる犬に薬を飲ませたそうです。すこしでも、いや、ひょっとすると、との思いもあったそうです。むせて、吐き出した薬を無理やり犬の口に入れてやるときの気持ちは、思い出しても悲しくなるそうです。もっと、早く気づいてやれば・・・

 そして、大晦日の朝、彼がいつものように、犬に薬を飲ませようとすると、犬は嫌がり、低い声でこういいました。

 「もういい。」

 彼は、自分の耳を疑いました。でも、何とか薬を飲ませると、母親にそのことを告げましたが、信じてはもらえませんでした。どうしても、さっきの声が気になった彼が、犬の元に戻ると、その犬は、冷たくなっていました。その間、十分程度のことだったそうです。

 大晦日に大好きだった毛布とともに、その犬は、ごみ焼却炉で灰になりました。そして、他の灰とともに近くの野に撒かれたのです。

彼はその犬の墓を作ってやりたかったといいますが、そのとき彼の母親が言った言葉が、頭をかすめるといいます。

 「あの子は、走り回るのが好きだったから、自由に走り回らせて上げましょう。」

 そのときは、死骸の処理がいやで、母親はそうしたのだと思ったそうですが、最近は、母親は本当にその思いもあって、墓などに縛り付けることを、よしとしなかったのではないかと思うそうです。なぜなら、生まれてすぐに貰われてきたその犬を大事に育てたのは、その母だったからです。誰よりも愛惜しかったのは、彼よりも、母だったはずですから・・・

 

 さて、この話を信じる信じないは、読まれた方の自由です。ただ、この話は、わたしが一番親しい男から、本当にあった話として効いたものです。その男は、‘よしおか’というのですがね