トワイライト・シアター

仮面

語り部・よしおか

 

それを手に入れたとき、あなたならどうしますか?飾ります。それとも・・・・

 

『それは、偶然に手に入れた。』という書き出しを、小説などでよく見かけたが、俺は信じていなかった。そんな、都合のいい偶然なんて、あってたまるかと思っていたのだ。自分の身に起こるまでは・・・

 

俺は、香港の雑踏とした街並みを、あてもなく歩いていた。こっちでの仕事も終わり、後は日本に、帰国するばかり。だが、俺は、帰りたくなかった。日本で、俺を待っているのは、このご時世なのだが、順風満帆の事業と、気立てがよく、よく働く妻。だが、それが、俺の心の重荷だった。俺の妻は、頭もよく、やさしく、よく働くが、その面相は・・・・だった。これさえなければ、文句のつけようのないのだが、だが、二分と傍には居たくないほどの面相なのだ。じゃあなぜ結婚したか。それは、妻の里が、資産家だし、かなりの人脈があったからだ。だが、今の俺には、もうその後ろ盾は、必要とはしなかった。

 だから、もどり次第、俺は・・・だが、どこか、心の中で、引っかかるものがあった。こんな妻でも、着になるのだろう。俺は、妻への最後のプレゼントを探しながら、店を見て歩いた。何軒か見て歩いていると、ふと、通りまで、はみ出して並べてあるガラクタに目が行った。たいしたものはなく、荒ゴミの日にでも出してあるような、ガラクタが並べてあった。だが、その中に、一個だけ、俺の目を引くものがあった。それは、何でできているかは判らないが、綺麗な顔立ちをした白い女面だった。手にとって見ると、思いのほか軽く、柔らかだった。その素材は、木でもなく、紙でもなく、土でもなかった。ふと、俺はそれを持ったまま、店の奥へと入っていった。

 奥では、水キセルで、まずそうにタバコを吸う、即身仏の木乃伊のようなじいさんが、座っていた。俺は、さっき店先にあった仮面を差し出した。じいさんは、チラッとそれを見ると、ボソッと、ある金額をつぶやいた。それは、決して、安い値段ではなかった。俺は、じいさんに文句をいい、その面の欠点を言い募り,まけるように言ったが、じいさんは、頑として聞こうとはしなかった。普通なら、いくらなりか、まかるのだが、その気配は、まったくなかった。俺は、話にならんと、出て行くふりをしたが、まったく効果がなかった。

なぜか、その仮面に魅入られていた俺は、じいさんの言い値を払って、その仮面を手に入れた。じいさんは、無造作にその面を、新聞紙で包み、俺に差し出した。そして、何かつぶやきながら俺に手渡した。それが、悪霊払いの呪文である事を、俺は後で知ったが、そのときは、変ったじいさんだとしか思っていなかった。

 

それから、日本に帰り、家に戻ると、俺は、妻にその土産の面を差し出した。俺からうれしそうに、新聞紙に包んである仮面を受け取ると、うれしそうに、その包みを開けた。そして、開いて、面が見えたとたん、妻は、悲鳴を上げた。

「ぎゃ〜〜〜!」

そこには、あの面が、あるだけだった。何の変化もないあの面が。

「どうしたんだ。俺が買ってきた土産が気に入らないのか。」

「いえ、でも、これは・・・怖い。お願いです。捨ててください。お願いです。」

妻の醜い顔が、恐怖に侵され、さらに、醜く哀れになっていた。その顔を見ていると、俺は、言い知れぬ錨が沸いてくるのを覚えた。

「だめだ。絶対に捨てん。おまえ、この面をかぶって、今夜、俺の相手をしろ。」

「いや、それだけは勘弁を・・」

「だめだ。できなければ離婚だ。」

「は・・・はい。」

おびえながらも、俺の言葉に、妻は従った。俺に離婚されれば、二度と結婚などできない事を自覚しているからだ。そんな、妻の姿を見ながら、俺は、あきれる一方で、言い知れぬ快感を感じていた。こいつは、俺には絶対に逆らえないのだ。

俺は、怯え、震える妻の顔に、仮面をかぶせた。顔以外は、理想的なスタイルをしている妻だ。顔さえ変れば、男どもがほっとかないだろう。そして、その美人妻は、俺のもの。などと、くだらない妄想をしながら、妻にかぶせると、手を離した。仮面は、まるで、何か接着するものでも付いていたかのように、妻の顔に張り付いた。仮面をかぶせた妻は、まるで、美の化身だった。白かった仮面が、気のせいか、肌色をし始めていた。

「こっちに来い。」

妻は、俺の言葉に従い、俺の傍に来た。仮面のおかげで、口を開ける事はできないためか、なにも言わずに黙っていた。

「どうだ。これが、おまえだ。」

そういうと、俺は、用意していた鏡を、妻の顔の前に差し出した。妻は、恐る恐る覗き込み、その鏡に映る顔を見て、目を見張った。そして、俺から鏡を奪うようにして、手に取ると、鏡に見入ってしまった。そんな、妻を見ながら、俺は、言った。

「おい、寝るぞ。」

だが、妻は、まだ、鏡を見入っていた。俺は、怒鳴るように言うと、鏡を取り上げた。

「いつまで見ているんだ。さっさと行かないか。さあ、寝るぞ。」

そのときの、妻の視線を、俺は気づいてはいなかった。ただ、妙な寒気を感じただけだった。

その夜、俺は、激しく燃えたが、妻は、それに反するかのように、冷たく冷静だった。その事が、さらに、俺を燃え上がらせた。

 

翌朝、起きると、妻は、寝床にはいなかった。キッチンに行くと、そこで、背を向けて、朝食の用意をしていた。俺が声をかけると、振り返った妻の顔は、あの仮面を被ったままだった。いや、近づいてみると、境目などなく、あの仮面は、妻の顔と同化していた。

「おまえ、その顔・・・」

「あら、どうなさったの。わたしの顔がどうかしました?」

「あの仮面を被ったままなのか?」

「仮面?何の事かしら。さあ、朝食の用意ができましたわ。いただきましょう。」

妻は、何事もなかったかのように、テーブルに座ると、朝食をとり始めた。そう、口さえも開けられなかったはずの、妻の口は、自然に開き、朝食を食べているのだ。俺は、何かにだまされているかのような気がした。そして、リビングのサイドボードの上を見ると、そこには、俺が嫌がるのに、妻が無理やり置いた結婚式のときの写真が飾ってあったのだが、そのときの妻の顔は、あの仮面の顔に変っていた。俺は、アルバムを引っ張り出して、妻の写真を、幼いころのものも含めて捲った。そこに映る妻の顔は、すべて、あの仮面の顔に変っていた。

その日から、妻は変った。美しい顔に、見事なプロポーション。ほかの男どもが、関心を示さないはずもなかった。いつの間にか妻の周りには、取り巻き連中が、現れて、俺の妻なのに、お構いなしに、遊びに誘った。あれだけ、俺の言う事に素直だった妻が、俺のことはかまわずに、遊びまわるようになった。それと、時を同じくして、家に帰ってこなくなった。俺は、妻の事が気になって、仕事がてに付かなくなり、事業は、傾いていった。だが、それにもかまわず。俺は、妻を探し回った。

そして・・・

「おい、家に帰ろう。」

妻は、ある高級マンションで、男たちをはべらせて、暮らしていた。俺は、妻の前に立つと、そう言った。

「あら、どなたかしら?」

「おまえの夫だ。さあ、十分遊んだだろう。一緒に帰ろう。」

「わたしは、結婚なんてしてなくてよ。誰かと、間違えていませんこと。」

「なにを言っている。おまえは、俺の妻だ。さあ、帰ろう。」

「あなたの奥様は、こんなにお美しくて?」

「それは・・・あの仮面のせいだ。」

「わたくしのこの顔が、仮面かしら?いかが。」

俺は、答えに窮しだした。妻の顔は、完全に自然なものになっていたからだ。どこから見ても、あの仮面を被っているようには見えなかった。

「それでも、おまえは、俺の妻だ。さあ、帰るぞ。」

俺は、妻の手をつかむと、力任せに引っ張ろうとした。が、俺の手を、取り巻きの一人がつかんで、捻じ曲げた。

「いたたたた・・・はなせ。」

「我らの女神になにをするんだ。この、無頼者。出て行け。」

「俺は、こいつの夫なのだ。」

取り巻きが、妻のほうを見ると、妻は、無表情の冷たい顔をして、首を横に振った。俺は、そんな妻の態度に、血の気が引く思いがした。

「知らないそうだ。出て行ってもらおうか。」

俺は、隠し持っていたサバイバルナイフを取り出すと、妻の顔に切りつけた。そして、切っ先が、妻の頬を切った。その美しい顔に、裂け目ができ、赤い血がにじんで・・・・来なかった。裂け目は、すぐにふさがり、綺麗に消えてしまった。それを見ていた俺は、戦慄を覚えた。妻は、見知らぬものに成ってしまったのだ。

「おい、見ただろう。この女は、化け物だ。気をつけろ。」

だが、俺の声は、むなしく響くだけだった。男たちは、まるで操り人形のように、ギクシャクと動きながら、俺に近寄り、押さえつけると、妻のほうを見た。

「侵入者が、わたしを傷つけようとして、あなたたちに取り押さえられたけど、あばれて、自らを傷付け、死亡。というところかしら。」

冷たく、感情のない声で妻が言うと、男たちは、俺の手に、ナイフを握らせ、心臓に突き立てた。俺は、一瞬の事に、理解ができなかった。だが、激痛とともに、薄れていく意識の中で、薄笑いを浮かべる妻の顔を見た。

「いつの時代になっても、男っておろかね。表面だけを見ているのですもの。お〜ほほ・・・」

消え去る意識の中で、俺の頭の中に、ある言葉が浮かんだ。

『傾国の美姫』

俺は、とんでもないものを、蘇らせたのかもしれない。でも、ま、いいか。俺は、ここで死ぬのだから・・・・