『あかなめ』

 

廃れた旅籠屋があった。
ただ古いだけではない。主人の不精の結果だった。
破れた障子はつぎはぎのまま、畳は黄ばみ、戸はゆがんでいた。
父母が早くに亡くなり、主として教育されなかったことも彼にとっては不運であった。
主人には汚いという感覚が欠如していたのだろうか。
自らが寝起きする部屋ですら荒れ放題であった。
そんな有様であるから、とうに番頭や奉公の者には見放されていた。
他の宿がどれだけ混雑しようとも客は寄りつかない。
彼は親の残した財産を食いつぶし、親戚縁者に無心をしてその日暮らしを続けていた。

ある夜、湯でもと思い立ち、久方ぶりに風呂釜を覗いた。
当然水は入っていない。
代わりに、赤ら顔の童が座り込んでいた。
歳の判別はつかないが、辛うじて男児と分かる。
髪はざんぎりで、目だけがぎょろりと光っていた。
何をしていると主人が問い詰めたが、その不気味な童は無言のままだ。
怒鳴りつけようとも微動だにせず、彼を見つめ続けている。
棒でも持って来ようと主はきびすを返した。
刹那、うずくまっていたものが飛びかかった。
五寸ほどもあろうかという舌が口から伸びる。
異形のものにふさわしい力で主を押さえつけたまま、場所を問わずに嘗め回す。
悲鳴をあげ、振り払おうともがくが効果は無い。
そのまま四半刻ほど過ぎただろうか。
童はいつの間にか消えうせていた。
息も絶え絶えとなった主はその面影をすっかりと変えていた。
肢体はふくよかな線を描き、豊満な乳房は着物を持ち上げている。
鼻梁の通った凛とした風貌は柔らかさを帯び、上品さをかもし出している。
ただざんばらになっていた髪は長く伸びてつややかな光を放っていた。

身体と共に精神の垢も取れたのだろうか。
変化は外見にとどまらず、内面も以前の彼とは大きく異なるものであった。
その日から主は女将として東奔西走し、数ヵ月後には宿の再開にこぎつけた。
新しい奉公人を指導する彼女は輝きを放っていた。
噂を聞きつけ、戻ってきた番頭が暖簾を掲げた。
新しい客がやって来る。
女将の明るく通った出迎えの声が宿場街に響きわたった。

 

「あれがあの、放蕩息子か」
「なんでも垢なめに身体中を舐められて、働き者にかわったそうじゃ」
「なんと、垢なめに。うちのバカ息子もなめて欲しいものじゃ」
仕事熱心な女将に代わった男を見るにつけて、宿場町の人々はそう囁きあったのでした。
その噂を聞いた檀家の一人が、寺の住職にそのことを話しました。
「あれは、垢なめじゃなくて、皮なめじゃ」
「かわなめ?」
檀家は不思議そうな顔をして住職に聞きました。
「そうじゃ、怠け男の皮を剥いて、働き者の女の実を取り出したんじゃよ」
そういうと、住職は、おかしそうに笑いましたとさ。

 

 

 

 

 

 

お詫び

またまた、うずらさんの作品にちょっかいを出してしまいました。心広いうずらさんの許しもあと一回かな?