おれ
会社から帰り、玄関のドアを開けて、中に入ると、そこには、おれが立っていた。
「おかえり、風呂にする?それとも、晩飯か?」
「い、いや、汗をかいたから、風呂を先に・・・」
「じゃあ、沸いているから、入ってくれ。その間に、晩飯の準備しておくから。」
そういうと、おれは、奥のキッチンへと姿を消した。確かにあれは、俺だった。ここにいるのも俺?という事は、どういうことなんだ。
俺は、混乱する頭を掻き毟りながら、風呂に入った。バスルームに備え付けてある鏡には、確かに男の俺の姿が、映っていた。俺は、とにかく、疲れた身体を、湯船に沈めた。
「着替えここに置いとくからな。」
さっきの俺の声が、バスルームの向こうでした。確かに、聞き覚えのある俺の声だった。
「ああ。」
俺は、短く返事をした。本当にこれはどういうことなのだろうか?俺は、頭に霞がかかったような気がしていた。考えれば考えるほど、混乱してきた。
俺は、出してあった下着に着替えると、パジャマを着て、キッチンへ向かった。そこには、目を見張るようなご馳走が、並べてあった。
「どうしたのだい。今日はなにかの記念日だったっけ?」
「なに言っているんだよ。あれから無事一ヶ月が、過ぎたんじゃないか。そのお祝いをするって言っただろう。」
「そうか。」
俺は何の事かわからなかったが、ただ、おれの言う事にうなずいて、食事を始めた。どの料理もとてもおいしかった。ただ、このおいしい料理を食べながら、俺は、なぜか嫉妬を覚えていた。
食事の後、俺は、おれとリビングで、テレビを見ていた。テレビを見つめ、時々、笑うおれの横顔は、確かに俺の顔だった。そこに俺がいる。でも、ここにも俺がいる。どちらかの俺が、俺じゃないのだろうか。俺の頭はさらに混乱していった。
「おい、どうしたんだよ。さっきから、人の顔を、じっと見つめたりして。今日のおまえは、なにかおかしいぞ。なにがあったんだ。話してみろよ。」
俺の視線に気づいたおれが、俺のほうを向いてそう言った。
「笑うなよ。」
「笑わないよ。」
「それじゃ、聞くが。おまえは俺だよな。」
「なにを、馬鹿な事をいまさら聞くんだよ。頭は、大丈夫か。」
「いいから答えてくれよ。」
少し、心配そうな顔をして。おれが言った。
「そうだよ。俺は、おまえだ。」
「それじゃ、俺は、誰だ?」
「おまえは、俺じゃないか。あのときのことを忘れたのか?」
俺は、奴で、奴は、俺?じゃあ、俺は、俺? 俺は、ますますわからなくなってしまった。おれが俺の顔を間近に覗き込んで、心配そうな顔をした。
「本当に覚えていないのか?あの日の事を。おまえと俺が入れ替わったときの事を・・・」
入れ替わった?俺と、この目の前のおれが?じゃあ、今の俺って、だれ?
「本当にどうしたんだよ。沙代子。」
沙代子。俺の言ったその言葉に、俺の、頭にかかっていた霞が晴れ、俺は、思い出した。そうあのときの事を・・・
「放してくれ。いえ、放してください。こんなになっては、もう徹さんの、徹さんの妻には成れません。」
一ヶ月前、俺は、あの忌わしいウィルスに冒された。高校の、憧れの先輩だった彼のとの結婚を、数日に迎えたときに、俺は、あのウィルスに冒され、徐々に精神が、男性化していった。想い焦がれていた高校の先輩の卒業のときに、思い切って告白し、彼も、俺のことを想っていてくれ、そして、大学の卒業と、就職を期に、プロポーズされ、幸せを掴みかけた矢先だった。彼に隠れて、あらゆる医者に係り、最後の望みとして、神仏さえも頼った。そして、ある神社で、お百度参りの祈願達成のその日、彼に見つかった。
「沙代子。どうしたんだ。どうして、俺を避けるんだ。嫌いにでもなったのか。」
『好きです。でも、今わたしの心を侵していくものが、あなたを避けるのです。でも、その事をいったら、あなたはわたしのそばから離れて行ってしまう。』
その思いから、俺は、彼には何も告げられず、俺に迫りよってくる彼から逃れようと、石段へと駆け寄った。そして、駆け下りようとしたとき、俺はバランスを崩し、転がり落ちそうになった。その俺を、彼は、抱き止めようとして、バランスを崩し、ふたりは、石段を転げ落ちた。彼は、俺をしっかりと抱きしめ。俺の頭を、抱え込んで、俺の身を守ってくれた。こんな、俺の身を・・・・
そして、最下段に転げ落ちたとき、俺たちは気を失った。
病院で目覚めたとき、俺たちは、お互いの身体が入れ替わっている事に気がついた。彼は、その事に戸惑ったが、ウィルスに冒されていた俺は、別段、何の違和感もなかった、ただ、目の前に、自分がいるという不思議な感覚以外には・・・・
俺たちは、結婚した。入れ替わったままで。そして、今日が、そのときから一ヶ月が過ぎた日だった。
「思い出したか。沙代子。」
「ああ、すべてな。ありがとう。徹、こんな俺と結婚してくれて。」
「うふ、いまでは、徹は、おまえなのにな。こちらこそ、それとこれからもよろしくな。」
「ああ。」
俺は、優しく微笑む、新妻の徹にそう答えた。だが、俺のウィルスの進行状況は、かなりなもののようだった。新妻の徹を見て、自分だという自覚はあるのだが、この徹の身体にも、何の違和感も感じなくなっているのだ。それが、さっきの記憶の錯乱を生んだようだ。自分は、男でもあり、女でもあると錯覚し、出迎えた徹を見て、自分だと思い、今の自分である徹の身体を見ても、自然に受け入れていた。
これは、入れ替わり現象によるものなのか、それとも・・・・