ピグマリオンの娘たち

 

今回は、着ぐるみについて考えて見たいと思う。アニメ、マンガ、オリジナルのマスクと体型修正のためのパット入りのゼンタイスーツで、好きなキャラクターになるコスチュームプレイ。ドーラー(もしくは、着ぐるまー、着ぐるみ師という人もいる)と呼ばれる彼らはいったい何者なのか?

一般的に言われる女装とも、マスク変装とも違い。TSとも一線を引くドーラーたち。でも、果たしてそうなのだろうか?

着ぐるみとはいったいなんなのか。それを私なりに考えてみたいと思う。

さて、ここでは親しみを込めて、着ぐるみサンと呼ばせていただくことにして考察をはじめよう。

 

第一章 着ぐるみはコスプレ?

これらの関連性について考える前に、一般的に言われるコスプレとの関連性について考えてみたいと思う。

コスプレ(コスチュームプレイ)は、辞書を引いてみると「衣装劇」とでている。特別な衣装により、舞台の時空を明確にして、演者を際立たせる劇。たとえば、平安朝絵巻とか、古代エジプト、古代中国、さらに西部劇とか時代劇とかも、その部類に入るのだろう。

だが、この説明がそのまま今のコスプレーヤーに当てはまるとは思えない。なぜなら、コスプレをしている彼らがそのコスチュームにあったキャラを演じているようには思えないからだ。だが、一方着ぐるみサンは、装ったキャラになりきっている。彼らが着ぐるみを身にまとっている時には、彼らはその装ったキャラその人なのだ。

私が見る限り、一般のコスプレーヤーは、そのファッションを楽しみ、着ぐるみサンは、そのキャラを自らが演じるのを楽しんでいるようにみえる。この点から言うと、着ぐるみは、いまの主流のコスプレとはその楽しみ方が少し違うと思える。

それに、コスプレーヤーと着ぐるみサンのもうひとつの違いは、そのプレーヤーの男女比率の違いではないだろうか。一般的なコスプレーヤーには女性が多く、着ぐるみサンは、男性が多いように思える。

では、なぜこのような男女比率の違いが出てくるのだろうか。それは、男女の子供の頃に遊んだ遊び方の違いから説明が出来るのではないだろうか。その遊びとは、「ごっこ遊び」のやり方の違いではないだろうか。

「ごっこ遊び」。それは、大概の人が一度はやったことがある遊びではないだろうか?この昔からある子供たちの大好きな遊びでは、男女のやり方が少し違うように思える。それは、女の子は「ごっこ」遊びをする時には、そのキャラになるのではなくて、そのキャラの境遇に自分を当てはめて遊ぶということです。女の子はあくまでもその環境(マリちゃんなら、マリ王女様)になるのであって、特定の人(たとえば、マリーアントワネットその人)になるわけではない。

ところが男の子の場合では彼らは仮面ライダーとかウルトラマンとか特定のヒーローそのものになるのだ。そのときは太郎という男の子ではなくて特定のヒーローになっている。この点が大きな違いではないだろうか。

女の子は好きなキャラクターの環境を楽しんでいるのに対して、男の子はそのキャラクターと同化して、そのキャラクターそのものになってキャラを演じることを楽しんでいる。その違いから、一般のコスプレーヤーと着ぐるみサンは似て非なるものに見えるのではないだろうか。

では、着ぐるみサンはコスプレーヤーではないのだろうか。好きなキャラの衣装を真似、闊歩する一般コスプレーヤーに対して、その姿さえも模している着ぐるみサンは、一般のコスプレーヤーに比べ、完全に舞台の演者(キャラ)になりきっているといえるのではないだろうか。あなたはどう思う?

 

第二章      着ぐるみサンの生態

着ぐるみサンは往々にして子供が好きなようだ。彼女たち(女性キャラが多いのであえて彼女たちと呼ばせていただく)は、子供と接することを好む。

彼女たちは子供たちと接する時、まるで女性のように子供たちをいとおしく抱きしめる。その時、表情のないマスクの顔がやさしい表情に見える。そして、子供に怖がられたり、無視されると暗く沈んだ表情になる。これは彼女たちの表情というよりも彼女たちのちょっとした仕草からそんなに見えるだけなのかもしれないが、思う以上に彼女たちは表情豊かなのだ。そして子供たちと接している時の彼女たちは子供好きの一女性だ。外見と内面が一体化しているといえるだろう。

そう言っても、いくら女性キャラの格好をしていても中身は・・といわれる方があるかもしれないが、実際の彼女たちに会われて見るといい。その仕草を見ているとその姿に違和感を感じなくなってしまう。それほど、彼女たちの仕草は自然なのだ。彼女たちと一緒にいるとそのキャラと現実にデートしているような錯覚に陥ってしまうことさえあるのだ。

これは、わたしが目撃した例だが、ある着ぐるみサンが幼い女の子と遊んでいると、それを見ていた若い男性たちがその着ぐるみサンに近づき、テレながら一緒に写真をとらせて欲しいと頼み込んでいた。一緒に写真をとった男性は心なしか顔を赤らめ照れていた。まるで、アイドルか、美人女優と一緒に写真を撮らせてもらうかのように。これは誇張ではなくて事実なのだ。彼女たちは着ぐるみを着ることによってそのキャラへと変貌しているのだ。

それと、着ぐるみサンは、大体しゃべらない。なぜなら、声までキャラと同じに変えることができないからだ。だが、中には声を作っておしゃべりをする人もいるが、大概の着ぐるみサンたちはしゃべらない。この声の問題が最大のネックポイントといえるだろう。声もキャラクターの大事なポイントだからだ。見知ったキャラとまったく違う声だと彼女たちに接する子供たちの夢を壊してしまうからだ。だがもし、彼女たちが子供たちとおしゃべりができたらどんなことを話しするのだろうか。こっそりと聞いて見たい気がする。

 

第三章      着ぐるみサンと子供

着ぐるみサンは子供が好きだといったが、子供たちも着ぐるみサンが好きなようだ。そして、着ぐるみサンたちを偏見なく、受け入れてくれるのは3〜5歳の女の子たちが一番多いみたいだ。それはこれくらいの年の女の子は、お人形を自分の友達もしくは、家族として素直に受け入れる年頃だからだろう。そして着ぐるみサンは生きたお人形(お友達)なのだから。だがこれが、もう少し上になると中に人間が入っているなどと言って近づこうとはしない。自分が赤ん坊扱いをされると思うのだろう。これが同じくらいの男の子だと怖がったり、恥ずかしがったりする。これも面白い反応だ。着ぐるみサンは親とも、同年代の友達とも違う。幼い彼女たちの大きな(人形の)お友達なのかもしれない。

着ぐるみサンたちをその姿のままに受け入れてくれるのは、幼い彼女たちだけかもしれない。自分たちをそのままに受け入れてくれるからこそ、彼女たちは子供たちがすきなのかもしれない。これが年齢のいった者だと彼女たちはただ着ぐるみを着たコスプレーヤーとしか見られない。それは、彼女たちが見てほしい姿ではないように思える。彼女たちの望む姿で接してくれる小さなお友達を彼女たちが好きなのも頷ける気がする。だが、これは、私の憶測でしかないので、本当のところは彼女たちに聞いてみるしかないだろう。

さて、この章の最後に子供の側からの着ぐるみサンへの不満を書いておくことにしよう。それは、彼女たちがおしゃべりをしてくれないことだ。3〜5歳の子供は言葉を覚え、いろんな人と会話することを楽しんでいる年頃だ。だから、お話しをしたいのだけど、相手が声をかけても返事をしてくれないと不安になってしまう。ちょっとした言葉でもいいから返事が欲しいのだ。だが先に述べた理由で声を出せない着ぐるみサンは小さな子達の言葉に返事をすることができない。これが着ぐるみサンを苦しめるネックとなっている。どなたか彼女たちに高性能で小型のボイスチェンジャーを作ってはもらえないだろうか?着ぐるみサンたちが自由にお話をできるようになったら、あなたはうれしそうな顔をして着ぐるみサンたちとおしゃべりをする子供たちの姿を見ることができるだろう。そんな日が早く来ることを私は望む・

 

第四章      着ぐるみは文化だ

着ぐるみは海外にもある。だが日本の着ぐるみのようなものはあまり見かけない。それはなぜか?

わたしは思うのだが、それはマンガのせいではないだろうか。海外のマンガでは登場人物がリアルっぽく描かれているか、もしくはかなりデフォルメされている。リアルっぽいキャラならある程度そのファッションを似せればいいし、似せることはたやすい。だが、日本では千差万別のキャラがいるし、人物はデフォルメされているためにキャラに似せようと思うとこれはかなり至難の業だ。だから日本の場合には着ぐるみが発達したのではないだろうか。それと、仮面ライダーとかセーラームーンのキャラクターショーなどの存在も大きいだろう。キャラのマスクを被った着ぐるみたちを幼い頃から見て身近に感じているし、このショーなどでキャラを模することを覚えられる。

このことは着ぐるみサンたちの誕生に大きく影響を及ぼしていると思う。それに仮面で別人に扮する文化は、いまだにその血脈を伝えている。それは「能」だ。面をつけることで、老若男女、いや、変化の物にさえもなることができる。そして、衣装と仕草でそのキャラをあらわす古典芸能。これは着ぐるみの先祖といえるかもしれない。

さて余談だが着ぐるみサンたちは、子供連れにも人気があり、海外の人たちにはもの珍しいものらしく記念写真をせがまれたりしている。この着ぐるみは究極のコスプレであり、ジャパニメーションと共に海外へ誇れる現代文化ではないだろうか。

 

最終章 着ぐるみとTS

最後に彼女たちに会って、いっしょに行動して思ったのだが、彼らにとって着ぐるみを着るということはTSすることではないだろうか。着ぐるみを着ると、今までの自分と別の人間になってしまうという。実際、普段と違う性格になるようだ。この着ぐるみを着るという行為は、まるで「レンタル・ボディ」を借りた人たちに似ているように思える。それは、着ぐるみサンたちは着ぐるみを着ている人物を内臓と呼んでいるということからもいえる。内臓とは、着ぐるみを着た段階で、中の人の人格は消えて、着ぐるみと一体化してしまうことを意味しているようだ。着ぐるみの中に入る人を魂と置き換えると、着ぐるみとは、TSFにある「レンタル・ボディ」と同じものに見えてくる。着ぐるみは実はリアルTSなのかもしれない。外見の変化とともに変化する精神。これは興味深い現象だ。

このレンタル・ボディ(着ぐるみ)が女らしく子供好きに精神調整がされているとしたらいかがだろう。この身近なレンタル・ボディ、試してみたいのだが、もろに魂(内臓)の体系が出るからなぁ。妊婦の着ぐるみってある?

 

注)動いている着ぐるみさんを見たい方は「サブリナ」という着ぐるみさんのサイトを覗いてみてください。サブリナさんが、着ぐるみを着ての動画があります。