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| このお話は「重い病」の続編です。 お読みになってない方はこちらよりどうぞ |
日本人ってよくわかんねえ・・・・。 メロは椅子にふんぞり返って、差し出された紅茶のカップを手に取った。にこにこと嬉しそうな顔をした男がテーブルの向こうのソファーに座った。歳の頃は彼の父親といってもいいぐらいで、銀縁の眼鏡と口の上に蓄えた髭が上品な落ち着いた雰囲気を醸し出している。 ヤガミは一時間ほどメロの代わりに床を拭きまくっていた。本来ハウスクリーニングをする筈の彼が手首を捻挫しているためだ。いや、掃除など建前だけの妙にエロいメイド服の意味を分かっているのだろうか。 終えた後はお茶の時間と決めたらしい。リビングのテーブルの上には彼の好む板チョコまで用意されていた。 メロはサテンの黒地の手袋が邪魔で指を一本ずつ引き抜き始めた。ふと、ヤガミがカップを降ろして立ち上がった。 「シップをしておかなければいけないよ」 用意してあったのか、キャビンから薬箱を取り出すとメロに右手を出すように促す。 「もう痛まないけど・・・・」 もとから捻挫なんてしてないし。 腫れてもいない右手首にシップを貼ってさらに包帯まで巻くヤガミを“ちょろいオヤジだ”なんて舐めた目つきで、メロはされるまま手を預け眺めている。 ふと、沈黙に息苦しくなったようにヤガミが問うた。 「君は日本へ来て長いのかね?」 「うん? 最近だけど」 ほう、とヤガミが感心したような表情を浮かべた。パタン、と薬箱の蓋を閉める。 「日本語が上手いね」 まっさらな包帯が巻かれた手首はかえって動きにくかった。彼は左手でカップを取り直した。 「じゃあ、兄弟も一緒に?」 えーと、とメロは交わした会話を思い出しながら答えを探した。 「・・・・。ああ、ガキどもね。施設に一杯居るよ」 「施設?」 「うん。俺の居た」 何不自由なく暮らせる天才養成の施設だけど。 メロはそれは口には出さなかった。 「・・・・それで君はこんな仕事を・・・・」 いや、これは俺の都合と、マットの悪趣味。 また大事なことは口に出さずにメロは不思議そうに相手を見詰めた。 どんな連想をしているのか、ヤガミは目頭を押さえて俯いている。 何考えているんだか、このオヤジ・・・・。 昨日帰りがけに、玄関で思いっきり濃厚なキスをしてやった。真っ赤になったヤガミは振ったらカタカタ音がしそうなほど、まるで石の彫刻みたいに硬直していた。すぐにドアを閉めたからその後は知らないが、たぶん石畳にそのままぶっ倒れていたんじゃないかと思う。 なのに、この紳士づらはどうだ。 それを思い出してメロは皮肉っぽく片頬を歪めた。 真面目で勤勉で常識的。知識の中にある典型的な日本人。 この男をもっと誘惑したら、どんな風になるんだろう。 メロの唇が引きあがる。ちょっとした悪戯心が湧き上がった。テーブルの上のチョコレートに手を伸ばすと、彼は器用に紙を引き剥がし口元に寄せた。いつものように歯を立てず、ゆっくりと舌で舐める。ヤガミをじっと視線の焦点に捕らえたまま。 桃色の舌を見せ付けるようにチョコレートを舐め続けるメロから目を逸らすことが出来ないように、ヤガミが何度も瞬きを繰り返している。何を思い出しているのか、少々顔が赤い。面白れー。 軽くほくそえむ。メロはチョコレートを持ったまま腰を上げると、向かいの席からヤガミの隣へストンと腰を降ろした。慌てたように相手は腰ひとつ分逃げる。それをメロが追った。 「・・・・ヤガミ。・・・・掃除の礼、しなきゃな?」 軽い仕草でチョコレートを投げ捨てた手が、ヤガミの肩と大腿にかかる。そして身を乗り出すと、突然のことに身体を硬くしているヤガミの唇に触れるだけのキスを一つ、置いた。 途端、ヤガミは驚いたように慌てて口走った。 「・・・・メロ。・・・・いや、こんなことは・・・・」 無理するな、オヤジ。顔が真っ赤で声が上擦ってるぞ。 メロは唇の端をちろりと舌で舐めた。ヤガミの狼狽を面白がるように、さらに相手の胸の上に圧し掛かる。胸に置いた左手からワイシャツ越しに波打つほどの動悸が伝わってきて、彼を失笑させた。 「・・・・ヤガミ・・・・」 唇は男らしく硬かった。髭がくすぐってくるのが心地いい。硬直したような歯列を舌で強引に割る。角度を変えながら艶かしく舌で粘膜を撫でていく。濃厚なくちづけに引き起こされた快感に酔い始めたメロはゆっくりと目を閉じた。 ガッ! いきなり両肩を掴まれる。強い力だった。身体を引き剥がされ、彼はパフン、と子供のようにソファーの上に座り直さされた。 顔に赤みが残るものの、真面目な目をしたヤガミが覗き込んでいた。 「いいかね、メロ。こういうことは、本当に好きな相手とするものなんだ」 「・・・・はぁ?」 何が起こったのか理解できず目を瞬く。ヤガミは言い募った。 「君は仕事に来ているんだよ。いや、私が手伝うのはいいんだ。だが・・・・」 報酬を出す以上これではまるで買春みたいなことになるし、それ以前にこういうことは好きあった者同士がするべきであって、と一昔前の道徳の教科書のようなことをヤガミはさらに延々と口にし始めた。 メロはヒクッと引きつった頬を痙攣させた。 「・・・・ふ、ふ・・・・」 ふざけんなー! このくそオヤジ! 今更何、言い出しやがる。 怒りのあまり一瞬声が出てこない。 「そう、こういうことは恋人と・・・・恋人というのも結婚前提で・・・・」 馬鹿らしくて聞く耳持てないメロは拳を握ると弾かれたように立ち上がった。と、表情をひくつかせてヤガミに詰め寄る。 「てめぇ・・・・。ここまできて・・・・どういう了見だ!?」 この俺様が誘ってやってんのに! 今まで堕ちなかった奴はいねえぞっ! 「了見って・・・・」 ヤガミが驚いたように息を吐いた。 「難しい日本語を使えるね、君は」 め、めまいが・・・・。 くらっ、と膝裏を誰かに突かれた様に膝から力が抜ける。 「今時の若い者でも・・・・。おや、どうしたんだ? お腹が減ったのかい? チョコレートを・・・・」 立ち直れず蹲ったメロに、さらにヤガミが色気のないことを言って追い討ちをかける。 日本人は真面目で勤勉で常識的で・・・・。いつか学んだことが頭の中を駆け巡る。それを叩き伏せて頭に浮かんだ言葉は“ぜってーその気にさせてやる!”だった。 メロは差し出されたチョコレートを振り払って立ち上がった。目が据わっている。 「金を出せ。ヤガミ」 「え?」 「3万。今日の代金だよ。早く!」 メロの剣幕に押されたヤガミは慌てて財布を探し出すと札を抜き取った。メロはそれを受け取るとさらに要求した。 「何か着る物を貸してくれ。・・・・何でもいいから。・・・・ああ、あんたのそのワイシャツでいいや」 白いリボンを乱暴に引き抜くとビスチェ風のメイド服はさらりと落ちた。白く細い背中が露になってヤガミの視界を点滅させたようだ。振り返ったメロはその様子にふて腐れたように唇を尖らせた。 それでもまだ、常識ってやつが頭ん中で幅利かせてんのかよ。 「着る物。早く」 メロは手を伸ばすと強引にヤガミの首元のネクタイを引っぱり、ワイシャツのボタンを外そうとする。他に持ってくればいいものを気が動転し始めたヤガミは慌ててワイシャツを脱ぐと、メロの肩に羽織らせる。その間もメロはスカートを脱ぎ髪飾りを捨て、靴下やメイド用の黒い靴を脱いで山にした。 そして、その上に三枚の札を投げ捨てた。 ふうっと息をついたメロといえば黒い下着と手首の包帯と、ワイシャツを羽織っただけの何とも艶かしい姿だ。形のいい白い素脚がワイシャツの裾から長く伸びている。 その格好で振り返ったものだから、ヤガミはあからさまにぎくり、と身を硬くしている。 メロは大またにヤガミに近づくと、片手でランニングシャツの胸をいきなり強く押した。長身のヤガミは着痩せする性質なのか、思いがけず厚い胸板だった。 不意を突かれたヤガミが後のソファーに落ちるように座り込んだ。その前に腰に両手を当てたメロが仁王立ちして、滑らかな白い肌を惜しげもなく晒している。 「・・・・報酬を受け取って、メイド服は着替えた。仕事はもう終わった。・・・・そうだろ?」 バンッ! メロは裸足の片方を、ヤガミの両脚の間のソファーに勢いよく突き立てた。そして、驚いて固まっているヤガミの顔を見詰めながら、ゆっくりと屈み込んで囁く。 ![]() 「・・・・後は・・・・好きあってりゃ、いいんだな?」 「・・・・・・・・」 「・・・・なあ? ヤガミ?」 一目ぼれしたくせに。これ以上ふざけたこと抜かしやがったらぶち殺す! 見下ろした顔には激しい剣幕でそうはっきりと書いてあるくせに、妙に切ない瞳の色。 しばらく迫力に飲まれていたヤガミの顔に、いきなり似合わない赤みが差した。そして今更気がついたように狼狽し始める。 「あー。君の気持ちは嬉しいんだか・・・・もう少し、知り合う時間というものが・・・・」 メロは目を見開いた。こめかみで血管が破裂しそうだった。 信じられねーーっ! 真面目で常識的って・・・うざい!! 老い先短いくせに何言いやがる。楽しむ時間は短いんだ! 頭に血が昇ったメロは飛びかかるようにしてヤガミの膝の上に圧し掛かかる。驚いたヤガミは咄嗟にその身体を受け止めた。 ふと、動きを止めた一瞬の沈黙の後、メロの表情が怪訝そうに緩んだ。触れ合った肌から流れ込んだ感覚。 思いがけず、強く熱かった。 「・・・もっとお互いのことを・・・・よく考えてだな・・」 焦ったように無駄な言葉を吐き続けるヤガミの口元。メロはしなやかな腕を伸ばして、それを素早く手で塞いでしまった。そしてもう一方の包帯の巻かれた腕を肩に回して強く抱き締める。 「それ以上喋ったら、その髭を引っこ抜くぞ」 間近で見詰めたヤガミの目が瞬いて、脅しが効いたことを彼に悟らせた。 メロは満足そうな表情を浮かべていた。そして、柔らかい息とともにヤガミの耳元に囁いた。 「・・・・身体みたいに、素直になれよ、ジャパニーズ」 脚に当たる熱い硬い感触。メロはそれを感じながら軽く噛み付くようにくちづけた。 やがて、重ねた唇を通してヤガミが呆れたように小さく笑った気がした。 深くくちづけているつもりだった。それがいつのまにかくちづけられていた。ヤガミの舌と唇が力を込めて追いかけてくる。 やった! やっと観念したな、この石頭め! 意外なほどの高揚がメロの胸に湧き上がった。彼は笑った。歳相応に幼い、明るい笑顔だった。 長いキスから離れるとメロの頬は上気して瞳が艶かしく潤んでいる。 「ヤガミ・・・・。ここにキスしてくれよ・・・・」 長い指で瞼を指して囁く。そして、次はここ、と耳の下を。そして、次は次は。 髭の男が好きになりそうだ。 唇と髭の両方が与える柔らかくくすぐったい刺激に、どこにくちづけられても甘く痺れるような快感が走る。 そういえば、自分の仕事はきっちりこなすっていうのも日本人の特性にあったっけ。 メロの頭の中を情事への期待が掠った。ヤガミは覚悟を決めたのか、ほんの少し困ったような笑顔を浮かべたまま、黙ってメロのリードに応えた。 どこかメロを宥めるような優しい、穏やかな仕草だった。 一時間ほど後、二人は夕日の中で向かい合ってお茶を飲んでいた。道路に面したお洒落なカフェテラスはメロが来たがった所だ。 「丈、随分短くねえ? これ」 思い出したヤガミが息子のものだが、といって貸してくれたジーパン。月が聞いたら激怒しそうなことを平気で言うメロは、上はヤガミのワイシャツのままで後はサンダルだけだ。 高く組んだ脚から覗く素足の踝。それを見詰めるヤガミの目が今更眩しそうに細められている。ヤガミの方は初めて会った時と同じ濃いグレーの背広姿だ。 「やっぱ、それが一番似合うよ」 それを着てくれ、と彼が頼んだのだ。また、ヤガミの顔が少々赤くなった。 ヤガミは丁寧な仕草でコーヒーカップをテーブルの隅に退けると、身を乗り出してきた。そしていきなり両手でメロの手を掴むと、真面目な顔で言った。 「メロ。こうなった以上、私には責任がある。これからの君とのことを・・・・」 思いっきり椅子からずり落ちそうになったメロは苦笑を浮かべる。 おーい、誰かこのオヤジを止めてくれー。こうなったら長いんだー。 彼は空いた手でヤガミの口を、また強く押さえつけた。 「あのさあ、行きずりとかアバンチュールとか気の迷いとかって日本語、あんたの頭の中にはねえの?」 「何を言って・・・・」 鼻息を荒くして迫ってくるヤガミの胸元に向かって、いきなりメロが大声で叫んだ。 「マット!! 聞いてるか!」 突然、意味不明の言葉を叫ばれて動きを止めたヤガミの目の前で、メロはちょっと切なげに笑った。 遠くから派手なエンジン音がフルスピードで近づいてくるのに二人が気がつくまで、ほとんど時間はかからなかった。 振り返ったヤガミの視線の先で、大型のオートバイが車線を逆行して突進してくる。見覚えのあるちょっとにやけたゴーグルの男。歩道に乗り上げ、結構なスピードで器用に街路樹を避けて縫うように向ってくる。 唖然として見詰めているヤガミに手を伸ばすと、メロは背広の一番上のボタンを握り締めて引き千切った。引っ張られたヤガミが一瞬体勢を崩しそうになる。小さなテーブル越しに、メロは軽いキスをヤガミの頬に落とした。 「メロ?」 派手な機械音はややスピードを落としたものの止まらずに近づいてくる。かき消されそうなのに、するりとヤガミの耳に滑り込んだ囁き声。 「・・・・タイムリミットだ。ヤガミ」 すぐ後をバイクが風を巻いてすり抜けた瞬間、彼は素早く手を伸ばし宙に身を翻した。目を奪われる鮮やかな身のこなしだった。 「メロ!」 咄嗟に追おうとしたヤガミの前から、ゴーグルの男の背に抱きついて振り返ったメロの姿があっという間に遠ざかって行く。 「Bye! ヤガミー!」 明るい別れの言葉が、エンジン音の中からヤガミに残され響いていた。 「何だよ、にやついて。・・・・あいつ、そんなに良かったのか?」 メロの気配に振り返ったマットの目が、ゴーグルの向こうでからかうように笑っている。 「・・・・髭が、ね」 ![]() 「へえ、じゃあ俺も生やそうかな」 「似合わない」 きっぱりとメロはそう言ってマットを少々へこませた。 バイクがスピードを落として小さな橋を渡る。メロは腕を伸ばして淀んだ川の流れの中に、手に握っていたヤガミのボタンを投げ捨てた。 「あ〜あ、せっかく仕込んだのに。チラシだって衣装だって俺が用意して・・・・それなりにうまくいったじゃん」 ぶつぶつ言い続けるマットの頭を彼は軽く叩いた。 メイド喫茶なんかに嵌るから、こんなイカれた手管を思いつくんだ。 メロははっきりと強い口調で言った。 「ヤガミはマフィアなんかとつるまない」 真面目で勤勉、常識的な日本人。盗聴なんか無駄だ。 弱みなんか、きっとない。もし、あるとすれば・・・・。 わざと着替えなかったヤガミのワイシャツ。整髪料と煙草と、大人の男の匂いが微かに残っている。 「やっぱ、髭かな・・・・」 俺の弱みにもなりそうだ。 メロはそう呟いて、マットの背中で小さく思い出し笑いを浮かべた。 |
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谷崎さまありがとうございます。 本当に素敵です! 無理なお願いを聞いてくださって 本当に嬉しいです! |
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