祝杯の二時間
「誕生日なんだってね」
唐突にそう言われたのは、あと三十分もすれば日付も変わろうかという時間だった。
読んでいた本―何の本かはよく分からない。横文字が並んでいた―から目を逸らすことなく、あまりにさり気なく言うので、綱吉は何のことか一瞬分からなかった。
きょとんと首を傾げた綱吉に、返事がないことに焦れた雲雀が僅かに眉を寄せて綱吉を見る。
「君、今日だろ」
それぞれの一言を単独で聞くと、何が何やら分からない。でも、最初の一言と繋げて、漸く綱吉の読解能力に乏しい頭が意味を汲み取った。
つまり、綱吉の誕生日のことを言っているらしい、と。
今更ですか!? と言いかけた言葉を飲み込んだ。多分それを声に出したら、理不尽なこと言われて殴られる。
それは超直感っていうより、単なる経験則。
「ええ、まあ…」
歯切れ悪く綱吉は頷いた。
自分で話題を振っておきながら、雲雀は興味なさげに「ふぅん」と呟いて、再び視線を本に戻す。
綱吉は居心地悪く、ソファに座る身体を縮こまらせる。
常の殺気と言っても相違ないほどの刺々しい雰囲気はなくて、息苦しい、っていうほどでもないのだけれど、やっぱり雲雀の傍は緊張してしまう。萎縮する、というほうが正しいだろうか。
要は刷り込みと同じ原理だ。パブロフの犬にも近いかもしれない。
雲雀がいる=暴力を揮われるかも知れない=怖い。みたいな図式が出来上がっている。
そもそもにして、自分が何故ここにいるのか、綱吉はあまりよく分かっていない。いや、もちろん拉致られたわけじゃない。己の意思で、己の足でこの彼の城―応接室―に出向いたわけだが、その理由というのが、解せない。
山本の家で獄寺や京子など、数人を交えて誕生日パーティーを開いてもらって、ちょっといい気分で家に帰った途端、家の電話が鳴ったのだ。電話の主は言わずもがな雲雀で、その内容というのが「今すぐ応接室に来い」だった。
もちろん口調は雲雀らしくオブラートに包んでいたが、結局は命令と変わらない。
楽しかった気分は一瞬で吹っ飛んだ。っていうかタイミングが良すぎる。家に帰った途端だ。玄関のドアが閉まる音に重なって電話が鳴って、料理をしてにいた母が「電話出て頂戴」といわれたのだ。計算したとしか言いようがない。
この人の呼び出しはいつもそうだ。呼び出しだけじゃない。出没する瞬間も、呼び出しも、電話も、メールも、何もかも。計算されきっているようにも思えるほど、タイミングが絶妙で突然で、けれども瞬間を外さない。
雲雀だから、と言われてしまえばそれまでだが、今一釈然としない綱吉だった。
そんなこんなで、綱吉は応接室にいる。
夜の学校は不気味で幽霊が出そうだったけれど、応接室ばかりは幽霊だって近寄れないだろうなと綱吉は思った。
応接室に来て一時間半くらいは、雲雀は何も言わなかったし、何もしなかった。
申し訳程度の持て成しに紅茶は出してくれた。思いもかけない気遣いに驚いて雲雀を見たら、綱吉の言いたいことを鋭く読み取った雲雀が「失礼だね」と不機嫌そうに言ったので、慌てて「ありがとうございます」といってカップに口をつけたのだ。
会話といえばそれだけだったし、そのあとは綱吉もカップに手をつけなかった。向かい合って座っていた雲雀は風紀の仕事をして本を読んで携帯を弄って(メールをする雲雀というのも想像出来ない)。
することもなくて、気も休まることもなくて、綱吉が所在なさげに俯き始めた頃、突然雲雀が口を開いた。それが、冒頭の一言である。
「何か、徴収したんだろ?」
「ちょうしゅ…?」
「帰り、紙袋持ってたのを見たよ」
思い当たって軽く瞬いた。そんなところまで見てたのか。
綱吉はその意図をどう受け取ればいいのか分からなかった。他人に興味がなさそうな雲雀が自分を気にかけていたことを意外に思うべきか喜ぶべきか恐れるべきか。
それとも、自分が…というわけではなくて、観察力はあるひとだから、自然と目に付いただけなのかもしれない。
最後の可能性が一番高い。
それにしても、と綱吉はなんとも言えない表情をする。筆舌にしがたいが、やっぱりなんとも言えない表情なのだ。眉を八の字に寄せて、少し考えるような雲雀の表情を伺うような、けれども不服そうな。あえて例えるならそんな表情。
「徴収って税じゃないんですから…プレゼントです」
「似たようなもんだろ。貢物、税、賄賂、プレゼント、お中元、お歳暮、日本語って便利だね。全部同じなのに、言い方ひとつで気分が変わるんだから」
「一緒…じゃない、と思いますけど…」
雲雀に対して発言するのは勇気がいる。
数学の時間に先生に指されたときより、よっぽど。
ちろり、と雲雀が綱吉を見るだけで、睨まれた気分になる。差し詰め、自分は蛇に睨まれた蛙だろうか。
「同じだよ。群れの中で、相手から好意を得て己の存在を確立するための代償。貰う側は何も対価がない」
「………」
そういうものだろうか。
綱吉はくんにゃりと顔を歪めながら首を傾げる。雲雀の理論は、さも正論のように言われるけれど、綱吉はどこか受け止めきれないものを感じる。
「だいたい、誕生日なんて祝うべきものでもなんでもないよ」
雲雀は小さなため息と共に吐き捨てた。
抑揚のないハスキーなテノールが、吐息に混ざって更にかすれた。
綱吉は一気に顔を曇らせた。膝の上に置いた手をきゅっと握る。
雲雀が群れている草食動物を嫌っているのは、綱吉だけではない周知の事実だ。
だから、人の誕生日を祝わないのは分かる。
人の誕生日にクラッカーを鳴らしてケーキにロウソク立ててハッピーバースデーを歌っちゃう雲雀なんて、想像できないし、それはそれでホラーだ。
でも、敢えてそれを綱吉の誕生日に言う雲雀の心境が分からない。
皮肉か、嫌味か、それとも嫌がらせか。全部という可能性だって否定は出来ない。
綱吉はむかむかと胸のうちを靄みたいのが渦巻くのを感じつつ、でも雲雀が怖いのではっきりとは言えなくて、俯いたまま視線を揺らした。きゅっと中央に寄せられた皺が、綱吉のせめてもの意思表示である。
「プレゼント、何貰ったの」
雲雀が問う。
彼の口から「プレゼント」という単語が出たのがなんだか意外だった。
綱吉は答えを躊躇ったが、言わなかったらあとが怖いと思い直す。
「京…笹川さんからはクッキーを貰いました。お兄さんからは「誕生日極限!!」って習字を貰いました」
了平からそれを貰ったときの気分は複雑だったけれど、横に自分の名前がきちんと書いてあったのには少し感動して。
クッキーはそりゃもう涙が出そうなほど嬉しかった。
「それからランボからは飴玉、山本からは帽子をもらいました。あと、ディーノさんから花束も届いて…獄寺君は…」
そこで言いよどむ。
自分で聞いたくせに聞きあきたような顔で本に視線を戻していた雲雀が、先を促すように綱吉を見る。綱吉は慌てて言おうとして、やっぱり躊躇って、口を少し動かして引き結んで。
数度繰り返して、ボソリと呟く。
「獄寺君には…………『俺の全部はもう十代目のものなので、差し上げるものがありません』…って土下座されました………」
言ってしまったあとで、綱吉は雲雀の顔が見れなくなった。
いや、もともと雲雀の顔を見ても怯えるかビビるか、挙動不審になるかしか出来ないので、見ていようが見ていまいが大差はないのだが、自分に降り注がれる冷ややかな視線を感じる。
これは言われたときも恥ずかしかったし気まずかったが、それを人に伝えるとなると、さらに恥ずかしくて気まずいもので。
「それ、嬉しいの」
雲雀が淡々と問う。明らかな反語が垣間見えた。綱吉が反語なんて単語を咄嗟に思い浮かべられたかはさておき。
そうですよね。普通は嫌ですよね。そうですよね。俺だって複雑な心境はありますとも。
極限なんてかかれた習字、どうしろと…飾れとでも言いたいんですか、飴玉だって元は自分がランボにあげたものだし、花束は嬉しいといえば嬉しいけれど正直自分より母親のほうが喜んでいた。獄寺なんて論外だ。
綱吉は雲雀の痛いほどの冷たい視線に耐えながら、もう消えたい気持ちで声もなく笑うしかなかった。
でも。
「………でも、俺にくれたものだから」
ぽそり、と声に出てしまい、綱吉のほうが驚いた。心の呟きのつもりだったのに。
しかもその声が、思わず出てしまったというにはあまりにハッキリとしていて、雲雀も少し意外そうな顔をしていた。
慌てて口を噤もうとしたが、雲雀がその言葉に良くも悪くも興味を持ってしまった。視線が先を促す。言わないことには許されない。
綱吉は自分の口と声を恨んだ。
「…俺、ダメツナだし、みんなにしてあげられることなんて何もなかったのに、それでも「おめでとう」って言ってくれたのが…プレゼント以上に嬉しかったから」
朝一番、肌寒くなってきた秋口のまだ日も昇りきらぬうちから、家の前で綱吉を待ち構えていたらしい獄寺(新聞配達の人が目撃してビビッていたことを後から知った)は、誰より早く綱吉に「おめでとうございますっ」と頭を下げた。
山本も学校に着くなり「誕生日だったよな」と言ってプレゼントをくれた。もちろん「おめでとう」と言って。
京子は最初忘れていたようだけれど、山本や獄寺が前々日ぐらいから気にかけていたので、それで思い出してクッキーを焼いたそうだ。彼女の笑顔と一緒に「おめでとう」といわれたときの心境は、世界一幸せですと叫びたいほどだった。
みんなみんな、そうやって「おめでとう」と言ってくれたのだ。
「だから…だからっ、俺は誕生日は特別な日だと思う!」
思わず顔を上げて、雲雀に真正面から言ってしまった。
面食らってる雲雀をバッチリ目が合って、一瞬で顔を青くして、俯いて赤くして、冷や汗を垂らす。
「あ、…お、思います。いや、俺は…ですけど」
丁寧に言い直して、語尾が萎んでいって、最後には沈黙。
雲雀が何かを言い出すのを怯えていたけれど、沈黙も痛いし息苦しい。
笑われるか、バカにされるか、機嫌を損ねるか。小惑星が地球に衝突するのと同じ確率で、雲雀が改心して「誕生日っていいね」なんて言い出すか。
綱吉は待ち構えていた。が。
「別に君の生まれた瞬間に立ち会ったわけでもないのにね」
そのどれも違った。
雲雀は淡々と、どんな感情が篭ってるのか読みにくい口調と、ポツリと独り言のようにも取れる声で言った。
綱吉が思わず顔を上げると、綱吉の視線に気づいた雲雀も綱吉に視線を向ける。正面に足を組んで、上体を少しひねりながらソファの背凭れに肘をかける。雲雀にしては少しだらしがない格好。
すぐに視線を逸らした。
「誕生日って言ったって、その人の生まれた瞬間を知ってるわけじゃないし、本人の記憶にすら残ってないんだよ。何を祝ってるんだか分からない。それだったら、出会った日のほうが余程重要だと思うんだけど」
本当に不思議そうな顔と声。
思案するときの癖。顎に緩く握った手を当てて口元に親指を少しつけて、唇を撫でる。少し瞳を眇める。
「変なイキモノだよね、君たち」
雲雀がゆるりとした仕種で身体を正面に向け、口元を歪めた。
あからさまな嘲笑にも見えたし、理解できないものに向ける多少の好奇にも近い。
イキモノ、という単語に、綱吉はカァッと頭に血が昇るのを感じた。同じ、人間なのに。まるで雲雀と自分は全く違うのだと、言わんばかりのセリフだ。
「でもっ!」
綱吉はガタンと立ち上がって、声を荒げた。
雲雀が綱吉を見上げる形になる。驚いた表情はしなかったけれど、意外そうな表情はしていて、次に何が起こるのか、何を言われるのか、待っているようにも見えた。
小動物の無駄な足掻きを嘲笑うようだ、と被害妄想といわれればそれまでだけれど、綱吉にはそう感じた。
「っでも、生まれなきゃ出会うことだってなかったんです! だから、生まれてきてくれて有り難うって言う日なんです!」
まくしたてて、はっと我に返って、綱吉は恥ずかしそうに俯きながらストンとソファに腰を下ろした。顔が熱る。
雲雀がはっと声を漏らして笑うのが分かった。バカにしてる。綱吉は怒りよりも、雲雀に意見をして声を荒げてしまったことへの恐怖のほうが先立った。
「君は、自分が生まれてきて感謝されてるって思ってるんだ?」
クククと喉で笑ってる。
ますます顔が赤くなった。今度は間違いなく怒りだ。
雲雀の言うとおり、自分の誕生に感謝されるだけの価値があると思ったことなどないが、でも祝ってくれた人の気持ちまで踏みにじられた気がして。
それはひどく許せなかった。
膝の上で服を握り締めた拳が、ふるふると震える。雲雀の笑い声が怖いけど、唇が怒鳴りそうに戦慄くのを感じる。
一頻り笑った後、雲雀はふぅと無感動なため息を零した。それまでの笑いが嘘みたいに。
「……………誕生日、おめでとう」
いやいやそうに、不服そうに、けれどもはっきりと呟かれた言葉。
綱吉は弾かれたように顔を上げた。雲雀は綱吉を見ていなかったけれど、その言葉が綱吉に向けられたのだとは分かる。
「別に君が生まれて来てくれてよかったなんて思ってないけど。どうせ君がいなくても、何も変わらないだけだし」
言いわけっぽいな、とは雲雀の内心。
ツンケンする言葉は、照れ隠しなのか自分への鬱陶しさなのか、雲雀自身にもよく分からない。ただ、自分に「照れ」なんて可愛げが―正直に悪く言うなら情けない感情―があるとは到底思えなかったけれど。
綱吉には、その言葉が言いわけくさいとか、雲雀が考えてることとか、口調の刺々しさだとか、そんなものは全く意に介すことではなかった。
ただ、雲雀の言葉が信じられないのと、我が耳を疑っていたのとで、いっぱいいっぱいだった。
「君が生まれてきて僕と出会ったせいで、僕の生き方が変わってしまったのは事実だから」
そこで、一度目を伏せて、綱吉を見た。
綱吉が夜の猫のようだと思う目で、少し俯いたまま視線だけ綱吉に向けて。自然と上目遣いになる。
口元が緩やかに弧を描いた。
「一応、責任だけは追及しておかないとね」
そこまで言って、もう一度「誕生日おめでとう」と、さっきよりも穏やかな声で告げた。
綱吉の心臓が跳ねた。
「今年のプレゼントは……そうだね、僕の二時間、かな」
瞬間、時計の針がカチと鳴った。
日付が変わったのだ。
「どんな花束より、帽子より、クッキーより、貴重だよ」
感謝しなよ、と言外に含まれた。
そんなもの頼んでません、とは言えなかった。
プレゼントとは頼んでもらうものではないから。
同時に、綱吉がちょっとでも嬉しいと思った時点で、もう雲雀の誕生日プレゼントは、プレゼントの役割を立派に果たしてしまったのだから。
「ありがとう、ございます…」
綱吉は少し悔しそうに呟いた。
雲雀が満足そうに笑う。
そして、すっと瞳が鋭くなって、いつも通りのちょっと険しい顔。
「…で、いつまでいるつもり? 君の誕生日は終わったよ」
さっきまでの穏やかさはジキルとハイドか! と言いたくなるほどの変貌振り。
理不尽だ!! と綱吉は思ったけれど言えない。
おどおどしながら、すみません、と釈然としない口調で言って、複雑な気分で出て行こうと踵を返すと、その横を雲雀が先に通り過ぎて、引き戸を開ける。
思わず足を止めてキョトンと雲雀を見ると。
「何してんの。早く来ないと、バイク出せないんだけど」
言われた意味を理解しかねて、10年前のパソコン並みのスピードで一生懸命処理して、ようやく、雲雀が送ってくれるつもりなんだとぼんやり理解した。
珍しいこともあるなぁ、ってちょっぴり思った一瞬後に、事の重大さに気づいた。
驚愕と混乱と戸惑いに天変地異が起きたみたいな顔で、口を金魚のようにはくはくとさせる綱吉を一瞥して、雲雀はさっさと応接室を出て行った。
綱吉は躊躇いつつ、恐る恐る追いかけた。心の中でこっそりと「このままどっか連れてかれて、リンチされませんように」とちょっとだけ祈ったのは内緒の話。
バイクは決してスピードは出ていなかった。規定速度よりも少し遅い。
でも、そのスピードに、空の星は流れてるように見えて。
今年のプレゼントと彼は言ったけれど、来年も期待していいのだろうか。
その前に、彼の誕生日を祝いたかった。おめでとうございます、とさっきの彼と同じ言葉を、今度は自分が彼に告げたい。
会話のない黒い背中にしがみつきながら、たくさんの流れる星に願掛けをしてみた。
END
文章中でヒバリさんとツナが切ない思いをしてなかったら甘い話なんですよ、当サイトでは。
まだ出来上がる前。ヒバ→→→←ツナくらい。
ヒバリさん、無意識に気を遣ってるんですよ。誕生パーティーを邪魔しないだけ、充分に気を遣ってるんですよ。見事なツンデレです(そうか?)。
とりあえず獄寺のプレゼントを考える時間が一番長かったことだけは反省しておきます。
プレゼントは「10代目に捧ぐ愛のポエム」にするか、「俺をプレゼント」にするか、「等身大10代目の銅像」にするか迷ったんですが、一応あるらしい理性がそんな獄寺を(むしろ私を)止めました。
戻る