肉食獣の免罪符
ガラン、と床に落ちた鉄の塊が合図だった。
骸は空気の中に溶け込むように、その場に現れた。
「ああ、派手にやりましたねえ…」
骸は目の前の光景に、うっとりとした表情で熱の篭る吐息混じりの声を零した。
彼のオッドアイに映る真紅は、まさしく芸術のようである。ダ・ヴィンチもミケランジェロも、こんな美しいものは描けないに違いない。
もしも、この芸術にタイトルをつける幸福を、神が己に与えるならば、この至高の芸術に何と名付ければよいか。
真紅の中に呆然と佇む少年は、骸の言葉など聞いてはいないだろう。骸の存在にすら、気づいていないのかもしれない。
彼の耳に届くのは、ひたすら己の心臓の音ばかり。絶望に染まった虚ろな瞳に映る人間の肉塊が、赤い舞台を作り上げて鼓動を弱めれば弱めるほど、比例するように綱吉の心臓は激しく脈打つ。
骸は口元に弧を描いて、足音も立てず舞い降りるように綱吉の背後へふわりと立った。
「人を殺すのは、初めてですか?」
声も聞こえていないのか、だんだんと息を荒くしながら、この真っ赤な現実を受け入れまいと、心が必死に自己防衛をする。
骸はその肩を、硝子細工に触るような手つきで、そっと抱いた。
びくり、と綱吉の身体が跳ねた。
虚ろに染まる琥珀色の瞳が、大きく見開く。
小さく悲鳴を上げる。
逃げようとする身体を強く抱きしめて、綺麗な貝殻みたいな耳元に唇を寄せた。
それに大きく震えて、綱吉が弾かれたように振り返った。
優しい、優しい、嘘みたいに優しい、骸の瞳の奥に見える得体の知れぬ威圧感とどす黒いものに、綱吉は呆然とそれを見つめた。
逸らさねば、と直感に優れた頭を過ぎったが、引き込まれるように見つめてしまう。逸らすことを許さない瞳。
綱吉の顔を汚す、ワインみたいな赤に舌を這わせた。それはとても甘いように見えたのだけれど、実際は苦い。
名も知らぬ男の鮮血など、決して綺麗だとは思わないのに、彼を彩る漆なのだと思えば、舐めとらずにはいられなかったのだ。
「さっきまでは生きていたのにね…かわいそうな男です…」
心にもないことを、さも悲観的に芝居がかった口調で言いながら、骸はほうっとため息をついた。
「知っていますか? 彼は明日、ヴァチカンにある教会で、結婚式を挙げる予定だったそうですよ」
眼差しに哀れみ。
口元に冷笑。
耳元に吐息。
「美しい花嫁と、幸せになるはずだったのに」
ぶるぶるぶるぶると、瘧のようにあるいは壊れようとする人形のように、綱吉の身体が痙攣し始めてカチカチと歯が鳴る。
落ち着きのない唇が、ごめんなさい、ごめんなさい、許して、許して、わざとじゃないの、と声にならない声で必死に紡がれた。
その声のひとつひとつを、骸はしっかりと聞いていた。
「ああ、何も悔恨を感じる必要はありませんよ。彼は弱かった。そして君は、あの瞬間だけは確かに神だった」
綱吉に罪を自覚させておきながら、柔らかく慈悲の言葉を落とす。それが何より、綱吉の胸を穿つと知っていて。
骸は綱吉の背後から長い腕を伸ばして、ぐちゃりと男の屍骸の肉を掴んだ。傷口がぶちゅりと音を立てて、血が飛び散る。
撃たれた瞬間、あんなにも悲鳴を上げてのたうった体が、今は何の反応もしない。死というものはそういうものなのだと、綱吉の腹の底に「死」という一個の現実が毒のように重く落ちた。
骸は真っ赤になった手で、綱吉の戦慄く唇を撫ぜる。
つん、とした鉄臭い匂いに、綱吉は眉を寄せて、顔を背けようとするのを、骸はもう片方の手で彼の顎を掴んで許さない。
「…っ」
唇を噛み締めるところを割り込んで、ぬるぬるとした指で歯列をなぞって、唇の裏側や、頬の裏側にも指をなすりつける。
口中を荒らされる不快さと、他人の体液の鉄くささに、かはっと噎せこんだところを、更に指が侵入した。
「んぅ、う…うう…っ!」
びちゃびちゃと指先で舌を嬲って、喉の奥にまで指を押し込めて大きく前後する。
その熱さが、まるで彼を犯しているようだと錯覚させて、骸は酷く興奮した。乾いた唇をぺろりと舐めて、こくりと唾を飲む。
名残惜しかったが一度口から手を抜き出して、また男の肉を掴んで綱吉の唇へ運ぶ。
まるで、雛鳥に食事をやる母鳥のように。
生の人間の味に、吐き気がする。混乱と虚ろの中で、味覚などなかったけれど、それでも口に含みたくはない。
「ぁ、む…っ、いゃ…」
「殺したと思うから罪悪感が湧くんですよ」
これは君の食事。
市場で売られるソーセージや、レストランで出される牛肉のステーキ。
それと同じこと。
「いいですか? 君がこれを殺人だと思えば、この男の命は人と同じだけの価値を持ってしまうでしょう」
でもね。
「肉食獣は、獲物を狩ることに罪悪感なんか、覚えません」
生き物は、本能的に食物連鎖を理解している。
だからシマウマは間違っても魚なんか食べないし、ライオンは間違っても花の蜜など吸わない。
知っているから、プランクトンは魚を恨まないし、シマウマだってライオンに食べられたとしても、ライオンを恨んだりはしない。
「そう、君は今、人間を食べる、あらたな肉食獣です」
だから君には殺す権利があるし、食べる義務がある。
食べてあげないと、かわいそうです。
「人も君も僕も、所詮は動物です」
罪はない。
骸が何度も何度も囁く。
生も死も知り尽くした男が、あまりにも高みから囁くので、それは神の啓示のように綱吉の心臓に落ちていった。
何か鎖のようなものが、切れたような感覚。
骸がまた人の身体を抉り取って、綱吉の口元に持っていく。今度は押し込めるような真似はしなかった。
綱吉が目を細めて、恐る恐るぐっちょりと鮮血の滴る真っ赤な指をぺろりと舐めた。
一瞬鉄の味に眉を寄せて、けれども瞳を閉じると、躊躇いが消えたようにゆっくりとその指を深く口に含んだ。
「んん、う、う…」
細いけれども男らしくて長い指は、綱吉の口腔を圧迫する。三本ほど口に招き入れて、根元から先端にかけて窄めた唇でゆっくりと吸い付いた。
ちゅくちゅくと音がする。
べろべろと舌を這わせて、赤黒い線の垂れる掌も啜る。
指先に肉が絡んでいて、くちゃくちゃと音を立ててそれを租借した。骸の指にも歯を立ててしまい、骸がピクリと反応する。
酷く身体中が渇くのを感じた。
「美味しいですか?」
「は、う…んんぅ……っ」
味なんかちっとも感じなかったけれど、綱吉の瞳の恍惚とした揺らめきが、酷く骸を感動させた。
罪悪感が、少しずつ消えていく。人間だった肉塊が、口中で租借されて喉を通り胃に辿り着く頃、綱吉は自分の身体に生命の息吹を確かに感じていた。
「おい、し…っも、っと…っ」
雛鳥が餌をねだるように、ぱくぱくと口を開いて骸の指に精一杯舌を伸ばす。
骸はそれこそ母鳥のような慈悲の心で、綱吉のどろどろになった口の中に、甲斐甲斐しく真っ赤な餌を運んでやった。
ねっとりと、綱吉の口の周りが赤い粘液でべたべたになっていた。乾きかけた上から、さらに血塗られて、てらてらと輝く。
その姿に、酷く欲情した。
「んぐぅう…っ!」
喉の奥にまで指を突っ込んで、男の肉をそのまま食道に送り込む。綱吉は吐きそうになったけれど、骸が「もったいないオバケが出ちゃいますよ」なんて揶揄するものだから、綱吉はそれを必死に飲み下した。
オバケの存在なんて信じてはいないが、この肉を一欠けらでも残せば、それは自分の罪になるように感じた。
この男の「人間」であったカタチは、残してはいけない。
不意に骸の指がずるりと、綱吉の口から一気に抜かれた。
「あ、あ…っだめ…!」
綱吉は必死に指を追いかけて、舌を伸ばしたけれど、骸が力強く綱吉の身体を自分のほうへと引き寄せた。
背中が、骸の決して厚くはない胸板へ堕ちる。
綱吉が光のない淀んだ眼差しで、骸を非難した。骸はくすりと笑う。
「僕の指まで食べるつもりですか? ほら、君が歯を立てるから、指が傷ついてしまったじゃないですか」
歯型が無数についた指を見せつけながら、しかし骸は至極満足げに綱吉の耳元に毒を吹き込む。
目の前で、己の唾液が糸を引く指を見つめる綱吉の瞳は、どこか虚ろで夜の海のように揺れていた。
こくり…と物欲しげに喉が鳴る。
骸はクフ、と一度笑い、綱吉の身体を腕を張って突き飛ばした。
びしゃりと落ちた先は肉の塊の上。綱吉が今まで食べていたイキモノ(だったもの)の鮮血の中だ。
鉄臭く生ぬるい水溜りに埋もれて、綱吉の髪や頬を真っ赤に汚した。
「己惚れるな、ケダモノ。君はピラミッドの頂点に立っているわけではないのですよ。ましてや、神などでもない」
倒れた綱吉の顔の前に凛と立って、それこそ断罪する神のような瞳で綱吉を見下ろした。
骸の、血に汚れていないほうの腕が器用に動いて、綱吉の下肢に纏うものを一気に引きずり下ろした。
ズボンも、下着でさえも。
「や…っ!?」
綱吉が困惑する。
初めてではない、これは知らないものではない。
けれど、この場には酷く相応しくないものだ。
怯えるように骸を見ると、相変らず真実の見えない優しい瞳が、綱吉を見下ろしている。
本当の神の慈悲って、こんなものなのかもしれない、と綱吉は思った。
愛を説いて、慈しむ腕だけ掲げて、何も与えやしない。与えるものといえば、現実を見た瞬間に絶望を感じるだけの、虚無と偽りに満ちた儚い希望。
「君も、被食者であると、理解すればいい」
「ぁ、ア――――!」
その瞬間、綱吉は絶命というものを擬似体験した。
頭の中が白くなって、目の前が真っ赤に染まって、その先にあるものを掴めば幸せになれそうな、どこまでも落ちていきそうな、そんな感覚。
死とはこういうものなのだろう。
目の前の男はきっとこんな思いだったのだろう。
綱吉は悲鳴を上げて、突如訪れた耐え難い刺激に大きく目を見開いた。
何の潤いも前戯も、予感すら与えられない。限りなく暴力に近い、純然たる性交だった。
「ああ、まるで僕が食われているようだ」
骸はうっとりと呟く。けれども、今この瞬間、捕食者は骸で、綱吉は哀れな獲物だ。
身体の奥から、内臓から、毒を注入されて精神を食われる。
ぐいぐいと、綱吉の体内を犯しながら、骸は幼子に言い聞かせるような口調で、ゆっくりと腰の動きを反比例するような穏やかさで告げた。
ず、ず、と乾いた肉を無理やりこすりつける音がする。そのたびに、掠れた悲鳴が空気を切った。
「や、あ、ア…!」
「ほら、君の食事は終わっていませんよ?」
綱吉の身体を四つん這いにして、その背中に覆いかぶさる。
痛みに耐えるかのように、強く握り締めた綱吉の手に重ねていた己の手を伸ばし、目の前の肉の塊を掴む。
適当に掴んだら、ぐじゅりと肉が抉れて真っ赤な塊が出てきた。それを、綱吉の口に塗りたくる。
綱吉は一瞬忘れかけていた鉄の匂いの不快さに眉を顰めて首を振った。
「いっ、やァ――!」
ずん、と一際奥を貫かれて、大きく目を見開いた。
その瞬間に、ひゅっと息を飲む。
目が合ってしまった。永遠に瞬くことのない、魂の抜けきった瞳と。
胸を撃ち抜いたせいで、顔は綺麗に原形をとどめていた。
骸に抉られ、内臓もハラワタもぐちゃぐちゃでイキモノであった形跡すら探せないのに、顔だけは人形のように真っ白な状態で綺麗な形をしていた。
その嵌めこんだビー玉みたいな瞳が、綱吉のほうをじっと見ているのだ。
「あ、あ……」
綱吉は絶望して、同時に何かの糸が切れるような音を聞いた。
それは己の正気だったかもしれないし、あるいは彼を縛り付けていた「人間」という鎖だったのかもしれない。
ぐちゅ、と背後で音がした。腹の中が熱くなる。骸が欲望の奔流を放ったのだと気づく暇もなく、直後に綱吉の中にどうしようもない飢餓感が芽生えた。
「ん、く……」
じんわりとした腹の中が、何かを求めてぴくりと収斂する。
綱吉は、ゆっくりと瞳を閉じて、目の前の赤い海に顔を埋めた。
生ぬるい、けれども命を感じない冷たさが、何故だが心地よくて、綱吉の瞳は蕩けた。
男の穴が空いてぐちゃぐちゃになった身体に唇を寄せて、ずず、と溢れ出る鮮血を吸い取る。ごくごくと喉を鳴らすと、今度は肉に噛り付いた。
骸が背後で声を立てて、高らかに笑った。
「美味しいでしょう? 前も後ろも、あなたは極上の命を食しているのだから!」
悪魔のような捕食者は、同時に被食者の快楽を味わっていた。
彼の崇高で幼く美しかった精神を食らいつくす代わりに、己の精を食らい尽くされる。
どちらも骸にとっては最高の快楽。
一度吐き出したお陰で、だいぶ動き易くなった。内部を大きく掻き混ぜると、びくびくと細い背中が震えた。
最奥に再び放つ。飲み干す喉の動きのように、綱吉の腰がかくかくと揺れる。
「おぃ、し…ー…」
ぼんやりと、ほとんど無意識だろう声で、舌足らずに呟いた。
はひゅはひゅと乱れた呼吸の合間に、唇の端から唾液が零れた。顔を濡らす血と重なって、それは地面に零れた。
無理やりに骸を受け入れた綱吉の内部は傷ついていて、決して快楽など感じられるような状態ではない。
けれども、それでも綱吉の足の間に緩く自己主張するものは、ぴぃんと立ち上がって蜜を零していた。
「性欲と食欲は、直結しているといいますからね。きっと今の君は、食事そのものに性欲を感じているのでしょう」
骸の言葉も、綱吉には届かない。
言外に、君は浅ましいのだと含んでいるのに、それすらも気づけない。
「それで、いいんですよ…っ!」
綱吉の腰を痕が着くほど強く掴み上げて、前後に大きく回転を交えながら掻き混ぜた。
ぱんぱん、と尻肉と恥骨のぶつかる音がする。
綱吉は必死に目の前の死体にしがみついて、唇を寄せていた。
じゅぷじゅぷと音がするのは、粘膜で欲望と蜜とが絡む音か、それとも綱吉が血肉を貪る音か。
命を体内に取り込む快楽。
人の欲望を食らう快楽。
精神を食われる快楽。
どれもが甘美。
「あ、ぅ、ん――――!」
綱吉の下肢が、ドクンと震えた後、白濁に包まれた。
再び身体の奥底に熱を感じる。それを余すことなく飲み込んだ。
ずるりと体内をいっぱいにしていたものを抜き出すと、綱吉の身体がガクリとくずおれた。
腰だけ高く上げた姿勢で、はっはっと瞳をさ迷わせながら荒く息をつく。舌をチラチラと揺らめかせては、何かを求めるかのように喉が鳴った。
骸は満足げに微笑んで、綱吉の髪を掴み、己の目線の高さまで持ち上げた。
「君は大変に美味しかった。ごちそうさま」
にこり、と瞳を細めて、その唇に柔らかなキスを落とした。
鉄の味だ。突き詰めて言えば、鮮血の味。さらに言うなら、命の味。
悪くはない、と骸は思う。
「君は? 美味しかったですか?」
骸が問う。
綱吉は瞳をゆっくりと閉じて、こくりと頷いた。引き結んだ瞳の端から、一筋涙が落ちた。
「ごちそう、さ、ま…です……」
それは別離の合図。
数時間ほど前、綺麗だった己への。
ほんの数瞬前、人間だった己への。
それは出会いの合図。
この瞬間から、獣になった己への。
この先に待っているであろう、暗い明日への。
骸は愛しげに、愛しげに綱吉の頬を汚す赤を舌で拭った。
「君は人殺しなど永遠にしない。そこにいるのは、ただの神に等しいほどのケダモノだ」
美しく、気高く、そして哀れな。
「忘れないで。君を神にするのはいつだって僕で、君はその瞬間は心を食われる哀れな被食者だ」
いくらでも食らいつくす。
心も、身体も。
「そうして、君はもっともっと壊れて、狂って、僕を殺しなさい。僕は君の血肉となって、本当の意味で、君の精神を食らいつくしてあげましょう」
骸の声は綱吉の脳髄を、確実に侵す。
心臓を貫くようで、精神を包み込むようで、それでいて息苦しい。
彼の言葉は、まるで真実かのように、けれども声は童話を語る優しさに満ちていて。
だからこそ、余計に侵される。
「頂点に立つものなど、誰もいないのですよ」
獣が笑う。
獣がそれを見つめた。
獣がそれを哀れんでいた。
前から後ろから、全身で感じた人間の味が、忘れられない。
どうしようもなく満たされて、どうしようもなく餓えた気分だった。
END
テーマ:指フェラと骸ツナ。
それだけのテーマで、こんなグロくならなきゃいけない理由は、どこにもない…。
グロテスクさを紛らわすためだけに、エロを入れてみたら、思った以上にグロさがなくなりました。いいんだか悪いんだか。
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