林檎味の遺伝子


 真っ白い部屋で林檎を剥く。
 さりさりと、赤い帯が銀色の刃物ではがされていく様は、まるで血が流れるみたいだ、とディーノは見ながら思う。
 そもそもにして、この男が自分の見舞いに来て、しかも果物なんてまともな手土産を持ってきて、しかもそれをご丁寧に剥いてくれている。
 ディーノには些か信じられない。

「おまえが来るとは思わなかった」
「悪かったね」
「いんや、うれしいぜ?」

 にこりと貼り付けた笑み。
 不機嫌そうな面が返ってくる。
 ぶつ、と半分ほどで林檎の皮が切れた。血が滴るみたいに床に赤い皮が落ちる。

「ツナは?」
「仕事中」
「リボーンか」

 酷く簡潔に答える雲雀に、ディーノは苦笑した。
 それが雲雀は気に食わない。この男は、見ても居ないのに確信しているのだ。ツナがディーノの見舞いに来たがっていたこと。そして、それをリボーンが仕事を押し付けて制止していること。
 確信しているのはそれ即ち、男の自信と余裕。それが強ち間違っていないから、余計に雲雀は腹が立つのだ。

「で、なーんでお前が来るかな」
「謝ったでしょう。僕だって来たくて来たんじゃない」

 ああ、吐き気がする。
 この男が自分の(曲がりなりにも)師でなければ、こんな貧乏くじは引かされずに済んだだろうに。
 ヒバリさん、ディーノさんと仲いいでしょう? と遠慮がちに、純粋な目で、一生懸命頼み込まれて、断れるわけがない。
 勘違いも甚だしい。
 雲雀はひとつ舌打ちをして、再び林檎に刃を立てる。さりさりさり。
 窓から吹き込む風がクリィム色のカーテンを揺らして、鉢植えのアマリリスを揺らす。
 鉢植えは見舞いの品には不適切なのだそうだ。床に根を張る、ということで病を長引かせるのだと言う。
 だからこそ贈ってやった。一生臥せてろ、という嫌味だ。もっとも、イタリア人にそんなジャパニーズジョークは通じない。
 通じないからこそ、ついでに前回の見舞いの折には椿の花を飾ってやった。首が落ちる。
 雲雀は手を止めぬまま、背後に殺気のない平和な気配を感じて、視線を流した。すぐに手元に戻る。

「あそこでこっちをチラチラ覗いてる子供、君のだろ?」
「なんだぁ、来てたのか。かわいいだろ、こないだ2歳になったんだぜ?」

 病室の扉のところに小さな身体を隠して(隠しているつもりなのだろう)(ちっとも隠れていないけれど)、時々こちらを心配そうに伺う、金色の髪が見える。
 今気づいた、というようにディーノは言ったが、子供に背を向けた雲雀でも気づけたのだ。この男が気づけぬはずがない。
 雲雀は視線をくれてやることもなく、ディーノは子供に手招きをしたが、びくっと一度肩を跳ねさせた子どもは走って逃げ去った。
 お父様が心配で覗きに来た2歳の子どもは、雲雀が苦手なのだ。

「あーあ、行っちまった…」

 大して残念でもなさそうにディーノは言う。傷が治って退院できたら、キャッチボールでもしてやろうかな、などと雲雀が聞く気のない話をいくつかして、大きく欠伸をした。
 その子供は確かにディーノの子で、眼差しも髪の色も、小さい頃のディーノそっくりで、リボーンが将来的には俺がカテキョしてやるよ、などと言うものだから可哀想に思ったものだ。
 子どもがいるのだから、ディーノには当然妻があるが、妻とディーノを繋ぐのはツナだ。
 かつて、まだ10代目に就任して間もない頃の彼は言った。

 ディーノさんの子供なら、男の子でも女の子でも、きっと綺麗な子になるだろうなぁ。

 それを言ったときの、ツナの無邪気さと言ったら。
 それを聞いたときの、自分の驚いた顔と言ったら。
 ちょっと筆舌にしがたい。
 男同士の自分達に子どもは出来ぬと知っていて、恋人の子供を無邪気に見たがるツナ。
 あれはディーノ的には面白くない。

「だから、ちょっと作ってみたんだけど、あんな俺そっくりな子になるとは思わなかった」

 料理でも作るかのような気軽さに、人の命の重さなど考えたこともない雲雀でさえも、反吐が出そうだと思った。
 見たいというから作ったのに、実際見せてやれば、ツナは少しだけ寂しそうな顔をしたのを、ディーノは忘れない。
 そのとき、ディーノはこの子を作ってよかったと、心底思った。

「子供がかわいそうだ」
「なんで? 俺、ちゃんとアイツのこと愛してるぜ?」

 ツナがかわいいといって抱きしめた子供だ。
 それは洗礼にも似ている。それだけで、ただ自分の遺伝子情報を含んだだけの細胞の塊が、一人の人間になれるのだ。愛すべき自分の子供になる。

「あいつが好きなものは、俺も大好きなの。だから、恭弥も好きだぜ?」

 からからと笑う。
 雲雀はもう聞かないふりを決め込んだ。
 この男の言葉にいちいち目くじらを立てて、突っかかっていたら、新調したばかりのトンファーが一気に錆物になってしまう。
 そこで一呼吸落ち着けるだけ、雲雀は大人になった。

「僕はあなたなんか嫌いだけどね」

 自分は愛しい人の好きなものは全て好き、などと言えるような心の大きさも、いっそ残酷な博愛も持ち合わせちゃ居ない。
 猫が好き、と捨て猫を拾って可愛がるので、即刻殺した。そういう人間だ、雲雀は。
 精神の抗生物質が違うのだろう、と雲雀は思う。きっとディーノも思っている。
 同時に、この男ほど歪んでも居ないと思う。狂ってはいるけれど、歪んではいない。

「………悪趣味なんじゃないの?」
「あー…この寝間着な。ロマーリオが買って来てくれたから、多少オッサン趣味かもな。ツナには見せらんねーや」
「…殺されたいなら、正直に言ってくれる?」

 常備のトンファーに手が伸びる。
 ちゃきり、と音がしたところで、ディーノは慌てて止めた。顔は相変らず笑っているが。

「悪かったって! 冗談が通じねーのな、恭弥は」

 雲雀は臨戦態勢を解いたが、相変らず手元にはトンファーが。
 銃のほうがよければ言いなよ、と真顔で言うあたりが恐ろしい。ディーノは思わず笑ったが。
 ため息をついて、雲雀は座りなおした。林檎を手に取る。

「自分の子供に自分の名前つけるなんて、悪趣味じゃないの?」
「……ツナがな。好きだって言ってくれたんだよ」

 俺の名前。

 にかっと笑う、ディーノの顔面を叩き潰したくなった。
 悪趣味じゃないの、ともう一度言って、雲雀は林檎を剥く手を止めた。黄色いイビツな球体になったそれを、まな板も使わずに器用に細かく切っていく。

 子供の名前は、父親と同じ。
 ディーノ。
 彼の子どもは男の子だけれど、もし女の子が生まれていたとしても、その名前は変わらなかっただろう。
 生まれる前から、孕む前から決めていたのだ。

 それに、とディーノが続ける。

「俺が死んでもアイツが生きてれば、ツナは俺の名前を呼び続けるだろ?」

 ディーノはきつく包帯の巻かれた肩口に手を当てた。
 そこには、銃弾が貫通した傷口が在る。
 一生残るぜ、とシャマルに通告された、まだ生々しい傷跡だ(尤も、通告しただけでシャマルは治療はしてくれなかった)。
 肩が今までどおり上がるようになるには、リハビリが必要だそうだ。
 正直、撃たれた瞬間、ディーノは己が死んだと思ったという。
 死を思ったと同時に脳裏を掠めたのは、愛する5000のファミリーでも、愛弟子でも、ましてや妻でもたった一人の息子でもなく、可愛くも愛しい弟分だった。

「俺はさ、実のところ、ツナに幸せになって欲しいなんてあんまり思っちゃいねーんだ」

 ぽつり、とディーノは天井を仰ぎながら呟いた。
 鎮痛剤の効き目がそろそろ切れる。肩に痛みが少しずつ戻ってくるのが、何故だか心地よい。生きていると実感するからだろうか。
 雲雀は一口大に切った林檎を皿に載せて、膝の上に置く。表情は相変らず感情を読ませなかったが、機嫌がよろしくないことだけは充分に分かった。
 ディーノの話など、恐らく聞いていないのだろう。けれども、耳には届いているから、聡明な頭脳はディーノの言葉を丁寧に記憶するに違いない。

「俺が死んだあと、もしお前と愛し合って幸せになりました、なんてハッピーエンドになったら、多分俺はお前を呪うし、そんな結果になるくらいならツナを連れてく。俺の居ないところであいつが笑うなんて耐えられねぇ」

 おまえはおまえで、勝手に幸せになればいいけどな、恭弥。
 ディーノはトーンの下がった声で、けれども言葉の端々を茶化すことは止めない。

「ツナが俺の名前を呼ばない日があるなんて絶対に嫌だし、俺を思い出す回数が減るのも嫌だ。ましてや俺の顔を忘れるなんて、絶対にあっちゃならない」

 だから。

 ディーノが凄絶に笑う。
 瞳を細めて、愛しそうに宝物を見つめる目で、口元に弧を描いて。

「あいつが、俺に似てくれて本当に良かったよ」

 ゆったりと歌うようにディーノの低音が囁く。
 それは最早雲雀に聞かせる語りではなく、愛しい人に捧げる詩のようなものなのだろう。

「あなたは、最低で醜悪な人間だね」

 心底侮蔑した声で、雲雀はため息をついた。
 侮蔑したのはディーノで、同時にそれを理解できてしまう自分自身だ。さらには、ディーノにこんなにも愛され、同時にディーノをこんなにも愛させるツナと言う存在そのものだ。

「だからさ、恭弥」

 くしゃ、と雲雀の艶のない髪の毛を撫でた。その手を、林檎の果汁にべたつく雲雀の左手で、荒々しく叩き返される。
 ディーノは意に介した様子もなく、静かに笑うだけだ。

「せめておまえは、願ってやってよ――…ツナの幸せをさ……」

 おまえがツナを幸せにする必要はないけれど、幸せを祈る権利だけはくれてやる。

 そんな冷ややかな声が聞こえた気がして、雲雀は背筋を凍らせた。細い瞳を僅かに見開いて、ディーノを凝視した。
 ディーノは食えぬ笑みで「な?」と首を傾げて見せるだけだった。その柔らかくもどこか鋭い蜂蜜の瞳の奥には、氷のような炎。
 下手に答えたら殺されるんだろうな、とディーノの性格に外れたことを考える。けれどもそれは強ち間違っていない気がした。
 恋愛は、先に惚れたほうが負けだ、と雲雀の故国の古い格言にある。
 けれどもこの男は、間違いなく勝者だ。永久に愛しい人を己のものにしておく手段を知っている。
 愛しい人の、本当の笑顔と引き換えに。
 雲雀は口を閉ざし、ついでに視界も閉ざした。視線を落として瞳を閉じる。思考まで閉ざすことを止められないのが、疎ましかった。

 何も答えない。

「…………」

 しゃり。
 雲雀はフォークを刺した白い欠片を、己の口へと運んだ。犬歯で柔らかな果肉をかじる。
 今はただ、愛しい人の幸せばかりを祈っている。この男の思惑そのままに。
 じわりと咥内に広がる林檎の果汁。

「俺の見舞いじゃねーの、その林檎?」

 揶揄するように苦笑する精悍な顔を、殴りたくて仕方がなかった。
 けれど、決して華奢ではない男らしい肩口を貫通した傷を見れば、それも出来ない。愛しい人の泣き顔が思い出されるからだ。
 殺したいほど憎いこの男を、命に代えても死なせない、と雲雀はひそりと思った。思ってしまった。
 そんな自分が悔しくて、雲雀はほんのりと甘酸っぱい果汁に、くしゃりと苦々しく顔を歪めた。


 きっと、この男の遺伝子は、こんな味がするんだろう。
 甘酸っぱいのに酷く苦々しい。

 禁断の果実の、蜜の味。





END


……こんなディーノさん、他に見たことない。
世の素敵サイトさんは、優しいディーノさんばっかりだよ…!

こういうディーノさんを書いたあとに標的77の扉の子ディノさんを見ると、酷くいたたまれません。
そのあとに標的84の扉後の再登場ディーノさんを見ると、まぁいいかと思わなくもないです。

戻る