名のない衝動


 殴った。場所は頬。何発かは数えていないので分からないが、同じところを何度も何度も。すると、口の中が切れたらしく、かはっと噎せて血を吐き出した。
 何故、と問う彼を、ただただ見下ろすだけ。
 雲雀はただ、愛用のトンファーを振って血を払い、口元を歪め目元を細める。くず折れた彼は、雲雀の顔を恨めしげに、しかし怯えを大分に含んだ瞳で見上げてくる。
 それがますます愉快で、雲雀はフンと鼻を鳴らして彼を笑うのだ。

「理由がないと殴っちゃいけないの?」

 今度は雲雀が問う。
 あまりにもあまりにな雲雀の答えに、嘲笑に、少年は信じられないと言いたげに目を瞠る。
 だって、だって…と繰り返す。

 だって、酷い。
 ただ、すれちがっただけ(身を硬くしたけれど)。
 ただ、こんにちは、といっただけ(ちょっと怯えながら)。

 雲雀の顔を見ないように、逆鱗に触れないように、しっかり礼をした。
 いつも連れて歩く、赤ん坊曰くのファミリーもこのときはおらず、彼が嫌うような群れは作っていなかった。
 それなのに何故、と問えば、理由がなければいけないのか、と逆に問われる始末。
 助けてほしいと心の底から思ったけれど、たとえ雲雀が命令を下さずとも、この空間に満ちた雲雀の殺気を人々は本能的に感じるのか、人っ子一人通る気配はない。ただでさえ、あまり近づこうとしない応接室のそばだ。

「ヒバリさん、痛い…です…っ」

 涙混じりに少年が言う。
 そりゃあ痛いだろうな、手加減なんかしないし。とは雲雀の心中。
 けれどまぁ、無意識の手加減はしてやっているのだろう。でなければ今頃彼の顔は原形をとどめず、頭蓋に影響が響いていたはずだ。最悪死んでいたかもしれない。打った場所が頬だったのも、雲雀なりの手加減だったと思ってくれてもいいのだ。

「何で、殴るんですか…?」
「理由は聞かないほうが君はいいと思うんだけど」
「だって、こんなの酷い…」
「何が酷いのさ。君は呼吸が出来ているし、今は脳に響いて上手く身体が動かないだろうけれど、数分で立てるようになる。酷いことなんか、何も無い」
「そんなっ」

 神経が、精神が、どこかが、可笑しいのだこの人は! 少年は思う。
 それは雲雀も自覚していないわけではない。だからなんだというのだ。自分が狂っているとしても、己が秩序だ。否定はさせない。みなも狂えばいいのに、と雲雀は常々考える。

「理由を聞いたら、まだ納得が行くかい? 君がいたから、と言えばいい?」
「……っ」

 いよいよ少年の顔が泣きそうに歪む。
 これには雲雀も不機嫌そうな顔になった。泣かれるのは面倒だ。怒りたいのなら怒ればいい。恨みたければ恨めばいい。被害者面も大いに結構だ(実際に被害者なのだけれど)。
 ただ、泣かれるのは困る。
 何故困るのかと言えば、それを問われるのも困る。
 雲雀は群れる人間が嫌いで、そういった人間を排除する瞬間が好きで、そんな連中の苦痛に歪む顔が更に好きで、泣いて懇願する姿が尚のこと好きだ。
 けれど、彼の涙はどうだ。
 やめてください、と口で言うくせに、それは屈服した響きはない。どこか、命令に聞こえるのだ。それが癇に障る。
 怯えて、泣いて、縋るくせに、それは服従の意志ではない。どこか、雲雀を引き寄せるのだ。それが気に食わない。
 だから雲雀は、彼の泣く姿が嫌いだし、彼の懇願する様が嫌いだ。ならば何故殴るのかと聞かれれば、殴りたいから、としか言えないのだ。

「ねえ、懇願してよ。やめてください、助けて下さいって、無様に縋って見せてよ」

 トンファーを振り翳して雲雀が言う。
 口元には笑み。
 歪んだ笑み。
 目元には狂気。
 鋭い眼差し。

「っ、う、やめて…っ」

 少年がびくりと震えて、何度も殴られて色と形を変えた顔を庇いながら、しゃくりあげた声と共に言う。
 雲雀は舌打ちをした。

「やめてください、だろ?」
「あぐっ! やめ、て、ください、ぃ…!」

 トンファーが少年を打つ。
 庇った腕に大きな痣。骨が変な音を立てた。ヒビのひとつやふたつ、入ったとしても可笑しくはない。
 少年が懇願する。顔がぐしゃぐしゃだ。
 ここまですれば、雲雀は満足する。たとえば、これが無駄に歯向かってくる不良ども―雲雀曰く、ただ群れて肉食を気取る草食動物―だった場合ならば、もっともっと、それこそ再起不能になるまで滅多打ちにするのだけれど、こんな小動物の類であれば、二・三度殴ればそれで気が済むはずなのだ。
 なのに、雲雀の衝動はやまない。さらに殴りたくて、蹴りたくて、もっと言うなら、かみ殺したくて、うずうずしている。この衝動に似たものを、雲雀は知っている気がする。
 ぺろりと唇を舐めて、獲物を狙う猛禽類の眼差しで少年を見下ろした。

「…足りないね。そんな言われるままに懇願するだけじゃつまらないよ」

 今度は、雲雀の長い足が振り翳された直後に堅いローファーの底が少年に向かって落ちてきた。
 それは少年特有の薄くて筋肉のあまりない、やわらかな腹に突き刺さるように直撃した。
 吐き出されたものは、口中の血ではなく、胃から競りあがった汚らしいもの。

「そうだろ?」

 小首を傾げる、美しく気高い猛獣。
 もう、痛みに喘ぐ力もなくただ大きく噎せ、ひくん、と少年の喉が動いた。きっと口の中に残った胃液を飲み込んだのだろう。すっぱく苦いような不味いものに、顔を歪めた。

 じゃあ、どうすればいいと言うの。
 あなたに逆らえば殴られて、言うとおりにすれば足りないと言い蹴られる。あなたは俺に何を望むと言うの。

 はらはらと、少年の目から涙が落ちた。
 これには雲雀も満足する。

「さて、どうすればいいか、分かるまで待っててあげるから、考えてごらん?」

 ああ、これは殴りたい衝動じゃない。
 排除しなければ、という義務感にも似た彼の日常的感情でもない。

 こんな感情は知らない。
 知らないから理解しよう。
 理解するために、今は衝動に逆らわない。

 雲雀は少年の髪を持ち上げながら、ゆっくりと理解した。
 気を失いそうになっているのか、虚ろな目をした少年の頬を、特にトンファーで殴られ腫れあがった場所を、雲雀は強く殴打した。素手とはいえ痛いものは痛い。
<  顔が真っ赤に腫れあがって、唇からは血と汚物の混ざった、汚らしい涎がダラダラと零れている。
 雲雀はごくりと唾を飲んだ。

「おいで、綱吉」

 初めて名前を呼ばれた。
 名前なんて知っていたんだ、と思う間もなく、彼の手が伸びてくる。
 少年の―綱吉の顔が強張った。腕を掴まれ、立ち上がることも出来ない体が、ずるずると雲雀に引きずられていく。
 声はどこか熱くて、彼らしくもなくどこか急ぎがちで、何となく優しかったけれど、これはイイコトなど何も無いのだと、綱吉の直感が告げる。全身が総毛だって、これはもう、本能が警鐘を鳴らしているとしか思えないほどに。

「いや…や、いやです、ヒバリさん…」

 雲雀の規則正しい歩幅の、その先には応接室。
 彼の城。

 力の入らない身体を、それでも必死に逆らおうとしながら、綱吉は首を横に振った。

「君を殴ると欲情するんだよね。いつもは自分で慰めるか、女探すんだけど…やっぱりさ、こういうのって、君が責任取るべきだと思わない?」

 ねえ、綱吉?

 雲雀が笑う。今までにない笑顔。
 冷たくて、暴力的で、獲物を狙う眼差し。それは変わらないのに、何かが違う。たぶん、それは自分しか気づかないだろうと綱吉は思った。
 そう、どことなく熱っぽい。それに、自分を見る目が、どことなく、見る、目が。

 頭が、真っ白になる。
 理不尽だ。

「いやです、ヒバリさん…っお願い、やだぁっ!」

 ぶんぶんと首を振って拒絶した。
 何をされるかなんて分からないし、何を考えているかも分からない。けれど、これだけははっきりいえる。付いて行ってはいけない。彼に流されてはいけない。
 いつものように、殴られて懇願して、時が過ぎて終わるのを待つだけではダメだ。
 だって、戻れなくなる。
 戻れなくなって、堕ちてく。どこに? そんなの知らない。知りたくもない。
 この人は、きっと。
 思考はそこで終わる。
 今までで一番の衝撃が、脳天から爪先まで、落雷のように綱吉を襲った。悲鳴すら上げる間もなく、気を失った。
 完全に脱力した身体を、雲雀は軽々と抱き上げた。肩に担ぎ上げて、今度こそ淀みなく、しなやかな足取りで、己の城へと踏みこんだ。

「君も知るといいよ。抑えがたい、衝動ってヤツを」

 ソファに小さな身体を横たえる。
 頬を撫でて、まるで意識のない彼の根底に刷り込むような、魔術師の囁きで吐息と共に吹きかける。

 自尊心を壊して。
 身体の中から破壊して。
 彼の身も心も内側から、原型も分からないくらい、どろどろに溶かして、崩して。
 最後に、雲雀が作り上げるのだ。


「そうしたら君は」


―破壊衝動とも。
 支配欲とも。
 まるで違う、雲雀の知らないこの感情に―


 ようやっと、名前をつけてくれるでしょう?




 雲雀が笑う。
 服を引き裂く。

 あとは、思う様。
 今までにない、エクスタシー。






ヒバリさん、ラリってるように見えます。気のせいです。
うちのヒバリさんは、恋とか愛とか知らない人なんですよ。でも、そういう感情がないんじゃなくて、その感情と「恋」や「愛」という単語が結びつかないだけ。
だから、ツナがそのうち教えてあげれればいいんじゃないかな。多分ツナ、物凄い成長しないと気づかないと思うけど。

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