飛べない鳥の序曲


 別段、閉塞された空間が怖い、などというわけではない。そもそも自分に恐怖などという至極人間らしい弱味があるなら、是非一度くらい感じてみたいものだ。
 だから、怖いわけではないのだけれど、どうにもこうにも好きになれない場所だ。
 一生かかっても読みきれないほどの膨大な資料と書籍の並べられた本棚が、迷路を作るように入り組まれたこの部屋には、本の劣化を防ぐために窓はない。
 それはなかなかの圧迫感ではあったが、その代わりに本が黴びないようにとの配慮から空調はよく整っていたので、居心地が悪いということはない。
 それなのに、雲雀はどうにもこの部屋が好きになれなかった。
 古い紙の匂いが気に食わないのか、それとも単にこの部屋に来るときは雑用が主な目的だからか。
 恐らくにして後者が理由だろうと、雲雀は結論付けた。
 雲雀はボンゴレの過去の交戦記録をまとめた書類の整理をしながら、ずくずくと痛む下腹に手を当てて、ため息をつく。 何で、自分がこんなことをしているんだろう、と思った。
 中身をパラパラと見て、年代と種類別に分けて棚に戻していく。昨日、綱吉が使ったのをそのままにしてあったのだ。
 いつの間にか、これの片付けは雲雀の役目になっていた。
 こんなこと、下っ端が…それでないならあの駄犬にでもやらせればいい、と雲雀はぼやく。
 彼曰く、獄寺は煙草吸うから本に匂いがうつってしまうし、山本や了平などは大雑把過ぎてあとが大変なのだそうだ。
 一応ボンゴレ内部の幹部くらいしか知ることを許されない機密事項らしいが、これのどこが機密事項なのか分からない。
 トマゾとボンゴレの2代目の抗争だとか、4代目の時に起きた内部分裂、ボヴィーノとの諍いに、キャバッローネとボンゴレが同盟を結ぶ以前の闘争。
 どれもこれも、ボンゴレでなくてもマフィアの端くれであれば一度は耳にしたことのある内容ばかりだ。まぁ、多少は周囲の口伝との差があるけれども、そんなことはどこでもありうる話だ。
 とりあえず、手に持てるだけ持った書類は全て片付けた。まだまだ半分も終わってないけれど。
 雲雀は嫌な汗がじっとりと背中を濡らすのを感じて、大きく息をついた。それから、疲れきったようにその場に座り込んで、天井を見上げた。下腹を押さえる。
 そんなわけはないと分かりつつ、血の匂いがツンと鼻をつくような気がして、舌打ちをした。血の匂いは嫌いではない。むしろ、心が高揚する。けれど、この血液だけは好きではない。

 カタン。

 自分しかいないはずの部屋に物音がして、雲雀は肩を跳ねさせて立ち上がった。
 何事もなかったかのように腕を組んで、訪問者のあるほうを見やる。睨みつけるようになってしまったのは、常の目付きがそうさせてしまうのだから仕方がない。
 もしその訪問者が、雲雀曰くの駄犬だとかボクシングバカであった場合などは、その視線に不機嫌が付加され「睨みつける」に相違なくなる。
 けれども雲雀の予想に反し、本棚の迷路の間からひょこっと顔を覗かせたのは、自分の主(雲雀はそれを決して認めようとはしないが)であった。
 雲雀を見て、一瞬緊張し、にへらっと顔を崩して笑う。

「あ、やっと見つけた」
「何か用?」

 何がやっと見つけた、だ。
 リングを持つ守護者に装着を義務付けられた、ピアスの発信機があるのだ。雲雀の耳には赤いピアス、獄寺の耳には銀色の、山本の耳には紺碧の、了平の耳には金色の、ランボの耳には白いピアス。
 色は綱吉が「みんなに似合うと思うんだ」と言って、勝手に決めた。
 雲雀は睨むことはなかったけれど、とりあえず会いたくない人間ではあったので、眉を寄せる。

「えっと、今から俺の執務室これます?」
「見て分からない? 君が使いっぱなしにしてた書類の整理してるんだけど」
「じゃあ、手伝います」

 手伝います、とは偉そうに出たものだ。と雲雀は心中毒づいた。
 元は綱吉が使ったものだというのに。
 ああ、昔の彼はかわいかった。自分を見れば怯えて、少し優しくすれば照れて笑って、キスを仕掛けてみれば顔を真っ赤にして逃げ去る。
 あの頃はあの頃で、小動物みたいで鬱陶しいと思ったものだが、今になってみれば、あの頃が懐かしい。
 さんざっぱらマフィアは嫌だと喚いていた彼が、ついにボンゴレのボスになると決めた頃だろうか。
 綱吉が隣で資料を区分けしている。これは3代目、6代目、あー破けてる…などと呟きながら、たどたどしい仕種で本棚に仕舞っていた。
 普段から、書類を持ってくるときも片付けるときも、部下に―雲雀に―やらせていたから、あまりこの書庫を使い慣れていないのだ。
 雲雀はクッと笑う。

「何ですか?」

 雲雀が笑う意味が分からない、と綱吉は怪訝そうに雲雀を見上げた。雲雀は「いや?」と誤魔化すが、相変らず口元は綺麗に弧を描いていた。
 綱吉の手からファイルを抜き取って、彼では届かない上のほうへ手を伸ばして挿し入れた。

「君がやったんじゃ、いつまでたっても終わらない」
「すみません」

 素っ気なく、本当に冷たく雲雀は言ってのけたのだけれど、それでも綱吉は苦く笑った。それを雲雀は横目に見て、少し舌打ちをしてみせた。
 一番高いところの棚に、背伸びをして入れるのを、綱吉がじっと見ている。その視線が気にならないわけではなかったが、彼と話をするのも面倒だったので、雲雀は黙々と本棚を埋めていくだけの作業に徹することにした。

「やっぱり、背が高いなぁ」
「何」

 空気の読めない子だ。
 喋りたくないから、綱吉の鬱陶しい視線も感じないふりをしてやったというのに、綱吉はそんなこと知りもしないという口調で沈黙を破る。

「あと5センチくらいなのに」
「もう無理でしょ」
「男は25歳まで伸びるっていいますし。あと一年くらいは」
「20歳越えたあたりから、全然伸びてないじゃない」
「うぅ…」

 獄寺とか山本なんかはグングンと背が伸びてしまって、最早無理だろうなと諦めていたけれど、雲雀くらいなら抜けるかもしれないと思っていただけに、綱吉は悔しい。
 5センチを指で大まかに測ってみて、ちょっと背伸びをすればすぐに届く距離なのに、もどかしく思う。
 雲雀をじっと見て、首を傾げた。

「…あれ? 顔色悪くないですか?」
「僕?」
「はい。青いですよ?」
「……誰かさんのせいで、最近徹夜が多いからね」
「………すみません」
「別に」

 雲雀が綱吉のほうを向くことなく、突放すように言う。下腹が痛むのだとは言わなかった。言えるわけもない。
 綱吉は苦笑した。
 最近、綱吉が良く笑うようになった、といつだったか駄犬が言っていた。
 確かに、一時期より笑うようになったと雲雀も思う。けれど、それを雲雀は手放しに喜んではいなかった。
 むしろ、ムカツク。

「ねえ」
「何ですか?」
「久々に殴ってもいい?」
「………俺を?」
「君に尋ねてるんだもの。他の誰を殴るというの」
「トンファーで?」
「どっちでもいいけど」
「…まぁ、いいですけど…」
「あ、そ」

 雲雀は殴らなかった。
 やっぱり、綱吉のほうは向かない。小さく舌打ちをして、本棚にファイルやら書類やら資料やらを手際よく詰めていく。
 いつの間にか、綱吉の手は完全に止まっていた。ただただ雲雀を見ている。

「やっぱり、具合悪いんですね」

 綱吉が呟いて、そのまま雲雀に背を向けた。
 ああ、最近こんなことばかりだな、と雲雀は思った。この棚に入れるべきものは終わった。
 綱吉はもう、そこにいなかった。
 雲雀はため息をつくしかない。

 ああ、面倒だ。



「―…で、話って何」

 キリの良いところで休憩を入れて、けれどその折角の休憩も、こうしてボス様の呼び出しで潰れている。
 つまらないことこの上ない。
 大きな革張りの椅子に腰掛けて、その両脇には山本と獄寺がぴたりと張り付いている。

「10代目の護衛の命令だ」

 獄寺が言う。
 雲雀の眉がぴくりと動いた。

「君には聞いてないんだけど」

 雲雀の言葉に、獄寺が常に仕込んでいるダイナマイトを取り出そうとする。雲雀はトンファーを構える。
 そして、睨みあい。
 まさに一触即発とも言うべき空気。
 この二人の間に漂うそんな雰囲気は、10年前から変わらない。
 それを見て山本が笑う。この男も変らない。
 ちらりと綱吉に視線を向ければ、綱吉は苦笑していた。ああ、変わったのはこれか、と思う。
 真っ青な顔をして、必死に獄寺を制止して、雲雀に謝り、逃げるように走り去る。そんな光景を思い出した。

「命令なんて仰々しいもんじゃないけど…。二人とも、キャバッローネのほうに俺の代理で行かなきゃいけなくて二週間ぐらい留守にしなきゃいけないんです」
「それで僕に、こいつらの代わりをしろってこと?」
「俺は二週間くらい平気だ、って言ったんですけど…」
「ダメです! もし俺らのいない間に10代目に何かあったら、俺、俺…っ腹斬って責任取ります!」

 雲雀と綱吉の、実に淡々とした会話の中に、獄寺の必死の叫びが混じる。二人の視線が同時に獄寺のほうを向く。
 その目には最早呆れを通り越した諦めがあった。なんかもう、こいつだからしょうがないな、みたいな感じ。

「…っていう人がいるからさ」
「死なせとけば?」
「夜中、出そうじゃない」
「確かにな! コイツは絶対、真夜中に「10代目〜」とか言ってさ迷うタイプだ!」

 あははは! と豪快に笑うのは山本の声。

「じゃあ、晴れの者にでもやらせれば?」
「あの人と二週間一緒にいる自信はありません」
「子牛は?」
「今はボヴィーノに行ってる」
「霧は」
「絶ッ対、い・や!」

 この嫌がりよう見たら、あいつ部屋で膝抱えて呪詛でも唱え始めそうだ…と雲雀は思う。
 結局君のワガママじゃないか。

「僕ならいいの?」
「他の人よりかは」
「殴るかもよ」
「避けますよ」

 ムカツク。ムカツク。
 何て笑顔だ。
 見慣れたはずの笑顔が、気に食わない。
 あの頃は笑えばいいのにと思っていたけれど、実際こんなにもイラつくものだとは思っていなかった。

「四六時中、君のそばにいろって? 冗談じゃない」
「そんなこと言いませんよ。雲は自由にあるべきで、その自由を奪う権利は誰にもないですから」

 足を組みなおす。
 彼の仕種は少し、自分に似ているかもしれない。

「俺があなたの近くにいるだけなら、文句はないでしょう、
 ―――雲 の 方 」

 雲雀は自嘲気味に口元に笑みを浮かべた。
 綱吉から視線を逸らす。

 雲の方、と最初に呼ばれたのは、いつのことだったか。
 獄寺のことは「嵐の方」と、山本のことは「雨の方」といったように、守護者をリングに準えて呼ぶようになった。
 思い出すのもバカらしいくらい昔のことのように感じるのに、未だに違和感だ。


―――俺、ヒバリさんといるのが、一番安心できます…。
   あっ、あの、これ、獄寺君とか山本には内緒ですよっ?


 雲雀はため息をつく。

「分かったよ。こいつらがいない間だけね。その代わり、途中で飽きた場合は降りさせてもらう。構わない?」
「ありがとう」

 笑顔でありがとうとは、何様のつもりだ。
 驚いた顔をして、本当に? と遠慮がちに訊ねて、最後は涙目で「ありがとうございます」と縋りつけよ。
 それが、君だろう?

 雲雀はすぐに、安請け合いなんかするんじゃなかったと、後悔することになる。






ツナヒバは女体化がほとんどになると思います。
っていうか、女体化はツナがするよりも、ヒバリさんがするほうが数倍萌えます。
次はエロ。多分エロだけ。男女エロ苦手な人はご注意。

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