飛べない鳥の終曲
目の前に転がるのは、喪服のように黒いスーツに身を包んだ男の、真っ赤になった屍骸だった。
太陽の匂いしかしなかった彼の身体に、血の匂いがまとわりつく。返り血などは浴びなかったので、恐らくにしてその匂いは抽象的なものだ。
拳銃を握る手が、未だ痺れている。そこを呆然と見つめ、やがてカタカタと震えだした。
「ああ、あ…ああああっ!」
殺した。
俺が、殺した。
彼の過去も未来も奪ってしまった。
誰かの親を、誰かの子を、誰かの兄弟かも知れず、誰かの恋人かもしれない人を、この手で殺めてしまったのだ!
壊れたように髪を振り乱して発狂する彼を、彼の右腕だといって聞かない男が抱きしめる。
いつもはからからと明るい、もう一人の男すらもその時ばかりは狼狽し、必死に彼を宥めていた。
その様を見て嫌な笑いを浮かべる、最も信頼できぬ最後の守護者。
そして、何を考えているのか分からない、けれども決して嬉しそうには見えない表情で、それでもなお「よくやった」と褒めた、彼の家庭教師。
みんなみんな、それぞれの反応をしていた。
その中で、ただ一人顔が見えない。
あの変態のように笑っているのか、駄犬やバカのように狼狽していたのか、赤ん坊のように淡々としていたのか。
そのどれとも違う気がするのに、他の表情を想像できない。
どんな言葉も届かなかった。
どんな優しさも響かなかった。
泣き叫んで、ごめんなさいごめんなさいと零し続けて。
その瞬間、全てがモノクロに見えた。
カラーで見えたものといえば、青い空。
そして、色がないはずの、彼の身体に染み付く血の匂いだった。
目を見開く。遠くで鳥の鳴く声を聞いて、朝が来たのだと分かった。同時に、夢を見ていたことも。
カーテンがばさばさと棚引くのを見て、窓を開けっ放しで寝てしまったのだと気づく。
「夢…」
悪夢だ、と呟きかけて、悪夢ではないことを思い出す。もちろん、いい夢なんかでは決してない。
これは悪夢でも何でもない、ただの一個の現実だ。悪夢のほうが数千倍マシだというものである。
ああ、そうか。あの夢の中でただ一人、表情が見えなかったのは、それが己だからだ。
己の表情は己では見えない。
自分はあの瞬間、何を感じていたのだっけ。雲雀は思い出せずに額に手を当てて不覚ため息をついた。
ふと、隣にぬくもりを感じて、僅かに眉を寄せた。まだ意識がはっきりしない。
視線を横にずらせば、よく見慣れた栗色の髪があった。眉を寄せたまま、目を見開いた。
そして、昨夜に何があったのか、というよりも何をしでかしてしまったのかをようやっと思い出して、雲雀は苦い顔をした。
別に「エッチをしたあとは、恥ずかしいの」なんて純情そうな、というよりは頭の悪そうな少女のような感情は持ち合わせちゃいない。
そんな可愛らしい女の部分は、きっと母親の腹の中にでも忘れてきたのだろう。忘れてよかったと思う。
「綱吉…」
寝乱れて頬に掛かる彼の髪を撫でながら、彼の名を呼ぶ。
かつて、一度とて呼んだことはなく、彼に抱かれながら―無理やり犯させながら―呼んだその名は、酷く自分の中に馴染んだ。
まるで、掛け算の九九を言うかのように、挨拶のように、その言葉は己の一部に溶け込んだ。
雲雀の声に反応するようにか、ぴくりと綱吉の瞼が震えた。窓から差し込む陽光をむずかるように受け止めて、ゆっくりと目を開く。
最初はぼんやりと。
やがてぱちりと目を開けて、それでもまだぼんやりする頭で周囲を見回した。
マフィアのボスだとは思えぬほどの、無防備な顔だ。この瞬間なら、すぐにでも彼を殺せるだろうと、やる気もないことを考える。
「あ…」
戸惑っている顔が可愛い、なんて思う自分に、雲雀は嫌気が差した。確かに彼を愛していることは認めたが、だからってこうも自分の意識が変わるのかと思うと、それは「恋をした」というよりも「自分を壊された」ような気がしてならない。
天井を見て、壁を見て、ベッドの柱を見て、それからようやく雲雀を見た。ぽうっとした目で、じぃっと雲雀の顔を見つめ、やがて大きく目を見開いて、弾かれるように身体を起こした。雲雀もそれに倣って、ゆっくりと身体を起こす。
「あっ…あの、え…と!」
彼も思い出したのだろう。カァッと顔を赤らめて、シーツを握り締める姿こそ、初体験のあとの少女のようで、雲雀は己との差に内心で笑う。
「おはよう、じゃないの」
「あっ、すみませ…っ! おは、おはようございます…っ、あの…」
おどおどと、伺うように雲雀を見上げる。
その姿がかつての彼を思い起こさせるようで、雲雀は懐かしいなぁと口元を緩ませた。その笑顔を何と受け取ったのか、びく、と綱吉は肩を跳ねさせて。
「あの、身体…つらく、ないですか? 痛いところとか、ないですか?」
綱吉が問う。
きゅ、と雲雀のパジャマの袖を掴んで、上目遣いに。
これは男心をそそるだろうな、と雲雀は彼の周りを取り巻くいけ好かない男たちを想像した。
それ以上に、綱吉の問いが意外で、怪訝そうに眉を寄せた。
「何で君がそれを訊くの」
「だって…俺……」
ひどい、こと…しちゃったから。
声にならない声で、恥ずかしそうに彼が言う。
ひどいことをしたのは寧ろ雲雀のほうで、綱吉は被害者だ、と雲雀は思っていたから驚いた。
そして同時に。
「君はこれを酷いことだと思うんだ?」
「え、だって…」
言いよどむ。視線が揺れる。
ひどいこと、と綱吉は言った。たとえ、自分の意志でなくても、しかけたのが雲雀だったとしても、綱吉はひどいことだと言ったのだ。
男を知る綱吉はそれを言う。男に抱かれながら、綱吉はいつもこれを酷いことだと思っていたのだろうか。
雲雀は、痛ましいことなのだろうと思うのだが、実際に胸が痛むことはなかった。それどころか、少しうれしくもある。
あの男どもは、綱吉の心まで犯していないのだ、と。
「ひどいこと、だね」
「あ…」
酷薄に笑んで、雲雀が言うと、綱吉は罪悪に顔を歪めて、泣きそうに俯く。
その頬をそっと掴んで、視線を合わせさせた。触れそうなほどに唇を寄せて、ふっと息を吹きかけてやった。
ぴくりと綱吉が震える。
「君は僕を犯しながら、いやだ、いやだっていうんだよ。全く、女に恥かかせる気?」
「ごめんなさい」
雲雀の声が、そう言いながらも怒ってなどいないことに気づいたのだろう。謝る声が、明るい。
世話の焼ける、と雲雀はため息をついて、ぎゅっと鼻を摘まんでやった。
「いたいです」
「痛くしてるんだから当然だろ」
「離して下さい」
「嫌」
摘み上げた鼻をぐいっと引っ張って己のほうに引き寄せると、雲雀はその唇に己のそれを重ねた。
目を開けたままのキス。
重ねたところから熱が生まれ、胸に広がって、全身がふわりと温かくなる。
もっと凄いことだってしたばかりだと言うのに、たかだかキスに何をときめいているのだ、と自嘲したくなった。
鼻をつままれた挙句に唇までふさがれて、苦しそうに呻く綱吉に、雲雀は重ねた唇で弧を描く。それが綱吉にも伝わったのだろう。
むぅっとちょっと拗ねたのが分かった。
舌を差し入れてやろうと口を開けた瞬間、逆に綱吉の舌がもぐりこんできて、今度は雲雀が驚く番だった。
綱吉の手が雲雀の後頭部にあてられて、主導権はすっかり綱吉に移ってしまう。
雲雀は悔しそうに顔を歪め、綱吉の舌を逆に絡めとろうとしたが、その舌に歯を立てられて、徒労に終わった。
「ん…っ」
諦めた雲雀が、ゆっくりと目を閉じて、綱吉のキスを受け止めようとした瞬間、ぷはっと艶のない息が零れて、綱吉の唇が離れた。
拍子抜けした雲雀が綱吉を見ると、綱吉はぷんっと怒ったように頬を膨らませながら、それでも悪戯げな視線で雲雀を見る。
「俺を殺す気ですか」
意趣返しですよ、と綱吉は言った。
ずっと摘まんでいた鼻が、ちょっと赤くなっている。それと同じくらい、もしくはそれ以上に、雲雀の頬も赤い。
「いっそ、死んでくれればいいのにね」
雲雀がふんと鼻を鳴らして言うと、綱吉はその言葉に驚くことも傷つくこともなく、ただ小さく笑った。
ふと時計を見やる。7時になる、少し前。
綱吉は少し考える仕種を見せてから、ベッドから降りると、勝手に雲雀のクローゼットを開けた。
男物のスーツがずらりと並ぶ。その中から、上着とシャツとズボンとを一式を適当に手にとって、手早く着込んだ。
あまり身長差はないものだから、違和感があるほどには、ダボつかない。
「さて。俺は今、あなたを起こしに来ました。いつもの朝です。そしたら、あなたはちょっとだけ寝坊をしていて、俺が部屋に入って初めて起きたんです」
独り言のように、雲雀に視線をくれてやることなく、綱吉は言う。それでも、雲雀に伝える意思があるのだと分かるくらいには、大きい声だった。
雲雀が怪訝そうに眉を寄せる。
くるり、と綱吉は振り返って、口元に指を立てた。
「そういう、設定ですよ」
クローゼットの中からもう一式取り出すと、それを雲雀に投げ渡した。雲雀はそれを受け取り、いかにも不機嫌そうな顔で綱吉を睨んだ。
「なかったことにする気?」
「うるさいのが、いるでしょう」
雲雀の疑心に満ちた声に、綱吉は緩く首を振って、苦笑した。
脳裏に浮かぶのは、冷たい声で何を考えているのか分からない表情をするくせに、妙に過保護なヒットマン。
雲雀に着替えを促して、綱吉は気を遣ったつもりなのか、部屋の外へ出ようとした。
その後姿に、思わず手が伸びる。
「綱吉…っ」
咄嗟に出てしまった声に、綱吉はきょとんと振り返る。
「何ですか、雲の方?」
雲雀は息を飲んだ。
また、そう呼ばれるとは思わなかった、というように。
耳の奥で、ヒバリさん、と呼ばれたあの声がリフレインする。熱の篭った声で、大切そうに縋るように呼んだ、あの声が。
雲雀はどこかへ落とされるのを感じて、伸ばしかけた手をゆっくりと下ろすと膝の上に置く。
「何でもない」
「…? 変なの」
大して気分を害したわけでもなく、翳った雲雀の表情を心配するわけでもなく、綱吉はちょっと不思議そうな顔をして、今度こそ部屋を出て行った。
恐らく、その扉の向こうで待っているのだろうけれど、遠くに行ってしまったような気がした。
ヒバリさん、ヒバリさん!
耳の奥で蘇るのは、今より少し幼い、変声期を終えたばかりのような少年の声。少し高くて、弾んでいる。
何。
素っ気なく問いかけるのは自分。
あの頃は全く意識していなかったけれど、足を止めて振り返ってやっていたのは、自分なりの優しさだったのかもしれない。
呼んでみただけです。
照れくさそうに笑う彼の頭を、軽く小突いてやった―あくまで雲雀比。綱吉の額は真っ赤になった―。
用も無いのに呼ばないでくれる。
君に、振り返った分の労力、返せるの?
あ、じゃあ、ヒバリさんの荷物持ちますよ。
それでいいでしょう?
僕の私物に触ろうっての?
いい度胸だね。
そう冷たく何度も言うのに、何度も呼んできた彼。
そのたびに同じことをいって、同じことを言われた。
いつからだろう、必要最低限の会話しかしなくなったのは。
名前を呼ばなくなったのは。
最初に、雲の方、と呼ばれたのは。
ボンゴレリングを受け取ったときは、まだ「ヒバリさん」と呼ばれていた。
イタリアへ来たばかりの頃も。
思い返していく記憶が、だんだんと赤く染まっていく。彼の笑顔がだんだんと曇り、ひび割れていく。
あああああっ!
つんざく悲鳴が頭の中に聞こえて、そのあまりのリアリティにハッと雲雀は思考の渦から一気に覚醒した。
今日の夢と同じ内容が、頭の中で再生される。
思い出した。あのときだ。
初めて綱吉が人を殺して、発狂して、精神がオーバーロードして、意識を失った。
その後、目覚めてからも暫くの間は、部屋に閉じこもって食事も摂らず、誰とも接触せずに塞ぎこんでいた。
駄犬がどんなに、甲斐甲斐しく食事を手に部屋を訊ねても、綱吉は何も言わず、部屋の戸が開けられることはなかった。
あの短髪のバット男が明るく振舞って励ましても、それは変わらない。
家庭教師も訪ねた。他の人らとは違って励ましも慰めもせず、書類の束を抱え「サボってる暇なんかねーぞ」と厳しく説教をたれたが、やはり同じこと。
変態は夜這いをかけたけれど、相手にされず、逆にこの男のほうが塞ぎこむ始末だった。こちらは誰にも心配されなかった―彼の二人の部下にすらも―。
あの時の綱吉の状態を、雲雀は皮肉を込めて「ボンゴレの天岩戸」と呼んでいる。
雲雀は最後の最後まで彼を訪ねなかった。優しく扱うことなんか出来なかったし、仮に出来たとしてもそれは嘘でしかない。かといって、何の反応もない相手をいたぶる趣味もない。
要は、彼が塞ぎこんでいることに興味がなかったのだ。今になって思えば、そう言い訳をして、彼の傷に触れることを恐れたのかもしれなかった。
「天岩戸」に隠れてしまった「天照大神」は、数週間の後、何事もなかったかのように部屋から出てきた。
ある朝、あの駄犬がいつものように部屋を訪ねたら、「はーい」と返事をしたのだ。
数週間、厳重に鍵の掛けられていた部屋の扉は嘘のように簡単に開いて、綱吉はその奥でスーツを着ていた。
ボンゴレのボスになっても、スーツはあまり着なかった綱吉がスーツを着て、少し伸びたしっぽ髪を結わいて、振り返ったのだ。
そしてふわりと笑った。
「おはよう、嵐の方」
このときからだ。
綱吉が守護者達を名前で呼ばなくなったのは。
躊躇いなくトリガーを引くようになったのは。
悪夢を己で乗り越え、彼は生まれ変わったのだと、誰もが言った。
手放しに喜ぶものもいたが、同時にそれを怪訝に思うもの、彼だけは変わらないで欲しかったと嘆いたもの、反応はそれぞれだった。
この瞬間、ボンゴレの10代目は、本当の意味で誕生した。
雲雀は今になって思う。
あのとき、弱小ファミリーの下っ端男に向けた銃声は、それ即ち沢田綱吉という一人の少年を殺したのだ。
ボンゴレの10代目を誕生させるための生贄だった。
後悔する。
自分が代わりに、咬み殺しておけば良かった。自分なら、笑顔で引き金に手をかけただろう。崩れ落ちる男を、嘲笑うことが出来ただろう。
後悔って、どうして先に出来ないのだろう、と頭の悪いことを考えて自嘲した。
雲雀の着替えは少し時間が掛かる。
大してあるわけではないが、放っておけば目立ってしまう胸を、出来る限り潰してシャツを着て、スーツを肩に掛ける。
昔、学生服に袖を通さずただ羽織っていた名残が、ここにある。
それから枕元に置いていたリングを指に嵌めた。いつもは中指に嵌めるそれを、今日は何となく左手の薬指に嵌めてみる。
少女のような戯れに、雲雀は人知れず恥ずかしくなって、慌てて中指に嵌めなおした。
扉を開けると、そこに綱吉はいなかった。
目を見開いて辺りを見回すが、誰もいない。雲雀はこの屋敷に住む際、ワガママを言って、屋敷のなかでも人のあまり寄り付かない部屋―悪い意味ではなく、ただ周囲に他の部屋が少ないだけ―にしてもらったのだ。だから、他の守護者や下っ端がやってくることは、雲雀に用がない限り、考え難い。
「綱吉…? 綱吉!」
声を張り上げて呼ぶが、返事はない。
これで、行き成り後ろから脅かされでもしたら殴ってやろう、とトンファーを持つ手に力を込めて注意を払うが気配すらない。
本当にいないのだとわかって、トンファーを収めた。
何かあったのだろうか、どうしたのだろうか、と思って、雲雀は首を振った。
心配する必要がどこにあるのか。
子供じゃないのだから、いなくなったくらいで何を騒ぐ必要があろうか。それでなくとも、彼はもう、ダメツナではないのだ。
どうせ、トイレか何かだろう。
雲雀はそう思って、ため息をついた。せめて、一言くらい言っていきなよ…と呟いた。
それから半日、彼の姿を見ることはなかった。
「ヒバリ、ボスはどうした」
リボーンが問う。
声を掛けられて初めて、自分の背後の机の上に座っている少年に気づいた。不覚である。
一瞬止めた、資料を本棚に仕舞う手を、再び動かし始める。
ふと、そういえば「ボンゴレの天岩戸」以来、綱吉が守護者を名前で呼ばなくなったように、綱吉を名前で呼ばなくなった部下も多いことを思い出した。
たとえば、今この場にいるリボーンだって、その一人だ。
「何で僕に訊くの」
「おまえ、今、ボスの護衛じゃねーか」
「護衛って言ったって、彼が僕にひっついて回ってるだけで、僕は守ってるつもりも何も無いよ」
「じゃあ、なんでアイツはお前のそばを離れた」
「さぁね。飽きたんじゃないの」
興味なさげにため息をつく。
ばさり、と資料の束が腕から零れ落ちた。チッと舌打ちをする。さりげなく動揺している自分に気づいたからだ。
拾い集めようと腰を屈めた瞬間、ゴリ、と後頭部に冷たくて堅いものが押し当てられた。
「ふざけるなよ、ヒバリ」
「そんなにご心配なら、どうして君が彼の護衛につかなかったんだい?」
「俺は守護者じゃねーんだよ」
「負け惜しみ?」
リボーンの銃には、確実に弾が込められているだろう。死ぬ気弾でも小言弾でもない、本当の殺人のための実弾が。
それでも雲雀は、飄々と答える。
拾い集めた資料をトントンと床で整えて、何も無いかのように立ち上がる。今度は銃が腰に押し当てられた。
「昨夜から一緒にいたんだろう」
「…何ソレ。旦那の浮気調査する見っとも無い妻みたいだよ」
リボーンの遠まわしの確信を、雲雀は否定しなかった。
綱吉が作った「設定」など、恐らくこの悟りきったような子供には通じないと分かっていたからだ。
そういえば、昔から綱吉は嘘が下手くそだった。思い出して、クスリと笑う。背中に押し当たる銃の感覚が鋭くなる。
「…君も、あの子を犯したクチ?」
ピク、とリボーンの手が揺れたのが、銃越しに伝わる。
これはいいネタになりそうだ。
同時に胸が痛んだ。自分の知らない綱吉を知っているのだ、この子どもは。ついこの間まで、赤ん坊だったこの少年は。
憎たらしい。
憎い。
殺したい。
でも、優越感もある。
自分は彼に抱かれたのだ。彼の本意ではなかったかもしれないが、誰もが愛する男の、最初の女になれたのだ。
誰にも譲れない。雲雀は口元に弧を描く。
「あの子の感じてる声、やっぱりイイの? 腰くねらせて、もっとって言うの? それとも、泣きながら懇願する―――」
雲雀の言葉は最後まで紡がれない。
耳を引き裂くような銃声の直後、頬を冷たいものが掠った。つぅ、と赤いものが伝う。
目の前の資料に穴が空いて、「あーあ、貴重なのに」とのんびりと言った。
リボーンが殺気立つ。
「負け惜しみはおまえだろ、ヒバリ」
「何が」
「おまえじゃ、アイツは抱けない」
カッと雲雀は条件反射のようなスピードで振り返って、トンファーを彼の頭に繰り出した。
拳銃が盾になって、ガキィンと音を立てる。
「何が言いたいの、子供」
「おまえが一番分かってんだろう、女狐」
「………」
「………」
暫くの睨み合い。
お互いに力を抜かないから、トンファーと拳銃が鬩ぎあってギチギチと音を立てた。
その均衡を破ったのは、リボーンの携帯電話だった。流行りものの、アップテンポな―悪く言えば間抜けな―曲が流れて、雲雀は目を見開き、リボーンは眉を寄せた。
「Sciocco!(あのバカ!) 勝手に人の着メロ変えやがって!」
電話をそのまま叩き付けそうな勢いで取り出して、乱暴にボタンを押して耳に押し当てる。片手で、銃は雲雀に向けたまま。
雲雀は興ざめしたとばかりに欠伸をした。リボーンが銃を構えてるうちはトンファーを収めることは出来ないが、それでももう殺気も闘気もなんだか失せた。
それよりも早く、綱吉を探したい、という意識が働く。
「ボスか」
リボーンのトゲのある声に、雲雀は目を見開いた。
それをチラリとリボーンが横目で見て、銃を収める。雲雀もトンファーを下ろした。
少年の電話口の向うから聞こえてくる、微かな声に耳を傾けた。確かに男にしては少し高めのあの声は、雲雀のよく知るものだけれど、何を言っているのかまでは聞き取れない。
「あ? 知るかよ、それは俺の管轄じゃねえはずだ。それより、おまえはどこにいる」
リボーンが苛立たしげに、収めた銃を指先で弄びながら問う。携帯を持つ指先が軽く動いて、数度ボタンを押した。
すると、電話口から聞こえてくる声がだんだんと大きくなっていく。
『エンポリの郊外にいるよ。もうすぐ帰るから、そんな怒んなよ、リボーン』
そう、耳が捉えた。
刹那雲雀は駆け出していた。リボーンは相変らず電話の向こうに文句を言っているようだ。しかし、雲雀にはそんなものは関係なかった。
エンポリの郊外にいるよ、と言ったくせに。と雲雀は恨めしげに己のボスを見やる。
家庭教師との電話を終えたのだろう。携帯電話を閉じて、ポケットに仕舞おうとしている綱吉がいた。
ボンゴレの屋敷のどでかい敷地の、どでかい門の手前だった。
「あ、雲の方。ただいま」
「なんのお戯れですか、ボス」
にっこりと笑って、リボーンの苛立ちも雲雀の焦燥も知らぬかのように幼く言う綱吉に、雲雀は精一杯の誠意を込めて嫌味ったらしく睨みつけながら言ってやった。
綱吉はぷらぷらと取っ手のついた紙箱を、雲雀の前にぶら下げる。
「ほら、エンポリにおいしいケーキ屋さんあるでしょう? 急に食べたくなっちゃって」
「いつもなら部下に頼む君が?」
「だって、嵐の方も雨の方も雷の方もいないし、晴れの方に頼んだらケーキが原形とどめてなさそうだし、あいつには頼んだら一服盛られそうだし」
「君の部下はそれだけ?」
「他の部下は呼びに行くの面倒だったし」
「ねえ」
「気がついたら、足が飛び出してたんですよ」
雲雀は自分がいらだっているのを感じた。
己の名が最後まで出てこなかったことが、腹立たしいのだ。
綱吉は笑ったまま、一緒に食べましょうか、と言った。
「いらないよ。それこそ一服盛ってあるんじゃないの?」
「あっ、それならいいですよ。俺一人で食べますから! 雲の方にはあげません!」
つん、と拗ねてそっぽを向く姿は、幼い子供のよう。
まだ幼かった―と言っても10年ほど前のことだが―頃にすら、見ることは出来なかった表情だ。
綱吉は見せ付けるように、目の前で箱を開けて、指で摘まんでふわふわのスポンジを口に運ぶ。手についたクリームをぺろりと舐めた。
美味しい、と口元をほころばせる姿に、苛立つのもバカらしく思ってため息をつく。
「せめて部屋で食べなよ、汚い」
「いいじゃないですか」
「とりあえず、中、入りな」
雲雀は綱吉が後をついてくるもんだと思って、踵を返した。
けれど、ちっとも後ろから足音が聞こえてこないものだから、訝しげに振り返った。
「ここで、食べたいんです」
そう言って、座り込む。
雲雀は眉を寄せて目を眇めた。
一瞬、綱吉の笑顔に違和感を覚えたけれど、すぐにその違和感は消えた。自分は綱吉のように、ボンゴレのボスのように、超直感なるものは持ってはいない。気のせいだろう。と願望を込めて思った。
そして、逡巡しため息をついて、綱吉の持つ箱の中に手を突っ込んだ。苺を手にとって、クリームを絡めて先端を口に含む。
「あ、苺! とっといたのに!」
「そういうのを、横からとるのが好きなんだよ、僕は」
くすくすと雲雀が笑う。綱吉はむぅっと膨れながら、雲雀の服をぎゅっと掴んだ。そして背伸びをして唇を寄せる。
雲雀が苺の先っぽをかじる反対側を、綱吉の唇が挟んだ。そして、かぷりと苺を半分ほど奪っていく。
ぺろ、と舌を見せて笑った。赤い舌の上に、赤い苺。
「俺の勝ちですよ」
そういって、苺を飲み込む姿を見た雲雀は、無言で綱吉の頭を軽く―あくまで雲雀比―小突いた。
綱吉は大げさに―それでも雲雀が小突いたのだから、本当に痛かったのだろう―痛がって見せて、雲雀に文句を言いながら、そして最後に笑った。
眩しいなぁ。
彼の笑顔を見て、空を仰いだ。
瞬間、目を見開く。人より数倍鋭敏な感覚が、ほんの僅かな無機質な殺気を捉えたのだ。
何かが視界の端で光った。
それが何だと思うまでもなく、ハッと向いた先に、遠隔操作型の銃がこちらを向いているのを見つけた。
こちら、というよりも綱吉を向いている。
「君、つけられたね」
ボスのクセに自覚が足りないんじゃないの?
そう責めて、トンファーを構える。
敵の本体も近くにいるはずだ。
ほんの僅かな殺気を捉えて、そちらを振り返った。
駆け出そうと地を蹴ったところで、綱吉の手が雲雀のトンファーをそっと掴む。
「…何」
雲雀が問う。
綱吉は困ったように薄く笑って、首を緩く振った。
そして、こちらに向けられた銃の方向を振り返って、大きく腕を開く。さぁ、的はここだよ、と言わんばかりに。
「つなよし……」
雲雀の呟きは、空を劈く悲鳴のような銃声に掻き消された。
今日という日の空が、こんなにも青いのは。
ひとつだけ雲が浮かんでいるのは。
風も、雨も、霧も、いかづちも、太陽すらも見えないのに、雲だけが見えるのは、何かの皮肉なのでしょうか。
神様。
べしゃり、と血の海に雲雀は膝を付いた。
目の前で華奢な人型の肉塊が斃れている。綱吉を狙った弾丸は、彼の心臓の左斜め上を貫通したようだ。
即死に至らなかったのは、幸いなのか不幸なのか。
「……バカじゃないの」
「自分でも、そう思います」
雲雀の無感動な声に、綱吉の力のない笑が零れる。ははっと息を吐いた瞬間、血が口から噴出した。
自分がこんなにも冷静な声を出していることに、雲雀は心底驚いていた。頭の中では、ぐゎんぐゎんと何かが五月蠅く鳴り響いて、眩暈がするなのに。
「喋ると死ぬよ」
「喋らなく、ても、死にますよ」
出血が酷い。
雲雀は冷静な声だけれど、酷く惑乱しているのが自分でも分かって、何をすれば良いのかが分からない。
出血が酷い。このままでは死んでしまう。
どうしよう、どうしよう。
「ボンゴレの、ね、檻から…出たかったんです」
「…だから、わざと撃たれてやったっていうの?」
「今日だって、分かってたから」
いつだったか。一ヶ月ほど前だったか。
不意に予感がして目が覚めたのだ。
自分は、もうじき死ぬのだと。
それを無感動に予感して、恐怖も焦りも何も感じなかった自分に気づいて、それ以上に安堵を感じている自分に驚いた。
そして、その予感が確信に変わったとき、綱吉はひとつの決断をしたのだ。
「だから…獄寺君と山本は…追い出したんだ」
彼らはきっと、命を張って俺を守ってしまうから。
そんなの、ダメだから。
だから適当に用事を言いつけて、二週間の出張を命じたのだ。
久々に、彼の口からその名を聞いた。
「ヒバリさん、といると…安心するなぁ……」
だって、俺を命懸けで守ろうなんて思わないでしょう?
雲雀は目を見開く。
自分だって、守りたくないわけじゃない。守りたかった。命を懸けてでも。
でも、それを気づいたのは皮肉にも綱吉と身体をつなげたあの瞬間、昨夜のことだ。
「綱吉。綱吉…君はどこまで自分勝手なんだい。僕を君の茶番に巻き込んでおいて、勝手に死のうって言うの?」
「ヒバリさん、もう自由です。俺も、ヒバリさんも」
叱責する己の声に力がない。
クス、と綱吉が笑って、真っ赤になった手で雲雀の頬を撫でた。
「あー…手が真っ赤だ…。殺しすぎちゃったからかな」
ぽろぽろ、ぽろぽろと、雨も降っていないのに透明な雫が落ちて、地面を濡らす。
綱吉の涙だ。笑いながら、自嘲しながら、綱吉は泣いた。
「それは君の血だよ…」
そして同時に、雲雀の涙だった。音もなく、声もなく、静かに落ちるそれに、綱吉も雲雀本人ですら気づかない。
赤いのは綱吉の血。君は、殺しても殺しても、綺麗だった。
本当の血のにおいと言うのは、自分の身体から匂うそれのことをいうのだ。
「ヒバリ、さん…」
コフッ。鮮血が、湧き出る泉のように綱吉の口から溢れ出る。
「最後のお願いです。俺を、撃ってください」
「撃たなくても、どうせ死ぬだろ」
「でも、撃って…くだ、さい…」
雲雀は綱吉の手を握った。
ぎゅっと抱きしめる。痛みを通り越した息苦しさに、綱吉は喘いだけれど、雲雀は腕の力を抜いてやらなかった。
綱吉のスーツの裏に収まる銃を取り出して、抱きしめたまま、その先を後頭部に押し当てた。
ああ、と綱吉が声を漏らす。
「雲は、空がいなきゃ存在しないんだよ」
「…ヒバリさ、んは、空から開放された、鳥だよ」
「鳥は、空がなきゃ飛べないよ」
「飛ばない鳥も、いま、す…」
「飛ばない鳥は、ただの食料だ」
「あはは…っ、ふっ、う…ヒバリさんらしい」
グ。
押し当てられた銃に力が篭る。
綱吉は瞳を閉じた。
「綱吉は、僕の心臓なんだ…君が死んだら、僕は生きていけない」
「あなたの心臓は、生きてる」
綱吉の手が、雲雀の腹部をそっと撫でた。
雲雀は目を見開く。綱吉は最後の瞬間を迎える花のように、笑う。
「ヒバリさんは、俺の、精神、だった…。ねえ、ヒバリ、さ…っ」
撃って。
もう、声にならない声で、綱吉が呟いた。
雲雀は初めて、殺したくないと思った。
いつだって、殺しは快楽で、スポーツのようなもので。銃声も弾が風を切る音も好きだった。
それでも、トリガーに力を込めたのは、この人の命を、他の誰かに間引かせたくなかったからだ。
自分が殺さなきゃ、いけないのだ。
雲雀は力を込めた。
ヒバリさんの銃は、いつだって優しい。
凶器が、殺人道具が、まるで子供あやす揺りかごのようだ。
お疲れ様、って、もういいんだよ、って、言ってくれてるみたいなんだ。
だから、いつもヒバリさんに撃たれる人を見ながら、嫉妬してた。
いいなぁって思ってた。
自分も、この人の手で死にたかった。
きっとあなたを苦しめる結果になるんでしょうけれど。
獄寺君。
山本。
了平さん。
ランボ。
変態野郎(名前は、悔しいから呼んでやんない)。
リボーン。
ヒバリ さ ん …。
「みんな……大好き……」
「…―――ッ」
蒼空に響く銃声。
貫かれる脳天。
どさり、と最後の力を失う。
「今まで辛かったね。お疲れ様…綱吉…」
雲雀は腕の中で、人形のようにクタリとした身体を抱き占めて、声も出さずに泣いた。それでも笑みを浮かべて。
遠くから、人の駆け寄ってくる足音がする。
黒尽くめの少年だ。血相を変えて走ってくる。遅いよ、遅い。この雲の流れよりも、遥かに遅い。
「ツナ!!」
リボーンが叫ぶ。
彼が己を守る、獄寺や山本を追い出しておきながら、最も過保護で、ある意味一番厄介な彼を残したままだったのは、綱吉なりに何か考えがあったのだろうか。
自分だけでよかったのになぁ、と雲雀は思う。いや、この場に…という意味だけではない。いっそ、世界に二人だけでよかったのに。
「ヒバリ! おまえ…自分のしたことが分かってんのか」
「綱吉は、笑ってたよ。笑って、僕も綱吉も自由だって、言った…」
綱吉の魂の抜けた肉体を抱きしめて、頬を寄せる。だんだんと冷たくなっていった。
リボーンが、ゆっくりと銃を持ち上げた。
「とりあえず、ツナを返してもらうぞ」
「返す? 何に? 君たちのほうが、略奪者だろう?」
この身体は返さない。
抱きしめる腕に力を込めて、雲雀は己よりも幾分小さな身体を持ち上げた。
細くて力を入れたら折れそうだと思っていた彼の身体は、意外に腕にずしりと重みを齎した。それは、完全に脱力しているせいなのか、それとも彼の身体に男らしい筋肉が少しでも付いていたからなのか。
恐らく前者なんだろうなぁ、と思いつつ、けれども細くても確りした彼の腰の感覚が後者の可能性を否定しない。
「綱吉は、この下らない鎖から解放されたんだよ。もう、誰にも彼を縛らせない」
そして、この子も。
雲雀は自分の腹に指で触れた。
滑るように穏やかなその仕種を目敏く見咎めたリボーンが、眉を寄せた。銃口の先が、雲雀の額からゆっくり降りて、リボーンの視線と共に、雲雀の腹で止まった。
「アイツの子か」
「だったら何」
「チッ、面倒くせえ。お前を殺すわけにもいかねーな。それは大事なボンゴレの11代目になる」
「冗談じゃない。この子を君らにくれてやるつもりはないね」
本当はまだ、この身体に眠る息吹など感じない。
けれど綱吉が「いる」といったのだ。最後に遺したもの。
たった一回の契りで孕んでしまったのは、死を予感した綱吉の子孫を残さねばという本能だったのだろうか。
そう思うと、笑ってしまう。何が悲しくて、わざわざ鎖に縛られるための子を遺さねばならないのだ、と。
綱吉はきっと、そんなことは望まない。
「悪いけど、僕はボンゴレを抜けさせてもらう」
「許されねーよ。お前の腹に、それがいる限り」
「指でもつめればいい?」
「生ぬるいジャパニーズマフィアと一緒にすんなよ」
「あーそうか。そういうこと。…――君を、殺せばいいわけだ」
「違うな。お前がここに残ればいいんだよ」
雲雀は綱吉を撃った銃を構える。胸糞悪い言い方だが、この腹の中にいる綱吉の忘れ形見は、体のいい人質になる。
この子どもが雲雀の腹にいる限り、リボーンは雲雀を殺さないだろう。
リボーンは、手元で銃をくるりと回して弄んだ。
「今更、おまえがカタギに戻れると思ってるのか」
「戻れないだろうね。でも、この子は違う」
「お前の子なのに?」
「綱吉の子だからね」
これはきっと女の勘。
綱吉にも、ボンゴレの血でも分からない、母親の勘。
きっと、真っ白な子供が生まれてくる。
父親に良く似た、真っ白で優しく、そして空のように美しい子供。
リボーンはゆっくりと銃を持ち上げた。その先には、雲雀ではなく綱吉がいる。雲雀は目を見開いた。
綱吉を抱きしめる腕に力が篭る。庇うように身の内に引き寄せた。しかし、神童と呼ばれた至高のヒットマンの銃の照準は、寸分違わず綱吉の頭を狙っていた。
「命と自由はくれてやる。ただし、その中にいる11代目と、ツナの身体と交換だ」
「それは取引とは言わないね。この子は僕の一部で、綱吉は僕の心臓だ。それをくれてやるくらいなら………」
「死を選ぶ、とでも言うか?」
言いかけた。
確かに、リボーンが揶揄するように続けたその言葉を、雲雀は言おうとした。
けれどそれを、すんでのところで飲み込む。
今度こそ、守るために。
雲雀は綱吉を庇ったまま、リボーンを睨みすえた。たかだか子供を睨むのに、精神が削られる。
ストレスは妊婦には良くないというのに、と外れたことを少し考えた。
リボーンは雲雀を冷たく見下ろしていたが、やがて銃を下ろしてため息をつく。見逃してくれたとは雲雀は思わない。リボーンの殺気は消えないままだ。もっとも、リボーンの身体から殺気の滾らない瞬間を感じたことがないので、それは彼の体臭のようなものなのかもしれないが。
リボーンの銃が空へ向けられる。
一発。
二発。
三発。
四発。
五発。
そして、六発。
真っ青な空に、硝煙が立ち昇る。
空っぽになった銃をガラン、と地面に投げ捨てた。そして、今にも咬みつきそうな猛獣の如く警戒しながらも、雲雀は怪訝そうにリボーンを見る。
リボーンは、そんな雲雀を押しのけて、綱吉のスーツの上着を脱がすと、わざと踏みつけ汚し、ライターで半分ほどを炭にした。
雲雀と綱吉のボンゴレリングも取り外して、器用に焦げ目を点ける。
「雲雀恭弥は、ボスを庇い、全身を撃たれ死亡。しかし、ボンゴレ10代目も銃で撃たれたのち、二人は身体に火をつけられ、遺体の確認できず」
淡々と、独り言のように、けれども雲雀に聞こえるような声量で、リボーンは言った。
振り返って、笑う。
「そういう、設定だ」
―――そういう、設定ですよ。
リボーンの笑顔に、彼の笑顔を、言葉を重ねる。
雲雀は目の奥がツンと痛んで、何か人に見せてはいけないものが零れ落ちそうになるのを感じて、天を仰いだ。
そして、嗚咽がこぼれる前に、笑ってやった。
「あは…っ、は…! 揃いも揃ってバカな師弟…っ!」
下手くそな嘘。
きっと、誰もが見破るに違いない。けれど、反論なんか銃声で掻き消されるのだろう。
雲雀はその様を思い浮かべただけで、一生分、笑い溜めが出来そうだった。
リボーンが舌打ちをする。
「死人が何でこんなところに居やがんだ? 除霊されてーか」
「勝手に人を殺しといてよくいうよ」
雲雀は綱吉の身体を抱いたまま、立ち上がった。
そして、リボーンに背を向けて歩き出す。
「これから、どうするつもりだ」
「そうだなぁ、髪でも伸ばそうかな。それからスカートもはいてみるよ」
「分かっててとぼけるな。どこいくつもりだ、と聞いてんだ」
「亡霊は、思い入れの強い場所に出るものだよ」
「……ジャッポーネに帰るのか」
そこで見せてやろう。
自分と彼の愛した景色を、最も愛した歌を子守唄代わりに聞かせてやって、血とは無縁の世界でこの子だけでも。
「もう、二度と会うことはないだろうね」
「次会うとしたら、それは多分、あの世だ」
「バカ。君は地獄行きだろ。僕と綱吉は天国だ」
「お前も、地獄だろ」
「蜘蛛でも助けておくよ」
クスクスと揶揄する雲雀は、もう常のものだ。
ただ、血に濡れた身体を抱きしめて、いとしそうに見つめるそれ以外は。
リボーンはそんな雲雀を直視することが出来なくて、相変らず視線で拳銃を弄っている。けれど、それが雲雀に向くことはないだろう、と雲雀は確信を持っていた。
空を失った雲は存在できない。
空を失った鳥は永久に飛べない。
空を失っても、人は心臓を失わない限り、呼吸が出来るのだ。
案外、地球上で最も図太い生物は人間かもしれない。
歩き始めた足を、すぐに止めて、振り返る。
「あ、そうだ。君のB級映画並みの設定にひとつ訂正。雲雀恭弥は、10代目ボスを守ったんじゃない。
―――沢田綱吉を、守ったんだ」
捨て台詞のように言い切って、彼はもう振り返らなかった。
リボーンは滅多に崩さない表情を僅かに驚きに変え、バーカと口の動きだけでその背中に向けて言ってやった。
緑たなびく並盛の
大なく 小なく 並みがいい
子守唄が聞こえた。
飛び立つ鳥への、ファンファーレ。
END
終わったデス。
前半のラブラブと乙女なヒバリさんとリボーンとヒバリさんのやり取りとケーキのエピソード(多すぎだ)は考えてなかったので、書きながら読者の気持ちでした。
ツナが屋敷の一歩前でケーキを食べたのは、ボンゴレから一歩でも出たところで最後を迎えたかったからです。(という補足を文章内に入れたくて出来なかった…OTL)
この連作のノルマ。
・生理中雲雀
・守護者の名前を呼ばないボンゴレボス様
・女王ツナ
・雲雀の部屋の外で寝るツナ
・ツナヒバ♀エロ
・それでもツナは受け属性
・雲雀に無理やりされたのに「身体辛くないですか」と訊ねるツナ
・霧の人(一度も登場しないのに、凄く目立つ)
・天岩戸
・綱吉は僕の心臓だった
・飛ばない鳥はただの食料だ
・ヒバリさんの銃は優しい
・校歌を歌って去るヒバリさん
以上。
かなり長いので、読んでくださった方もお疲れでしょうが、書いてるほうはもっと疲れてますから(笑)。半嘘。
書くよりタグ打ちで地獄を見ました…OTL
いや、あの、お付き合い有り難う御座います。
戻る