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2月17日(木) 【慌ただしい出発でした(^^;)】 |
慌ただしい出発でした!。 |
2月18日(金) 【終日慰霊碑・慰霊塔巡りを行いました】 | ||||||||||||||
今朝は少しゆっくりめに起床しようと、意図的に目覚ましコールの設定をせずに昨夜はベッドに入りましたが、今朝は6時30
分に目覚めました。 新聞記事の切り抜きに掲載日時を記載しておかなかったのは失敗でしたが(^^;)、たしか二年ほど前の記事だったと思います。 ■読売新聞記事(日付不明)■
ボランティアの方々が熱心に慰霊塔などで清掃作業をしています 私も毎年毎年沖縄を訪れてはいますが、訪問した慰霊碑や慰霊塔はごくわずかな数でしかありません(^^;)。 人類の長い歴史の中で、戦争は際限なく繰り返されてきました。 …………………………………………………………… 私たち一般市民に出来る事!。戦争を回避す手だてに少しでも貢献する可能性があるものとして、この“戦争には悲惨な殺戮が必ず伴うという現実を後
世に伝える”という事ではないでしょうか。
『白梅の塔』の全景です
『白梅の塔』の碑文
戦没者の掲示
壕入り口から底部を見下ろす 壕は横に長く伸長しています
最初に訪れたのは『白梅の塔』でした。
『魂魄の塔』の全景です
『魂魄の塔』の碑文
『魂魄の塔』の碑文
『魂魄の塔』です。
『沖縄陸軍病院之塔』の全景です
『沖縄陸軍病院之塔
『沖縄陸軍病院之塔』の碑文
壕内の様子 それ程広くないことが解ります
『沖縄陸軍病院之塔』です。
『開南健児の塔』の全景です
戦没者の掲示
『開南健児の塔』です。
『ずゐせんの塔』の全景です
『ずゐせんの塔』の碑文です
戦没者の掲示
『開南健児の塔』です。
『南冥の塔』の全景です 左手奥に壕が見えます
『南冥の塔』の碑文です
塔の由来の解説
塔横にある自然壕 中は意外と狭い空間でした
『南冥の塔』です。
『風部隊之碑』の全景です
『風部隊之碑』の碑文です
塔の由来の解説
戦没者の掲示
『風部隊之碑』です。
『沖縄工業健児の塔』の全景です
戦没者の掲示です
『沖縄工業健児の塔』です。
『韓国人慰霊塔』の全景です 半円型に組まれた石は韓国各地から持ち寄ったもののようです
日本語で書かれた碑文です 朝鮮文字、韓国文字、日本語、英語の四種類の掲示があります
『韓国人慰霊塔』です。
『群馬之塔』の全景です
碑文です
碑文の続きです
『群馬の塔』です。
『南北の塔』の全景です
碑文です
『南北の塔』右手にある壕です 米軍の攻撃を受けて地元の住民や兵隊さんが多数無くなりました
『南北の塔』です。
『八重瀬の塔』の全景です
『八重瀬の塔』です。
『白梅学徒病院壕』の全景です 私が手向けた献花が心なしか悲しそうです
白梅学徒看護隊や壕について解説している案内板です
壕近くの岩陰が火炎放射器により攻撃などで今でも黒ずんで見えます
壕内の様子です 奥が深くかなりの人数を収容出来たようです 米軍による攻撃によるものか壕内はススで黒ずんで見えます
『白梅学徒病院壕跡』です。
『富盛の石彫大獅子』の全景です
『富盛の石彫大獅子』の案内板です
『富盛の石彫大獅子』です。 昼頃まとまった雨が降り、以降断続的に小雨交じりの天候の中、出来る限りの急ぎ足で各慰霊塔を巡って参りました。 |
| 2005年 |
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2月19日(土) 【深さ15メートルの縦穴壕内部を探索しました】 | |
今朝は5時10分に起床しました(^o^)。
朝の打ち合わせの最初に摩文仁の丘に向かって御祈念をします
山裾に設置される事が多い沖縄独特の亀甲墓です
目指す縦穴壕は草むらの一角にありました 穴の一部が見えています
フタを撤去して壕の中をのぞいた様子です 深さ6メートルぐらいです
直径60センチの大きな石を除けないと壕の底には到達できません(^^;)
何とか石を破壊し笑顔がこぼれました(^o^)
二段目の縦穴部を降りようとしているロンさんです
ロウソクを灯し酸欠などをチェックしながらの作業です
鍾乳洞と同じですから巨大な“つらら”がたくさん見られます
長さ15メートル程でこの壕は行き止まりである事が判りました
御遺骨を発見しました 爆風に飛ばされたのか狭いところに入り込んでいます
あちこちに四散しており慎重に探して集めました
皆でミニ慰霊祭を執り行いました
個人の庭の一角にこのような自然壕が多数存在します
咲き誇る花はこぼれ種により増えたインパチェンスと思われます
友達のように仲の良いロナルド・ロン・フーラさん親子です 遺骨収集に対する真摯な行動には頭が下がります
「大変な作業だったね!」と皆で笑い合いました
雨により雨合羽が真っ黒に汚れてしまいましたよ(^^;)
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2月20日(日) 【激戦が展開された具志頭の海岸線を探索しました】 |
今朝は5時に起床しました。
今は静かな遠浅の海岸線には巨岩がゴロゴロしており独特の景観です
今日の探索地域の山肌に向かって朝の御祈念をしました
車から降りて身支度の最終チェックなどをしていると、すぐ横に地元の方2人が乗った乗用車が停車していましたが、私に声
をかけてきました。
この海岸線で御遺骨を見たという地元の人の説明を聞いています しかし、沖縄の言葉も含まれており、今ひとつコミュニケーションがとれません(^^;)。
白く見える御遺骨は今も残る『風葬』により埋葬されたものです 瓶が 見えますが戦前のもので割れずに残っているのは非常に珍しいですね この海岸沿いの岩場は大きな岩などが連なり複雑な隙間を作り出しており、人が隠れられる空間は無数にありました。
海岸線には隠れるのにはもってこいの壕が無数にありました
艦船から発射された大きな砲弾の一部です (白いゴミ袋に広げています)
手榴弾も何個か見つかりました その他兵隊さんの遺品もありました 皆でかなり広範囲の探索を行いましたが、風葬の場所から発見された御遺骨以外は発見されなかったようです。
不発弾のようです 爆発と同時に四散すべき小さい弾丸がたくさん見られます
弾丸が岩肌にめり込んでいます 凄い貫通能力を感じました 突き刺さった鉄玉を抜こうと試みましたが、錆びていることもあり容易に抜き取れるものではありませんでした。
明らかに日本軍の陣地を構築した形跡が残る岩陰です 話がそれますが、ロンさん親子の遺骨収集に対する真摯な行動力には心から感心します。
雨で泥んこになりながらの作業でした 全身泥だらけです(^^;)
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