平成22年(2010年)沖縄遺骨収集奉仕活動
- 2月12日(金)沖縄に到着/ 午後情報収集および準備作業開始
- 2月13日(土)初日に把握した海岸に至るまでのルートの両側を調査
- 2月 14日(日)摩文仁の踏破が可能な西側周縁部を調査
- 2月15日(月)直線的に海岸まで出てそこから西側を調査
- 2月16日(火)雨により 「糸数アブチラガマ」 慰霊、斎場御嶽と玉泉洞見学
- 2月17日(水)那覇市在住の国吉氏の情報提供により複数箇所を一緒に調査
- 2月18日(木)雨により平和の塔・具志側川城跡見学、午後摩文仁の放置ゴミ調査
- 2月19日(金)国吉氏、吉井氏と共に摩文仁で調査、夕方から轟壕内部調査
- 2月20日(土)第37回 金光教沖縄遺骨収集奉仕参加
- 2月21日(日)第37回 金光教沖縄遺骨収集奉仕参加
- 4月28日(水)摩文仁清掃奉仕 (準備作業)
- 4月29日(木)摩文仁清掃奉仕
2月15日(月) 直線的に海岸まで出てそこから西側を調査
いや~~昨晩は凄かったですよ。嵐と呼ぶに相応しいぐらい風雨共に強かったです。もしかしたら夜半に前線が通過したのかもしれません。
その嵐の名残で、朝6時起床で外へ散歩に出かけましたが、強くはありませんが雨が降り続いていました。雨に濡れてもなんですから、外の天候がどうなっているのかを把握したらサッサとホテルに帰りました。
テレビの天気予報を見る限り、本日もずっと雨という厳しいご託宣でしたが、奇跡が起こったのか幸いに宿を出発する頃には雨も止んでくれました。ヤッター。ラッキー (^o^)。
今朝はジャングルに入る前に、昨年の参加記1月20日(火) のところでも紹介しました、昨年 1月14日糸満市小波蔵で発生した、不発弾爆発事故現場を一年ぶりに訪ねてみる事にしましたよ (^o^)。
陸上自衛隊の調査結果によりますと、爆弾は250キロ爆弾で、沖縄戦当時、爆撃機が落としたもので、県内各地で同種の不発弾が数多く見つかっているといいます。
大きさは直径約35センチ、長さ約120センチで、米国製であることが判明しています。
あの激しい爆発を伴った現場では、幸いに死者は発生せず二人の重軽傷者が出ただけという、最悪の事態を思えば胸をなで下ろすレベルで済みましたが、米国製250キロ爆弾「M64A1」と特定された爆弾による激しい爆発により出来た穴は、今思い出してもすごい破壊力だなという強烈な印象を持ちました。
一年ぶりに不発弾爆発事故現場を見た後は、そのまま車で摩文仁の平和祈念公園内にある国立戦没者墓苑に参拝し、その後ジャングルに入りますが、近くを通行する事となる 「健児の塔」 や 「南冥の塔」 も併せて参拝する予定です。
今日も単独でジャングルに入る予定ですから、事故に気をつけて無事に調査を終えられる事を祈りたいですね (^o^)。

糸満市小波蔵の爆発現場を道路上50メートル手前から遠望しています。 道路も完成し幅の広い素晴らしい道に生まれ変わりました。

写真中央あたりで不発弾爆発事故がありました。
カメラを構えて私が立っている所は、幅が広いので最初は道路かと思いましたが、ここは歩道ですよ。 (^^;)。

境界線上の柵の下のコンクリートが新しくなっている部分が爆発で破壊された場所の修復跡という事になりますね。
ご覧のように爆発事故の面影は完全に消えました。

昨年の爆発現場の様子です。私の目測では穴の幅は7メートル、深さは1.5メートル程度に見えました。

爆発現場前の完成した素晴らしい道路は、伊敷にある 「轟の壕」 前まで伸張し、ここは狭い道路だったのに、道幅も含め壕前の交差点の様子も一変しましたね~。 (^o^)
「轟の壕」 には、写真中央あたりにある新設された階段を登って行くようになりました。

島田沖縄県知事、荒井警察部長、戦没県庁職員468名を祀る「島守之塔」です。
大阪府内政部長から、家族を郷里に残して単身赴任した島田知事は、わずか五ヶ月たらずの在任でしたが、祖国の危急に際し、身をもつて県民の保護に努めたその姿勢への賞賛は、これからも沖縄県民に長く語り継がれるでしょう。 (^o^)

1979年に創建された「国立戦没者墓苑」の全景です。 三棟目の納骨堂も昨年完成しました。
沖縄で収集されたご遺骨は、最終的にすべてこの国立墓苑に納骨されます。

納骨堂の様子です。 琉球トラバーチン石約一千個を用いて、琉球古来の石積み法で積み上げてあります。

花売り小母さん達も毎年若干の入れ替えがあるようですが、私を覚えていてくれている人も多くて会話を交わす機会も多く、それが何より嬉しいですね。 (^o^)

雨上がりでしっとり落ち着いた雰囲気となっています。 まだ朝早いので参拝者は居ません。
「沖縄師範健児の塔」 と 「平和の像」 とが並ぶように立っています。

沖縄師範学校校長、戦没職員17名、生徒289名らが祀られています。
仲宗根政善氏は若人の死を悼み、
「南の巌のはてまで守り来て 散りし龍の児 雲まきのぼる」
と詠みました。

この 「平和の像」 は、第32軍の管理部壕があった上に立てられています。 つまりこの下に沖縄師範学徒らが亡くなった壕があります。
この像は、大田昌秀、外間守善、安村昌享各氏により、三氏の戦争体験を綴った刊行本や映画化の印税で建てられたものです。向かって右側が 「友情」、中央が 「師弟愛」、左側は 「永遠の平和」 を象徴しています。

初代の 「沖縄師範健児の塔」 です。 同じような雰囲気の石塔が 「ひめゆりの塔」 にもありましたね。 (^o^)

「沖縄師範健児の塔」 へ至る歩道の途中で見る事ができる白色花の 「トランペットリリー」 です。 (^o^)
沖縄では冬越しが可能であり、自生もしているという事なんですね。

2月15日だというのに、ここ沖縄では緋寒桜が葉桜になっていますよ。 (^o^)

「南冥の塔」のある近辺で遺骨収集を何度かやった事のある人なら、この付近がいかに 「屍の山」 であったかを知っています。
「銃とらぬ諸人の 御霊永遠に神鎮まりませと 祈りつつ吾れ 此の碑を捧げまつる」 と碑文に書き記されています。

「南冥の塔」 横にある自然壕です。 この壕内にも数え切れないぐらいの遺骨があったでしょうね……。

壕内の様子です。 あれっ ハンカチらしきものが干してある~。 (^^;)
プライバシーがあるので詳細は語れませんが、そうなんです。この壕内には人が住んでいるのですョォォ~。 (^^;)
直線的に海岸まで出てそこから西側を調査
昨日までに、山側から海岸に至るまでのルートが二本完成しました (^o^)。
今日はそれを三本にする事を第一目標として、山側からスタートして、海岸線まで降りて行きます。
海岸に出る事に成功したら、昨日海岸に出た場所との位置関係を把握するために西進し、昨日の把握したポイント箇所に合流してみるのを目指します。
これまで骨片すら発見していませんが、もちろん地表面にしっかりと気を配り、必ず御遺骨を発見しますよ (^_^)v

ここは素晴らしい壕であるという印象です (^o^)。 いつもの事ながらあまり奥へは入りませんでした。

手榴弾がありました。 右側には軍靴の一部も見られます。 この付近には遺品がたくさん散乱しており、戦死した日本軍将兵が大勢居たと見てとれる場所だと感じました。
写真に写されているように、未明まで降っていた雨の影響でジャングル内はまだまだ湿っていますね。

11時前には無事に海岸線に出ました (^o^)
左手に砂浜が見えます。今立っている場所は、数年前に同じように立った記憶がありますよ。

私が背負っているリュックサックを写してみました。ご覧のようにリュックサック用の雨具を常に装着しています。 (^o^)
これだけ目立てば、遭難しても白骨化する前に発見してもらえるかな~~~。 (^o^)

「土砂が掘り返されてる……」 この付近一帯が、ごく最近遺骨収集で掘られたようです。

ここもそうです。 かなり広範囲にわたって同じように土砂が掘り返されていました。

同じくここも大規模に、そして深く掘り返されていました。 とても大がかりな収集が為されたようです。

この積み上げた石垣は、守備軍の兵隊さん達がこの地に逃げてきて構築したようです。
ただこの場所は単なる岩陰ですから、ナパーム弾攻撃やガソリン攻撃には、全くの無力だと思えましたね。

海岸近くまで降りてまいりましたので、さあここからは西に向かって進み、昨日海岸に出た場所まではそう遠くないはずなので、必ずや前進して到達してみたいと思いますよ。 (^o^)
おそらく距離にして100m程度すすめば、昨日のポイントに到達する見込みです。頑張るぞ!。

40分ぐらい前進したでしょうか。ついに昨日通ったポイントに合流しましたよ。 (^o^)
写真中央にあるスカイブルー色の海水がご覧になれますよね。 周囲の岩の形状を見ても昨日の場所に間違いないです。
ただ残念ながら、ここから下には危険で降りられない事が判明しました。
写真右側の巨岩が斜めになっていますが、この特異な形状は、覚えておくと位置の把握に有効だと思いました。

山側の様子です。 あの三角山も特徴的なので、位置関係の把握に覚えておくメリットがありそうです。
※これ以上前進できないので引き返します
ここまで来た道と重複しないように気をつけながら、出発地点まで戻りましょう。

ここは壕というよりも大空間という印象ですから、中に入って見ました。

水色のテープこそありませんでしたが、収骨が済んでいるのは明らかでした。
兵隊さんの靴底が岩に上に置いてありました。他にも日本軍将兵の遺品も数え切れないほどありました。
ここではものすごい数の御遺骨が収集されたに違いありません……。

大空間の一番奥には、ご覧のように上部に空間がありました。
これによりナパーム弾攻撃とかガソリン攻撃により、兵士の多くが命を落としたと思えます。

この付近は平坦な場所が全くありません。 ほとんどがこのような急斜面となっています。
転がり落ちたらイチコロですから、慎重に歩を進めます。

ここも凄い所ですよ~。 写真ではあまり凄く見えませんが、とにかく凄いです。 (^^;)
バックリ割れたV字谷の底は歩けそうなので、降りることを試みましたが、ついに降りられそうな場所は発見できませんでした。 谷底に降りるのは来年の課題としたいと思います。

前の写真に続きV字谷を写しています。 残念ですが写真ではその圧倒的な風景を表現しきれませんね~。 (^^;)
V字谷の底には、もしかしたら横穴があるかもしれません。 来年の課題リストにしっかり入れておきます。
絶対に再訪しますよ。

昨日の 「茎のないキノコ」 と同じように、とてもユニークだったので撮影しました。 (^o^)
超巨大な岩なのに、なぜか根が二本這い出しています。 数メートル上にある植物の根がここまで伸張しているという事でしょうが、根のパワーというのは本当に凄いですね~~。
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