『ブラシェリで十のお題』サイドストーリー
女神は詠ふ・8
浮上していく意識。夢からの目覚め。いや、それは新たなる幻夢への誘いか。ガッシュはフッと目を
開ける。低い天井。けれども見覚えのある。一ヶ月前までは見慣れたもの。きっと横を向けば机と窓が
あって、見慣れた背中が本を読んでいるに違いない。そして階下からは無二の友の母親が自分とその友
を呼ぶのだ。涙が出そうなくらい大好きだった場所。
「清麿・・・の、部屋・・・・・・。」
「目を覚まされたようですね。」
清麿でもその母でも他の知り合いでもない第三者の声。夢だとばかり思っていたのにこれは一体どうい
うことなのだ。ガッシュはベッドから撥ね
るように身を起こす。
「お、おぬしは・・・!?」
「気分はいかがですか?」
「おぬしはさっき会った者なのだな?な、何故清麿の部屋にわたしはおるのだ!?」
「・・・貴方の記憶を垣間見た限りでは、ここが一番落ち着く場所のようでしたけど、違いましたか?
困りましたね。」
意識を失う前に出会った黒髪の女性。不思議なことにいつの間にか背中に翼はなくなり、瞳は黒一色に
なっていたけれど。人形のような精巧な美しさを持つ、面差しや体つきは変わっていない。彼女は困惑
したように溜息をつくものの、ガッシュはすでに大パニックを起こしていたのでそれどころではなかっ
た。ただでさえ頭脳労働は向いていないのに度重なる事態で彼の頭の回転数はすでにオーバーヒート状
態である。
「これは一体何なのだー!?」
いくら魔界の王を決める戦いで成長したとはいえ、実年齢はまだまだ幼い子供ということを忘れてはい
けない。しかも性格は素直で単純。ちょっと力のかかるベクトルが違ってくれば、容易くこういった状
況に陥るのだ。他に誰かいて、その相手を守らなければいけないという場合ならガッシュの意識はそち
らを優先してしっかりしているのだろうが、今の彼は一人である。ある意味仕方がないといえば仕方が
なかった。
「ああ、落ち着いて・・・落ち着きなさい?ちゃんと、貴方が分かるように最初から説明してあげるか
ら・・・。ね?」
いつも清麿が座っていた勉強机の椅子に座っていた彼女が立ち上がり、ガッシュの顔を覗き込む。
「う、うぬ・・・?」
ようやく落ち着きを取り戻してきたガッシュに彼女はニッコリと笑ってみせた。スルリと心に入り込ん
で自然と信用してしまう、そんな笑顔だった。
「で、では・・・おぬしはあの石に閉じ込められていた訳ではないのだな?」
「まあ、封印といえば封印なんですけど・・・眠る場所としては一番あそこは適していたので。」
彼女の話によれば、彼女は王の特権を発動させる装置を動かす為のオペレーターであるらしい。王の
望みに従い、肉体を与え、もしくは魂を消滅させる為のエネルギーを配分するのだそうだ。その装置の
エネルギー源であるのが彼女が眠っていた結晶体なのだという。
「我はその結晶に宿る力を引き出す端末としての役目を持つ者。そして我を除きその力を自在に引き出
せる者もなし。故に我はあの部屋で王を待っていた。」
例えば魔界の王を決める戦いで魔物の子達は人間と魔本がセットでなければ術を発動することができな
かった。それを当てはめると装置が術を出す魔物、結晶が本と心の力、そして彼女が呪文を唱える人間
といった具合だろうか。装置を動かすのに必要なのは彼女の存在と最後まで残った魔本。それにより発
動したエネルギーが変換され、王の望みが叶えられるのだという。
「うぬぅ・・・。」
ガッシュが途方もない話に苦しみながらも頑張って理解しようとする。因みに現在ガッシュ達がいる清
麿の部屋も結晶の力を引き出して作った仮想空間なのだそうだ。そして彼女は時折、存在を維持する為
に、そして力を蓄える為に、眠りにつくのだという。今回目覚めたのは千年前、前回の王を決める戦い
で決まった王が発動させた特権で装置を動かして以来・・・つまり千年間眠り続けたというのだ。もち
ろん、次代の王が宣誓の間へと訪れたらきちんと目覚めるようにあらかじめ仕掛けを施しておいて。と
にかく、あの場にああして彼女がいたのはそういった事情だった。
「飲み物でも、飲みますか。」
「う、うぬ・・・!?」
彼女が手を振れば魔法のようにグラスが出てくる。一体どんなイリュージョンだ。手品師もびっくりで
ある。またもやポカンとしてしまったガッシュに彼女はクスクスと楽しげに笑った。
「大丈夫ですよ、毒なんて入ってませんから。」
「・・・そ、そうではないのだ。い、今何もない所からジュースが出てきたのだ!凄いのだ!!」
百万ドルの夜景に匹敵しそうなくらいキラキラと輝くガッシュの瞳。憧れを混じった色を浮べたそれが
彼女を見上げる。ここまで見事に態度で示されると、何だかこちらが微笑ましくなってしまう。そして
飲み物も交えて女性からの説明がまた再開されたのだった。
「のぅ・・・おぬし。わたしはおぬしのことを何と呼べばいいのだ?」
話が一段落した後、ガッシュが彼女に尋ねた。一度彼女の本名を聞かせてもらったのだが、ガッシュ
にとっては非常に長く発音しにくい名前だったのである。しかも何度挑戦しても、あのベルギムE.O
の如く舌を噛んで痛い思いをする羽目になった。せめてもう少し呼びやすい愛称が欲しいというのが本
音だったりする。
「好きに呼んでくれて構いませんよ?元々我は名を持たぬ者。名無しは不便である故に、一応名乗るべ
き名を持つだけ・・・。」
「だが、それは・・・とても哀しいことなのだ。呼ばれる名がないのは哀しいのだ!だからわたしには
おぬしを呼ぶための名が必要なのだ。でも、おぬしの名前は長くてわたしには覚えきれぬし、いつも舌
を噛んでしまうのだー!すまぬのだー!」
ガッシュは自分の名前を呼ばれるのが好きだ。それは自分の大好きな人達が呼んでくれるからだ。大好
きな声が作り出す音だからだ。自分以外の誰かがいるから、名前は必要で、そして呼ばれる。名前があ
るということは孤独ではない証でもあるのだ。それなのにガッシュは彼女の名前を上手く呼ぶことがで
きない。それはとても彼女に失礼で酷い行為をしているように彼には思えた。それが情けなくて涙が出
てくる。こんな自分は優しい王様じゃない。
「泣かないで・・・可愛い王様?」
膝元に縋るガッシュを撫でてやりながら彼女は言う。
「我は名を持たずに在った時があれど、悠久の時の中で多くの者に呼ばれた名はある。必要以上に我が
存在にて世界を揺るがすことを防ぐ為、我の本質は秘事とされてきた。だが、汝は王である故に知る資
格を持つ。今こそ、貴方に明かしましょう。」
ガッシュは見上げた彼女の瞳が黒から金色と銀色に変わるのを見た。
「我は万物の律を力として振るう者。創成の女神イセリティス。これが皆から一番多く呼ばれた名前で
す。」
「創成の女神・・・!?」
彼女が名乗った名前にガッシュはパカンと大口を開け、しかもしばらく開いた口が塞がらなかった。ゼ
オンが語ってくれた伝説が、絵本で知った昔話が、ガッシュの頭の中を駆け巡る。
『・・・創成の女神の伝説では女神はありとあらゆるものを生み出し、変化させ、そして消すことがで
きるとされている。』
そして現王とラグナの長官に告げられた言葉。
『・・・女神がそれを許すなら。全ては御心のままに我らは従うであろう。』
ガッシュの中でバラバラなパズルのピースのようなヒントが結びついていく。
『・・・女神は祝福を与えた奴の願いを何でも一つだけ叶えてくれるんだとさ。』
ガッシュは立ち上がり真っ直ぐに彼女を見つめた。
「・・・女神殿にお願いしたいことがあるのだ。」
「・・・何か?」
「王に与えられるという特権、その中身の変更をわたしは願いたい。」
「・・・どうして?」
「助けたい者がおるのだ。」
どちらかを見捨てるなんてことはしたくない。どちらも助けたい。だから賭けに挑む。そう、これは
賭け。肉体を与えるのは創の力、魂を消すのは滅の力。願いを叶えるのは結晶の力。それを行使するの
は彼女。即ち、要となるのは創成の女神の存在。王になると与えられる特権、それは女神の祝福ではな
いか。特権の内容が固定されたのは万能の力がもたらす影響が巨大すぎるからではないか。そして変更
に女神の許しが伴うのはどのような形の力を発動させるかが女神の意志によって左右されるからではな
いか。まるで清麿の意識が乗り移ったかのように、ガッシュの頭脳は情報を分析していく。
「今回の魔界の王を決める戦いで多くの者が犠牲になったのだ。心も、身体も、皆が傷ついた。わたし
達魔界の者だけではなく、人間も・・・。」
ガッシュは女神に訴えた。
「わたしの友達も・・・そうだった。アースは・・・魂だけになってしまった。ウォンレイは二度と起
き上がれない体になってしまったのだ。魔物だけではなく、本の持ち主である人間の命まで奪われてし
まったとも聞いた。」
泣いてはいけない、これだけははっきりと伝えなければならない。その気持ちを支えにガッシュは詰ま
りそうになる声を耐え、言葉を発する。
「今の特権では駄目なのだ!魂となった
魔界の住民だけを救うだけでは足りぬのだ・・・!犠牲になったのは彼らだけでは・・・ないのだ。そ
れだけでは意味がないのだ!!」
あの戦いに参加したのは魔物だけではなく人間もそうなのに、魔物だけを救済するのは許されないはず
だ。そして肉体を失い、一般的には死んだと称される者を復活させることができるのに、命ある者の怪
我は治せないのは納得できない。そんな不条理が平然と通じ、ましてや王の権威を示すものであるなど
あってはならない。慣例だからと簡単に黙認して諦めることはできない。それはガッシュの目指した優
しい王様ではないのだ。
「お願いなのだ・・・女神殿は何でもできるのであろう?ゼオンが言っておったし、本にもいっぱい書
いてあったのだ。だから・・・お願いしますなのだ!!」
ガッシュは必死に頭を下げた。魔界を変えたい。できる限り心優しき者が苦しく哀しい涙を流さない世
界に。その為に必要ならば王の特権ですら変えても構わない。そうガッシュは思う。その為に彼女の協
力が必要ならばいくらだって頭を下げられる。それを誇りがないと言う者はいるかもしれない。だが大
切な者を守る為に、譲れない想いを守る為に、頭くらい下げれなくて何だというのだ。それらを捨てて
まで守る誇りなどにどれだけの価値がある。そうガッシュは考える。だからこそ、目の前の女神の力を
振るう者に訴えるのだ。
「わ、わたしは・・・ウォンレイもアースも、他の者も助けたい・・・のだ!我が儘なことなのかもし
れぬ。無理なことかもしれぬ。でも諦めたくないのだ!無理だと決め付けたくないのだ!誰かの哀しい
涙を見るのはもう嫌なのだ・・・!!」
それはガッシュの心からの叫びだった。人間界で出会い、別れた魔物の子供と人間の涙を見た。それが
互いに納得した別れであったとしても切なかった。中にはゾフィスとココのように別れて良かったと思
える組み合わせもあったものの、ガッシュの知る魔物とそのパートナーの別れの多くは、やはり胸が痛
むものだった。そして魔界に還ってからも誰かを想って涙する者がいることを見せ付けられた。戦いの
傷跡はこんなにも深い。
「泣かないで・・・可愛い王様。」
「泣いてなどおらぬ!」
手を差し伸べた女神にガッシュは首をブンブンと横に振った。泣くまいと決めた。彼女に己の願いを
理解してもらうまでは。きちんと伝え終えるまでは泣くわけにはいかないのだ。だからガッシュは否定
する。例えその頬が濡れているのが揺ぎ無い事実であっても。
「わたしの涙などどうでもよいのだ!それより・・・。」
「それは、駄目・・・ガッシュ・ベル。」
なおも訴えを続けようとするガッシュの言葉を女神は遮った。初めて彼の名前を呼んで。
「どうでもよい・・・そんなことを言ってはいけない。」
「・・・女神殿?」
「貴方は多くの者の涙を受け止めようとしています。それは悪くないこと。でも、それだけでは駄目。
それでは・・・貴方の涙は誰が受け止めてくれるの?」
女神はガッシュに言い聞かせるように語る。
「貴方が友を想うように、相手も少なからず貴方を想っていることを忘れてはいけない。貴方の涙が誰
にも受け止められぬままならば、嘆く者もいるでしょう。だから・・・己を軽んじることをするべきで
はない。」
「それは・・・。」
「他者の涙を疎う者が、その原因となることも奇妙なこと・・・。」
憂いの色を浮べた彼女にガッシュはハッとなり、身が縮まる思いをした。気が急くあまり、疎かにして
しまっていた部分を認識して、恥ずかしくなる。ティオもキャンチョメもウマゴンも、そして清麿もガ
ッシュが一人だけで泣くことを是とはしないだろう。いや、ウォンレイやアースだってそうに違いない
のだ。焦りにより狭まった視野が危うく悲しませたくない者を悲しませる結果を生み出す所であった。
ガッシュは己の失言を自覚し、気が重くなる。
「忘れることなかれ、汝、他者の幸を望むであれば、己の幸せをも。新王ガッシュ・ベル。心せよ。幼
き故に見誤るなかれ。」
女神の言い回しはガッシュにとっては難しいものが多い。けれどもそれを崩してまで彼女はガッシュを
諭そうとしてくれた。何度も感じた慈愛を思わせる彼女の持つ空気の色。きっと彼女は永い間、母のよ
うにこの世界とそこに住む者達を見守ってきたのだ。許される限りの導きを与えて・・・。
「願いを叶えましょう、新しき王。貴方がそれを望むのなら・・・。」
「・・・ありが、とう・・・ありがとう、なのだ。」
優しく微笑んだ彼女にガッシュはとうとう
咽び泣く。彼にももう分かったから。女
神の許しを得たことを。王の特権が変わるのだということを。そしてウォンレイもアースも救えるのだ
ということを。それが、嬉しくて泣いた。
――――――――――優しき王の意志により、魔界を変える風、いま一陣。
To Be Continued・・・
<後書き>
女神モード、書き難・・・!威厳を出そうと思って無駄な努力をしているせいか、悪戦苦闘もいい所
でした。ガッシュは王になってもお子様でうっかりさんですね。立派な大人になるまでにあと何十年く
らい必要でしょうか(笑) でも時々冴えたりするのは火事場の馬鹿力の頭脳版って感じでお願いしま
す。そして例の彼女は一応慈愛面のを強く押し出してみたのですが、女神モードから離れたら他の話で
も分かるように、あんなノリです(爆死)
そういえばようやく女神の呼称も出てきましたね〜。今の彼女は女神であって女神でないので、説明
が難しいのですが、端末としての個体の彼女の本名はちゃんと考えてありまして、大変長ったらしい名
前です。本編でも出てちょっと触れましたが、フルネームを一気に言うといろいろと噛みそうになる、
そんな感じです。実際ガッシュもガチガチに噛んでしまってますから(笑)
2007/08/18 UP