トタパタパタ・・・ドタバタバタン!
「朝っぱらから
キャンチョメの叫びに呼応したかのように足音が近づいたかと思うと、乱暴に寝室の扉が開かれた。そ
れこそ
「いい加減にしなさいよ、キャンチョメ!首絞めるわよ!?」
「ひぃいいいいい・・・!?」
ティオは睡眠不足で短気になっているのか、今にもキャンチョメの首を絞め出しそうな形相で睨みつけ
た。巷で有名な首絞めティオ降臨の予感である。果たしてチャージル・サイフォドンとどちらが恐ろし
いのか。人によってはかなり迷いそうである。
「だ、だって、ティオ・・・。」
キャンチョメは涙ながらに己の不安を訴えようとした。
「だってもさってもしあさってもなぁあああい!!」
しかしその前にティオの首絞めが発動する。言い訳も説明もしている暇がなかった。そしてそんな彼女
はここがガッシュの寝室であることも、部屋の主が何故か不在であることも、全く以って気づいていな
いのだった。
所変わって、王都近郊にある某館。街道を利用すれば王都まで一時間も掛からない距離にあれども、
その周囲は深い森といった自然環境に囲まれている。その館の一室で一人の女性が目を覚ました。天蓋
付の柔らかなベッドは、一人で眠るには随分と広い。自分の横にあったはずの温もりはなく、リネンの
白さだけが目に付いた。
「ブラゴ・・・。」
気だるい体を起こし、彼女は小さく息を吐く。目に付く範囲に彼女のパートナーはいない。いや、正確
には『元』と付けなければいけないかもしれないが、例え魔本を失っても続く人間と魔物の絆がある。
その絆を基準にすれば彼らはいつまでもパートナーなのだろう。彼女とその相手のようにたまたま同じ
世界にいなくとも。
「もう、朝・・・?」
カーテンの外側から伝わる光はいつもよりも暗い気がする。それはつまり、いつもより早い時間に目が
覚めてしまったということだろうか。それでも部屋に彼女のパートナーがいない所を見ると、一体いつ
から起き出していたのか。彼女・・・シェリーには分からなかった。
(もう、あまり時間が残されていないのに・・・。)
魔界の王を決める戦いの中でブラゴの魔本の持ち主であったシェリーはいろいろあって、現在魔界にい
た。しかもブラゴの実家に滞在中である。けれども先日、王城からの使いがあり、もうしばらくしたら
魔界にいる人間達を人間界に送還する準備が整うと連絡を貰った。それは今度こそシェリーはブラゴと
別れなければならないことを意味する。
「ブラゴの馬鹿・・・。」
別れの時が迫っていると知らされ、シェリーはブラゴとできるだけ時間を共に過ごすようにしていた。
人間界にいる時は四六時中一緒だったこともあるし、魔界に来てからも安全の為に比較的行動を共にし
ていたが、何もなくとも一緒にいる行為を進んですることはまずなかった。というより、『魔物と戦わ
なければならない』・『一緒にいないと何かがあった時危険』といった大義名分的理由を横に置き、お
互いの感情を前面に出して、それが理由で傍にいるということがなかったというべきか。
(こんな時くらい傍にいてくれたっていいじゃない・・・。)
別れを惜しむ気持ちの為せる業か、少しだけ甘えた感情がシェリーの胸に湧く。その直後、それはお互
いに“らしくない”ことだと否定することになるのだけれど。けれども彼女は惜別の感情を抱くことく
らいは己に許したかった。表に出すことは彼女のブライドが許さなかったし、また厳しい彼も安易に許
しはしないだろう。もし、許されるのだとしたら、それはきっと別れの本当に直前くらいか。
「駄目駄目・・・いつまでもこんなことを考えていては。もう、起きるのよ。」
シェリーはそう自分に言い聞かせ、ベッドから抜け出す。シーツを身体に巻きつけているのは朝の空
気が肌寒いからか、それとも・・・。
「今日は・・・晴れるのかしら。」
カーテンを開いた先にあった空は早朝らしい薄明かりと色をしている。窓ガラスに触れるとひんやりし
て、体温が少し奪われていくのが分かった。晴れたら彼と一緒に外を歩きたいと思う。鍛錬に付き合う
のではなく、魔界のことを知る為に。彼の住む世界をその眼に灼き付けておく為に。
(ブラゴはまたくだらないって言うかしらね・・・。)
それでもシェリーは覚えておきたかった。
「赤い本の子にも・・・もう一度お礼を言いたいわね。」
王になったばかりのガッシュはやはりいろいろと忙しいらしく、まだ二回程しか顔を合わせていない。
王城にいればもしかしたら違ったかもしれないが、シェリーはブラゴの保護下にある。そして魔物が行
くには容易でもシェリーだけで辿り着くのは容易ではない王城。これまでの面会時はいつもブラゴと一
緒だった。そこのことに不満がある訳ではないけれど。
(帰る前にあの子とは、もう少し話しておきたかったわ・・・。)
大丈夫だったとしてもガッシュに頼んでおきたかった。魔界を、ブラゴの生きる世界を。
「ふぅ・・・駄目ね。今日は、どうも思考が後ろ向きだわ。」
朝から何をやっているのだろうと、シェリーは自嘲の笑みを浮べる。こんな調子ではブラゴと会った時
何を言われるか。いくつかパターンがあるが、そのどれもが容易に想像できてしまい、彼女はクスリと
笑った。
「あら?」
ふとシェリーは空の彼方でキラリと光る何かを見たような気がした。まだ星が残っていたとでもいう
のだろうか。それとも日の光が何かに反射でもしたのだろうか。シェリーはガラス越しに窓の外を改め
て見遣る。すると徐々に金色の輝きが迫ってくるのが見えた。
「え!?」
シェリーは思わず目を見開く。ライトニング・ブロンド、その名の如く光速の勢いで突っ込んでくる金
色の輝き。物凄い形相で接近してくるのは気のせいではないようだ。
「・・・止ーまーらーぬーのーだー!?」
辛うじて聞こえたのは聞き覚えのある子供の声。というか、ある意味悲鳴。シェリーは反射的に窓から
離れて距離を取る。この辺りは昔取った杵柄だ。そしてシェリーが窓から避けたと同時に・・・
どがしゃあああぁぁんっ
派手にガラスが割れた音をさせて、ガッシュが部屋へと突っ込んできたのだった。
「ぬぉおおおおお・・・!?」
「ガッシュ・・・君?」
突っ込んだ勢いでそのまま転がり、壁に後頭部を強打したガッシュは目玉が飛び出るくらいの痛みに四
苦八苦している。そしてそんなガッシュの様子を唖然とした様子で見つめるシェリー。まあ、こんな突
撃訪問を受けて驚くなという方が無理だろう。現在部屋にあるのは元々備え付けられていた家具と、飛
び散ったガラスと、壊れた窓と、呆然と佇むシェリーに、絨毯の上で蹲るガッシュ、そしてサーフボー
ドとスケボーの中間のような形をした板のような物体。
「一体、何が・・・。」
シェリーの口からそんな言葉がついて出たのも仕方がないことだ。しかしその直後ハッとなった彼女は
慌ててガッシュの元へと走り寄る。あの勢いで窓に激突したのだ。いくら魔物の子とはいえ、ガラスで
怪我をしてしまっているのかもしれない。
「大丈夫?怪我は・・・。」
シェリーは近づきガッシュを優しく抱き起こす。ザッと見た感じでは頭のタンコブ以外の外傷はなさそ
うだ。他にガラスで切って出血したような傷跡は見受けられない。それに少しシェリーは安心する。流
石に彼も魔物の子だけあって丈夫なようだ。いや、元々の頑丈さもあるだろうが、王を決める戦いを勝
ち抜いたことにより、強く逞しくなった部分も大きいのだろう。
(昔から意志の強さだけは凄かったみたいだけどね・・・。)
過去の出来事を思い出すとどこか懐かしい。それだけ遠い日々に思えるような濃い時間を過ごしてきた
と言える。きっとシェリーだけではなく、ブラゴもガッシュも、そしてガッシュのパートナーも。
「う、うぬぅ・・・?シェリー・・・??」
痛みに目を白黒させながらも、ようやく多少は落ち着いてきたのか、ガッシュの視線がシェリーの姿
を捉える。肩や胸元の落ちた金の髪は他意がなくとも触れたくなるような美しさだ。ガッシュの場合は
子供ということで許されるかもしれないが、触れる相手によってはセクハラとして見られる危険性があ
る。敢えて誰とか名前は出しませんけど。
「どこか痛い所はある?」
「・・・頭が痛いのだ。」
「ええ、そこはちょっとぶつけたせいで膨らんでしまっているわね。」
ガッシュの答えにシェリーは安心させるかのように微笑む。
「他は大丈夫?手とか、足とか、痛くないかしら。」
「うぬぅ・・・平気なのだ。」
「そう・・・。」
二人の会話はガッシュ来訪の衝撃とは打って変わり穏やかなものだった。いや、あのテンションで会話
が成立するのも変だが。それでも先程の衝撃が後を引いているのか、彼らは気づかない。あの、ガラス
の砕ける派手な音を聞きつけ、彼女の部屋に近づきつつある気配があることを。
「ところで、シェリー。そのような格好をして、寒くはないのか?ちゃんと上着を着ないと風邪を引く
のだ。前に清麿もそう言っておったのだ。」
「え!?」
えっへんとばかりに自分の置かれた状況そっちのけで語るガッシュ。そんな仕草は酷く子供っぽいのだ
が、自分の格好を指摘されたシェリーはそれ所ではなかった。何せガッシュの突撃ですっかり頭から抜
け落ちていたのだが、現在のシェリーは素肌にシーツを巻きつけただけの姿である。え?何で素肌かっ
て・・・それを聞くのは野暮というものですよ、お客さん(?) とにかく、肩の露出のせいでガッシ
ュには寒そうに見えたらしい。
(い、嫌だわ・・・私・・・・・・。)
とてもじゃないが客人を迎え入れるに相応しくない格好に、シェリーは羞恥で頬を染めた。良家の子女
たる彼女がこのような姿を人目に晒すことはまずないのである。顔を赤くし、すっかり身を硬くしてし
まった彼女にガッシュは不思議そうな顔をした。
「うぬ?シェリー、やはりおぬし、顔が赤いぞ。熱があるのではないか?」
そしてガッシュが彼女の熱を測ろうと思ったのか、身を起こし彼女の額に顔を近づけた所で・・・
バタン!!
「おい、シェリー!今の音は・・・!?」
駆けつけたブラゴが現場に遭遇してしまったのだった。ガラスの割れる音がした際、少し(注:魔物の
身体能力が基準)離れた場所にいた為、駆けつけるのに若干時間がかかったが、それでも彼は急いでや
ってきた。まずないだろうとは思っていたが、人間であるシェリーの存在が知られ、反王派の魔物の襲
撃の可能性さえ考えた。ところが部屋に入ってみればこの構図。シーツ一枚の格好でガッシュを抱きか
かえているように膝を曲げているシェリー。キスの直前のように彼女に顔を近づけているガッシュ。そ
して壊れた窓。三者三様に石化した如く固まってしまうのも仕方のないことだったかもしれない。
時計がないので計測することはできないが、かなりの時間が経ったようにも思える。いつの間にか朝
靄は晴れ、彼らが固まっている間にも上り続けた太陽の光が、ガラスの破片をキラキラさせていた。き
っと魔界はここと王城の一部を残して平和な朝を迎えているのだろう。どうもこちらは嵐の前の静けさ
のようだが。
『・・・。』
絶句し続けるガッシュ、シェリー、ブラゴの三名。凍りついた時間は未だ動きを見せず、少々冷たい風
が壊れた窓から入り、彼らの間を吹き抜けていくのだった。そして他の誰もがその場に駆けつけてくる
ことがない理由も気づかぬままに・・・。
「・・・あ・・・ブラゴ・・・・・・。」
そしてまず硬直から解けたのはシェリーだった。窓から吹き込む風に肌が粟立ち反射的に身を震わす。
その寒さで彼女は我に返ったのだ。シェリーの目はやはり固まってしまっているブラゴを見つめる。無
表情であるが、包む空気は先程まで自分を覆っていたそれだ。伊達にシェリーもブラゴのパートナーを
やってきた訳ではない。
(どうしよう・・・。)
掠れるような声で呼んだ彼の名前。その声は届いているかさえ、この状態では分からない。シェリーは
身動きできず、内心混乱でどうしていいか分からなかった。幸い、顔には出ていないようだが。いや、
それはブラゴも一緒である。しかもいつも表情豊かなガッシュまで固まってしまい、その表情は動いて
いなかった。叩いたら何となく、カチンとかコチンとかカキンとかコキンとか、そんな硬質の音が響き
そうな空気である。
「ぶ、ブラゴ・・・?」
とりあえず、もう一度ブラゴの名前を呼んでみる。ブラゴが立っているのに対し、シェリーは膝を突い
た状況なので、心持ち上目遣いで見つめる形になった。上目遣い・・・場合によっては必殺技となるそ
れがブラゴの前で発動する。
「・・・シェリー。」
その効果があったのかは定かではないが、彼がようやく身じろぎした。
「え、ええと・・・大丈夫?」
「・・・何がだ。」
そりゃそうだ、とどこからか合いの手が入りそうな、そんな空気。乾いた口調で何とか出した言葉は、
会話として成立せずに霧散する。ちょっとシェリーの立場無し。何となく気まずくなってしまい、彼女
は視線を落とした。彼のことが直視できなかった。ついでに言えばブラゴもまた自分の中に渦巻く感情
を抑えるのに必死で、シェリーの様子に気が回っていないようだったが。
「うぬ!?ぶ、ブラゴ・・・!!」
そしてここまできてようやくガッシュの思考が再起動したようである。一番停止期間も長ければ、動
き出した後の表情変化が激しいのも彼であった。ただでさえ、大きくて丸い目をこれでもかというくら
いに丸くして、ガッシュはブラゴを見ている。もしかしたらブラゴがドアを開けた時の勢いを思い出し
て反応に困っているのかもしれない。それくらい凄い剣幕で彼は駆けつけてきたのだ。その直後に凍り
つく羽目になったが。
「ガッシュ・・・。」
「!?」
「ブラゴ・・・ガッシュ君・・・。」
ブラゴがガッシュの名を呼んだ。けれども何故か睨んでいるような目つきで。彼からのキツイ視線に晒
されてビクンと身を震わせるガッシュ。そしてそんな彼らを交互に見遣るシェリー。そこに漂う空気は
次第に険悪さが加味されているようだった。非常に気まずい雰囲気である。
「お、おはようなのだ!ブラゴ、シェリー。わたしはぁおぶ!?」
少しでも雰囲気を変えようとしたのか、ガッシュは明るい声を出してブラゴとシェリーに朝の挨拶をす
る。この状況でそれはないだろうという選択だったが、相手はガッシュだ。そんな空気を読め的発言を
した所でどうにもならないだろう。そしてブラゴの目つきが怖いのか、やや焦った調子で言葉を続けよ
うとし、シーツに足を取られてバランスを崩した。そう、シーツに、である。
『・・・!?』
その展開に思わず目を見開くブラゴとシェリー。ガッシュはシェリーが巻きつけていたシーツの余って
広がった部分、例えるならばロングスカートの裾だろうか、その布地の上で足を滑らせてしまったのだ
った。そして運が良いのか悪いのか、ガッシュはシェリーの胸元へと顔を突っ込む羽目になる。
『・・・。』
またもや絶句する三者。動こうにも動けない。またもや凍りつく時間。けれども今度は解凍するのも早
かった。
「き・・・きゃああああああああ!?」
まず上がったのはシェリーの悲鳴。
「てめぇ・・・シェリーに何しやがる!?」
続いてブラゴの怒号。
「ぬぉおお!?わざとではないのだー!!」
そしてガッシュの絶叫。程なくして上がった三者三様の声は早朝の爽やか且つ和やかな空気を切り裂く
には十分な威力を持っていた。特にガッシュは怒号と同時に弾かれたように動いたブラゴに力任せにシ
ェリーから引き剥がされた挙句、服の胸倉を掴み上げられ、吊し上げ状態に陥っている。
「や、止めるのだ、ブラゴ!く、首が絞まるのだ・・・苦しいのだ!」
「このまま直にその首を握りつぶしてやる・・・。」
首の骨を圧し折るとかではなくて、喉ごと握り潰すつもりですかお兄さん・・・。
「ちょ、ちょっと、ブラゴ!?相手は一応王様なのよ?冗談は止めなさい!」
「俺は本気だ。」
「ぬぉおおお!?・・・ぐ、ぐるじ・・・ぃ・・・・・・。」
ブラゴの
――――――――――その後、シェリーの懸命の説得によりガッシュは一命を取り留めることになった
のだが、それはあくまで余談である。