ブラゴとガッシュの行方が気にならない訳ではないが、追いかけるにしろ待つにしろ、シーツ一枚の
この格好では無理だろうという判断を下し、シェリーは一先ず着替えることにした。そうしている間に
も壊れた窓の外から、ズズンッとかドォオオンとかバリバリバリッといった音が聞こえてくる。それに
混じって森の鳥の羽音と鳴き声も。どうやら彼らは派手に闘っているようだ。
(割れたガラスも片付けないといけないわね・・・。)
「・・・あ。」
ここにきてようやくシェリーは自分の部屋に誰も来ない不自然さに気づいた。基本的にシェリーの部屋
はブラゴ以外が入ってくることはないが、それでも一日に一回は掃除の者が足を踏み入れる。この館に
は多くはないものの管理・維持していく為の使用人が出入りしていることをシェリーは知っていた。初
めは人間と魔物ということでお互い近寄り難かったようだが、今では些細な遣り取りくらいは平気で交
せるようになっている。つまり慣れてきたということだ。
(あんなに派手な音がしたのなら、誰か様子を見に来てもおかしくないはずなのに・・・。)
「どうしてかしら・・・?」
ガッシュが激突して割れたガラスの音で駆けつけてきたのはブラゴのみ。
(彼が人払いを・・・?いいえ、でもそれは違うような気がするわ。)
衣服を身につける動作は止まらないが、やや緩慢な動きになっていく。己の思考に彼女が注意力を奪わ
れている証拠だ。
「何にせよ、確かめる為には動かなければならないわね。」
そして着替え終わらなければ動こうにも動けない。シェリーは意識を着替えに戻すことにした。一度専
念してしまえば終わるのも速い。やや時間を置いて、彼女は着替え終えた。人間界にいた頃によく身に
つけていたものと良く似た衣装である。そしてフレイルを手に握れば彼女の戦闘準備も完了だ。
(ブラゴ達は・・・。)
シェリーは壊れた窓に残ったガラスに気をつけつつもテラス部分へとやってくる。外の風景はある意
味予想通り、轟音と叫びが効果として響いていた。どこかで木々が薙ぎ倒されているような音さえして
いる。シェリーが目を凝らすと、今まさに森の中でサークルが形成されようとしていた。
「今のは・・・アイアン・グラビレイ!?」
しかも全方位放出。かつてシェリーもやったことのある行為だ。
(ガッシュ君・・・大丈夫かしら。)
ちょっと心配になってくるシェリー。
「やっぱり追いかけて止めた方が・・・。」
「うわ〜、やってるやってるー。」
「!?」
そんな時に彼女の右斜め上の方からのん気な声が聞こえてきた。反射的にバッと声のした方向へ顔を上
げるシェリー。そこには見覚えのある黒髪の少女が背中に堕天使のような漆黒の翼を羽ばたかせ、宙に
存在していた。赤と青のオッドアイ、象牙色の肌、服装は下がパンツスタイルでショートブーツという
活動的なものであったが、確かにこの間シェリーの前に現れた少女である。
「あ、あなた・・・。」
ラグナという機関に所属し、仕事でシェリーにアンケートを採りに来たのだと語った彼女は、いくつも
の秘密を匂わせている。分かっていることと言えば彼女が『創成の女神』と呼ばれる伝説の魔物である
らしいこと。万物の力を振るうことができるらしいということ。
「あ、どーも。ご無沙汰してますー。」
そんな相手だというのに、肝心の本人はのほほんとした調子で空の上からシェリーへと笑顔で手を振る
始末だ。とても凄い力を持っているようには見えない。普通の中学生くらいの年頃の人間にしか見えな
い様子である。
(何故彼女がここに・・・!?)
驚きつつもシェリーの思考は働く。そしてつい警戒心を抱いてしまうのが恐らくブラゴが傍にいないか
らだろう。ガッシュは人間界で何度も顔を合わせているし、その言動も聞き知っている部分があるので
安全だと確信できるが、目の前の少女はどれだけ人懐こそうに見えても、心底安全とは断言できないの
だ。これも貴族社会・・・もとい、フランスの上流階級の荒波に揉まれてきた彼女の経験が物を言って
いるらしい。即ちどれだけ友好そうでも迂闊に信用するなということである。
(ここは魔界・・・何があるか分からないのだから。)
敵意はないと信じたいという気持ちはあるが、頭の中では気を許すなという声も発せられているのであ
る。シェリーが少女の様子を窺っている間にも森の自然破壊は続いていた。
「もう勘弁して欲しいのだ〜!」
そうこうしている内にガサガサと音を立ててガッシュが森から出てくる。上手くブラゴを撒くことが
できたのだろうか。ゼーハーとあからさまに大きく息をして、随分と疲れた様子である。鬼ごっこは平
和に行いたいものだ。
「可愛い王様、お疲れー。楽しかったー?」
「め、女神殿・・・!?」
少女はテラスの手すり部分に腰を下ろし、背中の翼を仕舞いながら笑顔でガッシュに声をかける。それ
に驚いたのかガッシュはポカンとした表情を浮べた。彼もまた女神でもありラグナ派遣官として多忙な
彼女が何故ここにいるか分からないらしい。
「な、何故女神殿が・・・。」
「可愛い王様のお迎えにー。ボードで飛ぶよりもあたしが“飛ぶ”方が一瞬でしょ?」
「迎え・・・?」
「ボードってあれよね・・・。」
少女の姿をした女神は余裕であるようだが、ガッシュとシェリーには事情がさっぱり分からなかった。
例えるならば二人とも頭上にクエスチョンマークが浮かんでいる状態である。
「・・・あ!可愛い王様、窓に突っ込んだの?だから言ったじゃない、速く飛びすぎるとすぐに止まら
なくなるから気をつけるように。」
「す、すまぬのだ。」
ガラスの惨状を見て眉根を寄せた少女にガッシュが素直に謝罪する。そして少女はテラスへ足を下ろす
とそのまま部屋へと入り、ガッシュと一緒に飛び込んできたボードを引っ張ってきた。といっても、ボ
ードは宙にプカプカ浮いている状態だったが。
「シェリーさんも本当ごめんなさい。可愛い王様が壊した窓は後でちゃんと弁償させますから。」
「あの・・・ちょっと事情がよく分からないのだけれど・・・。」
保護者のようなセリフを言う少女にシェリーは戸惑いの色を浮かべて何とかそう言った。やはり彼女が
相手だと調子が狂うようである。
「あれ?可愛い王様、用件済ませてなかったの。」
「う、うぬぅ・・・いろいろあったのだ。それにブラゴが・・・。」
「リオルレイス」
『!?』
ガッシュが事情を説明しようとした所で、戻ってきたブラゴに発見されて攻撃を受けるガッシュ。
「ブラゴ!」
「あらら・・・。」
「まーたーなーのーだー!?」
「チッ、これも避けたか。」
そして今度は庭でガッシュとブラゴの闘いが再開。全く話をしている暇もない。
「・・・仕方ないから、とりあえずあたし達だけで情報交換しません?」
「え、ええ・・・。」
少女からの提案にシェリーは朝から溜まった疲労を感じつつ頷くのだった。
「あの・・・名前は何と呼んだらいいのかしら。前は好きに呼んでいいというようなことを言っていた
けど、それでは他の者が聞いた時やはり不自然ではなくて?」
とりあえず座る場所を確保して、シェリーは女神の名を持つ少女に問いかける。イシス・イヴ・イザ
ナミ、恐らく人間界にいたことがあるという彼女の名が人間にも伝わり神話の中の登場人物の名前に引
用されるようになったのではないか。そして魔界での一般的な女神の呼称はイセリティス。
「その・・・やっぱりイセリティス、と呼ばれているの?」
「・・・イセー。」
「え?」
「イセシュリーヴ。それが今、公言している名前。他の子達からは大体イセーって呼ばれるからそれで
いいですよ。可愛い王様は本名発音できなくて“女神殿”って呼ぶけどね。」
横に置いたボードに手を触れて、女神・・・いや、この場合はラグナ派遣官イセシュリーヴと言うべき
か・・・は答えた。イセシュリーヴことイセーの言葉にシェリーは何度も彼女の名前を頭の中で復唱す
る。次から彼女を名前で呼ぶのだ。少しだけシェリーは緊張を覚えた。
「・・・では、イセーさん。こちらの事情から説明するわ。本当に話せることが少ないから申し訳ない
くらいなんだけど。」
「構いませんよ。」
「そう・・・ガッシュ君がこの館にやってきたのはつい先程のことよ。朝、私が起きて、窓の外を眺め
ていたら、空を飛んでいるガッシュ君が見えたの。それでそのまま突然凄い勢いで窓に激突したわ。そ
して窓を突き破って部屋に飛び込んできたのよ。」
「うっわー・・・。」
シェリーの言葉に手でこめかみを押さえるイセー。彼女もすでに窓と飛び散ったガラスの惨状を目撃し
ていたので、何となくその光景が想像できたのだ。
「やっぱり速度制限は必要だったかも・・・。しかも可愛い王様の操作だし。」
「・・・どういうことなの?」
「あー、このボード、なんですけどね。使用者の魔力を自動的に吸い取って飛ぶことができる機械なん
です。注いだ魔力の量だけ高く、速く飛べるようになるんですけど・・・可愛い王様の場合、潜在的な
魔力容量は凄く大きいから、出そうと思えば物凄く速く飛べちゃう訳なんですよね。」
「・・・まあ、確かに。」
いかにも暴走特急なスピードで突っ込んできたガッシュを思い返し、シェリーは頷く。
「さっき見た限りだと、どうも可愛い王様の力を吸い取りすぎて一部の制御装置が焼き切れちゃったみ
たいです。ええと・・・人間界の乗り物で例えると、自動車のスピードを出しすぎて知らない間にブレ
ーキが壊れちゃって、そのまま激突した?・・・という感じですかね。」
「・・・危ないわね。」
「スピードを出しすぎなければこんな風に壊れないはずなんですけどねー。多分可愛い王様、後のこと
考えないでガンガンスピード上げてたんでしょうけど・・・。まあ、空気抵抗なんかは結界フィールド
で緩和できるから大丈夫なんですけどね。多分窓に激突した衝撃で怪我はしていないと思いますけど、
どんな感じでしたか?」
「そうね・・・窓にぶつかったというよりは、勢い余って部屋の壁に激突した所を痛がっているようだ
ったわ。」
シェリーの言葉にイセーはホッと息を吐き出した。
「とりあえずこれは没収ですね。後で改良・修理しとかないと。」
「でも・・・不思議な機械ね。魔界には多いの?」
「いいえ、全然。これも試作品ですし。魔界は人間界と違って機械文明は普及していないんですよ。王
城とか一部にはありますけど。」
「それは独占しているということかしら。」
「機密保持が主な理由です。それに・・・昔、ある発明家がいろいろ危険な機械を世に生み出してしま
って、魔界が大変なことになったことがあったんです。ファウードって覚えてます?ああいったのがゴ
ロゴロといて魔界中で暴れまわってたんです。もう、みんな無駄に強固にできてるもんだから潰すの苦
労したんですよ。」
「そ、そうなの・・・。」
ファウード一体でに人間界としては脅威なのにそれが複数となれば想像を絶する。流石にシェリーも顔
色を悪くした。
「まあ、そんな感じで昔魔界で騒動があったせいで、機械技術はできる限り表に出さないようにしよう
という考え方をみんながするようになったんです。因みにこのボードはあたしが造った試作品。今の人
間界っていろいろ機械があるから、面白そうだったんですよね。ちょっといろいろあって機械知識が必
要になったから勉強のつもりでやってみたけど・・・難しいなー。」
しみじみと語るイセーにシェリーは何と言っていいか分からなかった。彼女は無意識に爆弾発言が多す
ぎる気がする。
(魔界って本当にいろいろなタイプの
とりあえずシェリーはそう思って自分を納得させるのだった。
「そういえば、何で可愛い王様と黒いお兄さんは追いかけっこを?」
さて、いつしかズレかけた話題はイセーの一言で元に戻る。“可愛い王様”は何度も彼女が連呼して
いる通り、王であるガッシュのこと。それはシェリーもすでに知っている。けれども“黒いお兄さん”
とは誰のことを指すのか。初耳のそれに一瞬悩んだシェリーだが、状況からして当てはまる相手は一人
しかいない。それはブラゴのことである。
「ええと、ブラゴは、その・・・。」
シェリーはブラゴがガッシュに攻撃を仕掛け出す直前の出来事を思い出して、恥ずかしさについ頬を染
めてしまう。不可抗力の出来事だとは思うが、それを他人の前で口にするのは躊躇われた。
「シェリーさん?あの、もしかして可愛い王様、そんなに他人には言えないようなことやらかしちゃっ
たんですか・・・。頭ぶつけたショックで突如裸踊りをしたのか。」
「ち、違うわよ!?」
イセーの言葉を慌ててシェリーが否定する。確かにガッシュは人前で簡単に服を脱いでしまえるくらい
お子様精神の持ち主であるが、あまりに脈絡がなさ過ぎた。
「そ、その・・・ガッシュ君がちょっと足を滑らせて、私の方に倒れこんできたの。その時丁度あの子
の顔が胸に当たって、それでブラゴがちょっと・・・・・・。」
「あー、なるほど。黒いお兄さん、ヤキモチですかー。」
「べ、別にそういう訳じゃないと思うけど・・・ブラゴだし・・・・・・。」
「いや、あのお兄さん、結構独占欲強そうなタイプじゃないかと・・・。」
どうも含みのある視線を向けられて、シェリーはイセーから目を逸らす。何だか面白がられているよう
な気がして、シェリーは居た堪れない気分を味わっていた。
「そーすると、可愛い王様が事情を説明する前にお兄さんがやってきちゃって、ついでにその事故がき
っかけで追いかけっこする羽目になったと?」
「た、多分そうだと思うわ。」
「なるほどねー。」
イセーがやれやれといった具合に立ち上がる。時間は差し迫っているというのに事態はほとんど進んで
いないことが発覚したのだ。溜息一つくらい許して欲しいものである。チラリと視線を向けた窓の外で
は丁度金色の雷光が迸っていた。
――――――――――以上、これもまたガッシュが過ごしたある日の早朝の光景である。