「やっと捕まえたぞ、このクソガキ!」
しわがれた男の怒声は薄汚れた街の片隅に響く。ジムは
「このぉ!」
男はジムの身体を放り投げるように床に叩き付けた。
(自業自得だって分かってたけど・・・やっぱりきついぜ。)
男はジムに
(馬鹿なおっさん・・・。)
殴られながらジムは思う。
(そんな風に殴ったら手が壊れるぞ。)
(職人のくせにさ・・・。)
ジムは今、自分を殴りつけている男がこの街のパン職人であることを知っている。パン職人と細工師の
どちらが手を大事にすべきかはジムの知る所ではないけれど、ただ冷めた思考でそう思った。
「クソガキめ!子供だからって何をしても許されるとでも思ってるのか!?」
男はなおもジムに腕を振るい続ける。
(残念だけど、俺はそんなこと思ったこと一度もねーよ。)
何度殴られたかは分からない。すでに意識が
(俺、死ぬのかな・・・。)
ジムは漠然とそう思った。死んだって天国にいけるわけでもない。そもそも神がいないのだから、天国
だってないだろう。
(変だよね、神父様・・・。)
ジムは記憶の中の神父に呼びかける。
(悪魔はちゃんといるのにさ・・・。)
だから死んだ先に待っているのは地獄なのだろう。いや、すでにこの世が地獄なのだ。生きていても死
んでしまっても、境遇は大して変わらないのだろう。
「馬鹿みてぇ・・・。」
「何だとぉ!?」
ジムの口から漏れた呟きにさらに男が
「お止めなさい!」
胸倉を男に掴み上げられたジムは突然
「だ、誰だぁ?てめえは・・・。」
「その手をお離しになりなさい。」
ジムがぼんやりした頭と視界で判断できる範囲では声をかけてきたのは女性のようだった。白いドレス
を身に
(天使・・・?)
一瞬、ジムはそんな単語が頭に浮かんだ。その直後馬鹿馬鹿しいと即座に否定したが。
「その子から手を離しなさい。」
女性はきっぱりと男に告げる。
「な、何を・・・。」
「いいから離しなさい!」
女性の気迫に
「爺、あの子の様子を・・・。」
「はい、お嬢様。」
ジムは不明瞭な視界で灰色の空を眺めたまま、何者かが近づいてくる気配を感じた。
(足音・・・あんまりしないな。軍隊の人かも。)
まずそんなことが頭に浮かんでしまった自分はどこか壊れているのだろうとジムは密かに自嘲する。普
通の子供だった頃とはどれだけ変わってしまったのだろう。そう考えると何故か無性に哀しくなった。
ただ、どんな思考も霧が掛かったようにはっきりしないものであったけれど。
「あ、あんた・・・そのガキの知り合いかよ。」
「いいえ、違うわ。」
男の問いに女性は答える。
「じゃあ、何で・・・。」
「一般常識的に考えて、大の大人が子供に暴力を振るっているのを見かけたら、一先ず止めようと考え
るのが普通でなくて?」
「う・・・。」
女性の言葉に興奮していたのが冷めてきたのか、男は言葉を詰まらせる。
「全く、どうしてこんな酷いことを・・・。」
「酷い!?そらぁ・・・ちったぁ殴りすぎたかもしれんが、悪いのはそのクソガキの方だぞ!」
女性の
「このガキが俺の所のパンを盗んだんだ!盗人は悪人だろう!?だから罰を加えて何が悪い!!」
二十世紀、二十一世紀と時代が進んでも、慣習法なるものは未だ人々の生活の中に残っている。例えば
空き地や公園で草野球をしていた子供がボールで隣家の窓ガラスを割ったとする。法律に照らし合わせ
るならば、器物破損の罪で子供の親に賠償請求する所を
「ですが、ムッシュー。これ以上殴り続ければ、その子はただでは済まなかったと思われます。万が一
命を落とすようなことがあれば、過程はどうあれ罪に問われるのは貴方でしてよ。」
女性の言葉に男は反論できない。
「お嬢様!どうやら命に別状はない模様です。」
「あら、良かったですわね。」
女性が爺と呼んでいた老人がジムの様子を診て、彼女に声をかけた。それを受けて女性は皮肉めいた笑
みを浮かべる。
「さあ、お気がお済でしたらお引取り願えますかしら?」
「・・・勝手にしやがれ!」
男はそう吐き捨てるとズカズカと足音も荒くその場を去っていった。
(死に損ねたな・・・。)
ジムは男が立ち去るのを感じ、そう思った。それ以降のことは彼の記憶に残っていない。何故なら、ジ
ムはそこで限界に達し、自らの意識を手放していたのだから。
次にジムが目を覚ますと、彼は見知らぬ部屋にいた。真っ白なシーツ、柔らかすぎて気持ち悪い位の
ベッド。調度品は素人目に見ても分かる位
(何だ・・・ここ?)
ここは一体どこなのだろうか。自分はまだ夢を見ているのだろうか。ジムは呆然と周囲を見回す。
「痛っ!?」
定番の頬と
(痛いイタイいたイいたいイタい痛イいタイ痛いイタイいたい・・・!!)
ただそれだけしか頭に浮かばなかった。
「坊や、目を覚まし・・・爺!すぐ医者の用意を!!」
「はい!お嬢様!!」
だから部屋に誰かが入ってきたのかもそれが誰なのかも、ジムは医者に鎮痛剤を打たれるまで気づきも
しなかったのである。
「これでいいでしょう。ですが、しばらくの間は絶対安静にしておいてください。」
そう言い残して医者と名乗る人物は部屋を出て行った。残ったのはジムと金髪の女性と老人の三人で
ある。
(うわ〜、美人・・・。)
ジムは場違いにもそう思った。あながち天使と間違えられてもおかしくない美しさをその女性は持って
いたのだから。そんな中、ジムが黙っていると、女性の方から口を開いた。
「私はシェリー。坊や、貴方の名前は?」
「・・・そっちのおじいさんは?」
「私はお嬢様にお仕えしている者です。お気になられずとも結構です。」
「・・・ジム。」
「それが名前?」
「そうだよ。」
「私が貴方が殴られていたのを止めに入ったのは覚えてる?」
「・・・ああ、そういえば、そんな奇特な人もいたね。お姉さんだったんだ。」
助けられたと言ったって感謝する気もさらさらないジムは淡々とそう述べた。
「聞いていいかしら。」
「何を。」
「何故パンを盗んだの?」
「はっ・・・愚問だね。そんなのそうしなきゃ生きていけないからに決まってるだろ。」
シェリーと名乗った女性の質問にジムは鼻で笑った。彼女はジムとは違い何不自由ない・・・少なくと
も飢えることとは縁のない生活をしてきた人間なのだろう。
(ホテルなのか自宅なのかは知らないけど、こんな部屋にいる辺り結構な金持ちなんだろうな。)
ジムはおぼろげながらもシェリーの素性についてそう判断する。ジムは金持ちに対する偏見は特になか
ったがこれ見よがしに財力を見せ付けるようなタイプは好きではなかった。
「盗みは悪いこと。犯罪だと分かっているの?」
「そんなことより、俺の持っていた袋は?」
「・・・ここにあるわ。中身は貴方が盗んだというパンね。」
「まあ、そうなるね。だけどお姉さん、俺はこれでも盗む物を選んでいるんだよ。このパンだって数ば
かりあっていつも売れ残るヤツだし。どうせ売れ残って捨てるんだったら、スラムの連中にばら撒いて
やった方がまだ無駄にならないんじゃないかな。」
「なら、売れ残った後で譲ってもらえるように交渉はしなかったの?一日位なら、食べても死にはしな
いでしょう。」
「・・・お姉さん、綺麗な顔して言うことは結構凄いね。でも、言っても無駄さ。街の奴らはがめつい
からね。見知らぬ薄汚いガキと関わりを持ちたがらないのさ。無闇にやたらと
「そんなのやってみないと分からないじゃない・・・。」
「残念!それも経験済みさ。やったのは俺の友達だけどね。ふざけるなって散々棒でぶちのめされて、
打ち所が悪かったのか、一週間もしない内に死んだよ。もしかしたら、その店がたまたま悪かったのか
もしれないけど、そんな光景目の前で見せられてもう一度同じことのできる奴がどれだけいると思う?
少なくとも俺は別の方法を考えるよ。」
ジムは子供とは思えない程
「でもいけないことだわ。」
「それは知ってるよ。『汝、盗むなかれ。』旧約聖書モーゼの十戒第七の戒律にもあるしね。」
「・・・神を信じているの?」
「いないよ。神は殺されたんだ、悪魔にね。だから、もういないのさ。」
大人びた少年の意味深な言葉にシェリーは眉をひそめる。
「あんたも早くこの辺りから去った方がいいよ、天使さん。」
「え?」
「神様を殺した悪魔に食われない内にね。」
それだけ言うと、少年は布団の中にまた身を沈めた。しばらくすると規則正しい寝息が聞こえてくる。
恐らく鎮痛剤の作用により睡眠を誘発されたのだろう。
「一体この子の身に何があったのでしょうな。」
「爺?」
おもむろに口を開いた老人にシェリーは彼の顔を見つめた。その横顔は厳しくも深みのある空気を宿
している。
「年齢の割には酷く冷めていて、何かを諦めてしまったような
「そう・・・。」
シェリーとて貧困ゆえに荒む子供の存在は知っている。生きていくために犯罪に手を染めることも。た
だ、ジムはどこか違うような気がした。
「爺、この子の事、調べられるかしら。」
「やってみましょう。」
シェリーの命を受け、老人は深々と頭を下げた。
(金持ちってのは分かんねえ・・・。)
ジムはこの日いつになくそう思った。シェリーの世話になり始めて丸一日(寝ていた時間も含む)、
食べるものからして至れり尽くせりの状態である。
(こんな料理食べたことないし・・・。)
それはジムが見たことがないだけで、消化の良い普通のメニューであったけれど、それだって具財の量
や質に関しては段違いである。
(まあ、単に怪我人に対する同情なのかもしれないんだけどさ。)
実際ジムは絶対安静の身で動けない。何でも肋骨にヒビが入っていたらしい。他にも顔や腕といった部
分に打撲があり、少なくとも顔の形が変わりそうな位殴られたのは確かであった。
「ジム君、包帯を変える時間よ。」
「じゃあ、薬貸して。自分で塗るから。」
「駄目よ、まだ一日しか経ってないんだから。」
「痛みには慣れてる。あんたみたいに育ちの良いのと一緒にすんな。」
ジムはシェリーから奪うようにしてケースを手にした。そして無造作に包帯を解きに掛かる。そんなジ
ムを黙って見守るシェリー。
「・・・あんた、変わってるよな。」
「え?」
突然、ジムがポツリを漏らした呟きにシェリーが反応する。冷めた表情に変化はない。そんな彼がど
うにも痛々しく見えて仕方がないのは彼女の気のせいだろうか。
「薄汚い犯罪者のガキ拾って、医者まで呼んで。慈善事業のつもりか?」
「ジム君・・・。」
「善人に見られたいとかっていうなら、俺の感謝なんか期待すんなよ。どうせ礼なんかしたって何の腹
の足しにもならないんだし。」
「違うわ。私はそんなこと・・・。」
「ああ、あんたは単なる善意のつもりかもしれないけど、俺は捻くれてるから。気にしなくていいし。
あんまり他人の世話にもなりたくないから、動けるようになったらすぐ出てくから。」
ジムの態度は素っ気無いを通り越して失礼の部類に入りそうな勢いである。
「・・・あ、でも借りは借りか。一応、助けてもらって飯も食べさせてもらったし。事後請求されても
払えないけど、それで良かったら礼を言うよ。」
「別にお金なんて請求しないわよ。」
「あっそ。」
嫌味というよりは淡々と事実を述べる、そんな口調でジムはシェリーと話をしていた。そんなジムにシ
ェリーはどうしても違和感がするのである。彼女にとっては何故か彼が無理をしているように見えたの
だ。子供らしくない、大人びた演技をしているように。しかも当の本人はそれを自然なことだと思い込
んでいる、そんな状態に思えた。これはシェリー自身が歳相応の子供として振舞うことの許されなかっ
た子供時代を持っていたからこそ分かる違和感なのかもしれない。
「あ、待って。背中は私が塗ってあげる。」
薬を塗りにくそうにしているジムに気づいたシェリーが彼に声をかける。
「ありがと・・・あ!」
「ふふふ、あら、ちゃんとお礼が言えるじゃない。」
「うるさい!」
シェリーの申し出に反射的にお礼を言ってしまったらしいジムは顔を赤くした。その辺りは歳相応の反
応で、シェリーには好ましく思える。これまでの冷めた表情よりずっと生き生きして見えた。
「結構照れ屋なのね、ジム君は。」
「ち、違・・・。」
「大丈夫よ、秘密にしておいてあげるわ。」
「うく・・・。」
ニッコリと笑ってみせるシェリーにジムは怯む。まさか彼女が
(照れ屋で意地っ張りで、それでいて本当は優しくて強い子が身近にいるから、こういう時の対応は慣
れてたりするのよね・・・。まあ、この子みたいに分かりやすく反応してくれることはほとんどないの
は、残念かもしれないけど。)
なんて考えていたことをジムは夢にも思わないだろう。そんな感じに二人の会話は進んでいき、ジムの
包帯を替え終わる頃には、少しだけ二人の関係は好転していた。単にジムの態度が軟化したとも言うの
かもしれない。
「ねえ、ジム君。お家族の方に連絡を取りたいもだけど、住所を教えていただけるかしら?」
ベッドから未だ動けないジムに、その側に置いたイスに腰掛けていたシェリーが尋ねる。無言でジロ
リとした視線をジムはシェリーに向けた。先程修復されかけた空気がまた険悪なものに変化しそうにな
る。
「別にジム君の窃盗に関しては今更警察に通報もしないし、ご両親に注意するような真似はしないわ。
ただ、昨夜は目を覚まさなかったから連絡できていないし、心配されているんじゃないかしら。」
「・・・本当にそう思ってるのか?」
「じゃあ貴方は他の何を思っているとでも言うの?」
不機嫌そうになるジムにシェリーは笑みをたたえた顔のまま答える。そんな彼女にジムは苦虫を噛み潰
したような顔をしたあげく、視線をあちらこちらに泳がす羽目となった。どうやら一度仮面を壊された
相手にはドツボにはまるタイプらしい。ある意味素直で嘘がつけないタイプなのかもしれなかった。し
かも本人に自覚はない。自覚があったらここまであからさまな反応はしないだろう。
(あの子もこの位素直だったらもっと扱いやすかったかもしれないわね。でもそれじゃあブラゴじゃな
くなっちゃうかしら・・・。)
シェリーはジムの様子を自分の知り合いと比較して内心こう思っていた。
「とりあえず、親はあんまり心配してないと思う。」
「まあ・・・。」
「というか、夜中に出歩く方がヤバイ。子供だから危険とかそういう問題じゃなくて。」
「・・・?」
吐き捨てるようにそう口にしたジムは心底忌々しげな様子であった。シェリーはどこか嫌な予感がして
少し緊張感を覚える。
「どうしてか・・・聞いていいかしら。」
「夜は悪魔が活性化する時間だからさ。」
どこか
「詳しくは知らない方が無難だよ。」
そう言う彼はやはり子供らしからぬ凄惨な眼をしていた。
「・・・恐らくは魔物の子がいるのかと。」
「やっぱり爺もそう思うのね。」
夕闇が押し迫る頃、ジムが眠る部屋とは別の一室で、シェリーと爺と呼ばれた老人が話をしていた。
先程まで老人はジムのことについて調べた報告を主である彼女にしていたのである。街の人間でジムの
バックグラウンドを知っている者はいないかと思われたが、一人だけ知っている者がいた。彼はジムと
同郷の出で、彼の故郷が『悪魔』に襲われる前に街に移り住んだ人物であった。もっと言うなら盗みを
して追われたジムを時折かくまってもいたという。
「人型の魔物は人間と
免疫のない人が見れば悪魔や化け物のように見えるかもしれない。
「話していただけた範囲では、ジムという少年の家族は母と弟の二人のようです。父親は亡くなったと
うかがいました。」
「そう・・・。」
「ジムはその村に派遣されていた神父を慕っていたようです。情報提供者の話では住民からの評判もよ
ろしかったようですよ。ただ・・・。」
「ただ?」
「この神父殿が数ヶ月前に亡くなられたようです。こちらで調べた所によると“不審死”の部類に入る
ようですね。事故や殺人と決め付けるには、かなり遺体の損傷が激しいこともあるのですが、決め手に
欠けるらしくて、捜査もあまり進んでいないようです。とにかく“異常”と呼ぶにふさわしい死に様だ
ったとか・・・。」
「まさか・・・魔物の子の力!?」
「はい、恐らくは・・・。近隣の集落では教会の神父殿が悪魔に取り殺されたという噂まであったと聞
きます。余程恐ろしい死に様であったのでしょう。」
シェリーと老人の表情がますます重苦しいものになる。
「これは魔物の子自ら行った行為なのかしら。それとも本の持ち主が・・・?」
「分かりません。まだ偶然起こってしまった事故ならば救われるのですが・・・。」
「でも、爺。人間と魔物の子が平和的に過ごしているなんて形は百人の中でもほんの一握りだわ。赤い
本の子やそのお友達は、本の持ち主も含めてまともだったからまだしも、王になる野心に溢れている魔
物や本の力を悪用する人間がほとんどよ。」
「そうですな。」
「中にはゾフィスのように無理やり本の持ち主を従えている魔物もいるわ・・・。」
シェリーと彼女の親友であるココ。彼女らの人生を捻じ曲げたきっかけはゾフィスという魔物の子の存
在だった。心優しかったココをゾフィスは操り、強制的に本の持ち主として魔界の王を決める戦いに参
加させたのだから。そしてシェリー自身もブラゴという魔物の本の持ち主となり、戦いに身を置くこと
となる。
「・・・どこまでこの戦いは人間を巻き込めば気が済むのよ!」
本の持ち主だけでなく、その周囲の人間も。時には赤の他人をも巻き込んで。どれだけの人間が犠牲に
なったのだろう。どれだけの魔物の子とパートナーが涙を流してきたのだろう。
「お嬢様・・・。」
シェリーは抑え切れない怒りに肩を震わせる。老人はシェリーのこれまでの苦悩を知っているだけに何
も言うことができない。重苦しい空気を
そしてどれくらい時間が経ったのだろうか。すでに外の暗闇と一体化しつつある部屋に新たな気配が
現れる。
「おい、シェリー。明かりもつけずにどうした。人間は暗いと行動が鈍るんだろう。」
「ブラゴ!」
「ブラゴ様。」
闇に溶け込むような黒尽くめの容姿に赤い瞳が獣のような輝きを放っている。その声は深く落ち着きを
帯びそれでいて戦闘時には勇猛さを宿す。彼こそがシェリーのパートナーであり、黒い本の魔物ブラゴ
である。因みに今回の王を決める戦いの優勝候補の一人であり、魔界では大人の魔物ですら恐れさせる
存在であったという。
「遅かったじゃないの、ブラゴ。」
「この辺の魔物は気配を消すのが上手いらしいな。尻尾を掴むのに時間がかかっただけだ。」
「そう・・・。」
シェリーがブラゴに声を掛ける一方、老人は部屋の明かりをつけるために移動していた。シェリー達が
話し始めて程なく、電灯が
「それでブラゴ、魔物の居場所だけど・・・。」
そしてすぐさま紙と地図を広げて作戦会議である。ブラゴも人間界で過ごす間にこちらの地図の見方く
らいは覚えたようだ。その方がシェリーとの打ち合わせが進みやすいこともあるので覚える気になった
のかもしれない。向上心があるという意味では彼らは似た者同士と言えるのだろうか・・・多分(オイ
オイ)
「そう、やはりこの村が根城なのね・・・。」
「やはり・・・?お前も何か掴んでいたのか。」
「そんな大したことじゃないわ。ただ・・・いいえ、何でもないわ。」
「何故そこで黙る。シェリー、何を隠している。俺に下手な隠し事をするな。いざという時に支障にな
ったらどうする。」
「別に変なことじゃないのよ。ただ、昨日助けた子がその村の子だったみたいで・・・。」
「人間のすることは分からんな。」
「良く言うわよ。気のない振りしちゃって。」
「何だと・・・!?」
冷たいようで意外と優しい面を持っているというか身につけたらしいブラゴを知っているシェリーは
無関心を装う彼を横目で見る。ブラゴに睨まれて目が合えばしばし睨みあう形となった。決して彼らは
犬猿の仲ではない。腐ってもパートナー。共に戦う相手である。こんなことでも一種のコミュニケーシ
ョンだったりするのだ。
「その子ね、ジムって言うのよ。」
「ジム?ああ、お前が助けたって言うガキか。」
「哀しい眼をしてたわ。表情も荒んでいて、酷かった・・・。」
「フン。人間は弱すぎなんだよ。肉体的にも精神的にも。」
「いいえ、そういう意味ではジムは強い子みたいよ。でも別の意味では凄く
ブラゴに語りかけるような、それでいて独白のようなシェリーの口調。
「ちょっと貴方に似てるかもしれないわ。」
「は?」
怪訝そうな顔つきをするブラゴにシェリーは答えない。
「どういう意味だ。」
「さあ?自分で考えてみたら。」
ブラゴが問いかけてもシェリーの反応はつれないものである。
「・・・相変わらず訳の分からん女だな。」
「ちょ・・・それどういう意味よ!?」
「お嬢様、ブラゴ様。話が逸れていますよ。」
『あ。』
老人の指摘を受けてシェリーとブラゴが思わず固まる。確かに魔物を倒すための計画を練っていたは
ずなのに、いつの間にか普通の喧嘩に入ろうとしていた。我に返った二人は慌てて居住まいを正し、再
度検討に入る。
(やれやれ困ったものですな・・・。)
そんな彼らを見て、側に控えていた老人がこっそり嘆息した。自らの主人であるシェリーとそのパート
ナーであるブラゴは、喧嘩する程仲が良いというか、意外と細かい
(仲良き事は美しきかなとは申しますが・・・。)
人間と魔物の友愛関係についてはいろいろと考えさせられてしまう。とはいえ、シェリーが満足するな
ら特に支障はないと考えている老人であった。
「じゃあ、決行は明日の朝からということで。」
「強い奴だと良いんだがな。」
様々な論議を経て、ようやくシェリーとブラゴの間で作戦プランがまとまったようだ。夜の内に相手
の油断を突くことも考えられたが、現地の地形も確認しないで、万が一他人を巻き込むような羽目にな
ったらいけないと、先に周辺の様子を探ることもしたのだ。余計な人間さえいなければ力を振るうこと
に迷うことはない。何の罪もない者達が巻き込まれるのを避けたいだけ。
「絶対に勝つわよ、ブラゴ。」
「当然だ。」
キッパリと宣言するシェリーは凛としていて、ジムが例えた天使よりかは女神のような風格さえ漂わせ
ている。まるで白い炎を纏っているかのような、激しくも美しい輝きを彼女は秘めているのだ。
そう、例えるならば彼女は女神。黒い悪魔を従えてどこまでも白く在り続ける―――――――――。