10、相合傘

 

 

 

「あっめあめふれふれかあさんが〜じゃのめでおむかえうれしいな〜♪」

 黄色い傘と黄色い長靴。水色と紺の幼稚園の制服。小さな男の子が楽しげに歌いながら道を歩いていく。その隣には優しそうな瞳をした女性。きっとこの子母親であろう。二人手を繋ぎながら家路についているようであった。

「よかった・・・。」

雨に濡れた民家の屋根に佇む雛森桃はそんな彼らの様子を見守り、安堵する。彼女は先程一人の虚を斬った。それはあの子供の父親だった。幼い我が子と妻を遺して交通事故(信号無視した暴走車に撥ねられた)に遭い、彼は亡くなった。それが心残りとなり、彼はなかなか成仏することが出来ず、結果、虚にまでなってしまった。そんな彼を斬るのは正直複雑だった。生前から罪を犯し地獄行きになる虚になら斬ることに躊躇いはない。だが、そうでない虚の場合、斬ることに葛藤を感じないといえば嘘になる。特に虚から死神に護ってもらえなかったが故に虚に変化してしまった魂魄は、死神になったばかりの頃にはなかなか斬ることができなかった。それでもなお、死神の振るう刃は彼らにとって救いでもあるのだ。

 雛森が斬った虚も、妻と子を死んでからもずっと愛していて、母子家庭になってしまった彼らは酷く苦労していて、そんな二人に申し訳なくて、段々と壊れていってしまった。苦しくてでも愛しくて、彼は痛みを訴えてきていた。本当に家族を大切にしている人だったから、悲しかった。虚としての部分は苦しみから逃れたくて叫んでいた。そして人としての部分が愛する者を手にかけたくないと叫んでいた。

「これでよかったんだよね・・・。」

自分に言い聞かせるように雛森は繰り返す。愛する者をその手にかけるほど哀しいことはないだろうから。今の雛森に出来ることは自分が斬った彼に代わって、彼の息子に彼の妻に幸せが多く降り注がれることを祈るのみだ。

 雨が降り注ぐ。屋根の色が壁の色が濡れて濃いものへと変化する。雨垂れの弾ける音。紫陽花が水滴を浮かべている。葉っぱにはカタツムリ。水溜りを踏み荒らす足音。赤い傘とランドセル。紺色の傘に学生鞄。レインコートを着た人が自転車で走り抜けていって、手を繋いだ親子連れがまた目に付いた。

『ぴっちぴっちちゃっぷちゃっぷらんらんらん♪』

母親と声を揃えて楽しそうに歌う子供。その瞳は生き生きとしていて、雛森には何故か酷く眩しく感じられた。

「お母さん・・・か。」

雛森は流魂街出身で、気がついた時には母親なんて存在は側に居なかった。否、“おばあちゃん”と呼んでいた親代わりの存在は確かにいたけれど。でもふとした時に思ってしまう。自分も元は人間である以上親が存在するのだ。彼らは一体どんな人達であったのだろうかと。住民達は決して仲が悪いという訳ではなくむしろ身内同然で親しい者もいたが、雛森にとって家族と言えるのは“おばあちゃん”と、そして彼だけだった。現世は家族が多くて、雛森は時折ホームシックに陥ることがある。

(おばあちゃん・・・シロちゃん・・・。)

会いたいと一度思ってしまうと、その想いを振り切るのは難しかった。家族に会いたい。シロちゃんに会いたい。先程まで平気だった雨が急に冷たく、重く感じられる。

「・・・還ろう。」

(ううん、還らなきゃ。)

これ以上寂しさに心を侵食される前に。雛森は地獄蝶をそっと呼び出した。ソウル・ソサエティへの門が開く。雛森は胸に痛みを抱えたまま、急いで門を潜った。

 

 

 

 門を通って最初に感じたのは強い雨音。どうやらかなりの土砂降りのようである。雛森は気分がさらに鬱になってしまいそうで、密かに溜息をついた。ここから詰め所のある辺りに行くにはまた濡れていかなければならない。

(一回、部屋に戻って着替えていこうかな・・・。)

こんなずぶ濡れの体で歩いてはいろいろとまずいだろう。報告書も出さなければならないし、できれば時間を作って自分の家族でもある幼馴染の顔が見たかった。

「おかえり。」

 考え込んで俯いていた為、周囲への注意力が疎かになっていた雛森は突然かけられた声にハッとした。顔を上げると前には誰もいない。

「あれ?」

「横だ横。」

首をかしげるとすかさず聞き覚えのある声がツッコミを入れてくれた。その方向に目を向ければ、いつも眉間に皺を寄せた彼女の幼馴染兼家族なシロちゃんこと日番谷冬獅郎が立っていた。

「あれ?日番谷君どうしたの。これからお仕事?」

会えたのは嬉しいが何故彼がこの場にいるか分からずさらに首を傾げる雛森。そんな彼女に日番谷は無言で手を突き出した。

「え・・・手拭[てぬぐい]?」

「拭け。」

反射的に日番谷から手渡されたそれを受け取ってしまう雛森。それは乾いた手拭。ほのかに日番谷の体温を残したそれは雨で冷え切った身体に温かく染みた。

「・・・ありがとう。」

雛森は少し微笑んで手拭で顔を拭く。

「頭もちゃんと拭けよ。」

「え、いいよぉ・・・。」

「いいから、貸せ。」

あまり手が動いていない雛森がじれったくなったのか日番谷は彼女から手拭を奪い半ば強引に髪を拭く。

「ちゃんと拭かねえと風邪引くぞ。」

「大丈夫だよ、日番谷君。」

「お前の大丈夫は当てにならねえ。」

「何よそれ〜。」

日番谷の物言いに雛森から笑いがこぼれる。粗方雛森を拭き終わると、日番谷はスッと傘を差し出した。

「ほら、帰るぞ。」

 雛森に傘を押し付けるように受け取らせて、自分の分の傘を開く。雨避けのある場所から吹きさらしの外へ彼は足を踏み出した。煙るような雨の中、色素の薄い彼は景色に溶け込んでしまいそうに感じる。そう思った瞬間、雛森は心臓を鷲掴みにされた心地になった。

「ま、待って・・・!」

雛森は傘を差さずに手に握り締めたまま、雨の中へと走り出す。日番谷が消えてしまいそうで、自分の前から居なくなってしまいそうで、根拠のないことかもしれないが恐怖に駆られた。彼の元に辿り着き、懸命に袖を掴む。

「雛森?」

灰色に覆われる景色。視界に広がる白と黒のコントラスト。顔を上げれば彼と眼が合って、色褪せない翡翠の輝きが飛び込んでくる。

「わ、私も一緒に行く・・・!」

「それはいいが・・・傘差せよ。せっかく持ってきてやったんだから。」

しかし雛森は首を横に振るばかり。縋り付くように袖を握った小さな手と、揺れる瞳に日番谷は表情を変えないまま理由を追求することを諦めた。能天気なようで繊細な部分も多い彼女のことだ、きっと現世で何かあったのだろう。雛森の気持ちが落ち着くまでは好きにさせてやろうと日番谷は判断した。

 二人で一つの傘を広げ、ゆっくりと歩き出す。どちらが傘を持つかで一悶着あったが、日番谷が持つことを半強制的に納得させた(丸め込んだともいう)。少しずつだが雨足が弱まり、傘が弾く雨音も静かなものへと変化していく。雛森は今更になって濡れた着物の纏わりつく感触に不快感を覚えたが、隣に居る日番谷の体温が正直心地好かった。

「日番谷君、冷たくない?」

「別に・・・。」

濡れている自分のせいで日番谷の着物まで濡れてしまっていることに気付いてから何度か聞いてみたが、彼の返事はそっけないものばかりである。そんな彼の態度は決して自分を疎んじているのではないことは分かっているが雛森は不安を覚えてしまう。

(駄目駄目、そんな風に弱気になっちゃ。)

雛森は気付いていないが自分を叱咤激励している彼女は見事なまでに百面相だ。そんな雛森に日番谷は密かに苦笑する。

「心配すんな。俺はちゃんと側[ここ]に居てやる。」

視線を合わせずに日番谷が言った言葉。でも雛森の心を読み取ったかのような呟き。じんわりと胸の中が温かくなっていくのを感じ、雛森はようやく心の底から笑えたような気がした。

「ありがとう・・・。」

「何の話だ。」

そんな風にとぼけて見せるも彼の優しさで、雛森は嬉しさのあまり雨に濡れた冷たさも忘れてしまう。そして日番谷に抱きついた。

「!?」

揺れる傘。驚いた日番谷は傘を落としそうになるのを何とかバランスをとって堪える。

「雛森、お前な〜。」

「・・・私、日番谷君が居るから寂しくないよ。」

唐突に雛森が言った言葉。

「な、何だよ急に・・・。」

柄にもなく動揺する日番谷。

「ありがとう。大好き

「んな!?」

突然頬に触れた冷たいけれど柔らかい感触。それが雛森の唇であると認識した時には、日番谷の手から傘が落ちていた。雨で全身が濡れていくことに気付かないくらいに顔が熱い。

「もうすぐ雨止みそうだね〜。」

空を見上げれば遠くのそれはもう明るい。風が吹けばきっと雲も晴れるだろう。

 

 雨の日は二人で傘を差して歩こう。空が晴れたら二人で虹を見に行こう。二人一緒ならきっと寂しくないから。二人でどこまでも歩いていこう。

 

 

 

 

 

<後書き>

 何だか分かりにくい話ですけど、一応シリアスということで。何だかこのお題雛森サイドの話が多いですよね。まあ、今回は雛森さんの誕生日記念という意味合いのUPも兼ねているからいいんですが。日←雛な感じが多い。というか日番谷君よりも雛森さんの方が書きやすいみたいですね。

 書き手としては日番谷君が大好きなんですけど、動かしにくいのはこれ如何に。最後はほのぼのチックにまとめてみました〜。そして相合傘のシーンが短い(爆)

 

 

2005/06/03 UP