11、冷たい頬
あいつがいて、俺がいて、一緒に話をして、時々寄り添う
そんな穏やかな日常がずっと続いていくのだと
心のどこかで信じている自分がいた・・・。
日差しが心地好く、つい、うとうととまどろんでしまいそうな昼下がり。本日までに仕上げなければならない書類は粗方片付け終わり、まだ日数に余裕のある書類に俺が目を通していた時のことだった。
「日番谷隊長!!」
俺が仕事をしていた十番隊の執務室に断りも入れず飛び込んできた女が一人。波打つ金髪に口元のホクロ、そしてかなりのボリュームを誇る胸。名前は松本乱菊。十番隊副隊長で隊長である俺の部下だ。普段は大人の色香を漂わせる美女といった形容が相応しい女だが、今日はどうしたわけか、血相を変えた様子だった。何かあったのだろうか。
「どうかしたのか。」
余程急いできたのか、ゼエゼエと息を荒げている松本に俺は尋ねた。こいつの場合、俺的には大したことがなくても大騒ぎすることがあるのだが、緊急事態ということも有り得る。だから、松本の呼吸が落ち着くのを一先ず待つことにした。
「た、隊長、落ち着いて聞いてくださいよ・・・。」
いや、さっきまで落ち着いてなかったのはお前だ。俺は松本の前置きにふとそんなことを思う。のん気かもしれないが、最近ずっと平和で暇を持て余していたせいだろうか。どうも、未だに緊張感が湧いてこない。
「何があった。」
しかし松本は何かしら言いよどんでいるようで、一向に話を始めようとしない。実にあいつらしくなかった。松本は基本的に歯に衣を着せぬ話し方をする。それなのにこの態度。やはり何か問題があるのだろうか。少しだけ嫌な予感がした。
「・・・先程、書類を届けに五番隊へ出向いていたんです。」
それは知っている。今日みたいに仕事に余裕がある日は、五番隊へ書類を届けるのは俺自らが出向くことが多い。五番隊には俺の幼馴染で、一番身近な存在でもある雛森桃が副隊長を務めている。可愛い顔とお人好しの性格、ついでに天下無敵の天然ボケとドジっぷりを誇る奴だが、そんな人間性とは裏腹に鬼道の達人なんてスキルを持っている。お互い隊長と副隊長なんて地位にいるから、仕事が忙しくて、プライベートで会うことはほとんどない。だから、顔見せの意味も込めて、書類を届けたついでに会いにいくのだ。実際、雛森もそうやって俺の様子を見に十番隊へやってくる。三割位は単に遊びにきているんじゃないかと思う時もあるが。そして今日は雛森が仕事で現世に出向いているから、書類は運ぶのは松本に任せて、俺はここに残って仕事をしていたというわけだ。
「それで、藍染隊長に丁度書類を渡した所で、救援要請があったって、五番隊の子が駆け込んできて・・・。」
松本が言い辛そうにそう告げる。やはり、何かあったようだ。大虚でも出たのかもしれない。藍染一人出れば充分だろうが、もしかしたら念の為、他の隊から隊長格が援軍として派遣されるかもしれない。松本が慌てているということは、十番隊へその要請があったのだろうか。
「それ、雛森が率いている部隊からの要請だったって・・・!」
松本の声が震えているような気がするのは俺の気のせいだろうか。
「―――――――十人中五人が死亡、二人が重傷、まともに動けるのが三人だけだという話でした。でも、それも無傷ではないらしくて・・・。」
そう告げる声が妙に機械的に聞こえるのは何故だろうか。この後の松本の話では、十人中平隊員が六人、席官が三人、そして部隊を率いているのが副隊長である雛森だという。だが、そんな説明もノイズが掛かっているかのように、はっきりと俺には聞こえていなかったように思える。足元の感覚がなくなって、視界が安定しない。何故か頭がクラクラした。ぼんやりと世界が壊れる音を聞いたような気がした・・・。
「霜天に坐せ!氷輪丸!!」
現世に着いてすぐ、俺は斬魄刀を解放した。視界に虚の姿が入ったからということもあるが、目の前にある森の奥に何体もの虚の気配を感じたからだ。恐らく、全体巨大虚級の奴らだろう。雛森が心配だった。俺はすぐに森の中へと脚を走らせる。
「随分と・・・多いようだね。」
同行した・・・いや、正確には俺の方が藍染に同行させてもらったという形になるんだが、藍染は俺の横を走りながら、そう口にした。表情こそ落ち着いているように見えるが、瞳は笑っていない。そんな印象を受けた。俺達の後ろには五番隊の上位席官が数名、そのさらに後ろには
「五十・・・いや、百体はいるな。」
雑魚の虚まで合わせればそれくらいいるだろう。俺は霊圧の感じから、そう結論付けた。ただし、過去に霊圧を消せる虚がいたという報告があるので、それ以上の数がいる可能性もある。ますます雛森が心配だった。部隊を率いているのが雛森だとして、彼女も副隊長だ。そうやすやすと虚に殺されたりはしないだろう。死亡した五人が全員平隊員だとすれば、例えば不意打ちにあったと考えれば、被害状況はあながち不自然ではないだろう。運が悪かった、そう考えることもできる。
「雛森・・・。」
ただ、雛森は優しいから、副隊長であっても、優しいから、部下を庇って大怪我をするといった可能性が否定できない。今、部隊の中の最大戦力が彼女であったとしても、咄嗟にそう動いてしまう。雛森はそういう奴だ。あいつが傷と負う方が戦況が不利になるのだとしても、きっと部下を助けようとしてしまうだろう。
「ひ、雛森副隊長!!」
俺達から見て右手の方向で、女の声がした。そして女が叫んだのは雛森の名前。きっと同行した雛森の部下だろう。声音からして焦りがうかがえる。雛森に何かあったというのか。しかし、そんなことを考える余裕すら俺にはなかった。女の声が聞こえて程なく、俺は瞬歩を発動させていた。無意識のことだった。その時、頭の中が熱くなって何も考えられなくなっていたから・・・。
「雛森副隊長?雛森副隊長!しっかりしてください!?」
森の木々を抜けると、女の声がまた甲高く耳に届く。さらに金属がぶつかり合うような音。男の怒声。虚の笑い声。何かを噛み砕くような音。そして消え入りそうに急速に弱まっていく霊圧。誰よりも長年俺の身近にあったはずのその気配。
「雛森!!」
俺は刀を一心不乱に振るった。俺からはあいつの姿が見えない。虚に囲まれていて、何も見えない。目の前に立ちふさがる虚を次々に斬り伏せていく。虚の悲鳴が耳障りだった。
「・・・君と君は右から斬り込め!松本君は背後からだ!まだ増えるかもしれないから警戒を怠らないように!」
後ろの方で藍染の声が聞こえた。あいつらも追いついたということか。だが、そんなことより今は雛森だ。あいつはどうなった。どうしてほとんど霊圧が感じられなくなっている。虚が邪魔だ。あいつの姿が見えない。どこにいるんだ雛森!
「日番谷隊長!」
急に目の前が開けた。虚の囲みの一部を抜けたらしい。馴染みのない女の声が俺の名を呼んだ。視界に広がった光景の中で、最も強かったのは赤と黒。まともに生きている死神は二人しかいなかった。それでも刀を振るっている男は、片腕を失っていた。血の気の失せた顔で懸命に結界を維持している女は両足がありえない方向に捻じ曲がっていた。結界の外では首のない体を足から食べている虚がいた。俺の名を呼んだのは結界の中にいる女だった。結界の中にはもう一人誰かがいるようだった。そいつは倒れていて俺からは顔が見えない。
「止めろ!」
俺は殉職した死神の遺体をしゃぶっている虚に斬りかかった。力任せに虚を一刀両断にする。それからがむしゃらに刀を振り続けた。
後の報告によれば、今回雛森の部隊と救援にきた俺達が倒した虚の数は計五百体。内、四割程度は巨大虚。どうして一度にこんな大量の虚が一箇所に発生したかは分からない。ただその渦中に雛森達の部隊が入り込んでしまったのは確かだった。霊圧が消せて、異様に素早い虚が最初の襲撃で席官一人に重傷を負わせた。その虚と戦っている間に、雛森達は虚の大群に囲まれていたという。雪崩攻撃ではないが、数に押されて、瞬く間に平隊員が命を落とした。実戦経験が少なかったこともあるから仕方がない。雛森も含め、席官達が血路を開き、一先ず虚の包囲網を抜けた時には、救援要請にもあったように五人がすでにいなくなっていた。正直、ソウル・ソサエティに連絡する余裕もない戦いだったのだ。逃げては戦い、それを繰り返している内に、仲間は一人減り、二人減り、最後には俺がやってきたような状況になったのだという。
「大丈夫か!しっかりしろ!?」
誰かが誰かに声をかけている。それが誰なのかは俺に考えている余裕はない。ただ、刀を振るい続けた。
「よく頑張ったわ!すぐ救護室に運んであげるからね!!」
それでも雛森の声が聞こえない。あいつの霊圧はまだあるのに。ふと結界内で倒れていた体を思い出した。もしかしたら、あれが・・・。
「くそ!」
考えたくない考えたくない何も考えたくない。だから俺は無心に刀を振り続ける。目の前の虚を斬ることだけに集中する。
「日番谷隊長!後ろ!!」
松本の声に反射機手に俺は後ろを振り返った。俺の視界に飛び込んできたのは一体の虚。蛇のような触手がこちらに伸びてくる。くそ!一体どこから出てきやがった。気配を全く感じなかったぞ。こいつも霊圧を消せるのか!?
実際はこんなことをいちいち考えていたわけではないが、俺は振り返りながら状況を分析していた。そしてこのタイミングではまったくの無傷で済ますことは無理かもしれないと判断する。ギリギリで詠唱破棄の鬼道で注意を逸らすことができるくらいだろうか。俺は駄目で元々一定のダメージを受けることは覚悟した。ところが・・・。
ズドン
そんな音と共に虚の背中から白煙が上がる。それと同時にその動きが停止した。俺はその隙を突いて、虚を斬る。虚が昇華していき、気がつけば他の虚も松本達が倒したのか、辺りは静かになっていた。そして俺はさっきの虚を斬った体勢のまま動くことができなかった。俺の目の前にいるのは雛森で、でも顔色は青を通り越してすでに白くなっていて、明らかに憔悴しているのが分かった。突き出した掌が俺の方を向いているのは、恐らく鬼道を放って虚の気を逸らしてくれたのはあいつだということなんだろう。
「日番谷君・・・良かった。」
「雛森!?」
「雛森副隊長!!」
そして雛森は俺に対して・・・確かに微笑んだんだ。その直後、あいつの身体は傾いて、ゆっくりと倒れていった。まるで現世でいう映像のスローモーションのように。
「雛森ぃ!!」
あいつの名を叫んで、俺が近づいた時、あいつは血溜まりの中にいた。すでに色が変わり始めたそれと、まだ新しいそれと、
「雛森副隊長・・・こんな状態で破道を放つなんで無茶です!」
「えへへ・・・ごめんね。日番谷く・・・危な・・・思・・・ら・・・。」
目の前で誰かが危ない目に合いそうだったら、無意識の内に体が動く。俺の知っている雛森には確かにそういうところがあって。俺のために無茶をして、きっとあいつは俺や他の奴のために無理に笑っている。本当は声を出すのも苦しいだろうに。それでも雛森は笑うんだ。だってあいつはそういう奴だから。
「雛森!雛森!!」
俺は雛森の側に膝をついて、あいつの手を握った。そして何度も呼びかけたんだ。でも、雛森は俺の手を握り返してはくれなくて、瞳だけは俺の方を向いてくれていて、そんなあいつの姿に胸が痛くなった。
「雛森!しっかりしろ!?」
「シロちゃ・・・無事で良か・・・た。」
きっと苦しくて苦しくて仕方がないはずなのに、雛森は俺へと言葉を紡ぐ。そしてなおも言葉を続けようとして、雛森はコフリと血を吐く。
「も、桃!!」
俺は思わずあいつの名前を呼んでいた。昔は当たり前のように呼んでいた“桃”という名前を。
「・・・シロちゃんに、名前呼ばれた・・・久し振り・・・だね。」
「桃!喋るんじゃねえ!!」
貼り付けたような笑みを浮かべる桃に俺は叫んだ。無理して話なんてして欲しくない。帰ったら、お前の怪我が治ったら、いくらでも聞いてやる。だから、だから桃・・・!
「何だか・・・嬉し・・・ど、変な・・・か・・・じ。」
桃の目尻から涙が零れていく。
「・・・おかしいなあ。こ・・・寒い・・・あれぇ?」
途切れ途切れに言葉を紡ぐ桃の瞳が次第に
「シロちゃ・・・刀、解放して・・・でしょ〜?だか・・・寒い・・・だよぉ。」
「桃!桃!?俺をちゃんと見ろ!!」
「・・・シロちゃん。」
僅かに桃の手が動く。俺はあいつの手を両手で握ったままで、桃は本当に緩慢な仕草で、指を俺の頬へと伸ばした。
「シロちゃ・・・ほっぺ、冷た・・・ね。寒・・・い?」
うわ言を呟くように桃が言う。頭の中の冷静な部分が、絶望的だと告げる。桃の感覚はすでに正常ではなくなっていた。決して寒くないのに寒いと言い、俺よりも桃の手の方が冷たく感じるのに、冷たいと言う。
「も、桃・・・駄目だ!」
「ご・・・めんね?」
きっと桃はもう自分が何を言っているのか分かっていない。俺だってまともに思考なんか働いていなかった。
「あ・・・のね、あた・・・し・・・・・・。」
「駄目だ・・・!逝くな桃!!」
「シ・・・ロちゃ、大す・・・き・・・・・・。」
「桃ぉおおおおおおおおおお!!!」
俺の頬に触れていた桃の手が力を失いガクリと落ちる。あいつの霊圧が急速に薄れて消えていく。止めてくれ止めてくれ!こんなのは嘘だと、夢だと思いたいのに、目の前に突きつけられた現実を俺は否定することもできなくて。俺はあいつの名を呼び絶叫した・・・。
ほら、日常はこんな些細なことから崩れだす
あの日、雛森から死神の学校に行くのだと告げられたように
ただ、あの時と違うのはもうあいつがどこにもいないのだということ
あの心を癒す霊圧に触れることは二度とないのだということ
数日後、五番隊に設置された遺体安置室に、雛森の身体は置かれていた。他の・・・遺体を回収できた殉職者達と一緒に。他の遺体に比べれば損傷の少なかった雛森は、今、綺麗に清められ、俺の目の前で横になっている。白装束の単姿がより一層あいつを白く見せていた。
「雛森・・・。」
震えそうになる腕を伸ばし、あいつの頬に触れてみる。ゾクリとする程冷たい。刀とも氷とも違う、死人独特の冷たさ。
「雛森・・・。」
不思議と涙は出なかった。松本や藍染の話では、雛森が死ぬ直前、俺は泣いていたらしいが、あの時の俺には気づけなかった。だからいつから泣いていたのかも覚えていない。
「雛森。」
額にそっと口付ける。けれどもあいつが照れて頬を染めることはもうない。頬をその名の如く桃色に染めて、少し拗ねた後、あいつは微笑む。その顔を見るのが俺は好きだった。
「雛森。」
両頬に接吻を送る。熱を持たないそれは酷く無機質で哀しい。雛森からはともかく、俺があいつの頬にそうすることはあまりなかった気がする。多分、本当に子供の時以来じゃないだろうか。少なくとも俺が自らの意思をもって触れるのは、今まで覚えている限りではない。こんな冷たい頬に口付けするのが初めてになるとは夢にも思わなかった。
「桃・・・。」
そして俺は死化粧として紅を
愛していたのに、誰よりお前を
けれども、その想いは二度とあいつに届くことはない――――――――――。
<後書き>
暗いです。死にネタです。いろいろとごめんなさい。因みにこの話の藍染さんは本性が「白」設定だったりします。全ては水無月の元に降臨なさった暗黒神という名の創作の神のせいなのです(死)
これ、スプラッタ描写とかあるんで、奈落に置こうかどうか迷ったんですけど、結局お題の一つということで表に置いてしまいました。苦手な人はごめんなさい。
2006/06/16 UP