2、迷路
かつて天才児と言われ、異例の速さで統学院を卒業し、史上最年少で護廷十三隊の隊長の座に着いた日番谷冬獅郎。そんな彼も今ではすっかり大人になり、幼馴染である雛森桃と結婚した。現在は誰もが認める十番隊隊長として、日々仕事に励んでいる。そして日番谷夫婦の長男は、容姿が母親似で、性格は父親寄りであるという。二人の息子だけあって、霊力が高く、隊長格の人々にも将来を期待されていた。そのせいか、子守と称した戦闘訓練を受けさせられたりと、ちょっと微妙な可愛がられ方をしていたりする。ともあれ、少年はある意味順当に今年度の真央霊術院一回生として首席合格を果たしたのだった。
「シロちゃん、春君どうしてるかな?」
「この前会ったばかりだろうが。」
十番隊執務室にて、冬獅郎に話しかけるのは旧姓雛森桃こと日番谷桃。冬獅郎の妻である。結婚してからはすっかり呼び方が昔に戻ってしまった桃に、冬獅郎は当初いろいろ思う所はあったものの、今ではすっかり諦めの境地に達した。時折『何で息子がクン呼びで俺がチャン付けなんだろう・・・』という思考が頭を過ぎることはあるが。
「だって、春君、この間怪我したばっかりで・・・心配だよ。」
「大丈夫だろ。卯ノ花に治療してもらったんだ。それにあいつだって死神目指してるんだ。怪我は付き物だろ。」
「だって〜・・・やっぱりお母さんだもん。心配だよ。」
「そりゃ、心配するのはいいけどな・・・過保護は良くないだろ?」
「だって、春君、統学院の寮に入っちゃって・・・簡単に会えなくなっちゃったんだもん。寂しいよ・・・。」
シュンとしてしまった桃に冬獅郎は呆れた表情を浮かべる。
「お前な〜、それ、昔、俺を残してさっさと入学しやがった奴の言うことじゃねえだろ。」
「ううう・・・だって、寂しいんだもん!私だって、入学した時本当はシロちゃんやおばあちゃんと離れて寂しかったんだもん!シロちゃんはどうなの!?」
「開き直ったな・・・桃、それは俺がいつからお前のこと好きか分かってて聞いてんのか?」
「そ、それは・・・もう!シロちゃんの意地悪!!」
桃は顔を真っ赤にして冬獅郎に書類を押し付けると、そのままパタパタと足音を立てて執務室を後にした。いつまでたっても初々しい反応である。そんな彼女に気が抜けてしまった冬獅郎は、押し付けられた書類に目を通さずそのまま机へと置いた。そして椅子の背もたれに体重を預ける。ギシリと椅子は音を立てた。
「大体、俺がいるのに寂しいとかいうなよな・・・。」
「
思わず漏れてしまった独り言に言葉が返ってきて、冬獅郎は内心ギョッとして声のした方に目を向けた。すると執務室の戸口に立っている赤毛の男が一人。桃の学生時代からの友人で冬獅郎ともそれなりに親しい阿散井恋次である。
「何の用だ。」
少々跋の悪い思いをしたものの、そんなことは臆面にも出さず、冬獅郎は恋次に向き直る。
「別に、いつも通り書類届けにきたんですよ。あと、ちょっと変な話聞いたもんで。」
「変な話?」
室内に入り恋次は話しながら冬獅郎の前まで来る。
「何でも、桃にそっくりな少年が廷内をうろついているって内容なんですよ。何で男かって言うと、その子供、統学院の制服着てたらしくて・・・。」
書類を冬獅郎に渡しながら恋次は言う。
「俺、そいつ、春樹じゃないかと・・・。」
「まさか・・・!?」
「一応、日番谷隊長にも知らせた方が良いと思って。何か、あいつ泣いてたらしいんですよ。」
「は?」
「いや、侵入者だと思って捕まえようとした奴、反射的に殴り飛ばしたらしくて。その時の目撃証言では、そうだったとか。」
恋次の言葉に冬獅郎は眉をしかめる。冬獅郎の息子の春樹は親の彼が言うのも難だが、かなりしっかりした子供である。自立心もあるし、周囲への気遣いも出来る方だ。我慢強くもある。普通の子供と比べると若干早熟かもしれないが、冬獅郎達の前では素直な部分も見せたので、あまり気にしていなかった。それでも幼児期ならともかく、ある程度大きくなってからは、滅多に泣くようなことはなかった気がする。少なくとも人前では。
「もしかしたら、日番谷隊長か桃の奴に会いにきたと思ったんですけどね〜。あとは、この間の怪我の関係で卯ノ花隊長の所か・・・。」
「本当に・・・春樹か?」
「さあ、あくまで俺の予想ですけど。でも統学院の制服着た桃にそっくりな奴って春樹くらいしか思いつかないですし。」
冬獅郎と恋次が何とも言えない顔つきになった。その時・・・
『!?』
二人は巨大な霊圧が破裂するような衝撃を覚える。そして目を見開いた。
「今の霊圧・・・は、まさか――――――――――。」
「春・・・樹?」
それは確かに春樹の霊圧だった。一瞬で爆発し、一気に波が引いていく。慌てて感知しようと気を張れば、消えたと思ったそれが歪みを帯びて広がっていく。まるで霊気が暴走しているようだった。
「春樹!」
「日番谷隊長!俺も行きます!!」
嫌な予感がして、冬獅郎が執務室から飛び出す。そして恋次も彼の後に続いた。
不規則に形を変える霊圧を探り、冬獅郎は慣れない者には迷路のように複雑な廷内を走る。次第に彼についてきた恋次が引き離されてしまったが、冬獅郎は後ろの者を気にしている余裕がない。ある程度近づくと急に耳鳴りがした。冬獅郎は思わず足を止め両手で耳を塞ぐ。
「何だ・・・今のは。」
周囲を見渡せば気絶しているのか倒れているどこかの隊の隊員が数人いた。
「これは、一体・・・。」
とりあえず冬獅郎は足を進めることを再開する。
「う!?」
進むごとに倒れている人が多くなっていく。中には冬獅郎のように耳を押さえて表情を湯歪めている者もいたい。
(何だ・・・頭・・・それに耳が痛いぞ。)
春樹の霊圧は確かに強い。暴走しているせいか、余計圧力がある気がする。だが、それでも隊長格や上位席官を足止めするような威力はないはずである。それなのに足が上手く進んでいかない。時折ふらついて倒れそうになる。
(まさか・・・原因はこの耳鳴りか!?)
音波・空気振動、そういったものが脳に影響を与え、人の感覚を狂わせる。例えるなら東仙要の斬魄刀清虫の能力に近いだろうか。
「くそ!」
耳鳴りがする感覚は不規則で、けれども春樹の霊圧が噴出す感覚に沿っている。このことから耳鳴りの発生源が春樹に関係していることが推測できた。
「ヒッツー!剣ちゃん、ヒッツーが来た!!」
「日番谷!こっちだ!!」
人々で出来た垣の向こうに長身で目立つ更木剣八と草鹿やちるの姿が見える。冬獅郎は人垣を一足飛びに飛び越えると、剣八の横へと着地した。辿り着いた先はさらに酷い騒音の坩堝のような空間。春樹の乱れた霊圧が風を起こしている。頭が割れそうな痛みが容赦なく襲い掛かる。これ以上前に進んだら発狂しそうだった。そして視線の先に地面にうずくまっている少年の姿。
「ああああああああああああああああ・・・!!」
懐に抱え込むようにして、斬魄刀の柄が見える。言葉にならない叫びが彼の口から溢れ出していた。
「春樹!!」
冬獅郎が大声で彼の名前を呼ぶ。聞こえているかは分からない。だが、このまま力を暴走させたままでは近い内に自滅する。何としても止めなければならなかった。
「ぐぅ!?」
一歩前に進もうとして、酷い頭痛に膝を付きそうになる。冬獅郎はそれでも足を進めようとした。
「む、無茶だよ!ヒッツー!」
やちるが叫ぶ。
「日番谷!春樹!」
剣八が彼ら親子の名を呼ぶ。
「剣ちゃん!このままじゃヒッツーも春君も駄目になっちゃうよ!?」
「チッ・・・こうなったら・・・・・・春樹ぃい!!」
「更木!何を!?」
やちるの言葉を受けて、剣八はなおも歩を進めようとしていた冬獅郎の肩を掴み後ろへと引き戻すと、今度は春樹に対し攻撃的な霊圧を放った。むしろ殺気と言っていいかもしれない。斬魄刀との対話もなしに圧倒的な強さで隊長になった剣八の凶悪なまでの強さを誇る霊圧である。それは一か八かの手段であったが、暴走している春樹の注意を逸らして正気に戻す荒療治の意味を含んでいた。そのせいか自分を苛む痛みや苦しみに思考を奪われていた春樹が突如横から浴びせられた殺気に弾かれたように体勢を変える。斬魄刀を盾にするような形で身体も支え、なおかつ片膝をついた体勢だ。
「・・・剣八さん?」
荒い息を吐きながら、春樹は呆然と目の前の人物を見詰める。肩で息をしていたが、それでも彼は剣八の存在を認識していた。
「ようやく目を覚ましたか・・・。」
「春君!大丈夫!?」
「やちる・・・さん?」
暴走状態から我に返ったらしい春樹は、声を掛けられたやちるに視線を移す。
「何で・・・オレ・・・ううう!?」
そのまま倒れこみそうになって、春樹は刀を杖代わりにして体を支えた。
「春樹!!」
冬獅郎が剣八の身体を押しのけるようにして前に出る。
「と、父さ・・・?うああああああ!!」
「春樹!どうしたんだ!?」
「な、何か・・・オレの中で、あ、暴れて・・・暴れて・・・熱い!抑えられ・・・な、い!くぅううう・・・!!」
苦しみながらも無理に抑えようとしているのか、春樹の霊圧は乱れている。また暴走が始まりかけているのだ。
「春樹!無理に抑えようとするな!!そうじゃない!受け流すんだよ!?」
「そ、んなこと・・・分からな・・・ああああああ!!」
「ひ、ヒッツー・・・!春君が!!」
「分かってる!春樹!何でも良い!鬼道でも何でもいいから!力を解放しろ!!お前の抑え込み方じゃ暴発するだけだ!!」
冬獅郎は間近で触れた春樹の霊圧の状態から、力の放出のコントロールが出来なくなっていることを見抜いた。それを無理やり押さえ込もうとして、弾かれるといった状態を繰り返しているらしい。
「とにかく霊力を消費させるんだ!!」
冬獅郎が怒鳴る。春樹は答えない。それとも、もう話すだけの精神力が残されていないのか。柄に額を当てたまま俯いている。
「早くしろ!春樹!!」
「春君!頑張れ!!」
「てめえはこの程度でくたばる奴じゃねえだろ!!」
冬獅郎が、やちるが、剣八が、春樹へと声を掛ける。そして・・・
「・・・う、
春樹の叫びと開放された力が周囲の音を掻き消した。
力を解放してガス抜きができたのか、春樹の暴走した霊圧が収まり、現場に周囲から人々が集まってきた。しかしその開放瞬間の威力たるや、一番近くにいた冬獅郎・剣八・やちるの聴力を二分程麻痺させ、春樹自身がいた場所には小規模ながらくっきりとしたクレーターができている。
「ひ、日番谷隊長!」
「シロちゃん!春君は!?」
そこへやってきたのは冬獅郎の後を追って出たはずの恋次と騒ぎを聞きつけて途中で彼と合流した桃だった。ふらつきながらも、すでに目を回した人垣だった面々を踏まないように注意して、恋次と桃は冬獅郎達へと近づく。
「あそこだ。」
余程春樹のことが心配だったのだろう。半泣きの顔で冬獅郎に尋ねた桃に冬獅郎は親指で先にあるクレーターを示した。
「は、春君!?」
慌てて駆け寄ろうとする桃の手を冬獅郎が掴んで止める。
「し、シロちゃん離して!春君が!!」
「待て、桃。まだ行くな。」
「どうして!?」
我が子の元へ行こうとした彼女を止める冬獅郎に桃は信じられないものを見るような顔をする。
「あいつは一人で立てるはずだ。ここでお前が手を貸すべきじゃない。」
「そ、そんな・・・!?」
「最後まで自分の力で立ち上がれてこそ、春樹は成長できる。」
「だ、だけど・・・。」
「・・・春樹は、あいつは、霊力が暴走している間、俺達の存在に気づいても一度だって助けを求めたりしなかった。」
「!?」
「必死で自分だけの力で何とかしようとしていた。」
桃が腕を振り払わないように注意しながら、冬獅郎は語る。
「そうやって、自力で溜め込んだ力を吐き出して、ちゃんと状態を元に戻したんだ。」
「春君・・・。」
桃が春樹のいるクレーターを見つめる。
「親なら、最後までちゃんと見守ってやれ。」
そして冬獅郎達は黙ってクレーターの中心を見守っていた。やがて、ガチャリと何か硬い物を踏んだような音がして、人影がユラリと起き上がる。
『春樹!』
『春君!』
冬獅郎達はほぼ同時に彼の名を呼んだ。
「父さん・・・それに母さんも?たはは・・・ご迷惑おかけし・・・・・・。」
冬獅郎達の方を向いて力なく笑った春樹の体がゆっくりと後ろに倒れていく。
「春樹!!」
桃達が一瞬、息を呑む中、冬獅郎は咄嗟に瞬歩を使って春樹の後ろに回り、倒れていく体を受け止めた。
「春君!」
さらに血相を変えた桃が冬獅郎と春樹の元へと駆けつける。
「春君!春君!?しっかりして!!」
「気を失ってるな・・・。」
桃が涙を流して語りかけるも、春樹の意識はすでに無い。
「嫌ぁ!?春君!春君!!」
「落ち着け、桃。とりあえず、救護室にでも連れて行ってやろう。」
「あ・・・う、うん。」
「それから、ここの後始末だけど・・・更木達に頼んでいいか。阿散井も付けるから。」
『えええええ!?』
冬獅郎の言葉に双方驚きとブーイング。
「俺は途中から来たからな。説明できないこともあるかもしれないだろ。」
「そんなことないよ〜、あたしたちだって最初からいたわけじゃないよ?」
「俺もこいつを運んだら協力する。だから、頼む。」
「仕方ねえ。そこら辺でぶっ倒れている奴起こせばいいだけだろ。それで良かったら協力してやるよ。」
「じゃあ阿散井が起きた連中から話聞いていってくれ。」
「えええ!?」
「それじゃあ、行くぞ、桃。」
「うん・・・。」
そして剣八にのみ了承を得ると恋次の返事は待たず、冬獅郎は桃と一緒にその場を後にした。気絶した春樹を肩に担ぎ上げて。
四番隊区画にある病室。目を覚ました春樹は四番隊隊長である卯ノ花烈の診察を終え、今日一日は絶対安静するよう告げられた。そして廷内に侵入したこと及び騒動を起こしたことに対し、両親からクドクドと説教を受けた。しかし霊力が暴走し始めた心当たりといったことを尋ねられると口をつぐんだ。
「春君、どうして黙ってるの?」
母である桃に何度も優しく諭されても、春樹は俯くばかり。
「・・・どうしても言えないことなのか。」
「父さん・・・。」
しばらく黙っていた冬獅郎が尋ねると、春樹は父親を見つめて表情を歪めた。本当は泣きたいのに我慢している、そういう瞳をしていた。
「俺にも、桃にも、話せないことか?」
再度、冬獅郎が問いかける。沈黙は病室を包み込んだ。
「・・・父さんにだけなら、話す。」
やがて春樹はポツリとそう漏らした。
「え?シロちゃん・・・というかお父さんだけなの!?私は?お母さんは!?」
「・・・母さんには言わない。」
春樹の言葉にショックを受ける桃。
「うう〜、小さい頃は私の方が春君に懐かれてたのに・・・シロちゃんばっかりずるい!」
『いや、そういう問題じゃないし。』
桃の抗議に父子揃ったダブルツッコミ。
「ほら、桃はとりあえず部屋出てろ。今から俺は春樹の話聞くから。」
「え〜!そんな・・・春く〜ん、お母さんも一緒じゃ本当に駄目なの〜?」
「心配してくれるのは嬉しいけど・・・・ちょっと。」
桃を病室から押し出そうとする冬獅郎。その場に残ろうと粘る桃。首を横に振る春樹。何とも微妙な親子劇場が展開されたところで、桃は冬獅郎に部屋から追い出されてしまった。
しかも・・・
「そうそう、こっそり盗み聞きとかしようとかすんなよ。霊圧が消えたか離れたかなんて違い、すぐ分かるんだからな。」
と、冬獅郎に釘を刺されてしまった。別に勝負も何もないのだが、妙な敗北感を覚えたまま桃は引き下がることになる。
桃の霊圧が遠ざかったのを確認して、冬獅郎は改めて春樹に向き直った。春樹はベッドに上半身を起こし、冬獅郎は正面の壁に背を預けた体勢で、何をするでもなく、ただ沈黙に身を任せている。否、冬獅郎は春樹が話す気持ちになるのを待っていた。
「・・・父さん、話す前に少し聞きたいことがあるんだけど。」
「何だ。」
「父さんは、昔・・・その、“化け物”って呼ばれてたことがあるって本当?」
「は!?」
そしてようやく話し始めたかと思えば、春樹はとんでもないセリフを言い放つ。この冬獅郎にとって予想外の行動を起こすところももしかしたら母譲りなのかもしれない。
「お前、いきなり何を言い出して・・・。」
「だって!東郷とか藤原・・・先生とか、和也の奴だって・・・オレ・・・化け物・・・言うし、父さん・・・異常だって・・・・!」
考えないまま吐き出した言葉は事情を知らない冬獅郎にとっては支離滅裂で、春樹にどう返事をしていいか分からない。ベッドの掛け布団にあるシーツを握り締めたまま春樹は訴える。
「オレ・・・本当は目立つの好きじゃないし。力とか自慢した覚えはないし、驕る積もりはないけど、でも怪我させるの嫌だし・・・。」
「春樹・・・。」
「父さん達みたいに手加減できるわけじゃないから、途中からセーブなんてできないし・・・だから、どうやっていいか、本当は分かんなくて、そしたら結局本気出してないことになっちゃって・・・。」
唇を噛み締めて春樹は何かを耐えていた。
「けど、あいつらは全力でやってないと馬鹿にしてるって言うくせに、いつもより力込めたら実力の違い見せ付けて馬鹿にしてるってまた言うし!だったらオレはどうしたらいいんだよ!?」
「春樹!お前、泣いて・・・。」
「オレは天才なんかじゃない!勉強嫌いじゃないし、強くなりたいからちゃんと努力だってしてる!他の奴らを馬鹿にした覚えもないのに、勝手にそういうことにされて!努力知らずだ!親の七光りだって噂広められて!!挙句の果てに化け物扱いかよ!?」
自分が涙を流しているのに気づいていないのか、春樹は感情を吐露し続ける。
「始解が出来たことずっと隠しとけばよかったのか!それともテストの答えわざと間違えて成績落とせばよかったのか!手合わせの稽古に全敗しとけばよかったのかよ!?オレが駄目になったら駄目になったで、隊長の息子のくせに何もできないとか陰口叩くくせに!!」
「春樹!!」
またもや噴き上がるように霊圧が乱れ始めた春樹の両肩を冬獅郎は掴んだ。せっかく暴走が収まったというのに、また元に戻ってはたまらない。同じ色をした翡翠の瞳がお互いを見詰め合う。
「落ち着け。俺がついてる。自分の中の霊圧の流れをちゃんと感じろ。」
「父さん・・・オレ・・・ありがとう。」
収まりつつある霊圧に二人はそろそろと息を吐き出す。
「あまり興奮しないで落ち着いて話せ。俺がちゃんと聞いてやるから。」
「うん・・・。」
「だがな・・・お前が自分のことをどう思おうと、俺や桃はお前の味方だ。もちろん更木や草鹿、阿散井だってお前のことを心配してる。お前の味方は多いんだぞ?」
「だけど・・・。」
「期待してる奴だって多い。でも俺達はそれだけの器が無い奴にそんなことはしない。お前に俺達の期待に応えられるだけの能力があると考えてるから、そうしてるんだ。余り自分を見くびるなよ。」
「絶対買いかぶりだよ・・・。」
「隊長格にも近づけないような霊圧と能力出してた奴が何を言う。」
冬獅郎に頭をワシャワシャと撫でられて、春樹は少しだけ笑うことができた。泣き笑いの表情であったけれど。
そして春樹は語りだす。統学院に入ってからの出来事を。これまで誰にも話したことがなく、ずっと胸の内に秘めていた自らの考えを・・・。
「・・・オレ、本当は目立ちたくなかったんだ。父さん達のことでいちいち比較されたりして、そういうの、本当は嫌だったんだ。」
入学して程なく、冬獅郎と桃の息子ということが周囲に知られてから、一挙一動を監視されているような日々。羨望・敵意・打算・建前、そういったものが向けられ、
「オレのこと、敵視している奴も多かったけど、少しだけど、オレのこと、ちゃんと“春樹”として見てくれる人達もいて・・・。そういう人達がいるなら、それでいいと思ってたんだ。ちゃんとオレを見てくれる人がいれば、オレはアイデンティティを確立したままでいられるから・・・。人間が自我を認識するには他者の存在が不可欠だしね。」
春樹が自嘲気味に肩を竦めてみせる。
「でも、前に実習があってから、周囲の悪意・・・みたいのがいつもより強くなってきたんだ。これまで、表面上は普通にしていた連中も、態度がおかしくなってきて・・・。オレが友達だと思ってた奴もいい人だったと思っていた先生も、本当はオレのこと、まともな奴じゃないと思ってたんだ・・・。」
信頼していた相手に化け物と思われていたことに対する衝撃は、日に日に春樹の精神力を蝕み、とうとう霊圧の制御すらできなくしてしまった。本人に自覚はなかったが、春樹は始解を果たしたことにより、潜在能力とでもいうべきなのだろうか、眠っていた霊力が急激に成長し始めた。知らず知らずの内に春樹という器を溢れ、その周囲へと力を放出する。しかしそれは本来一時的なものであるはずだった。斬魄刀の能力の質にもよるが、自然と無意識の内に流れ出る霊圧は収まっていくはずなのだ。本人の状態に何の問題もなければ。
『・・・気味悪いっていうか、最近ちょっと気持ち悪いかも。』
例えば、何か悩み事がある。例えば、病気を患っている。心・体共に万全の状態であれば揺るがないそれが、些細なことでバランスを崩しだす。目覚め始めはとみにその影響を受ける。春樹の場合、普段から冬獅郎の桃の息子で、隊長格と顔見知りであること、彼らの子供であることで、一部の教師に贔屓されていること(実際春樹の成績は優秀だったが)、バックグラウンド故に学校中から注目されていること、そして敵意にも晒されていること。まず、そういった環境により、知らず知らずの内にストレスが溜まっていた。
『日番谷春樹の方も・・・かなり異常だけどな。』
次に、初めての魂葬実習で、虚の襲撃を受けたこと。そして初めて始解をして、虚と戦ったこと。あまりにも早かった力の目覚めに、その威力に、最後まで心を折られず戦い抜いた姿勢に、周囲は驚きと共に羨み嫉妬した。そして彼の力の目覚めは、これまで表立っては現れていなかった、人々の内に眠る妬みや嫉みの感情までをも目覚めさせたのだ。そうして押し付けられた負の感情がどれほど相手を苦しめるか微塵も考えずに、彼らは春樹をそう意識した。
『よ、寄るな!化け物ぉおお!!』
そして信頼できると思っていた相手からの裏切りとも取れる言葉。さらに面を向かって告げられた怯えを含んだ『化け物』という言葉。それらが春樹の中にバランスをさらに崩させ、とうとう力の暴走を招いたのである。
「父さん、オレは化け物なの・・・?」
不安に揺れた瞳で春樹は冬獅郎を見上げる。しっかりしているように見えても、彼はまだ子供で、些細なことでぐらつく。隊長格を両親に持ち、それが縁で護廷十三隊の面々と知り合いで、時折手合わせをしてもらう機会があっても、決して彼は一人前の死神ではなくて。統学院にだって入学して一年目の未熟な存在だった。
「・・・全く、お前は迷路みたいな悩み方しやがって。そういうところは母親そっくりだよ。」
話を終えた春樹に冬獅郎は慈愛に満ちた苦笑を浮かべた。そして迷いから抜け出しきれない息子の頭を優しく撫でてやる。
「父さん・・・。」
「―――――俺も確かに昔、化け物扱いされたことがある。」
冬獅郎の言葉に春樹の体が震えるのが伝わってきた。
「他人の陰口なんて気にするだけ無駄だって思っていたって、言われて嬉しいものでもないしな。悔しければそれをバネにして自分を高める努力をした方がよっぽど建設的なのに。他人を妬んで傷つける行為をする方が情けないのにな。」
「うん・・・。」
「誰でも多かれ少なかれ他者を厭う感情が芽生えるものだ。一過性の場合もあるが、根深い憎悪になる事もある。客観的な正統性もなくワザとそうする奴は馬鹿以外何者でもないが、カッとなってやっちまう場合もある。売り言葉に買い言葉って言葉もあるしな。」
「うん・・・。」
「だが、そういった辛い言葉をぶつけられてお前が傷ついたり、ムカついたりしちまうのはおかしいことじゃない。天才と言われようが化け物と言われようが俺もお前も人間だ。笑うこともあれば泣くこともあるし、ムカつく奴を殴りたいと思うこともある。」
「いや、殴るって・・・。」
冬獅郎の主張に春樹は少しだけ苦笑する。
「存在を否定されれば傷つくし、慕われれば嬉しいし、認められていると思えば自信がつく。そう感じるのが自然だ。どう頑張っても馬の合わない奴はいるもんだし、松本は未だに俺のことたまにだがおちょくるし、浮竹が子供扱い止めないのは納得できないし、桃なんか結局シロちゃんのままだし・・・。」
「父さん、話逸れてない?」
「ああ、すまん、逸れてたか?とにかく、お前が統学院の奴らの態度に憤りを感じるのは変なことじゃねえってことだ。そういう風に思えるお前のどこが化け物だって言うんだよ。おまけにやり返すこともしようとしないなんてお人よしもいいところだぞ。」
「そ、そうか・・・な?」
「まあ、お前は目立たず平和に学生生活を楽しみたいらしいから仕方ないかもな・・・。でも、これからは一人で悩むのは止めろ。一人で溜め込んでまた暴走されても困るしな。愚痴なら俺が聞いてやるし、全力で闘ってみたいなら更木達に相手してもらえばいい。桃や皆もお前のことを心配している。忘れるな。お前の味方はちゃんといる。辛いなら俺達を頼れ。大人は・・・特に親は子供を支えるもんだ。」
「で、でも!父さん達に甘えるのは・・・。」
「これは甘えじゃねえ。そもそも俺はお前を甘やかして育てた覚えはないしな。お前はまだ子供のくせに遠慮しすぎなんだよ、春樹。」
「父さん・・・!」
春樹の目から涙が落ちる。その体を冬獅郎は抱き寄せた。
「泣きたければ泣け。お前は化け物なんかじゃない。お人よしで我慢強くてどうしようもなく未熟な子供だ。」
「・・・っ、くぅ・・・。」
「俺は他の奴に化け物扱いされても、桃みたいに確実に自分の味方だと信じられる相手がいたから、折れずにいられた。正直、化け物扱いされてきつかった時、桃がこうやって抱き締めてくれて、俺に泣く事を許してくれたんだ。」
冬獅郎は語る。涙を隠す春樹を隠すように包み込んで。優しい手と声で彼に語りかけた。
『日番谷君、泣いていいんだよ。』
他人の評価なんて気にしたつもりはなかったのに、実際の冬獅郎の心は酷く傷ついていて。一瞬でも自分の存在価値や理由を疑ってしまった時、桃が抱き締めて支えてくれた。それは冬獅郎にとって苦いけれど大切な記憶。
『私が傍にいてあげる。私は日番谷君の味方だから・・・。』
泣いて縋るような真似はできなかった。男としての意地もあったかもしれない。でも桃の温もりに泣けないと思っていたのに泣きたいと思っていた。結局涙は流さなかったけれど。彼女の温もりが冬獅郎にとっては嬉しかった。
『悲しいって思うのは苦しいって感じるのは日番谷君に心がある証拠だよ。』
桃はあの時の冬獅郎から多くを聞き出そうとはしなかった。何も聞かずとも彼の痛みを理解しているようにさえ見えた。最後には冬獅郎ではなく桃の方がポロポロと大粒の涙をこぼしていた。まるで泣けない自分の代わりに彼女が泣いているように冬獅郎は思えた。
『だ、から・・・だからシロちゃんは、化け物・・・なんかじゃ、ない・・・!』
周囲に否定された人間が肯定してくれる相手に出会えること。それがどれほど幸福をその胸にもたらすか。人は常に孤独では生きられない。冬獅郎は桃の存在に思い知らされた気がした。己を信じてくれる相手がいる限り、人は心折れず強くなっていけるのかもしれない。少なくとも冬獅郎は桃がいるから強くなろうと思った。彼女が死神になるなら同じように死神になり、守っていける立場を手に入れたかった。
「春樹・・・。俺達はお前が乗り越えていけると信じる。だからお前も諦めて負けたりするんじゃない。」
「父・・・さ・・・・・・。」
冬獅郎は春樹の父親だから。春樹は冬獅郎と桃の家族だから。無償の愛と裏切りのない信用を、冬獅郎は彼に向けるだろう。そしてそれはきっと桃も同じこと。彼らは春樹の親だから。親として子供を愛しているから。
「強くなれ、春樹。」
春樹の嗚咽が部屋の空気を揺らす中、彼を支えるように冬獅郎はその背中を擦っていた。家族達に導かれて少年の心が迷路を脱出するのはきっともうすぐだろう。
<後書き>
元々迷路というか思考の迷宮に迷い込んだ春樹が日番谷に人生相談しちゃう話だったりします。春樹のエピソードは大分削った・・・もとい、分割したんですが、それでも長いですね。日雛要素が薄いこと薄いこと・・・これ、むしろ親子話だよ!(爆)
因みに原作の藍染の置手紙による雛森暴走エピソードは軽くスルーの方向で。いや、催眠術のせいで操られたからと考えれば少しはつじつまが合うでしょうか?それにしても終わり方が微妙だ・・・。
2006/09/03 UP