06:唇に視線は吸い寄せられて
〜堕天使讃歌・7〜






 クロロ=ルシルフルとネオン=ノストラードはホテルの一室で突っ伏していた。別に艶っぽい理由で はない。夜を徹してのしりとりの結果ダウンしただけだ。因みにしりとりの決着はあやふやな記憶の彼 方である。恐らく明け方辺りに眠りに落ちた二人はそのまま昼過ぎまで爆睡することになる。
「う・・・い、ま、何時・・・。」
そしてようやくクロロが目を覚ました。ネオンはまだ寝息を立てている。
「うあ、もう午後だし。」
視界に飛び込んできたデジタル時計の時刻はすでにとっくに正午を過ぎていた。大きく 欠伸[あくび]を一つしてクロロはのっそりと起 き上がる。こうした緩慢な動きは寝起きならではか。
「あ〜、体ダルい・・・。」
ついでに頭も重かった。仕事中は睡眠不足なんて何てことはないのに、今日ばかりは何故こうなのだろ う。オフに入って気が緩んでいるのだろうか。
「君はなかなか大した人みたいだね、ネオンちゃん。」
何故か枕を抱き込むようにして眠っているネオンを見遣りクロロは苦笑した。
「さてと・・・顔でも洗ってくるか、な。」
クロロは洗面台へと向かう。程なくして水の流れる音が聞こえ始めた。
「ん・・・。」
一方、水音が刺激になったのかベッドにいたネオンが身じろぎする。それでもまだ覚醒には到っていな いらしく、枕に顔を押し付けてまだ眠ろうというスタンスだ。二度寝上等な勢いである。
「あと、五分・・・。」
そう言って五分で済んだ[ためし]が滅多にな いのが世の常だ。彼女は再び眠りへと落ちていく。
「彼女はまだ眠っているみたいだな。」
 クロロが戻ってくると彼女は寝返りを打った程度で、まだ起きていないことが見受けられた。シーツ に広がるネオンの柔らかな髪。昨夜の手入れだけで変な癖がつかずに済んだだろうか。とりあえず瞼が 腫れてしまうことは避けられたようだが。
「朝食何にするかな。冷蔵庫で確認しないと・・・。」
自分一人なら適当でいいが、ネオンがいる以上はそうもいかない。ここはホテルと名はついているもの の、基本的には自炊推奨である。ルームサービスのようなものが全くないわけではないのは確かだが、 いろいろと後ろ暗い身の上なので部屋に迂闊に人を入れるのは危険ということもある。
(もしかしたら彼女に追っ手がかかっているかもしれないしね。)
ネオンは家出をしてきたと言っていた。父親に体を売る行為を強要されそうになったのが原因らしい。 それが嫌で逃げ出したのだと。他にも理由があるが、逃げ出すきっかけとなった要因はそれだった。そ して彼女は今、クロロの元へ転がり込んでいる。
「彼女の服も何とかしないとな・・・。」
ほぼ身一つでやってきたネオンは着替えすらないのである。
「俺の服じゃパジャマ代わりくらいにしかならないしな〜。」
どうやらネオンが起きたらまず買い物に出かける必要がありそうだ。
「ん・・・。」
クロロが考え事をしているとネオンの声が聞こえた。
(起きたか?)
反射的にネオンを見遣れば、彼女は未だ夢の中な様子。声がしたように思えたのは単なる寝言だったの か。クロロは吸い寄せられるように彼女の寝顔を見つめる。起きてすぐ見た時とは違い、枕からは手を 離し、仰向けの体勢で寝息を立てていた。静かな室内だからこ分かる呼吸の音。その半開きの口元にク ロロの視線が自然と向いた。柔らかそうな、けれども触れれば弾力がありそうな、小さな唇に目を奪わ れる。その直後彼はハッと我に返った。
(お、俺は何を・・・!?)
白昼から不埒なことを考えてしまった自分に驚くクロロ。
(いや、ちょっとは自覚がないわけではないけど、相手はまだ寝てる訳で・・・というか、子供で。し かも彼女の気持ちだってよく・・・・・・。)
起きたばかりだというのに早速悶々[モンモン] と悩みだすクロロ。自分らしくないということもあり、余計に混乱が促される。一体己の思考回路はど うなっているのか。けれども唇に視線は吸い寄せられて離れることはない。
「・・・と、とりあえず食事!」
このまま考え続けると余計に変な発想に到りそうな気がしたクロロは食事の支度をすることで意識を切 り替えることを思いついた。痛いくらい心臓が高鳴っているような気がするのは絶対気のせいだと思い たい。
(俺、彼女と再会してから調子狂ってるよな〜・・・。)
そう思うと何だか頭痛すら覚えてきそうなクロロであった。



「うわ〜!クロロさん、すごーい。おいしそ〜v」
「・・・あ、ネオンちゃん。起きたんだ。」
 少女の歓声にクロロはカップとソーサーを食器棚から出す途中で振り返った。いつの間に目を覚まし たのか、裸足にシャツという姿で余った袖をグルグル回していた。顔を洗ったのか、シャツの胸元や肘 の辺りが濡れているようだった。
「おはよう、クロロさん。」
「お、おはよう、ネオンちゃん・・・もう昼過ぎだけどね。」
「あはは、昨日はありがとね、クロロさん。思ったよりよく眠れたみたい。」
「それは良かったよ。あ、コーヒーと紅茶どっちがいいかい?砂糖とミルクは?」
「紅茶!砂糖ありで・・・今日はミルクいいや。」
「ダージリンしかないんだけど・・・いいかい?」
「クロロさんにお任せ〜☆」
ライトなノリで二人は会話を交わす。クロロも変に気まずくならず内心ホッとしていた。手早く準備を 終え、食事を始める。笑顔で美味しそうに食を進める彼女は見ていて微笑ましかった。
「クロロさん、料理上手なんだね。これじゃあ私の出番ないかなぁ・・・。」
「そんなことないよ。それに俺は君の料理も食べてみたいな。」
「そ〜お?じゃあ、夕飯は期待しててね☆」
「うん、期待してるよ。」
二人の間に漂うムードは和やかだった。
「でもその前に買い物だからね。」
「買い物?」
「俺も生活用品で足りない物があるし、あと君の服とかね。必要な物を買いに行かないと。」
「あ、そっか・・・。でも、クロロさん、私、お金・・・。」
「心配しなくてもいいよ。服くらい買ってあげるから。」
「だけど・・・!」
「じゃあとりあえず俺がお金を出して、後で出世払いにしとく?」
「・・・そうする。」
クロロの提案にネオンはしばらく迷ったが結局首を縦に振った。何故なら実際問題として彼女はほぼ一 文無しの状態であり、即座に金銭を稼げ出せるノウハウもなければ元手も自信もない。つまり現実的に はクロロの世話になるしかないのだ。少なくとも生活の当てができるまでは。
「お仕事早い内に見つけないとな〜。」
「とりあえず昨夜の話だと、調理師関係かな?」
「でも免許持ってないからフグ刺しとかはできないよ?」
「まあ、免許持っててもどうなるか分からないしね・・・。」
「クロロさ〜ん、ドレッシングある?」
「あ、ごめん。無いや。それも今日買ってくるよ。」
二人の会話は噛み合ってるんだかそうでないだか、いちいち突っ込むのが面倒臭くなってくる噛み合い 具合である。端的に言えば・・・やっぱりズレている、だろうか。正直筆者もそろそろツッコミ疲れが 出てきている(オイ)
「あ、玉子焼きおいし〜♪」
「ありがとう。口に合って良かったよ。」
 嬉しそうに玉子焼きをパクパクと口に運ぶネオン。そしてそれを微笑ましそうに見つめるクロロ。寝 る前のアレコレを思えば、何とも平穏な光景だった。まさに平和万歳。少なくとも彼女と彼の世界は今 日も平和に回っていきそうだ。
(でも、何でか彼女の唇に目がいっちゃうし・・・俺・・・・・・。)
さっきからネオンの口元が妙に気になるクロロ。やはり彼もただの男ということか。蜘蛛の首領の名が 泣くぞ・・・と忠告してくれる人は残念ながらいない。いや、むしろ中学生日記か?・・・という二十 過ぎた男にはいささか辛いツッコミをする度胸がある人もやはりいなかったりする。
(かといって、これで本気で手を出して泣かせちゃった日には自己嫌悪に苛まれそうなんだよな、俺に しては珍しく。)
一応クロロはネオンに好意を抱いている自覚があるらしく、うっかり先走ってやらかそうものなら後で 大変なことになるということに気づいていた。殺人・強盗といった犯罪行為には良心の呵責なんてすで に起こらない精神構造になっているが、仲間といった己が好意を抱いている相手に対しては彼もそれな りに思う所があるわけで。
(やっぱりまず告白から持っていくべきか?でもまだ会ってそんなに経ってないし、お互いもっと知り 合ってから次のステップに進むのが普通か・・・。)
彼の胸の内では打算が蠢いている模様。
「クロロさ〜ん、食べないなら玉子焼きちょうだい?」
「・・・あ、いいよ。足りないなら他のも食べていいからね。」
「う〜ん、そんなには・・・それに太っちゃうし。」
「ははは、ちょっとくらい大丈夫だと思うけど?」
それでもネオンとの会話に相槌を打つことは忘れない。
「・・・クロロさんは肉厚的な女の人がタイプなの?」
「え!?」
「男の人はムチムチした感じの体の女性[ひと] が好きな人もいるって前にボディーガードのおじさんが言ってたよ?」
「い、いや、それは・・・さ?」
「それは?」
時に何故かワクワクした様子のネオンに質問されて返答に困ることもあったり。
「それはその人個人の好みであって、スラッとした人が好みの人もいれば、そうでない人もいるだろう し、体格に特にこだわらない人もいると思うけど・・・。」
「じゃあ、クロロさんの好みは?」
「え゛・・・そ、それは・・・・・・。」
一体どんな回答をすれば目の前の姫君は満足するのか。流石のクロロも彼女のペースに巻き込まれてち ょっとタジタジだ。頑張れ、クロロ=ルシルフル。惚れた弱味を差し引いても、敵は天然で手強いぞ。 完勝するには策を練れ(オイオイ)
「クロロさ〜ん、どうしたの?」
ネオンは黙り込んでしまったクロロをキョトンとした表情で見つめる。その様子はなかなかに愛らしい がクロロ自身はそれ所ではない。いろいろ煩悩とか理性とか打算とか自己嫌悪で葛藤してしまっていた のだ。起きてそれ程時間が経っていないのにご苦労なことである。
「えっと、クロロさん・・・大丈夫?全然気にならないって言ったら嘘だけど、本当冗談のつもりだし さ。そんな考え込まないでよ。悩むことなの?」
「へ・・・?あ、ごめん、その・・・ちょっと深読みついでに変なこと思い出しちゃって、だから、そ の、思考の迷宮に・・・。」
「ふ〜ん。」
ネオンの冗談発言にとりあえず安心したのか、けれども言い訳はシドロモドロの態なクロロである。幸 い、彼女はそんな彼の様子をスルーしてくれたので一先ずこの場は治まった。



「おっ買いっ物♪おっ買いっ物♪」
 鼻歌混じりにネオンがクロロの隣を歩いていく。いろいろとクロロに精神的疲労をもたらした食事の 後、彼らはまずネオンの着替えを買う為にホテルを出た。彼女が着ているのは強引に乾燥機で乾かした 自前の服である。流石にクロロの物を着せて外に出す訳にはいかない。理由は簡単、サイズが合わない からだ。仮に着せても露出その他で危険信号が [とも]る。彼にも彼女にもついでに周囲の人 間にも。
「楽しそうだね、ネオンちゃん。」
「うん、お買い物って大好きなの。見てるだけでも楽しいけどね☆」
「そっか〜。」
世の女性にショッピング好きが多いらしいが、ネオンもそうであるようだ。
「好きな物を好きなだけ買うのも楽しいけど、少ないお金でどれだけ値切って買うか挑戦するのも面白 いんだよね〜。」
ただのお金持ちのお嬢様とはやはり違う、そんな彼女の人生経験が垣間見える発言である。
(やっぱり彼女は侮れない・・・。)
もしかしたら彼が力を貸さなくてもその内自活できるようになるんじゃないだろうか、この娘は。そう 思うと本当に偏頭痛がしてきたクロロであった。
「それでクロロさん、どこまで行くの?」
「ああ、もう少し行った所に大衆向けの各種商品を取り扱った店があるんだ。」
いわゆる庶民向けのデパートのことである。
「ネオンちゃんがこれまで持っていた物と比べたら随分と安物になるけど、いろいろな環境に慣れてお いた方がいいだろうしね。」
今までどんな親であれ経済面では庇護下に置かれていたのだから、庶民生活の予備知識も不明だし、貧 民層のそれは想像もつかないだろう。彼女がどこまで順応できるかは別にして、これから自活していく つもりなら節約術とか、一般生活における豆知識といったものは知っていて損ではないだろう。商品価 格の相場や低価格スーパーの場所といった知識も必要かもしれない。
(この子が一般常識をどの程度持ち合わせているかも未知数だしな・・・。)
教育方針を決める時点で前途多難である。この後、クロロの臨時休暇が終わるまで約一週間、ネオンの ペースを掴み損ねて、彼はいろいろなドタバタに巻き込まれることになるのだった。因みに一体どんな 出来事が彼らに降りかかったかは皆様の想像にお任せします。





<後書き>
 書いていく内にこの二人で「恋の痛み」なんてやっていけるのかと思い始めたクロネオ第七弾。一応 クロロさんの方が自覚あるみたいなので、片思いというか空回り気味に展開させてみました。お題との こじ付けは煩悩に苛まれる苦しみのシーン辺りで何とか・・・(汗)


2008/03/02 UP