ミカエル王子 炎の漫遊記(番外編)
ラファエル大神官の一日
フィーナル城の大神官ラファエルの朝は早い。毎日定刻に神殿で儀式を行う朝のお勤めがあるからだ。もちろん大きな祭典のような本格的な儀式ではなく、簡易的なものだ。祭壇の間を掃除して、祭壇を清めて、神官たちが集まり、祈りを捧げる。ラファエルは祭壇の掃除の担当者でも監督官でもないが、何故か早く現場に顔を見せるのである。一種の習慣なのかもしれない。
「ラファエル様、おはようございます。」
「ラファエル様、今日もお早いですね。」
「ラファエル様、今日のお話は何ですか。」
ラファエルが祭壇の間に入ると、部屋を清掃していた下位神官らが声を掛けてくる。対するラファエルは無言である。彼は普段からあまり口を開かない寡黙な人物なのだ。しかし、その能力の高さから人々には密かに尊敬されているのである。別の意味では恐れられてもいるのだが。総じて、畏怖の対象として扱われているようだ。挨拶をしてきた者に頷くことで応え、控えの間へと彼は姿を消した。
「ラファエル様、相変わらず無言だな〜。」
「というかいつも無表情だよね。」
「城勤めの連中の話だと、またガブリエル様半殺しにしたらしいよ。」
「またかよ!?」
「ガブリエル様、あれでも一応国王なんだから、ちゃんと仕事すればいいのに・・・。」
「ルシフェル大臣が気の毒だな。」
「ミカエル王子は馬鹿だから政務に期待できないし・・・。」
「ハニエル王子は優秀だけど、お体が弱いから・・・。」
「いつも思うんだけど、よくこの国これまでもってたよね。」
『全く。』
ラファエルが部屋を出た後、神官たちはそう口々に言い合い、最後は皆揃って頷いた。
祭壇の間の脇に供えられた控え室。祭典時は供物の保管庫代わりにも利用されるが、普段はラファエルの仕事部屋である。理由は簡単だ。祭壇に近いから周囲が静かなのである。正確には大神官の間に直通のドア(ただし間に隠し通路経由)がこの控え室にあり、ラファエルは特に集中したい時はこちらにこもる。別に周囲が煩くて仕事ができないほど柔ではないが、余計な仕事を押し付けられないためにはこちらにいた方が無難なのである。有能であるが故の弊害だ。
「全くガブリエル様とミカエル様はいつもいつも仕事をさぼって・・・。その内ルシフェル様が過労で倒れそうですよ。」
ラファエルは溜息をついて机に積み上げられた書類の山に目を通す。朝のお勤めが始まるまでの短い時間だが、無駄にはできない。まずは本日の仕事予定の確認。午後に地方神殿の責任者と面会。今日は都に住むある貴族の家からの毎月恒例の献上供物の受領日だから、神殿の警備担当者に話を通しておく。来月の祭典準備の進行状況報告が遅れているから再度勧告。他にもいろいろだ。今日も忙しくなりそうである。そして城から持ち込んだ政務関係書類。ラファエルは正式な地位は大神官だが、他の仕事もこなしていた。というかトップがトップなのでそうしないとやっていけないのである。従って、彼は外交官と裁判官も兼任しているのだった。隣国との貿易状況やトラブルに関する報告書や、民間の些細な訴訟まで、彼が最終的に関わるものは数多い。
「これは・・・。」
ふとラファエルはある書類に目を留める。無表情なので何があったか窺い知れないのだが、何やら問題があったらしい。そのまま彼は立ち上がり控え室を出て行った。
「フィリア様、フィリア様はどこですか。」
「あ、ラファエル様。フィリア様はまだいらしてませんが・・・。」
祭壇の間に戻り、大分集まり始めた神官たちの中から、一人の人物を捜そうする。ラファエルが捜しているのはフィリア。彼の補佐官的存在である。仕事上の地位は彼の方が高いが、フィリアは王族の血を引いているので、ラファエルは敬称をつけて呼ぶ。因みにフィリアの父ランティスは国王ガブリエルと従兄弟同士に当たり、一卵性双生児並みにそっくりである。ランティスとフィリアは息子である王子のハニエル・ミカエルを除けばガブリエルにとっては最も近い近親者である。王族直系の血筋は少ないのだ。しかもランティス親子とガブリエル親子は家族同然の付き合いをしているので、国の重要機密もほとんどフリーパス状態だ(←それでいいのか、国政!?)
「ラファエル様、宜しければ私がフィリア様を捜してきましょうか。」
神官の一人がそう提案する。
「・・・いえ、時間になればやってくるでしょう。できれば早く済ませてしまいたかったのですが、仕方がありませんね。」
ラファエルが言った。何せ怒らせれば相手が国王だと半殺し(?)にする人物である。うかつに逆らえば待っているのは地獄絵図だ。・・・多分。
その後フィリアは定刻ギリギリの時間に祭壇の間に姿を現したので、ラファエルと二人で会話を交わすのは朝のお勤めが終わってからである。その雰囲気はまさに絶対零度であった。お勤めの後、すぐに控えの間に連れてこられたフィリアに待っていたのは無言の圧力だった。まず有無を言わさず書類を渡され、目を通すように促される。最初は訝しげな表情をしていたフィリアだったが、書類の内容を見て顔色が変わった。見る間に青ざめ、冷や汗と脂汗がダラダラな状態に陥る。そしてチラリと見上げたラファエルのオーラはいっそ笑えるくらいブリザードであった。できることならこのまま国外逃亡でもしたい気分になるフィリアである。
「フィリア様、この書類は一体どういうことです。」
口調は坦々としたものだが、それがかえって空恐ろしい。室内の体感温度が10℃低下した。
「え、え〜と、どういうことって?」
とりあえず、笑って誤魔化してみる。恐らく無駄だろうとは分かっていたが。
「・・・・・・。」
ラファエルは黙ったままである。無言の圧力で部屋の体感温度がさらに10℃低下した。
「え、えと・・・ラファエル?」
「・・・・・・。」
さらに5℃下がった。
「・・・フィリア様。」
「・・・・・・。」
ラファエルがフィリアの名を呼ぶ。部屋の体感温度が一気に100℃低下した。南極もびっくりの寒さだ。
「・・・ご、ごめんなさぁあああい!一ヶ月前の書類ですぅうううううううううう!!」
耐え切れなくなったフィリアは半泣きになって謝っていた。ラファエルがフィリアに見せたのは提出期限が一ヶ月前の書類だった。
「どういうことです。」
「す、すみませんすみません、これだけやるの忘れてて・・・昨日本に挟まってたの見つけて・・・・・・。ワザとじゃないんですぅうううううう!」
動揺のあまりに敬語になって謝り倒している。余程ラファエルを怒らせるのが怖いらしい。
「珍しいですね、貴女がそういうミスをするのは。仕事を溜めたり期限を破るのはガブリエル様とミカエル様の専売特許だとばかり思っていましたよ。」
「う・・・。」
ラファエルの皮肉にフィリアは十tプレスが身に掛かった気分になった。国政におけるトラブルメーカーコンビ、ガブリエル・ミカエル親子と同列扱いされたのだ。これは痛烈である。
「一応事情は聞いておきましょうか。どういった経緯でこうなったのか・・・。」
「は、はひ・・・。」
フィリアはがっくりとうなだれた。彼女の前にいるのは大神官ラファエル・・・またの名をフィーナル城の魔王という。
時を遡る事一ヶ月前、フィリアはミカエルの授業の監督官をしていた。ミカエルは王子であるので、あまり教育係の者も強く出れず、結果としてさぼり癖のようなものがついてしまったのである。それでなくてもただでさえ勉強に向かなくてテストでは赤点の常習犯だというのに、だ。そこでである。将来一国を担うことになるかもしれない王子がそれではいけないと、ミカエルを強制的にでも机につけることのできる人物を時折派遣することが当のミカエルの与り知らぬ所で決定された。その人物の一人として抜擢されたのがフィリアである。
「くそー、わかんねー。」
「ミカエル、あと十分で持ち時間終了よ。問題は解けたの?」
「解けてたら苦労しねーよ。」
「とにかくあと十分頑張りなさい。その後で答え合わせね。」
「うえええええ・・・。」
「変な声出さないの。」
まるで出来の悪い弟とその弟に勉強を教えている姉のような遣り取りだ。その姉は残念ながら手厳しいようである。
ミカエルに問題を解かせながら自分はこっそり持ち込んだ本業の仕事を片付ける。生徒が問題を解いている間は監督官なんて暇なものなのだ。途中、ミカエルの兄ハニエルが彼らをお茶に誘いに来たが、ミカエルが課題のノルマを達成していないことを理由に断った。ブラコンな上、食べることが好きなことのトップスリーに入るミカエルは余計に不貞腐れてしまっている。そしてある瞬間、とうとうブチ切れた。
「ちっくしょぉおおお!やってられっかぁああああああああああ!?」
イメージとしては星●徹もびっくりのちゃぶ台返しである。生憎この場にあったのはちゃぶ台ではないのだが。
「ちょ、ちょっと・・・ミカエル!?」
いきなり暴れ出したミカエルに驚くフィリア。そのとき振り回されたミカエルの拳がフィリアに当たりそうになる。とっさに開いていた教科書(でもハードカバーでサイズが大きい且つ分厚い)を閉じて盾代わりにした。その後二人は戦闘状態に入り(この時のフィリアの戦闘能力は真ガブモードを想定)、うやむやのうちに勉強時間は終了した。
件の書類はその盾にした本に挟まる形となり、放置されたそれは部屋の掃除係により本棚に収監された。へそを曲げたミカエルはますますその授業をサボるようになり(といってものその点に関してはラファエルの更正処置により改善)、フィリアも忙しいこともありミカエルの勉強の面倒を見ることはなかった。
「でも、昨日、ハニエルの授業監督代理引き受けて・・・それがミカエルの時と同じ学問だったんだけど、教科書めくってみたら・・・挟まってたの。」
本をただせばミカエルが悪いのだが、本業の仕事を持ち込むフィリアもフィリアである。しかも黙ってこっそり提出するのだから。
「今度からミスはちゃんと報告するように・・・。」
溜息混じりでラファエルが言う。
「そうすればペナルティは通常の二倍の仕事で勘弁しましょう。」
「え!?」
「とりあえず、今回は黙っていたので明日はいつもの五倍の仕事を回させていただきます。」
「ラファエルー!」
フィリアの悲鳴が室内に響いた。
その後、ラファエルの午前中は通常業務の通りに経過した。本当に平凡すぎて書くのも面倒なくらい通常通りだった。もちろん仕事の量は多く、常人レベルでは半端じゃないのだが。しかし彼には何の問題ない。ガブリエルやミカエルがさぼりの常習犯なため、大量の仕事を処理するのには慣れている。もし、彼や大臣のルシフェルが存在しなかったらこの国はとっくに滅んでいたのかもしれない。そう考えると彼の功績は偉大だ。
そして、午後の部。ラファエルは城の大臣用執務室にまずやってきた。部屋の中ではやはりいつものようにルシフェルが仕事に忙殺されていた。机に向かっているはずのルシフェルの姿が書類の山で隠れてしまっているくらいなのだ。相当なものだろう。
「ルシフェル様・・・。」
ラファエルが声を掛ける。
「・・・ん、ああ。ラファエルか。何の用だ?」
「ガブリエル様が逃げました。」
「ああ、そうかそうか・・・は!?」
ラファエルの坦々とした物言いについうっかりそのまま流しそうになったルシフェルであるが、途中で我に返り聞き返した。
「昼食の後、姿を消したそうです。サディケルの話ではまだ執務室に戻っていないようですね。」
「・・・ま、またなのか、あのキングオブエスケーパーは・・・。」
「ルシフェル様の口から駄洒落が飛び出すとは・・・。余程お疲れのようですね。」
「・・・これで疲れるなという方が無理だろう?」
「まあ、確かに・・・。」
額に手を当て嘆息するルシフェルにラファエルも同意した。
「それで、ガブリエル様を捕獲するにはルシフェル様の元で張るのが一番かと思いまして、こうして窺った次第です。」
ガブリエルは何をトチ狂ったのか、ほぼ年がら年中ルシフェルを口説いたり彼の寝込み襲ったりして、いつもルシフェルを疲れさせていた。これが国王でなければ、逆さ吊りの磔にした上、車輪で怒突き回した挙句、空破斬を108回叩き込みたい所である。
「好きにしろ・・・。」
ルシフェルは頭痛を覚える自分を感じながら辛うじてそう答えた。
そして大方の予想を裏切らず、程なくしてサボリ常習国王ガブリエルがルシフェルの執務室に姿を現す。
「ル・シ・フェ・ルv」
いい歳こいた大人(しかも男)が語尾にハートマークを付けている様は気持ち悪い事この上ない。
「疲れているだろう?私と一緒にティーブレイクしよう!」
「謹んでお断り申し上げます。」
間髪入れず、ルシフェルが即答した。
「はっはっは、やはり早すぎたか。・・・では、お茶の時間にどうだ?」
「そんな寝言は寝てからおっしゃられたらどうですか。」
めげずに提案するガブリエルをルシフェルは一蹴した。
「じゃあ、夜を二人で楽しんだ後夜明けのコーヒーということで・・・。」
「一昨日に顔を洗って出直してきてください。」
妙な方向に話を飛躍させたガブリエルをルシフェルが一刀両断した。
「つ、つれないぞ、ルシフェル!」
「仕事をさぼっている方に付き合う義理はありません。私は忙しいんです。貴方だってそうでしょう、本来は。」
「う・・・。」
ルシフェルにジロリと睨まれ少し躊躇うガブリエル。
「仕事さえ片付ければ自由な時間はいくらでも作れるはずなのに、どうして貴方はいつもいつもさぼろうとばかりするのですか?」
「そ、それは・・・。」
「面倒臭いとか答えたらシメますよ(ラファエルがきっと)。」
ガブリエルの死角で息を潜めているラファエルに目を向けず、ルシフェルは最後のセリフを呑み込んだ。
「・・・る、ルシフェルが私にキスしてくれたら答えてやってもいいぞ。」
「許可します。やってください。」
「はい・・・。」
「え!?」
ふざけた発言をするガブリエルにルシフェルは最終宣告をした。ガブリエルが背後からした声に振り返る暇すらなく、腕を何者かに掴まれる。しかし声で分かっていた。それが誰なのか。
「ガブリエル様・・・。」
「ら、ラファエル・・・。」
ガブリエルは怖くて振り返れない。
「お仕置きの時間です。」
「!?」
ラファエルはそう宣告すると、ズルズルとガブリエルの体を引きずって歩き出した。ガブリエルが抵抗して暴れても腕から手は離れない。一体どれ位の握力なのか。
「うわ!コラ!止めろ!手を離せ!わ、私が悪かった・・・だから勘弁・・・。」
「問答無用です。」
「うぎゃああああああああああああああああああああああああ・・・!!」
ガブリエルの断末魔の悲鳴(?)を残して二人は扉の向こうに姿を消した。この後数時間に渡り彼らの姿を目にした者はいない。
「ねえ、ルシフェル。ラファエル見なかった?」
「彼がどうかしたのですか、フィリア様。」
実際のお茶の時間、ルシフェルはフィリアとお茶をしていた。ルシフェルは元々ランティスの所にいたのをガブリエルにスカウトされたので、当然のことながらフィリアとも親しかったりする。
「何かね、地方神殿の偉い人が来たんだけど、ラファエルが捕まらなくて。結局私が話聞いたんだけど・・・ああいうノリ久々で疲れちゃった。」
「それは・・・大変でしたね。」
「う〜ん、ルシフェルたちに比べたら大したことじゃないわよ。はい、お茶入ったわよ。」
「ありがとうございます。」
フィリアからカップを受け取り微笑むルシフェル。
「今日のケーキはレアチーズタルトなの。」
「今評判の店の品ですね。」
ほんわかした空気が漂っていた。
「そうそう、ラファエルといえば・・・。」
「何?」
「今日の午後の初めにガブリエル様に粛清を加えるのを見送ったきりでしたね。」
「・・・またなの!?もう、ガブリエルおじ様ったら。」
「いつものことですが、その内戻ってきますよ。」
「いつものこと・・・ね。」
ルシフェルとフィリアは現在姿が見えない国王と大神官を思い、揃って溜息をつくのだった。一応、これにて閑話休題。
「・・・は!しまったですね。私としたことが少々やりすぎてしまいました。」
ある時に、ラファエルは我に返ったような声音でそう述べた。明り取りの窓からは橙色の光が差し込んでいる。一体あれからどれ位の時間が経過したというのか。彼の足元に転がっている物体は微動だにせず、彼の服についた赤いものがどう考えても返り血っぽいのがとても気になる状況ではある。これが噂の『ラファエル印の地獄巡りツアー(片道切符のみ)』なのだろうか。恐らく、今回の最後は血の池地獄だったのだろう。違うかもしれないけど。
「さて、次の仕事へいきますか・・・。」
そうしてラファエルは何事もなかったかのように、ゆったりとした歩調でその場を去っていった。何故か液体塗れの床を進んでいるのに物音一つしないのは全くもって不明である。
その日の夜、神官たちの宿舎にて。彼らの共有スペースである談話室で噂話に花を咲かせている者たちがいた。
「おいおいおい、聞いたか!?」
「何が。」
「ガブリエル様が全治二ヶ月の重傷で発見されたって話だよ!」
「うそ〜、何それ。暗殺未遂?」
「いや、案外ルシフェル大臣が度重なるセクハラでキレたんじゃないのか?」
「俺はミカエル王子と親子喧嘩した結果だって聞いたけど・・・。」
真相は闇の中に包まれたまま、夜は更けていく・・・。
The End・・・?
<後書き>
これが昔書いたラファエル主人公のミカエル王子シリーズ話をパソコンに打ち直して加筆修正したものです。大掃除とかするとたまに恐ろしく昔の遺物が発見されて怖いですね。とりあえず、ファイルに入れたまま放置して、何が入っていたか忘れて、開けてみたらエライものが入っているわけですよ。スリルとサスペンス〜♪
2005/04/25 UP