王子と姫のエトセトラ〜練習〜

 

 

 

 運動部における新入生の仕事は、基礎トレーニングを除けば雑用が大半を占めているという。これは上級生である先輩部員が練習に集中できるようにとの配慮と共に、日本独特の縦社会を示す慣習でもある。ただし、ここ、青春学園中等部男子テニス部には例外とも言える一年生が一人いた。その名は越前リョーマである。元テニスプレイヤー越前南次郎(現在はただの妙にテニスの上手い食えない親父)の息子にして、今年の春までアメリカ在住だった彼は、プライマリースクール(小学校)時代から優れたテニスの成績を持ち、日本に来てからの初めの一戦こそ遅刻により不戦敗となったものの、腕は確かであった(あくまで一般中学生との比較)。

 リョーマは今年度初の校内ランキング戦への参加を認められた。そして彼が配当されたブロックを、順調かどうかはともかくとして、勝ち進んだのである。その結果、青学一年レギュラーが誕生したのであった。現在、レギュラーとなったリョーマは、他の一年生よりも厳しいメニューでトレーニングに励み、個性的な先輩達と共に練習に励んでいる。その活躍ぶりは校内でも有名で、まさに『テニスの王子様』と呼ばれるにふさわしいものであった。

 一方、そんなリョーマにあこがれてテニスを始めた少女がいた。彼女の名は竜崎桜乃。長年この学校で男子テニス部顧問を務める竜崎スミレの孫であり、驚異的な方向音痴と運動音痴を誇るトラブル体質な人物である。内気で控えめな性格が災いし、体よくいじめられることも少なくない。しかし、元来の人の良さから、彼女とある程度以上親しい者は皆、彼女に好意的な印象を抱いているようだ。実際、真面目で努力家の桜乃は、彼女の所属する女子テニス部においても、先輩達を中心に可愛がられているらしい。

 そして、今日も今日とて、彼女は初心者なりに、一所懸命練習に励んでいる。とはいっても、レギュラーでも何でもない桜乃はコートは滅多に使えないので、彼女の練習場所は主に校舎裏だ。

「・・・・えい!えい!」

人気のない場所で桜乃はいつものようにラケットを握って素振りを繰り返している。千里の道も一歩から。地道な努力が大切なのだ。もっとも、今の所は目立った成果が現れていないのだけれど。自らを鼓舞するかの如く、掛け声を出して、一心にラケットを振る。こうした彼女の姿からは例えテニスの腕が素人であろうとも、このスポーツへの情熱が伺わせられる。

「・・・28、29、さ〜んじゅ!」

 ここで、桜乃は素振りをしていた手を一度止めた。腕を下ろし、大きく息をつく。日差しに当たっていたせいか、額はうっすらと汗ばみ、頬も若干紅潮していた。

「ふ〜、やっぱり、連続で三十回も素振りすると疲れちゃうな〜。」

(全然体力ないんだもん。こんなのじゃ、いつ試合ができるようになれるか分かんないや・・・。)

自分の体力の低さを改めて思い知らされ、少しだけ気分が落ち込んでしまう桜乃。初心者の上、運動音痴な彼女にとっては、素振りを長時間(といっても三十回なのだが)続けるだけでも一苦労なのである。

「でも、これ位でへこたれてたらリョーマ君みたいになれないもんね。もっと頑張らないと。」

果たしてリョーマのプレイスタイルが桜乃に合っているとは限らないのだが、目下彼女の憧れであるリョーマの姿をまぶたの裏に思い描き、桜乃は気合を入れなおす。

「もう三十回、素振り頑張ろう。」

桜乃は腕を軽く回したり、曲げ伸ばしを繰り返して、体をほぐすと、またラケットを握りなおし、素振りを再開させた。

「い〜ち、2、3、4・・・。」

こうして小休止をはさみながらも、彼女は自主練習を三十分ほど続けていた。因みに女子テニス部は男子ほど強豪でなければ厳しくもないので、準備と片付けの担当者以外は時々流れ解散状態になってしまうこともあるという。現在はタイムスケジュール上だと、三年生及び二年生のレギュラーはコートで練習、二年生と一年生の半分は球拾い、残りの半分は自主練習ということになっている。自主練に割り当てられた人達は、それぞれランニングをしたり、壁打ちや素振りをしたり、下級生の指導をするといった行動を取っていた。即ち、桜乃は自主練組なのである。

「う〜ん、やっぱりリョーマ君や先輩達の振ってる感じと何か違うな〜。」

 またもや素振りの手を止めて、桜乃は首を傾げる。何となく、ガット越しに向こうを見つめてみるが、どうにかなるわけでもない。

「スピードが足りないのかな?リョーマ君達が振ると、こう・・・ビュッて音がするんだよね。」

もう一度思い切ってラケットを振ってみるものの、思ったような風切り音はしなかった。

「先輩に聞きに行ってみようかな・・・。」

ラケットを両手に握ったまま桜乃が呟く。ひょっとしたらたまたま休憩中の人がいるかもしれない。桜乃の性格上、もし、相手が練習中だったりしたら、遠慮して話しかけられないこともあり、思考は若干消極的な傾向にあった。

「ねえ、なにサボってんの?」

「きゃあ!?」

 そんな風にあれこれと悩んでいた所に、桜乃は背後から声をかけられ悲鳴を上げた。突然上がった甲高い声に、声をかけてきた人物は思わず顔をしかめる。慌てて桜乃が後ろを振り返ると、そこにいたのは青と白を基調としたレギュラージャージを身に着けた、彼女と同じ身長の少年越前リョーマだった。

「あんた、すっごい声だね・・・。」

「え!?わ!ご、ごめんなさい!!」

思わず叫んでしまった行為を指摘され、桜乃は焦って頭を下げた。元々リョーマが無愛想ということもあるのだが、彼の不機嫌そうな顔つきに怒らせてしまったのではないかと、桜乃は不安になった。

(き、嫌われちゃったらどうしよう・・・。)

実際大したことではないのだが、リョーマのテニスにあこがれて、そしてリョーマ自身にも淡い恋心を抱いている桜乃にとっては、ちょっとしたことでも気になってしまう。再会当初は出会ったことすら忘れられていた桜乃であったが、リョーマと何故かいろいろと縁があり、ようやく知人と友人の中間地点位までリョーマに認識されるようになった(桜乃の見解上)。そうだというのに、呆れられて友人圏内から永久追放にでもなってしまうかもしれない。桜乃は内心ものすごく心配になった。もっともこの心配は全くの杞憂であるのだが、そんなことは彼女が気づけるはずもないのである。

「・・・相変わらずあんたってすぐ謝るよね。この場合謝られても困るんだけどさ。」

「ご、ごめんなさい・・・。」

「別に俺、あんたに謝られるようなことされてないんだけど?」

「ううう・・・。」

 どうしたらいいのか分からなくなった桜乃は、困惑した表情でリョーマを見つめた。少し瞳が潤んでいる。

「まあ、そんなことより練習はどうしたの、竜崎。」

「ふぇ?」

突然話題を変換されて、桜乃はキョトンとした顔つきになった。

「何か、ボーっと突っ立ってるし。サボリ?」

「ち、違うよ!」

リョーマの言葉に桜乃は少し顔を赤くして反論した。

「さっきまでちゃんと素振りしてたもん・・・!」

リョーマ相手にしてはムキになって弁解する桜乃に、彼は少しだけ驚いた。しかし、テニス好きなリョーマとしては、桜乃がテニスを熱心に取り組んでいることに悪い気はしない。

「で、でも・・・素振りの感じが何だか上手くいかなくて・・・・・・。」

次第に口ごもってしまった桜乃に、リョーマは口の端をあげた。

(本当、竜崎らしいよね。)

しどろもどろになりつつ彼女は弁解を続ける。

「だ、だから・・・ね。先輩にどこが悪いのか聞いてこようと思って・・・。」

「じゃあ、しなよ。」

「え?」

 またもや唐突にリョーマにかけられた言葉に桜乃は首をかしげた。彼女にとっては脈絡不明な発言であり、彼の意図が理解できない。

「リョーマ君?」

「だから、素振り。ここでやってみて。」

「ええ!?」

続いて告げられたリョーマの言葉に桜乃は目を丸くする。

「どこが変なのか見てあげる。」

リョーマの申し出が余程衝撃的だったのか、桜乃は口を金魚のようにパクパクさせている。

「何?ひょっとして嫌なわけ?」

「え!?う、ううん、そ、そんなことないよ!」

リョーマの言葉を桜乃は慌てて首を横に振り否定した。リョーマが練習を見てくれるなんて願ってもないことである。

「あ、でもリョーマ君は練習・・・。」

「俺は今、休憩時間。やるなら早くして。」

「は、はい!」

リョーマに急かされた桜乃はシャキッと背筋を伸ばすと、ラケットを構えた。

(う、うわ〜、き、緊張するよ〜・・・。)

 リョーマに見られていると思うだけで、桜乃の心臓はバクバク音を立てる。心拍数・脈拍は当然上昇し、顔に熱が集まっていくのが分かった。自然と顔が赤くなる。そんな彼女の反応を知ってか知らずか、リョーマは溜息をついた。

「・・・竜崎、まずグリップの握り方からしておかしいから。」

「ふえ!?」

どうやら動揺のあまりラケットを間違えて握ってしまったらしい。リョーマの指摘に桜乃は素っ頓狂な声を上げた。

「ほら、グリップの握りはこう。」

「りょ、りょりょりょ・・・リョーマ君!?」

リョーマは桜乃の手に自分の手を重ねるようにして、彼女にラケットを握りなおさせた。その一方で憧れのリョーマとの急接近どころか接触してしまった桜乃はパニックを起こしかけていた。もはや自分が嬉しいのか恥ずかしいのかそれとも両方なのかも判断できない状態である。

「はい、これで振ってみる。」

そんな桜乃の心情を余所にリョーマは淡々と指導を続けていく。

「へ?あ?う?」

「・・・少し、落ち着けば?」

何とも妙な反応をしてくれる桜乃にとりあえずリョーマはアドバイスした。彼女が混乱している時の挙動不審な言動は、残念ながらリョーマにとって慣れたものだったりするのである。とにかく桜乃はリョーマに促され、ひとまず深呼吸を始めた。五回程それを繰り返して、彼女はようやく落ち着きを取り戻す。それと同時に自分の慌て振りを思い返して、逆にいたたまれなくなった。

(リョーマ君はまじめにテニスを教えてくれようとしてたのに私ってば恥ずかしい〜。本当、何やってるんだろう・・・。)

自分の情けない状態にさらに気分が落ち込む。

「竜崎、何でへこんでるか何となく見当つくけど、とりあえず素振り。時間無いから。」

「う、うん!」

 リョーマの“時間がない”という言葉に我に返った桜乃は、改めてラケットを構えなおした。そして一度だけまた深呼吸すると、今度は勢い良くラケットを振った。それを三回程繰り返して、桜乃は手の動きを止める。

「ど、どうかな・・・?」

緊張した面持ちでリョーマを見つめる桜乃。

「膝伸びすぎ肘曲げすぎ髪の毛長すぎへっぴり腰。」

ところが返ってきたのは、リョーマがよく口にするからかい混じりの常套句。

「・・・は、相変わらずだけど、竜崎の場合、ラケットの向きがおかしい。」

ただ、いつもと違ってこの言葉は続いていた。

「ううう・・・、リョーマ君ひどい・・・・・・て、ラケットの向き?」

「そう。竜崎が振る時、向きが斜めになってる。」

「そうなの?」

「それじゃ、スィート・スポットに当たらない。不二先輩みたくわざとずらすならともかくとして。あんた初心者なんだから、まずはまっすぐに打ちなよ。」

「う、うん・・・。」

リョーマの言葉に桜乃はうなずく。

「今度はゆっくりでいいからラケットの向きに注意してもう一回振ってみて。」

「分かった。ゆっくりね。」

今度はスロー再生をしているようにゆっくりとした動きで桜乃はラケットを動かした。

「そう、そんな感じ。次はもう少し速く振ってみる。あ、無理はしないでよ。どうせあんたのことだから、いきなり速くしても失敗するし。」

「はぅ・・・。リョーマ君の意地悪〜。」

「だって、本当のことだし。」

これだから桜乃は彼に言い負かされてしまうのだ。

 

 

 

 その後、二人の一進一退なテニス練習は十分程続き、桜乃が上手くラケットを触れるようになったかは、彼らのみの秘密である。

 

 

 

 

 

<後書き>

 リョ桜では割とよくある「リョーマが桜乃の練習を見てあげる」というシチュエーションで書いてみました。ありがち過ぎて内容がどなたかの作品とかぶっている可能性は否定できないのですが、盗作とかではないので悪しからず。

 2006年1月にパソコンに異常が発生し、一部の救済データを残し再セットアップする憂き目に遭いました。いや、本当いろいろ洒落にならない展開でした・・・。それで、いろいろとHPのファイルもいじることにしたので、ついでにリョ桜の強化をしようという発想にいたったのです。この作品もそんなリョ桜の一つです。

 なお、リョーマが桜乃にあれこれテニスについて語っていますが、水無月はテニスに関しては紛れもなく素人なので、テニス経験者様、たとえおかしい部分があっても怒らないでくださると嬉しいです。

 

 

2006/02/20 UP