「黒魔術」引用文の真相

竹岡啓


 オーガスト=ダーレスがラヴクラフトの書簡を捏造したという濡衣が日本ではまだ晴れていない。一例を挙げると、2002年9月に東京創元社から刊行された『秘神界』でも相変わらず誤解されたままである。冤罪を晴らす必要があるだろう。

 ダーレスが捏造したということになっている書簡をまず見てみよう。アーカムハウスから刊行された『ダニッチの怪その他の物語』の序文でダーレスは次のように述べている。

 神話の様式は、人類の歴史の基礎をなす様式であり、善と悪の根本的な闘争を現に描いている。この点において神話は本質的にキリスト神話と似通っており、とりわけサタンのエデンからの追放とサタンの不変なる悪の力に関連している。「私の物語はことごとく、作品自体には関連性がなくても」とラヴクラフトは書いている。「ひとつの原理的な伝承もしくは伝説に基づいている。この世界にはかつて他の種族が住んでいたが、黒魔術を用いたために地歩を失って追放された。しかし彼らは外世界で生きており、この地球に対する支配権を回復する準備を整えているのだ」

 これが悪名高い「黒魔術」引用文である。コリン=ウィルソンは『夢見る力』でこの引用文を孫引きし、「いかにもラヴクラフトがいいそうなこと」と決めつけている。またスプレイグ=ディ=キャンプのラヴクラフト伝でもこの引用文の信憑性は疑われていない。

 「黒魔術」引用文はダーレスの捏造であると糾弾したのはダーク=モジックである。出典となる手紙の現物がどこにも存在しないことを彼は「神話創造者ラヴクラフト」(1)で指摘し、善と悪の宇宙的な闘争という自己流の解釈に権威を付与するためにダーレスがラヴクラフトの書簡をでっち上げたのだと主張した。今日に至るまで、このモジックの説が真相であると日本では信じられている。

 「黒魔術」引用文が成立した過程を解明したのはデイヴィッド=E=シュルツである。Crypt of Cthulhuの第48号(1987年のヨハネ祭前夜号)に収録された「ラヴクラフトの『黒魔術』引用文の由来」(2)において、ハロルド=ファーネーシという音楽家がくだんの引用文の作者であるとシュルツは喝破した。ウィスコンシン州立歴史協会が保管していたファーネーシのダーレス宛書簡によってシュルツ説の正しさは立証されている。

 ラヴクラフトの書簡集の出版を計画中であるが、ついては彼からもらった手紙をしばらく貸していただけないかとダーレスは1937年4月6日付の手紙でファーネーシ博士に頼んでいる。4月8日にファーネーシから返事が来た。ラヴクラフトが自分の創作の技法について語った重要な手紙を持っている。在処を失念してしまったが、必ずや探し出してみせる──という文面だった。

 4月11日付の郵便でファーネーシはラヴクラフトの手紙を何通かダーレスに渡した。さらに、紛失してしまった手紙の内容を忠実に再現したと称して、「黒魔術」引用文をダーレスに送りつけたのである。ファーネーシは4月21日付の手紙でも「黒魔術」引用文の信頼性の高さを強調している。彼は自分の記憶の確かさに自信を持っていたのだろう(3)。「黒魔術」引用文の捏造が作為的なものだったと疑うべき理由は存在しない。

 ダーレスは「黒魔術」引用文のことをクラーク=アシュトン=スミスに報告した。ラヴクラフトがそんな発言をしたことがあるという記憶は全然ないとスミスは4月21日付の書簡に記している。「クトゥルーの呼び声」の記述は善悪の闘争よりも宇宙の法則の作用を示唆するものであるように思われるとも彼は述べており、「黒魔術」引用文がおよそラヴクラフトらしくないことに不審の念を抱いていたことが窺える。

 しかし1週間後に風向きが変わった。4月28日付のダーレス宛の手紙にスミスは次のように記し、ダーレスの解釈も成立すると認めたのである。

 昨夜からHPLの小説を精読しはじめました。神話的な言及に眼を配りながら読んでいるのですが、記述の変化は悩ましい限りです。「クトゥルーの呼び声」によれば、Old Onesはルルイエの建設者にして住民であり、強大なるクトゥルーの呪力に庇護されつつ、隠微かつ邪悪な教団によって久遠に崇拝されるのだそうです。ところが「インスマスを覆う影」ではクトゥルーと彼の眷属は深きものどもと呼ばれています。そしてOld Onesは、彼らの「太古の魔術」のみが海魔たちを抑えられるのですが、明らかに別の存在なのです。善と悪の闘争という君の理論は後者の記述が確かに裏づけてくれるでしょう。「クトゥルーの呼び声」において、カストロは自分の側を擁護しており、真のOld Onesを無視したか、あるいは彼らを悪神と混同したのだと主張できるかもしれません。

 これには補足説明をする必要があるだろう。旧神が初登場するのはダーレスとマーク=スコラーの合作「潜伏するもの」(4)だが、この作品では旧神はGreat Old Onesと呼ばれている。ラヴクラフトに対して不正な作品であるという理由でファーンズワス=ライトは「潜伏するもの」の原稿を突っ返したのだが、そのことを知ったラヴクラフトはライトを間抜け野郎と罵り、「潜伏するもの」は力作であるとダーレスを激励した。1931年8月のことである。そのことを思い出したダーレスは「潜伏するもの」のGreat Old Onesと「インスマスを覆う影」のOld Onesを同一の存在と見なし、ラヴクラフトが自分の作品に旧神を取り入れてくれたと判断したのではないだろうか。ダーレスがそう思いこんだのであれば、「黒魔術」引用文もごく自然なものに見えたことだろう。

 Riverという文芸誌の1937年6月号でダーレスは「H.P.ラヴクラフト、アウトサイダー」を発表し、そこで「黒魔術」引用文を紹介した(5)。それを皮切りとして、彼は再三再四「黒魔術」引用文を引合いに出した。「黒魔術」引用文が世間に広まったのは確かにダーレスの責任だろう。だが、彼は捏造を行ったわけではない。「黒魔術」引用文を作り上げたのはハロルド=ファーネーシなのである。


  1. 『真ク・リトル・リトル神話大系(8)』(国書刊行会)所収。なお黒魔術云々の出典を見せてほしいとリチャード=L=ティアニーから頼まれたダーレスは腹を立てたとモジックは述べているのだが、これは誤りであるとティアニー自身が証言している。ダーレスは心にやましい点があったから逆ギレしたのだという印象操作を試みていたように感じられて、逆にモジックの誠実さを疑いたくなる。
    https://dmrbooks.com/test-blog/2019/8/19/richard-l-tierney-the-dmr-interview
  2. 故エドワード=P=バーグランドのサイトに再掲されている。
    http://www.epberglund.com/RGttCM/nightscapes/NS08/ns8nf2.htm
  3. ファーネーシの記憶がそれほど正確なものではなかった証拠としてよく持ち出されるのは、彼がフランク=ベルナップ=ロングをベルナップ=ジョーンズと間違えて呼んだという逸話である。
  4. 大瀧啓裕(編)『クトゥルー(8)』(青心社)、『真ク・リトル・リトル神話大系(2)』(国書刊行会)など。
  5. 余談だが、「クトゥルー神話」という用語が公の場で使われたのは、この時が最初らしい。