「クトゥルー神話」の由来

竹岡啓

 クトゥルー神話はジェイムズ=ブランチ=キャベルやC.S.ルイスやトールキンの作品世界を遙かに凌駕する文学的金字塔である。
ロバート=ブロック

 「クトゥルー神話」という用語の妥当性を巡って物議が醸されることがある。この用語をいつ誰が使いはじめたのか、いかなる理由によって選ばれた用語なのかを明らかにすることは議論の参考になるだろう。

 まず確認しておかなければならないのは、「クトゥルー神話」という名称をラヴクラフトその人は使っていないということである。より厳密には、使った証拠が発見されていないというべきであろうが、ドノヴァン=ルークスの「ラヴクラフト文書館」には次のように記されている。

 ラヴクラフトは「クトゥルー神話」なる用語を一度も使ったことがなく、互いに関連のある一連の物語を時たま「アーカム物語群」と呼んでいただけである。「クトゥルー神話」という用語はラヴクラフトの死後にオーガスト=ダーレスが(あるいはクラーク=アシュトン=スミスが)考案したものであろう(参照1)。

「HPL自身もその書簡において『クトゥルフ神話』以外に『ヨグ=ソトース神話』など、別な名称も用いている」と述べているサイトもあるが(参照2)、これは正しくない。「クトゥルー神話」も「ヨグ=ソトース神話」もラヴクラフトによって使われたことはない。確かにラヴクラフトの書簡では"Cthulhuism"とか"Yog-Sothothery"が用いられているが、これらを「クトゥルー神話」「ヨグ=ソトース神話」と訳してしまうのは無理がある。S.T.ヨシが述べているように「これらの語が実際に何を意味しているのかは完全に不明瞭」なのである。自分自身の「神話」だけでなく、架空の神話を作ろうという試み全般を指した語ではないかとドノヴァン=ルークスは指摘している。つまり、ダンセイニなどの神話も含まれるというわけである。

 「クトゥルー神話」という用語を作り出した功績ないし責任は一般的にはオーガスト=ダーレスに帰せられるが、そのダーレスが最初に考案した用語は「ハスター神話」(The Mythology of Hastur)である。ラヴクラフトの「闇にささやくもの」を読んで感銘を受けたダーレスは、ラヴクラフトの神話を「ハスター神話」と呼ぶことを考えついたのである。ダーレスがラヴクラフトにそう提案したところ、1931年5月16日にラヴクラフトから返事が来た。

 このCthulhuismやYog-Sothotheryをハスター神話と呼ぶのは悪い考えではありません。しかしながら、徐々に発展していく寄せ集めの神学または魔神学を、私はビアス・チェンバースの線に沿って得たというよりも、むしろマッケンやダンセイニなどから手に入れました。

 そこでダーレスは「ハスター神話」を放棄し、二度と使おうとしなかった。代わって「クトゥルー神話」が使われるようになるのはその6年後のことであり、S.T.ヨシの共同研究者として著名なデイヴィッド=E=シュルツによると、最初に用いられた例として知られているのはスミスがダーレスに宛てて書いた1937年4月13日付の書簡である。

 僕の知る限り、そして信じる限りでは、クトゥルー神話(the Cthulhu mythology)の創造に際してHPLがポー・ビアス・チェンバースに負ったのは、有史以前の記憶下の世界に関するヒントだけです。本来は星々の世界の出身であり、もっぱら旧支配者と呼ばれている存在を、彼自身の空想によってHPLはこの世界に住まわせたのです。

 これより前にダーレスが自分の書簡の中で「クトゥルー神話」を使っていた可能性は高いが、その書簡は発見されていない。「クトゥルー神話」という用語はダーレスとスミスが二人で作り出したものというべきだろう。だが、その用語を広めたのはダーレスである。

 1937年3月、リチャード=デール=ミューレンが文芸誌River の創刊号をダーレスに送り、彼に寄稿を依頼した。ダーレスはミューレンの求めに応じて執筆中の『春の夕べ』の一章を送り、それを機に二人の交流が始まった。「自分は何年か前にウィアードテイルズでラヴクラフトの小説を読んで魅せられたが、それがまやかしであることにそのうち気づいた。彼の作品の効果は、恐怖を実際に描写することではなく、けばけばしい形容詞を多用することによって生じたものなのだから……」とミューレンがダーレス宛の手紙に書くと、ダーレスは強く反駁した。そしてRiver の1937年6月号でダーレスは「挽歌 プロヴィデンスに春が……」と「H.P.ラヴクラフト、アウトサイダー」を発表した(参照3)。前者はラヴクラフトを悼む詩、後者はラヴクラフトの略伝であるが、この「H.P.ラヴクラフト、アウトサイダー」が「クトゥルー神話」を公の場で使った最初の文章だとされている。

 後にダーク=モジックは「クトゥルー神話」を批判し、それに代わる用語として「ヨグ=ソトース神話」(Yog-Sothoth Cycle of Myth)を提唱した。クトゥルーは決して強大な神ではないし、人類に対する直接的な影響力を別にすれば重要な神でもないのだから、その名をラヴクラフトの神話大系に冠するのは不適切であるというのが理由だった。しかしダーレスは「H.P.ラヴクラフト、アウトサイダー」で次のように述べている。

 それは徐々に成長していき、ついには全貌が明らかになった。そして名前が与えられた。「クトゥルー神話」である。なぜなら、神話の様式が初めて明らかになったのが「クトゥルーの呼び声」だからである。

 すなわち、「クトゥルー神話」という用語は神名ではなく作品名に因んだものである。「クトゥルー神話」が妥当なものかどうかは議論の余地があるだろうが、モジックの批判は前提が間違っている。

 「クトゥルー神話」という用語は批判にさらされることもあるが、今日でも使われ続けている。それはラヴクラフトだけでなくダーレスの、そして彼らの後に続く人々の業績の記念碑となった。冒頭に掲げたブロックの言葉を私は繰り返すのみである。


追記

 C.A.スミスがダーレスに宛てて書いた1933年7月22日付の書簡がアーカムハウスのスミス書簡集に収録されているが、その手紙ではCthulhu-myth-cycleという言葉が使われている。この言葉も「クトゥルー神話」と訳して差し支えないだろう。すなわち「クトゥルー神話」なる用語の誕生はラヴクラフトの生前まで遡ることになる。

さらに追記

 ダーレスがラヴクラフトに宛てて書いた1933年7月3日付の書簡にはthe Cthulhu mythologyという言葉が使われている。今のところ、これが「クトゥルー神話」なる用語の最古の使用例ということになる。ダーレスが1931年にはまだ「ハスター神話」を提案していたことを考えると、「クトゥルー神話」という用語が誕生したのは1930年代の初頭であると結論してしまって差し支えないだろう。ただしラヴクラフトその人がこの用語を使用した例は一件も確認されていない。