旧神はどこから来たのか?

竹岡啓


 オーガスト=ダーレスの功罪を論じるとき、彼の最大の罪は旧神を創造したことだと考える人もいることだろう。しかし旧神が創造されたのはラヴクラフトの存命中のことであり、しかもラヴクラフトはダーレスの旧神説を黙認していた。旧神の創造がダーレスの罪であるならば、ラヴクラフトも共犯者ということになる。

 1931年の夏、ダーレスは親友のマーク=スコラーと「潜伏するもの」を合作した。ビルマの奥地に封印されている双子の邪神ロイガーとツァールを、彼らに奉仕するトゥチョ=トゥチョ族が復活させようとするが、ベテルギウスに住む旧神がその企てを打ち砕くという短編である。ダーレスは「潜伏するもの」をウィアードテイルズに送ったが、編集長のファーンズワス=ライトは掲載を拒否した。1931年7月13日付のダーレス宛の手紙でライトはその理由を説明している。

 しかし、この作品を採用しなかったのには、より深刻な理由があります。君はラヴクラフトの作品から常套の文句を丸ごと盗んでしまいましたね。たとえば「狂気のアラブ人アブドゥル=アルハザードの慄然たる『ネクロノミコン』」とか「ルルイエなる水没した王国」とか「クトゥルーの呪われた落とし子」とか「凍てつきたる忌まわしきレン平原」とか。それに君はクトゥルーと旧支配者の伝説をラヴクラフトからじかに持ってきています。これではラヴクラフトに対して不正を働いたことになります。文士としての修業時代には様々な作家の「物真似猿」を次々に演じたものだとロバート=ルイス=スティーヴンソンはかつて述べました。でも君はラヴクラフトの作品の猿真似をしているだけではありません。彼の言い回しまで剽窃しています。ラヴクラフトの作品に対する僕の崇敬はほとんど心酔の域に達しており、こんな紛い物がウィアードテイルズに掲載されるのを見過ごすわけにはいきません。スミスやハワードみたいなやり方で伝説を利用するのはかまいませんよ。彼らはほのめかしているだけですから。でも君は調子に乗りすぎており、使い方が不適切です。

 このことを知ったラヴクラフトは8月26日付のダーレス宛の手紙でライトのことを間抜け野郎と罵り、「潜伏するもの」を力作と褒めてダーレスを激励した。「潜伏するもの」は"Lair of the Star-Spawn"という題名でウィアードテイルズの1932年8月号に掲載されたが、この題名はラヴクラフトがダーレスのために考えてやったものである。また、そのうち自分の作品でトゥチョ=トゥチョ族を使わせてもらうとラヴクラフトはダーレスに約束したが、ラヴクラフトとヒールドの合作である「博物館の恐怖」には確かにトゥチョ=トゥチョ族への言及がある。気をよくしたダーレスはその後も旧神や旧神の印を自分の作品で使い続けた。そのことを知ってもラヴクラフトは苦情を言おうとはしなかったが、それらの作品がラヴクラフトの存命中にウィアードテイルズに掲載されることはなかった。ライトが相変わらず難色を示していたことが窺えるが、1940年4月にウィアードテイルズの編集長がライトからドロシー=マクルレイスに交代し、その後はダーレスのクトゥルー神話作品がウィアードテイルズ誌上で矢継ぎ早に発表されて読者の好評を得るようになった。

 ここで用語の混乱について述べておく必要がある。旧神は英語ではElder Godsであるが、「潜伏するもの」で初登場したときはGreat Old Onesと呼ばれていた。ダーレスの神話作品で旧神がGreat Old Onesと呼ばれるときは、旧支配者はAncient Onesと呼ばれるが、「ハスターの帰還」では旧神がAncient Onesと呼ばれている。この用語の混乱は国書刊行会の『真ク・リトル・リトル神話大系』の解説でも指摘されているが、旧神がそもそもGreat Old Onesと呼ばれていたことは考慮に値する。Old Onesの太古の魔術が深きものどもを抑えるという記述が「インスマスを覆う影」にあるのである。また、ラヴクラフトとホフマン=プライスの合作である「銀の鍵の門を超えて」には「旧神の印に反逆せし邪悪なるものども」という記述が見られる。「インスマスを覆う影」も「銀の鍵の門を超えて」も「潜伏するもの」より後に執筆された作品であり、ラヴクラフトが自分の旧神説を追認してくれたとダーレスが考えたとしても不思議ではない。ラヴクラフトが旧神の存在を積極的に肯定したことは一度もないが、少なくとも黙認していたことは確かである。彼は非常に寛大な人物だった。旧神の住んでいるベテルギウスの古名としてダーレスはグリュ=ヴォを用いているが、この名前はラヴクラフトがダーレスに教えてやったものである。

 1937年3月15日にラヴクラフトは世を去った。最後まで無名の生涯だった。3月18日にハワード=ワンドレイから訃報を受けとったダーレスはラヴクラフトの作品集の出版をただちに決意した。ラヴクラフトの作品世界はひとつの神話大系を形成していると考えたダーレスは、その大系の全体像を明らかにしようと試みる。ダーレスが相談相手に選んだのはクラーク=アシュトン=スミスだった。神話大系は善と悪の宇宙的闘争を描いたものであるというのがダーレスの主張だったが、スミスは1937年4月13日付の手紙(1)で「僕はいかなる旧支配者も邪悪な存在には分類しません。善悪という人間の限られた概念を彼らが超越していることは明白です」と述べており、ダーレスの見解にやんわりと反論している。しかし4月29日付の手紙ではスミスはダーレスの見解に一定の理解を示し、次のように述べた。

 昨夜からHPLの小説を精読しはじめました。神話的な言及に眼を配りながら読んでいるのですが、記述の変化は悩ましい限りです。「クトゥルーの呼び声」によれば、Old Onesはルルイエの建設者にして住民であり、強大なるクトゥルーの呪力に庇護されつつ、隠微かつ邪悪な教団によって久遠に崇拝されるのだそうです。ところが「インスマスを覆う影」ではクトゥルーと彼の眷属は深きものどもと呼ばれています。そしてOld Onesは、彼らの「太古の魔術」のみが海魔たちを抑えられるのですが、明らかに別の存在なのです。善と悪の闘争という君の理論は後者の記述が確かに裏づけてくれるでしょう。「クトゥルーの呼び声」において、カストロは自分の側を擁護しており、真のOld Onesを無視したか、あるいは彼らを悪神と混同したのだと主張できるかもしれません。

 スミスの言葉によってダーレスが自信を深めたであろうことには疑問の余地がない。ダーレスはクトゥルー神話を善悪二元論で解釈し、今日に至るまで批判されることになった。しかし彼は一般に思われているほど独断専行していたわけではない。ラヴクラフトやスミスの理解に後押しされながら神話大系を作り上げていったのである。

 ダーレスが他界して30年以上が経ったが、旧神は様々な批判にさらされながらも消え去っていない。しかし、もはやダーレスの解釈はそのままでは通用せず、作家ごとに様々な旧神が考え出されるようになった。たとえばリン=カーターの見解では旧神は必ずしも人類に好意的ではなく、ムー文明を滅ぼしたのは旧神であるということになっている。また現在の宇宙の支配者は旧神なのだから、宇宙が苦しみに満ちているのは旧神の責任であり、すなわち旧神こそが悪神であるという説をリチャード=L=ティアニーと山田正紀は別々に提唱した。さらに、旧神を正義の神と見なす場合にも、その理由について大胆な解釈がなされるようになっている。

 旧神はどこへ行くのか? それは見当もつかない。しかし旧神はクトゥルー神話の可能性を広げるものであり、神話大系を豊かにしてくれるものであると言い切ってしまっても、あながち間違いではないように思われる。


  1. 私の知る限り、「クトゥルー神話」という用語が最初に使われたのはスミスのこの手紙が最初である。それ以前に使った人間がいるとすればダーレスの他に考えられないので、「クトゥルー神話」の生みの親はスミスまたはダーレスということになる。