今日、旧神の印(Elder Sign)として一般に知られているものは、燃え上がる眼が中央に描かれた五芒星である。これを考案したのがオーガスト=ダーレスであることはいうまでもないが、旧神の印という言葉を最初に使ったのはラヴクラフトである(1)。
旧神の印への言及がある最初の作品は、ラヴクラフトが1926年に執筆した「末裔」だろう。「末裔」は断章で、12年後の1938年に『リーヴズ』(2)の第2号に掲載されるまで発表されなかった。なお「闇の一族」という邦題で『真ク・リトル・リトル神話大系』の第3巻に収録されている「末裔」には旧神への言及もあるが、これは誤訳であるように思われる(3)。 旧神の印は「未知なるカダスを夢に求めて」にも出てくる。「カダス」は1926年の秋頃から書きはじめられ、1927年1月22日に完成したが、1943年にアーカムハウスから刊行された単行本『眠りの帳を超えて』に収録されるまで発表されなかった。「末裔」と「カダス」に登場する旧神の印は両方とも手で結んで作るものらしい。ランドルフ=カーターが大地の神々について農夫たちに訊ねたとき、彼らは旧神の印を結んだと「カダス」には書いてあるので、旧神の印には厄除けの効果があると幻夢境では信じられている模様である。
ラヴクラフトが1927年にアドルフェ=デ=カストロと合作し、ウィアードテイルズの1928年11月号に掲載された「最後の実験」には"elder sign"への言及がある。頭文字が大文字になっていないので、これは固有名詞ではなく、無視してしまってもよいだろう。余談だが、「最後の実験」はシュブ=ニグラスに言及した最初の作品である。
「クトゥルーの呼び声」のウィルコックスの住所はプロヴィデンスのトーマス街7番地ということになっているが、この番地は実在し、当時はバートランド=ケルトン=ハートというジャーナリストが住んでいた。ラヴクラフトが自分の住所を作中で勝手に使ったことを知ったハートは、仕返しとしてラヴクラフト邸の戸口に幽霊を居座らせてやるとプロヴィデンス=ジャーナルのコラムに冗談を書いた。そのことに対する返礼としてラヴクラフトが作った詩が「異形の使者」である。「異形の使者」は1929年11月30日に書かれ、1929年12月3日付のプロヴィデンス=ジャーナルに掲載された。この詩にも「旧神の印」が登場するが、いかなる形態のものかは定かでない。ただ、この印が暗黒の力を解放するということになっているのは注目に値する。前述したように、「末裔」と「カダス」はラヴクラフトの死後まで発表されなかったので、旧神の印が公の場に現れたのは「異形の使者」が最初ということになる。
ラヴクラフトがクラーク=アシュトン=スミスに宛てて書いた1930年11月7日付の手紙にも旧神の印への言及があり、のみならず手紙の末尾には旧神の印が描かれているが、それは木の枝のような形状をしている(参照サイト)。後にリン=カーターはラヴクラフトの木の枝とダーレスの五芒星を合体させ、旧神の印が2種類あるという問題を彼なりに解決した(4)。
ダーレスの旧神の印が初めて登場するのは、1931年の夏に彼がマーク=スコラーと合作した「モスケンの大渦巻き」と「湖底の恐怖」である。ダーレスがその形状を五芒星とした理由は定かでない。1931年2月から3月22日にかけて執筆された「狂気の山脈にて」には、星形をした灰緑色の石鹸石が出てくる。おそらく古のものどもの貨幣だったのだろうとダイアー教授は推測しているが、それがダーレスの旧神の印の原型となった可能性はある。ただし憶測の域を出るものではない。
1931年11月頃から12月3日にかけて書かれた「インスマスを覆う影」では、酔いどれの老人ザドック=アレンが次のように語っている。
さて、38年頃のことさね──おらが七つの時だが──オーベッドが島に戻ってみると、航海の合間に島人が一人残らずくたばらされちまってたんでさあ。起こっとることを他の島のもんが聞きつけて、自分たちで片をつけたんだろうよ。海の奴らがそればっかりは怖がってたっちゅう古い魔法の印を連中は持ってたに違えねえだ。ノアの大洪水より古い廃墟のある島が海の底から出てくるのを見たとき、カナキーの連中はどんなにぶったまげたろうなあ! 忌まわしいったらありゃしねえや──島の上にあったものも、噴火で生まれた小島のものも、連中は何一つ残しておかなかっただ。でっかすぎてぶっ壊せなかった廃墟の一部は別だけどよ。所々に小さな石ころが散らばってただ──まじないみてえに──卍みてえなもんが描かれてただ。あれが古のものども(Old Ones)の印だったんだろうて(5)。
当時ダーレスが旧神をGreat Old Onesと呼んでいたことには留意する必要があるかもしれない。「インスマスを覆う影」のOld Onesをダーレスの旧神と同一のものと解釈できることはスミスがダーレス宛の手紙で指摘しており、自分の考案した旧神や旧神の印をラヴクラフトが採用してくれたとダーレスは考えたかもしれないのである。
1932年10月から1934年4月にかけて、ラヴクラフトはホフマン=プライスの「幻影の王」を基に「銀の鍵の門を超えて」を書いた。この作品には『ネクロノミコン』からの引用として「旧神の印に反逆せし邪悪なるものども」という記述がある。これまたダーレスの説を追認するかのような記述だが、原文は"the evil that defieth the Elder Sign"なので、「旧神の印をものともせざる悪」とでも訳した方がよいかもしれない。それはそれで、旧神の印は旧支配者には通用しないというダーレスの設定と合致する。ただし「銀の鍵の門を超えて」の旧きものども(Ancient Ones)は崇高な存在であり、彼らを邪悪と見なす人間は無知にとらわれているということになっている。これはラヴクラフトのダーレスに対する皮肉なのかもしれない。
最後に「ニューイングランドにて異形の悪魔のなせし邪悪なる妖術につきて」という断章をラヴクラフトは残している。北米の先住民族が旧神の印でオサダゴワアを封印したという内容であり、この文章を基にダーレスは長編『暗黒の儀式』を書いた。なお『暗黒の儀式』はラヴクラフトとダーレスの合作ということになっているが、実際には5万語のうち4万8800語までをダーレスが書いている。したがって合作と呼んでいいのかどうかは微妙なところなのだが、オサダゴワアと旧神の印に関するくだりはラヴクラフトが書いたものである。
ラヴクラフトの没後もダーレスは自分の神話作品で旧神の印を使い続けたが、その役割は一貫して旧支配者の力を抑えるものであり、ラヴクラフトの作品における旧神の印が形状や効能を頻繁に変えていたのとは対照的である。今日でも旧神の印についてはダーレスの見解が採用される場合がほとんどだが、旧神の印は正統に背くものだから好ましくないと主張する人も一方では存在する。しかしながら旧神の印はそもそもラヴクラフトが最初に使ったものであり、ただ彼はその真の力を明らかにしようとしなかったのである。旧神の印がいかなるものであるかは私たちの一人ひとりが決めればよいことだろう。それがクトゥルー神話に対するラヴクラフトの姿勢でもあったのだ。