歌う焔の都

C.A.スミス


緒言

 2年近く前にジャイルズ=アンガースが失踪したとき、私たちは10年以上も友達であり、私は彼のことを誰よりも知っているという自信があった。それでも、その事件が不可解であるという点においては私も余人と大差がなかった。そして今日に至るまで、事件は謎のままである。

 私も他の人たちと同じように、何もかも彼とエボンリーが仕組んだ壮大ないたずらなのだと考えてみたことがある──彼らは今もどこかで生きており、 彼らが失踪したことで困惑しきっている世間を笑いものにしているのではないか。クレーター=リッジを訊ね、アンガースの手記で言及されていた二つの丸石を 捜してみようと私が意を決するまで、失踪した二人の痕跡を誰も発見できず、それどころか彼らの噂すら寸毫たりとも聞いたことがなかった。当時その出来事は 奇妙きわまりなく苛立たしい謎であるように思えた。

 幻想作家として令名を博したアンガースはシエラで夏を過ごしており、画家のフェリックス=エボンリーが訪ねてくるまでは一人きりだった。私はエボ ンリーには一度も会ったことがないが、彼は想像力豊かな絵を描くことで有名で、アンガースの小説の挿絵を手がけたことが何度もあった。

 二人が長いこと姿を見せないので、近所でキャンプをしていた人たちが異変を感じ、何か手がかりはないかと小屋を捜索してみたところ、私宛の小包が テーブルの上に置いてあった。二人の失踪に関して各紙が憶測を書き立てているのを読んだ後で、やがて私は小包を受け取った。小包の中に入っていたのは、革 で装丁した小さな手帳で、その見返しにアンガースはこう書いていた。

「親愛なるハステイン。よかったら、この手記をそのうち発表してくれ。この手記は僕の絶筆であり、もっとも荒唐無稽な小説だと思われることだろうね──君自身の作品だと思われない限りは。どちらでもかまわないよ。さようなら。
敬具 ジャイルズ=アンガース」

 彼が予想した通りの反応が得られるだろうと思われたし、その話が真実なのか絵空事なのか自分でも確信が持てなかったので、私は彼の手記の発表を遅 らせた。それが真実の物語であることを私はいまや自分自身の経験から確信するようになった。それが真実の物語であることを私はいまや自分自身の経験から断 言できるようになった。そこで彼の手記を私個人の冒険談と合わせて、ようやく発表することにする。その出版に先駆けてアンガースが俗世に帰還したわけだ が、彼と私の物語を一緒に発表することによって、単なる御伽噺以上のものなのだと受け取ってもらえるかもしれない。

 それでも、自分の抱いた疑念を思い出すとき、私は訝しく思う……。だが、読者に判断していただくことにしよう。まずはジャイルズ=アンガースの手記だ。


1.彼方の次元

 1937年7月31日──私には日記をつける習慣はついぞなかった──それというのも私の日常は波乱がなく、記録に値するようなことは滅多に起こ らないからだ。だが今朝方の出来事はあまりにも奇異で、平々凡々たる法則や類例からひどくかけ離れたものだったので、自分の理解と能力の及ぶ限り書き留め ておこうと思わずにはいられなかった。また、私の体験したことが繰り返し続いていくようであれば、記録を途切れさせないようにしよう。そうしておいたとこ ろで何ら害はないはずだ。この記録を読んだ人は誰一人として信じてはくれないだろうから……。

 サミットの近くにある私の小屋から1マイル足らず北にクレーター=リッジがある。私はそこへ散歩に行ってきたところだ。周辺のありふれた風景とは 顕著に性質が異なっているのだが、クレーター=リッジは私の大好きな場所のひとつだ。そこは並はずれて不毛で荒涼としている。ヒマワリや野生のフサスグ リ、それと頑強でひどく歪んだ松や柔軟なアメリカカラマツが何本か生えている程度だ。

 地質学者にいわせると、それは火山活動に由来するものではないということになるのだろう。だが、ごつごつした瘤のある石が露出していたり、巨大な 石が山のように積み重なっていたりして、それらはすべて火山岩滓をまとっているようだった──少なくとも、私の科学的ならざる眼にはそう映った。それらは 巨大な炉の鉱滓や廃物に見えた。有史以前の時代に吐き出され、冷えて固まって、途方もなく奇怪な形になったかのようだった。

 その中に、原始時代の浅浮彫の破片を思わせる石があった。さもなければ、太古の小さな偶像か人形のようだった。他にも、失われた解読不可能な文字 が刻まれているように見えるものがあった。意外なことに、長い乾燥した嶺の一端には小さな湖があった──ついぞ深さが測られたことのない湖だ。この地域は 花崗岩の険しい岩山と、モミの木の生えた峡谷が延々と連なっているのだが、くだんの丘はその直中にあって奇妙な間奏をなすものだった。

 風のない晴れた朝だった。私はしばしば立ち止まり、変化に富んだ雄大な景色が四方八方に広がっているのを眺めた──キャッスル=ピークの巨大な胸 壁。ドナー=ピークの荒々しい塊を分かち、ツガの細道ができている。彼方にはネヴァダ山脈が青く輝き、足許には柳の柔らかな緑がある。隔絶した静寂の世界 だった。聞こえてくるのは、フサスグリの茂みの中にいるセミのジイジイという乾いた鳴声だけだった。

 私はしばらくジグザグに散策し、嶺に点在する石ころだらけの野原のひとつにやってくると、お土産として持ち帰れるくらい珍しい形をした石が見つか らないかと地面を探しはじめた。前に来たときにいくつか見つけたことがあるのだ。突然、私は石ころの直中の空地に辿り着いた。そこには何も生えていなかっ た──人工的に作られた輪のように丸い場所だった。中央には二つの丸石があったが、奇妙にも形が似通っており、お互いの距離は5フィート離れていた。

 私は立ち止まり、丸石を観察した。その材質は鈍い灰緑色の石だったが、近隣にあるいかなるものとも異なっているように思われた。二つの丸石は消失 した円柱の台座で、計り知れないほどの歳月を経るうちに磨り減って基底部だけが残ったのではないかという奇々怪々な空想を私はたちどころに思いついた。確 かに丸石の完璧な丸みと一様さは奇妙なものだったし、私は地質学をちょっぴり囓っていたにもかかわらず、その滑らかな石鹸質の材質は特定できなかった。

 私の想像力は膨らみ、いささか過熱気味の空想に私は没頭しはじめた。だが、二つの丸石の間にある空間の中に私が一歩を踏み出したときに起きたこと に比べれば、私のもっとも荒唐無稽な空想も日常茶飯事のうちだった。そのことを物語るのに全力を尽くすことにしよう。しかし、常識的な範囲の人間の体験を 超えたところにある出来事や感覚を描写するのにふさわしい言葉は人間の言語には本来ないのだ。

 一歩を踏み出そうとして段差を測り損ねたときほど狼狽させられることはない。それでは想像して御覧なさい、平らな開けた地面に向かって進み出よう として足の下に何もないというのがどんなものか! 私は空虚な奈落の中へと落下していくかのようだった。同時に眼前の光景は細切れのイメージの渦となって 消滅し、何も見えなくなってしまった。緊張感と極度の寒気があり、言い様もない吐き気と目眩が私を襲った。体の均衡が完全に失われているからに違いなかっ た。落下の速度か他の理由のせいで、まったく息をすることができなかった。

 私の思考と感覚は混乱しきっていた。ほとんどいつも自分が下方よりはむしろ上方へ落下しているか、水平もしくは斜角の方向に滑っているかのように 思われた。ついには自分が完全にでんぐり返った状態になってしまったという気がした。それから、私は固い地面に再び立っていた。墜落の衝撃や振動はまった く感じなかった。真っ暗だった視界は晴れてきたが、私はまだ目眩がしており、自分の見ているものを理解できるようになるには少し時間がかかった。

 とうとう認識力を取り戻し、状況を把握しつつ周囲を見渡せるようになったときに私が経験した精神的な混乱は、前置きなしで異星の岸辺に放り出され た人物のそれに等しいものだった。そういう状況下で間違いなく感じられるのと同じ喪失感と疎外感があった。同じように目まぐるしく圧倒的な困惑があった。 私たちの人生に色彩や形態や定義を与えてくれ、さらには私たちの性格そのものを決定する馴染み深い環境の細部すべてから切り離されてしまったという怖ろし い感覚もあった。

 私が立っているのは、クレーター=リッジとは似ても似つかぬ風景の直中だった。私の立っているところから、広々とした平野まで、長い緩やかな斜面 が波打つように続いている。斜面は紫色の草に覆われており、モノリスのような大きさと形をした石が点在していた。平野には広々と波打っている草原と、未知 の植物の丈高く荘厳な森があったが、その植物の主な色は赤紫と黄色だった。草原の突き当たりには金褐色の霧の壁があり、そこから先は見通せなかった。金褐 色の霧の壁は徐々に薄れていきながら、太陽がないにもかかわらず琥珀色に光っている空に向かって尖塔の如く立ち上っていた。

 この驚くべき風景の前方、2マイルか3マイルしか離れていないところに、ひとつの都市があった。その巨大な塔と赤い石造りの城壁は、未知の世界の アナク人が建てたかのようだった。張り出した壁が、巨大な尖塔が延々と連なって天高くそびえ、直線的な建造物の質実で荘重な列がどこまでも続いていた。そ の迫力たるや険しい岩山のように人を寄せ付けないものであり、見る者は圧倒されて打ちひしがれてしまうように思われた。

 その都を眺めているうちに、当初の途方に暮れる喪失感と疎外感を私は忘れ去った。私が感じているのは畏怖の念であり、それに正真正銘の恐怖がいく らか混じっていた。そして同時に、曖昧ながらも心からの魅惑を私は感じていた。心を虜にするような魅力が不思議と放射されていたのだ。だが、しばらく見つ めた後に、想像もできない自分の境遇の宇宙的な異様さと困惑が甦ってきた。私が感じたのは、狂おしく過酷なまでに奇怪なこの領域から逃げ出して自分自身の 世界に戻りたいという闇雲な願いだけだった。私は自分の動揺を静めるために、現実に何が起きたのかを見定めようとした。

 異次元の物語なら私はたくさん読んだことがあった──実際のところ、自分でもひとつかふたつ書いたことがあった。そして、人間の知覚では見ること も感じることもできない他の世界や物質界が私たちの宇宙と同じ宇宙に存在しているのかもしれないと考えてみたことも多々あった。もちろん、そのような次元 に自分が陥ったことはたちどころに理解できた。疑いようもなく、ふたつの丸石の間に足を踏み入れたとき、空間にある一種の瑕疵または間隙に放り込まれ、そ の底でこの異世界に──まったく別種の宇宙に出現する羽目になったのだ。

 ある意味では単純明快な話だったが、その原因や仕組みということになると、頭の痛くなるような謎でしかなかった。もっと心を落ち着けようと努めつ つ、私は周囲の状況を丹念に観察した。この時になって私が感銘を受けたのは、前述したモノリス状の石の配列だった。その多くはきっちり等間隔に並んでお り、ふたつの平行な列をなしていた。石の列は丘の麓へと伸びており、紫色の草が繁茂して消し去った古代の道路の名残を示しているかのようだった。

 坂の上にあるものを見てやろうと振り向くと、すぐ背後に二本の柱があった。クレーター=リッジにあった二つの奇妙な丸石とまったく同じ間隔で立っ ており、同じく石鹸質で灰緑色の石でできている。高さは9フィートほどで、てっぺんがぎざぎざに欠けているところを見ると、かつてはもっと高かったらし い。柱から程遠からぬところに、彼方の平原を包んでいるのと同じ金褐色の霧が立ちこめており、そこで坂道は見えなくなっていた。だがモノリスはもはや見当 たらず、二本の柱で道路は終わっているかのように見受けられた。

 必然的に、この新次元にある石柱と私自身の世界の丸石の関係について私は推測しはじめた。外見の類似は単なる偶然であるはずがなかった。もしも私 が石柱の間に足を踏み入れれば、私がこの世界にやってくることになった墜落が逆転して人間界に戻れるのだろうか? もしもそうであるならば、いかなる想像 も及ばない異時空の存在が、二つの世界をつなぐ道の門として石柱と丸石を設置したのだろうか? 誰がどんな目的で道を用いていたのだろうか?

 そういった問いによって開かれた推測の際限ない展望を思うと、頭がくらくらした。しかしながら私にとって最大の関心事は、どうやったらクレーター =リッジに戻れるかという問題だった。あらゆるものが奇々怪々であり、近くにある都市の怪物めいた城壁や、異様な光景の色彩や形態は人間の神経には耐えが たいものだった。こんな環境に長居しようものなら発狂してしまうだろうという気がした。それに留まっていたら、いかなる敵意ある力や生命体に遭遇するかも わからなかった。

 坂道にも平野にも生物らしきものの動きは見当たらなかったが、大きな都市は生命体の存在を推定させる証拠となるものだった。私の書いた小説の主人 公は完全に落ち着き払って五次元やアルゴルの世界を訪問するのを常としていたが、彼と違って私はおよそ冒険的な気分にはなれなかった。未知なるものを前に した人間の本能に従って、私も尻込みしたのだ。ぼんやりと見えている都市と、絢爛たる植物がそびえ立っている広大な平野をおずおずと一瞥すると、私は踵を 返して石柱の間に足を踏み入れた。

 見通しも利かず身の凍える深淵へとたちまち放り込まれたのは先程と同じだった。もみくちゃにされながら落ちていくのも、私がこの新しい次元に落下 してきたときと同じだった。しまいに、自分が直立していることに私は気づいた。ひどく目眩がして震えが止まらなかったが、灰緑色の丸石の間に足を踏み入れ る直前にいたのと同じ場所に戻ってこられたのだ。まるで地震でも起きているかのように私の周囲ではクレーター=リッジが揺れ動いており、私は平衡感覚を取 り戻す前にしばし座り込まなければならなかった。

 私は夢でも見ているかのような気分で小屋に戻った。信じがたい体験であり、現実のものとは思えなかった。今でもそうである。それでも、その体験は 他の物事すべてに影を投げかけており、私の思考をことごとく染め上げ支配している。もしかすると、自分の体験を文章にすることによって多少はそれを払いの けられるかもしれない。これほどまでに心が乱れたのは生まれて初めてであり、私を取り巻く世界は、たいそう偶然にも私が垣間見た世界に劣らず有り得ない悪 夢であるように思われる。

 8月2日──ここ数日間でずいぶん考え事をしたのだが、考えれば考えるほど謎は深まるばかりだ。空間に間隙があり、それが空気もエーテル・光・物 質も通さない完全な真空に違いないということを認めるとしても、どうしたら私がそこに落ち込むなどということが有り得るのだろうか? そして落ち込んだと して、どうやったら出てこられるのか──それも私たちの世界と関係があるという保証が何等ない世界に?

 だが、つまるところ理論上では一方の過程はもう一方の過程と同じくらい安易なものだったろう。主な難点は次のようなものだった。上方だろうと下方 だろうと、あるいは後方だろうと前方だろうと、どうやったら真空中で動けるのか? それでアインシュタインの仮説はすっかり台なしになってしまうというこ とになり、私は自分が真の解に近づいたという気がしなかった。

 しかも、あれが本当に起きたことだと確信するためだけでもいいから戻りたいという誘惑と私は戦っている。だが結局のところ、なぜ私は戻ってはいけ ないのだろうか? いかなる人間も未だかつて与えられたことがないようなものを私は偶然にも受け取ることができたのだし、私が見ることになるであろう驚異 や、学ぶことになるであろう秘密は想像も及ばぬものだ。かかる事情のもとでは、私の神経質な恐怖は許しがたいほど子供じみたものである……。


2.巨人の都

 8月3日──今朝、拳銃で武装した上で引き返してみた。どういうわけか、そんなことをしても違いがあるとは思えなかったが、丸石の間にある空間の 真ん真ん中に踏み込むのはやめておいた。明らかにこの結果として、私の効果は前回よりも長く激しいものとなり、もっぱら螺旋を描きながらの宙返りの連続で 成り立っているように思われた。続いて起こった目眩から回復するのには数分を要したが、我に返ったとき私は紫色の草むらに横たわっていた。

 私は今度は勇気をふるって坂道を下り、黄色と紫の奇怪な植物の中になるべく身を潜めるようにしながら、ぼんやりと見えている都市の方へそろそろと 進んでいった。何もかも静まり返っていた。異様な木々を揺らす風は全くなかった。木々の高々と直立した幹と水平な群葉は、巨大都市の建造物の質実な輪郭線 を模倣しているかのようだった。

 程なくして私は森の中の道に行き着いた──少なくとも20フィート四方はある巨大な石畳で舗装された道だった。その道は都市へと続いていた。道は 完全に無人で、もはや使われていないのかもしれないと私はしばし考え、そこを歩いてみることさえしたが、それも背後から物音がする前のことだった。振り向 くと、数体の奇怪な生命体が近づいてくるのが見えた。恐れおののいた私は茂みに飛びこんで身を隠し、その生物が通りすぎていくのをそこから見守りながら、 彼らに見られてしまったのだろうかと懸念した。どうやら私の懸念は杞憂だったらしい。私の隠れている場所を彼らは一瞥だにしなかった。

 その生物を描写することはおろか、いま思い浮かべてみることすら私には困難である。人間もしくは動物と見なすのに私たちが慣れ親しんでいるいかな る存在にも彼らはおよそ似ていなかったからだ。背丈は10フィートもあり、たいそう大股で歩いていたので、たちまち姿が道の曲がり角の向こうに消えて見え なくなってしまった。彼らの体は光り輝いており、ある種の鎧を装着しているかのようだった。丈の高い湾曲した付属器官が頭部には備わっていた。その器官は 乳白光を発しており、風変わりな羽根飾りのように頭上で揺らいでいたが、特殊な触角か感覚器だったのかもしれない。興奮と驚異の念に震えながら、私は極彩 色の茂みの中を進み続けた。前進していくうちに、どこにも影が見当たらないことに初めて気がついた。太陽のない琥珀色の天空の至る所から光が発せられてお り、柔らかい均一な光で一切を満たしていた。すべてが以前と同じように動かず、静かだった。この不可思議な光景のどこかに鳥か昆虫か獣がいるという証拠は 皆無だった。

 だが都市から1マイルのところまで近づいたとき──物体の大きさが常識に外れている領域でもその距離は測れたのだ──あるものの存在に私は気づい た。最初それは音というより振動として認識された。私の神経は妙にぞくぞくした。未知の力または放射が私の体を流れるのが感じられて心が騒いだ。その音楽 が聞こえる前から振動が感じられたのだが、音楽を聞きつけた私の聴覚神経はたちどころにそれを振動と同一のものと判断した。

 それは彼方から聞こえてくる微かな音楽で、巨大な都市の中心部から放射されているように思われた。旋律は身にしみるように甘美で、官能的な女性の 歌声に似ているときもあった。だが、その音程はこの世のものとも思われず、甲高い不断の音色は、遙かな世界や星辰の光を音に変換したものだという感じがし た。人間の声で出せる音ではなかった。

 私は普段あまり音楽に敏感な方ではない。音楽に対する感受性が乏しいと非難されたことさえある。だが、遙か彼方から聞こえてくる音が私に及ぼしは じめている奇妙な精神的・情動的呪縛に気づいたときも、大して向上していたわけではなかった。セイレーンの歌声のように私を引き寄せる魅惑があり、自分の 置かれている状況の異様さや危険の可能性を忘れそうになった。麻薬を投与されたかのように自分の脳髄と五感がゆっくりと酩酊していくのを私は感じた。

 私には理由も方法もわからなかったが、その音楽は何らかの狡猾な流儀で、広大ながらも到達可能な空間と高度の、超人的な自由と歓喜の想念を伝えてきていた。そして、私の空想が漠然と夢見ていた有り得ざる光輝すべてを約束してくれているように思われた……。

 森はほとんど都市の壁まで続いていた。森の外れから様子を窺っていると、圧倒的なまでの城壁が頭上高く空にそびえているのが見え、巨大なブロック の完璧な継ぎ目に気づいた。私は大きな道のそばにいた。道は開いた門へと続いており、その門はベヘモスですら通り抜けられそうなほど大きかった。守衛は見 当たらなかった。そして背の高い輝く生命体が何体か大股に歩いており、私の見ている前で都市へと入っていった。

 私の立っているところからは門の内側は見えなかった。壁がひどく分厚かったのだ。いや増す一方の洪水となった音楽が神秘的な出入口から溢れ出てき て、その怪異な魅力で私を引き寄せようとし、想像もつかぬ事柄を熱望していた。抗うのは困難だった。意志の力を奮い起こして背を向けるのは難しかった。危 険だという考えに私は意識を集中させようとしたが──その考えは弱々しく非現実的なものだった。

 とうとう私は無理やり離れ、後ろ髪を引かれる思いで大層のろのろと道を戻っていった。音楽が聞こえなくなるまで、それが続いた。聞こえなくなった 後でも、麻薬の効果のように呪縛が残存していた。我が家へ帰る間中ずっと私は引き返し、あの光り輝く巨人たちの後を追って都市に立ち入りたい気分だった。

 8月5日──私は再び例の新次元を訪れた。自分はあの招き寄せる音楽に抵抗できると思ったし、音楽の影響が強すぎたとき耳に詰める綿栓も持って いった。前と同じ距離で超自然的な旋律が聞こえてきて、私は同じように引き寄せられた。だが今回は、私は開いた門をくぐったのだ!

 あの都市を私に描写できるだろうか? 都市の建物や街路そしてアーケードという測りがたいバベルの直中にあって、自分が巨大な敷石の上を這う蟻の ようなものに感じられた。至る所に柱があり、オベリスクがあり、神殿らしき建物の切り立った塔門があったが、それに比べればテーベやヘリオポリスの塔門も 霞んで見えた。そして都市の住人たち! いかにしたら彼らを描写できるか、彼らに名前を付けられるか!

 私が最初に見かけた光り輝く生命体は都市の真の住人ではなく、来訪者に過ぎなかったのだと思う。たぶん、私と同じように他の世界か次元からやって きたのだろう。真の住人たちも巨人だったが、彼らは厳粛な聖職者らしい歩調でゆっくりと歩いていた。彼らは裸形で体が浅黒く、その肢は女人像柱のそれだっ た──彼ら自身の建造物の屋根や横木を持ち上げられるほど逞しいように思われた。彼らの姿を詳細に描写することはためらわれる。人間の言葉で説明しようも のなら、怪物めいた無様な代物を想起させることになってしまうだろうからだ。だが彼らは怪物じみているわけではない。私たちとは別の進化の法則、異なった 世界の環境の力や条件に従って発達しただけなのだ。

 どういうわけか、彼らの姿を目の当たりにしたときも怖くはなかった──もしかすると、あまりにも音楽に引き寄せられていたので恐怖を感じなかった のかもしれない。門のすぐ内側に彼らが群がっていたが、私がそばを通り過ぎても注意をまったく払わなかった。彼らの目は黒玉に似た不透明な球体で、スフィ ンクスの落ちくぼんだ眼のように表情がなかった。分厚くまっすぐで表情のない彼らの唇からは何の音も発されなかった。ことによると彼らには聴覚がないのか もしれなかった。長方形に近い奇妙な頭部には耳らしきものがまったく見当たらなかったのだ。

 私は音楽の源を辿っていった。音楽の源はまだ彼方にあり、音量はほとんど増していないようだった。城壁の外の道で先ほど見かけた生命体がすぐさま 私に追いついた。彼らは私を足早に追い抜き、迷宮の如く入り組んだ建物の中へと姿を消していった。彼らの後から他の生命体がやってきたが、あれほど大きく はなく、光り輝く鎧も装着していなかった。それから頭上に二体の生命体が現れた。血のように赤く透明な長い翼を備えている。その翼には複雑な翅脈とうねが あった。彼らは他のものたちを尻目に並んで飛んでいった。彼らの顔は動物のものではなく、備わっている器官はどう使うのか見当もつかなかった。彼らが高度 に進化した生命体であることを私は確信した。

 厳粛にゆっくりと歩む生命体を私は何百体も見かけた。都市の真の住人であると私が判断した連中だが、彼らは誰も私に気づいていないらしかった。人 類よりも奇怪で特殊な種族を彼らが見慣れていることは疑問の余地がなかった。前進していくうちに、有り得ざる外見をした生命体が何十体も私に追いついた が、いずれも私と同じ方向を目指しており、セイレーンの歌声の如き旋律にこぞって引き寄せられているかのようだった。

 彼方から聞こえてくる、阿片の如き霊妙な音楽に導かれて、錯綜した巨大な建造物の奥深くへと私は突き進んでいった。10分かそこらの間隔で音楽が 漸進的に強まったり弱まったりしていることに私はすぐ気づいた。だが、ごくわずかずつ音楽は甘美さと近さを増していった。何重にも入り組んだ石造の迷宮を 通して壁の外側まで音楽が聞こえるのはどうしてだろうかと私は訝った……。

 私の頭上には長方形の建物が何層にも積み重なり、恐るべき高さで琥珀色の天空にそびえている。その建物の絶え間ない薄暗がりの中で私は何マイルも 歩いていたに違いない。そして、すべての中核にして秘密であるところへと私はとうとう辿り着いた。無数の怪物的な生命体に混じって、私は大きな広場へと出 て行った。広場の中央には神殿らしき建物があり、他を圧する大きさを誇っていた。堂々として甲高く大音量の音楽が、柱がたくさん立っている建物の入り口か ら溢れ出てきていた。

 その建物の広間に足を踏み入れたとき、私はぞくぞくした。神聖にして神秘なる場所に近づいているのだ。多くの異世界や異次元からやってきたに違い ない人々が私と共に、そして私に先立って巨大な柱廊を進んでいた。その柱には判読不可能な記号や謎めいた浅浮彫が刻み込まれていた。浅黒く巨大な都市の住 人たちが佇んだり歩き回ったりしていたが、他のものたちと同様に自分自身の用事に没頭していた。誰も私には話しかけなかったし、自分たち同士で会話するこ ともなかった。私の方を何気なく見やる者もいたが、私がその場にいるのが当然のことと見なされているのは明らかだった。

 その不可解なる驚異を伝えられる言葉などありはしない。そして音楽は? 音楽もまた私にはおよそ描写しがたいものだった。さながら不可思議な霊薬 が音波に変じたかのようだった──超人的な生命という贈物を与えてくれ、神々の見る崇高で壮麗な夢を見させてくれる霊薬だ。秘められし源に近づいていくに ついて私の頭の中で音楽が高鳴り、まるで天上の美酒に酔いしれているかのようだった。どうして自分が漠然と警戒心を抱き、さらに接近する前に綿で耳栓をし たのかわからない。まだ音楽は聞こえたし、その奇異にして身にしみる振動も感じられたが、耳栓をしたことで音は押し殺されたものとなり、音楽の影響はそれ までほど強力なものではなくなった。この単純で素朴な警戒心のおかげで私の命が助かったことは疑いようがない。

 果てしなく続く柱の列は、玄武岩の長い洞窟の内側のようにしばし薄暗くなった。それから、前方の少し離れたところで床と柱が柔らかく照らし出され ているのが見えた。その照明はすぐに溢れかえる光輝となり、神殿の中心で巨大なランプが灯されているかのようだった。そして秘められし音楽の振動に、私の 神経はより強く脈打った。

 広間の突き当たりにあったのは、巨大で広さの定かならざる房室だった。その壁と天井には影がつきまとっており、はっきりとは見えなかった。中央は 巨大なブロックで舗装されており、その直中に円形の穴があった。穴からは炎が絶え間なく噴き出し、ゆっくりと伸びていた。その炎は唯一の照明であり、この 世のものならぬ荒々しい音楽の源でもあった。慎重に耳栓をしていたにもかかわらず、その甲高く宇宙的に甘美な歌声に私は負けそうだった。官能的な誘惑と、 崇高にして目眩く高揚が感じられた。

 その場所が神殿であり、私と共にいる異次元の生命体が巡礼であることが即座にわかった。彼らは何十人もいた──もしかすると何百人もいたかもしれ ない。だが、その部屋の宇宙的な巨大さに比べれば、彼らはすべて小さく見えた。彼らは炎の前に集い、様々な流儀で崇敬の念を表した。異様な頭を垂れたり、 人外の手や器官で拝んだりした。太鼓が鳴るように太く低かったり、巨大な昆虫が鳴くように鋭かったりする声が、炎の泉の歌声に混じって聞こえた。

 魅せられて私は前に進み、彼らに加わった。立ち上る炎の眺めと歌声の虜となって私は奇異なる道連れにはほとんど注意を払わなかったが、それは彼ら の方でも同様だった。炎の泉はひたすら立ち上り、その後ろに座している巨像の肢や顔が照らし出された──異界における古代の英雄や神々や魔神たちが石像と なり、無限なる神秘の薄明から見つめているのだった。

 火は緑色でまばゆく、恒星の中心で燃えさかっている炎のように純粋だった。私は目がくらんだ。私が眼を背けたとき、空中は複雑な色彩の網で満たさ れていた。それは急速に変化するアラベスクであり、その無数にして尋常ならざる色合いと模様はいかなる世人も未だかつて見たことがないようだものだった。 より強烈な命で自分を骨の髄まで満たしてくれる刺激的な暖かさを私は感じた……。


3.焔の誘惑

 音楽は炎につれて高まった。そして炎が周期的に強まったり弱まったりしていることが今や理解できた。眼を凝らしながら耳を傾けていると、狂おしい 考えが心の中に生じた──前に走り出て、歌う炎の中に頭から飛びこんでいったらどんなにすばらしいだろうという考えだ。彼方から炎が約束してくれていた歓 喜と勝利すべてが、光輝と高揚すべてが、身を焼き尽くされる瞬間に見出せるだろうということを音楽は私に告げているように思われた。音楽は私に懇願してい た。その崇高な旋律の音色で嘆願していた。耳栓をしているにもかかわらず、その誘惑は抗いがたいほどだった。

 しかしながら、音楽を聴いていても私は正気をすっかり失ってしまいはしなかった。高い崖から飛び降りようとしていた人のように、私はやにわに恐怖 を覚えて後ずさりした。そのとき、同じ怖ろしい衝動を覚えたものが私の道連れの中にもいることがわかった。深紅の翼を備えた生命体のことを前に話したが、 私たちから少し離れたところに彼らが二人立っていた。今や、大きく羽ばたいて彼らは上昇し、蝋燭の火に向かう蛾のように前へ飛んでいった。束の間、彼らの 半透明の翼を通して光が赤く輝いたが、それも彼らが業火の中に飛びこんでいくまでのことだった。一瞬だけ火勢が強まり、それからまた元に戻った。

 きわめて多種多様な生物学的傾向を示している無数の他の生命体が矢継早に飛び出していき、火中に身を投じた。体が透明な生物がおり、オパールのよ うな色で全身が輝いているものもいた。翼の生えた巨人もいれば、七里靴を履いているかの如き歩幅で歩むものもいた。翼が退化して使えなくなったものがお り、走るというよりは這いずりながら、同じ栄えある破滅を憩いとして求めていた。だが、彼らの中に都市の住人は誰一人として混じっていなかった。彼らはた だ佇んで見守り続けるだけであり、相変わらず無表情で彫像のようだった。

 炎の泉はこの上なく高まり、そして衰えはじめたということがわかった。炎は着実ながら緩やかに半分の高さまで落ちていった。この間、自己犠牲の挙 に出るものはもうおらず、私の傍らにいた数名のものが出し抜けに身を翻して立ち去った。あたかも死の呪縛に打ち勝ったかのようだった。

 背が高く甲冑をまとった生命体の一体が去りしなに私に言葉をかけた。その声はクラリオンの音色のようだったが、紛れもなく警告の響きを帯びてい た。相反する感情に動揺しつつも私は意志の力を振り絞り、彼の後に続いた。一歩ごとに音楽の狂気と幻惑が私の自己保存の本能と戦っていた。引き返そうとい う衝動に私は一度ならず襲われた。阿片を飲んで酩酊した人間がさまよっていたかのように、私の家までの旅路は漠としたものだった。そして私の背後では音楽 が歌っていた。私が手に入れ損ねた歓喜のことを語り、炎に身を焼き尽くされる一瞬は永遠の生命よりもよいものであると告げていた……。

 8月9日──新しい物語の続きを書こうとしているのだが、一向に進まない。心に思い浮かべたり、言葉の形をとらせたりするものは、私が立ち入るこ とを許された不可思議なる神秘の世界に比べたら、すべて平板で稚拙に思われる。引き返したいという誘惑がかつてなく強まっている。記憶に残っている音楽の 呼び声は、愛する女性の声よりも甘美なものだ。その難題に私はいつも悩まされている。私に理解できたことはわずかしかないのだが、そのわずかなことが私を 苦しめているのだ。

 私がかろうじて認識した存在や作用はいかなる力なのだろうか? あの都市に住んでいるのは何者なのだろうか? 祀られている炎を訪れるのは誰だ?  曰く言い難い危険と破滅が待ち受けているあの場所に彼らが外世界や彼方の惑星からやってくるのは、いかなる噂や伝説を聞きつけたからなのか? そして、 あの炎の泉は何なのか。あの誘惑には、あの死をもたらす歌にはいかなる秘密があるのか? これらの問題からは際限なく憶測が生じたが、解答は想像するべく もなかった。

 もう一度戻ってみようと考えている……だが独りで戻るのではない。今度は誰かが私に同行し、あの驚異と危険の証人になってくれなければならない。 あまりにも奇怪すぎて信用してもらえない話だ。私が目撃し、感じ取り、憶測したことを裏付けてくれる人間が必要なのだ。それに、私には憶測しかできなかっ たことでも、他の人なら理解してくれるかもしれない。

 誰を連れて行くことにしようか? 外の世界からここに誰かを招くことが必要だ──知的にも美的にも高度な能力を備えた人間を。小説家仲間のフィ リップ=ハステインに声をかけてみようか? 残念ながら彼は多忙すぎるだろう。だがカリフォルニア人の画家フェリックス=エボンリーがいる。私の幻想小説 に挿絵を描いてくれたことのある人だ……。

 もしもエボンリーが来てくれれば、あの新次元を見て気に入ってくれることだろう。この世のものならぬ奇怪なものを愛好する彼のことだから、あの平 原や都市の壮観や、バベルの塔の如き建物や拱廊や、炎の神殿に魅せられて虜になるだろう。さっそくサンフランシスコの彼の住所に宛てて手紙を書くことにし よう。

 8月12日──エボンリーがここにいる。彼の画題に打ってつけのものがあると手紙でほのめかしてみたところ、刺激が強すぎて抗しきれなかったの だ。いま彼に事の次第を詳しく説明したところだ。彼は半信半疑なようだが、だからといって彼を非難しようとは思わない。だが彼が疑念を抱き続けるのも長い ことではないだろう。なぜなら明日、歌う焔の都を私たちは一緒に訪れるのだから。

 8月13日──心が千々に乱れて何も手に着かないが、集中しなければならない。言葉を選び、念には念を入れて書かなければならない。私が日記をつ けるのもこれが最後だろうし、文章を書くのも最後だろう。書き終えたら日記を包装し、フィリップ=ハステイン宛にしておく。彼なら、適切だと思うやり方で 日記を処分してくれるだろう。

 今日、私はエボンリーを異次元に連れて行った。彼も私と同様、クレーター=リッジに二つぽつんとおいてある丸石に感銘を受けていた。

「人類以前の神々が立てた柱の成れの果てみたいだな」と彼は指摘した。「君のいうことが信じられそうだ」

 私は彼を先に行かせ、足を踏み入れるべき場所を示した。彼は躊躇することなく従い、一人の男が一瞬で完全に消失するのを私は目撃することになっ た。つい先程まで彼はそこにいた──次の瞬間、そこには剥き出しの地面があるばかりで、彼の体に遮られて見えなかったアメリカカラマツの森が彼方に見え た。私は後に続き、畏敬の念に打たれて言葉を失った彼が紫色の草むらに立っているのを発見した。

「こんなことが」とうとう彼はいった。「存在するなんて今までは薄々感づいていただけだったし、想像力をもっとも発揮して絵を描いたときだって暗示できなかった」

 平原に向かって続くモノリス状の丸石を辿っていく間、私たちはほとんど口をきかなかった。遙か彼方、丈が高く堂々とした木々が壮麗に葉を茂らせて いる向こうで金褐色の霞に裂け目が生じ、果てしない地平線が覗いていた。そして地平線の向こうでは、琥珀色の天空の奥まったところに、かすかに輝く球体 と、ぎらぎら光りながら飛んでいく微片が延々と連なっていた。あたかも、私たちの宇宙とは違う宇宙の帳が引き払われたかのようだった。

 私たちは平原を横切り、セイレーンの歌声の如き音楽が聞こえるところまでついにやってきた。綿で耳栓をするよう私はエボンリーに警告したが、彼は従わなかった。

「新しく体験できるかもしれない感覚は何であれ、弱めたくないんだ」と彼はいった。

 私たちは都市に足を踏み入れた。巨大な建物や人々を目撃すると、私の連れは有頂天になった。音楽が彼の心を捉えていることもわかった。すぐに彼は視線がじっと動かなくなり、阿片を飲んだ人の如く夢見る目つきとなった。

 私たちを追い抜いていく様々な生命体や建造物について彼は最初しきりに意見を述べ、それまで気づかなかった細部に私の注意を引きつけてくれた。だ が炎の寺院に近づくにつれて彼は周囲を観察しなくなり、恍惚とした内省に耽るようになった。彼は口数が少なくなり、喋ることがあっても発言は短いものだっ た。そして私の質問に耳を傾けてすらいないようだった。あの音色が彼を魅了し、その心をすっかり捉えてしまったことは明らかだった。

 私が前に訪れたときと同じように、多くの巡礼者が神殿に向かっていた──そして神殿から遠ざかっていく者は滅多にいなかった。私が前に見たことの ある進化の型に属しているものがほとんどだった。初めて眼にする連中の中に、巨大な蝶の羽のような金色と濃青色の翼を備えた壮麗な生命体がいたことを覚え ている。その生命体には宝石のような煌めく眼があった。楽園の如き世界の栄光を反映するべく創られたものに違いなかった。

 意地の悪い束縛と魅力を私も感じた。知らないうちに少しずつ思考と本能が冒されていった。まるで、曰くいいがたいアルカロイドの如く音楽が私の脳 髄に作用したかのようだった。いつものように用心していたので、私は音楽の影響に対してエボンリーほど完全に屈服してはいなかった。にもかかわらず、私が 多くの事柄を忘れ去るには充分だった──私のように耳栓で防御することをエボンリーが拒んだときに初め感じた懸念も忘れてしまっていた。彼がさらされてい る危険のことを私はもう考えず、自分自身の危険をも顧みなかった。考えることがあっても、ごく微かで取るに足らないことに思えた。

 街は延々と続いて目が回る悪夢の迷宮のようだった。だが音楽が私たちをまっすぐ導いていったし、常に他の巡礼者がいた。強い潮流に巻き込まれた人 間のように、私たちは目的地へと引き寄せられていった。巨大な柱が立ち並ぶ広場を通り抜け、炎の泉がある場所へと近づいていくと、私の頭の中で危機感が一 瞬だけ強まり、私はもう一度エボンリーに警告しようとした。だが私の抗議や諫言はすべて無駄だった。彼は機会のように耳を貸さず、死をもたらす音楽以外の ものには無頓着だった。彼の表情や動作は夢遊病者のそれだった。彼の体をつかみ、できる限りの強さで揺さぶったときも、彼は私の存在に気づいていなかっ た。

 崇拝者の列は初回の訪問時よりも大きかった。私たちが立ち入ったとき、純粋な光り輝く炎は着実に勢いを強めており、その歌声の純然たる熱情と法悦 は虚空に独り浮かぶ星のものだった。立ち上っている炎の中へ蛾の如く飛び込んでいって死ぬという狂喜のことを、炎の精髄との束の間の合一という歓喜と勝利 のことを、言語に絶する響きで炎は再び私に告げていた。

 火勢は最高潮に達していた。私にとっても、催眠術めいた魅力はほとんど抗いがたいものだった。私たちの道連れの多くが屈服し、最初に犠牲となったのはあの蝶のような生命体だった。様々な進化の型に属する4体の他の生命体が、驚くほどの素早さで後に続いた。

 私自身も部分的ながら音楽に屈していた。致命的な束縛に抗おうと懸命になって、ほとんどエボンリーの存在を忘れ果てていた。彼を制止することを考 えるのですら遅すぎた。彼は前に飛び出していったのだ。その跳躍は厳粛であると同時に狂乱したものであり、何らかの宗教的な舞踊が始まったかのようだっ た。そして彼は頭から炎の中へ飛び込んでいった。火が彼を包んだ。火は一瞬だけ燃え上がり、その緑色はさらに眩いものとなったが、それだけだった。

 麻痺していた脳髄の中心から這い出してくるかのように、恐怖がゆっくりと私の意識に忍び寄ってきて、破滅的な催眠効果が打ち消された。大勢のもの がエボンリーの例に倣ったが、私はきびすを返して神殿と都市から一目散に逃げ出した。だが私が歩を進めるにつれて、どういうわけか恐怖が消え去っていっ た。ますます私は連れの運命を羨むようになり、炎に焼き尽くされる瞬間に彼が覚えた感覚について思いをめぐらせるようになった……。

 今これを書きながら、どうして自分は人間界に舞い戻ってきたのだろうかと私は訝っている。言葉を費やしたところで、私が目撃し体験したことは言い 表せない。そして、余人が知りもしない世界の計りがたい力に翻弄された私に生じた変化のことも。文学など影の如きものに過ぎなくなった。私が得られたかも しれない壮麗な死──今なお待ち受けている栄光の運命に比べれば、単調な日々の反復が延々と続くだけの人生など非現実的で無意味なものだ。

 音楽は記憶の中でしつこく聞こえ続けているが、私にはもう闘う気力がない。それに、闘う理由があるとも思えないのだ……明日、あの都市に戻ることにしよう。


4.3人目の冒険者

 私すなわちフィリップ=ハステインは我が友ジャイルズ=アンガースの手記を何度も通読し、ほとんど暗記してしまったほどだったが、そこに記されて いる出来事が作り話なのか事実なのかいまだに確信がなかった。アンガースとエボンリーの超次元の冒険。炎の都と、その奇異なる住民や巡礼者たち。エボン リーの焼身。そして、同様の目的のために語り手も引き返していったことが日記のおしまいの部分でほのめかされている。アンガースを有名にした小説のひとつ で彼がいかにも考えそうなことだった。このことに加えて、物語全体が到底ありそうになく信じがたいことであり、手記の内容を事実として受け入れるのを私が 躊躇したことも容易に御理解いただけるだろう。

 しかしながら一方では、二人の人間が失踪したことによって生じた不可解きわまりない謎があった。一人は作家として、もう一人は画家として、両方と も有名だった。二人とも上り調子で、深刻な悩み事など抱えていなかった。あらゆる事柄を考慮するに、日記に記されていたのより妥当で常識的な理由で二人の 失踪を説明するのは困難だった。この記録の緒言で述べたように、何もかも手の込んだ冗談なのだと私は初め考えていた。だが時間が経っていき、いたずらをし たのではないかと疑われている二人が姿を見せないまま1年が過ぎ去ろうとするにつれて、この理論はますます説得力が乏しくなっていった。

 アンガースが書いたことはすべて真実であったと私は今ついに証言できる──そして、それ以上のことも。なぜなら私もまた歌う焔の都イドモスに行 き、内次元の崇高な栄光と歓喜のことをも知ったのだから。いかに拙く不満足なものであろうとも、あの壮麗な光景が記憶から薄れていく前に人間の言葉で語ら なければならない。なぜなら、これらは私も余人も二度と見たり経験したりできないことなのだから。

 イドモスは今や廃墟と化している。炎の寺院は礎石に至るまで吹き飛ばされ、歌う炎の泉は源を絶たれた。外なる地の支配者たちがイドモスにしかけた大戦で、泡がはじけるように内次元は消滅してしまった……。

 ようやくアンガースの手記を下に置いた後、じれったい奇妙な問題が生じて忘れられなかった。漠然とした、しかし限りなく示唆に富む展望がアンガー スの物語によって開けたのだ。それは私の空想に絶えず付きまとって繰り返し現れ、謎が半ば闡明されていることを暗示していた。何らかの重大で神秘的な意味 が背後に存在するという可能性に私は悩まされていた。何らかの宇宙的な実在があり、アンガースはその外観と周辺を見たに過ぎないという可能性である。時が 経つにつれて、私はそのことをひっきりなしに考えるようになり、単なるホラ吹きには作り出せないものがあるという意識と圧倒的な驚異にますます囚われるよ うになった。

 1939年の初夏、新しい小説を仕上げた私は、しばしば心に浮かんでいた計画を実行するのに必要な余暇が初めてとれると感じた。私が二度と帰って こなかった場合に備えて事務をすべて整理し、やり残した原稿や書状をまとめると、1週間の休暇をとるという口実でオーバーンの我が家を後にした。実際には サミットに行ったのだ。アンガースとエボンリーが人間界から姿を消した界隈を丹念に探索しようと考えていた。

 奇妙な強い感情を覚えた私は、クレーター=リッジの南にある打ち捨てられた小屋を訪れた。アンガースの住んでいた小屋だ。私は松材の粗末なテーブルを見た。そのテーブルの上で我が友人は手記をしたため、それを収めて封印した私宛の包みを去りしなに残していったのだ。

 その場所は寂寥感が不気味に覆っており、非人間的な無限なるものがすでに乗っ取ったかのようだった。冬の間にうずたかく積もった雪の圧力で、施錠 されていない扉は内側にたわんでいた。その隙間から松の葉が敷居をよぎって入りこみ、掃き清める者もない床に散乱していた。理由はわからなかったが、そこ に佇んでいると、あの奇怪な物語はより現実的で信憑性に富んだものに感じられた。まるで語り手の身に生じた出来事すべてを密やかに暗示するものが今なお小 屋のあたりに留まっているかのようだった。

 私がクレーター=リッジそのものを訪れ、破壊された石柱の台座に似ているとアンガースが明確に描写した二つの丸石を見つけ出そうと、何マイルも続 く疑似火山性の瓦礫の直中を探し回るに至って、この奇妙な暗示はますます強まった。アンガースが彼の小屋から歩いていったに違いない北向きの道を辿り、長 く荒涼とした丘陵を彼が散策した道筋を再現しようとしながら、私はそのあたりを隅から隅まで徹底的に調べ上げた。アンガースは丸石の場所を明示していな かったのだ。こんな風にして二朝を過ごしても結果が出なかったので、すんでの所で私は探索を打ち切り、灰緑色で石鹸質の奇妙な石柱の台座はアンガースの もっとも刺激的で人を欺く創作物のひとつであるとして片付けようとした。

 三日目の朝になって私が探索を再開したのは、先ほど述べた漠然とつきまとう暗示のせいだったに違いない。今度は、1時間以上も丘の頂上を行ったり 来たりし、蝉の住む野生のフサスグリの茂みとヒマワリが埃っぽい斜面に生えている直中を縫うように蛇行した後に、それまで一度も見たことのない空地に私は とうとう辿りついた。岩に取り囲まれた円形の空地だった。なぜか以前の探索では見過ごしていたのだが、それがアンガースの話にある空地だった。そして私は 言い様もなく興奮を覚えながら、磨り減って見える二つの丸石が円環の中央にあるのを目の当たりにしたのだった。

 その奇妙な石を詳しく調べようと前に進み出ながら、私は興奮のあまり少し身震いしていたと思う。かがみ込みつつも、丸石の間にある小石だらけの不 毛な空間に足を踏み入れないよう注意しながら、私は丸石の片方に手で触れた。不可思議なまでにすべすべしているという感じがした。かっと照りつける8月の 太陽に丸石と周囲の土壌が何時間もさらされていたことを考えれば、その冷たさも説明がつかないものだった。

 アンガースの物語は単なる御伽噺ではないと私はその瞬間から完全に確信した。このことについて自分がそんなに確信を持てた理由は言い様がない。だ が自分の立っているところは異界の神秘の戸口、未知なる深淵の縁であるように思われた。私は馴染み深いシエラの峡谷と山々を見回し、それらがいつもの輪郭 をまだ保っているか、異世界の接触によって変容していないか、不可思議なる次元の燦然たる栄光に侵食されていないかと訝った。

 世界と世界をつなぐ戸口を自分がまさしく発見したことを確信して、私は奇妙な沈思黙考へと駆り立てられた。私の友人が入っていった異界は何なの か、どこにあるのか? 宇宙という建造物の中にある秘密の部屋のように、すぐ身近なところにあるのだろうか。それとも実際は彼方の銀河の惑星にあり、天文 学の距離で勘定すれば何百万ないし何兆光年も離れているのだろうか?

 結局のところ、私たちは宇宙の本質についてはほとんど、あるいは何も知らないのだ。もしかすると、私たちには想像もつかないやり方で、ところに よっては無限の空間が折りたたまれて次元の襞が生じ、アルデバランへの距離をただ一歩とする近道ができるのかもしれない。また、無限の空間は二つ以上ある のかもしれない。アンガースが落ち込んだ空間的な「瑕疵」は一種の超次元で、果てしない間隔を短縮して宇宙と宇宙をつなげるものなのだろう。

 しかしながら、天体と天体を結ぶ戸口が実在のものであり、望むならばアンガースとエボンリーの後を追っていけると確信したが故に、私は実践の前に 躊躇した。神秘的な危険と、他のものを圧倒してしまう否定し得ない誘惑のことを忘れてはいなかったのだ。空想に富んだ好奇の念が、外なる領域の驚異を目撃 したいという熱狂的なまでに強烈な渇望が私の心に食い入っていた。だが、歌う焔の阿片めいた力と魅力の犠牲者になる気はなかった。

 私は長いこと立ちつくし、奇妙な丸石と荒れ地を、小石の散乱した地点を注視していた。その地点が未知の世界への立ち入りを許可してくれる。とうと う、明日まで冒険を延期しようと心に決めて、私は立ち去った。他の者たちが自発的に、さらには喜々として赴いていった不気味な運命のことを思い浮かべて、 自分が怯えていたことは認めざるを得ない。一方で、探索者を彼方の場所へと導いてくれる運命的な魅惑に私は惹かれていた……ことによると、これ以上の何か に。

 その晩はほとんど眠れなかった。朧気ながらも燦然とした予感で、危険と光輝と広大さが半ば闡明されたという暗示で、神経と脳髄が興奮していた。翌 日の早朝、まだネヴァダ山脈の上に太陽がかかっているうちに私はクレーター=リッジへと戻った。強力な狩猟用ナイフとコルトの拳銃を携え、弾薬帯を一杯に して装着した上、コーヒーの魔法瓶とサンドイッチが入った背嚢を背負っていった。

 出発する前に、新種の麻酔薬に浸した綿で私はしっかりと耳に栓をしておいた。その麻酔薬は弱いながらも効き目があり、数時間は私の耳を聞こえなく してくれるはずだった。こうしておけば、炎の泉の士気を喪失させる音楽にも平気だろうと思われた。見晴らしのよい岩だらけの景色を眺め回して、自分がその 景色を再び見ることはあるだろうかと私は訝った。それから決然として、しかし高い崖から底なしの淵へと飛び込む人間の不気味な高揚感と無力感を覚えつつ、 灰緑色の丸石の間にある空間へと私は足を踏み出した。

 概して言えば、私の感覚はアンガースが手記に書いたのと似たものだった。暗黒と果てしない空虚が私を包み込んで渦巻き、目が回った。水車を回す水 か突風の直中にいるかのようだった。錐揉みしながら私はどんどん墜落していったが、その墜落がどれだけ続いたのかは見当もつかない。容赦なく窒息させら れ、一息つく力さえも失って、私の筋肉と骨髄を凍りつかせてしまう冷たい真空の中で、私は次の瞬間には意識を失い、死もしくは忘却というさらに大いなる深 淵へと落ち込んでいくことだろうという気がした。

 何かが私の落下を食い止めたらしく、自分がじっと立っていることに私は気づいた。だが私が足をつけている硬い物質と自分の位置関係は垂直なのか水 平なのか、それとも倒立しているのかという変な疑問に私はしばらく悩まされていた。それから雲が晴れるように暗黒がゆっくりと晴れていった。紫色の草が生 えた斜面と、私が立っているところから坂の下へと続いている不規則なモノリスの列と、すぐ近くにある灰緑色の石柱が見えた。彼方には巨大な切り立った都市 があり、丈高く多彩な平原の植物の上にそびえていた。

 ほぼアンガースが描写したとおりだった。だが、風景の詳細と雰囲気の要素に違いがあることに私はそのときですら気づいていた。はっきりと直接的に 指摘することはできなかったが、アンガースの手記が私に教えてくれなかったものだった。そして、そのときの私はあまりにも平衡感覚が失われており、見るも のすべてに圧倒されていたので、違いの性質について推測してみることなど思いもよらなかった。

 幾層も狭間胸壁が密集し、無数の尖塔がそびえている都市を凝視していると、秘密の魅力が見えざる糸をなしているのが感じられ、どっしりした壁と無 数の建物の背後に隠されている神秘を知りたいという切実な願いに私は囚われた。そして一瞬の後、平原の反対側にある彼方の地平に私の視線は吸い寄せられ た。まるで何らかの相容れない衝動に駆られたかのようだったが、その性質や由来は判然としなかった。

 私は驚き、不正で不遜なものがあったかのように、いささか困惑すら覚えた。それはたいそう鮮明で明確な光景を友人の物語から心に描いていたからに 違いない。もうひとつの都市とおぼしきものの輝く塔が遙か彼方に見えたのだ──アンガースが言及していなかった都市だった。塔は密集してそびえ立ち、奇妙 な弧を描いて何マイルにも及んでいた。そして塔の背後にあり、陰鬱な網や不吉な這いうねる細糸となって琥珀色の輝く空に広がっている黒雲からくっきりと見 分けがついた。

 近くにある都市の尖塔から魅惑が放射されているのと同様、より彼方の光り輝く尖塔からは、微妙ながらも不穏で嫌悪させるものが放射されているよう だった。尖塔が邪悪に光りながら震えたり脈打ったりしているのが見えた。まるで生きている動物のようだったが、大気が光を屈折させることによる見かけ上の 現象だろうと私は決め込んだ。そのとき、塔の背後にあった黒雲全体が、鈍い怒りに満ちた緋色で瞬時に輝いた。その探り回る網や蔓までもが赤く輝く炎の線条 と化した。

 緋色が薄れ、雲は先程までと同様に不活発で鈍重な状態に戻った。だが先頭に立っている塔の多くから、あたかも槍が突き出されるかの如く、塔の下に ある地面に赤と紫の炎の線が飛び出した。炎の線は少なくとも1分間は保たれ、消滅する前にゆっくりと大幅に動いた。塔と塔の間にある空間には、静止するこ となく光り輝く無数の粒子が今や見え、戦闘的な原子の軍勢のようだった。ことによると、それらは生き物なのかと私は訝った。その考えがそれほど空想的に思 われなければ、そのときでさえ私は断言できただろう。彼方の都市はすでに位置を変えており、平原にあるもう一つの都市に向かって前進しつつあったと。


5.迫りくる運命

 雲は閃きを発し、塔からは炎が飛び出し、光線の屈折による現象と思われる振動もあったが、それらを除けば眼前そして周囲の景色はすべて不自然なま でに静まりかえっていた。奇異なる琥珀色の大気や、鮮やかな紫色の草むらや、威風堂々と華やかに茂っている未知の木々には、途方もない暴風や大地震の前兆 となる完全な静寂があった。垂れ込めている空には宇宙的な危機の予感が充満しており、朧気ながらも剥き出しの絶望がのしかかっていた。

 この険悪な雰囲気に不安を覚えて、私は背後の二本の柱を見た。アンガースによると、それが人間界への帰途の門だった。一瞬、私は引き返したいとい う衝動に駆られた。それから私は再び近くの都市の方を向き、どっと押し寄せてくるような畏怖と脅威の中で前述の感覚は消失した。建物の巨大さを前にする と、深く崇高な高揚が感じられてぞくぞくした。建物の構造の輪郭そのものが、建築的な音楽の和声が、従わずにはいられない魔法を私にかけたのだ。クレー ター=リッジに戻りたいという衝動を忘れ去り、私は都市へと向かって斜面を降りはじめた。

 紫と黄色の森の枝がすぐ私の頭上に穹窿を作り、色鮮やかな天空を絢爛たるアラベスクで飾っている葉と相俟って、まるで巨人が高々と築いた側廊のよ うだった。その向こうには、目的地の城壁が高く層をなしているのが時たま見えた。だが地平線上にあるもう一つの都市の方を振り返っても、閃きを発する塔は もう見えなくなっていた。

 しかしながら、巨大な黒雲の固まりが絶えず空に立ち上り、悪意に満ちた黒っぽい赤色へとまたもや燃え上がるのが見えた。まるで、この世のものなら ぬ種類の幕電光が生じているかのようだった。私の麻痺した耳には何も聞こえなかったにもかかわらず、雷のような長々しい震動で足許の地面が揺れていた。そ の震動には奇妙な性質があって、脈打ち刺すような不協和音が私を苛立たせた。それは、割れたガラスや拷問台での締め上げのように苦痛を与えるものだった。

 私の前にアンガースがそうしたように、舗装された巨大な幹線道路に私は辿りついた。その道を辿っていくと、聞こえざる雷が轟き渡った後にやってき た静けさの中で、より微妙な別の振動が感じられた。都市の中心にある神殿で焔が歌っているのだとわかった。その振動は私を慰撫し、高揚させ、支えてくれる ようだった。あの雷の拷問じみた脈動のせいで私の神経に今なお残っていた痛みを、柔らかな愛撫で消し去ってくれるらしかった。

 途上では誰にも会わなかったし、アンガースを追い越していったような超次元の巡礼者たちに追い抜かれることもなかった。そして私が森を出て、もっ とも高い木よりもさらに高々と城壁がそびえているところまでやってきたとき、都市の大門が閉ざされていることがわかった。私のような小人が入りこむ隙間さ えなかった。

 怪夢を見た人が味わうような奇妙な当惑を心底から覚えながら、厳格で仮借なく黒々としている門を私は凝視した。漆黒で光沢のない金属の巨大な一枚 板で門は作られているようだった。それから私は上を向き、壁がアルプスの断崖の如く垂直にそそり立っているのを見た。どうやら狭間胸壁は無人らしかった。 都市は住人たちに、焔の守護者に見捨てられてしまったのだろうか? 焔を崇め、我が身を焼き滅ぼすために遠方の地からやってくる巡礼者たちにはもう開放さ れていないのだろうか?

 一種の茫然自失とした状態でそこにぐずぐずと留まった後、奇妙に嫌々とした気分で私はきびすを返し、来た道を引き返した。歩いていると黒雲が限り なく近づき、二つの翼に似た不吉な形をとって空の半分を覆い尽くした。不気味で怖ろしい光景だった。そして、あの怒りに満ちた禍々しい炎で雲は再び光っ た。私の麻痺した耳を衝撃波で打つような爆発音があり、私の体内の神経繊維を引き裂くかのようだった。

 次元間の門口に辿りつく前に嵐に見舞われることを懸念して、私は躊躇した。性質も未知ならば威力もすさまじい四大の狂乱に自分がさらされるだろう とわかったのだ。そのとき、絶えず沸き起こっている不吉な雲の前の空中に、二体の飛翔する生命体が見つかった。彼らをなぞらえられるものがあるとしても私 には巨大な蛾しか思いつかなかった。明るく光り輝く翼で、真っ黒な嵐の前触れの直中を彼らは冷静ながら一目散に飛び、私の方に近づいてきた。そして、唐突 ながら楽々とした身のこなしで停止しなければ、閉ざされた門に頭から衝突してしまったことだろう。

 ほとんど羽ばたかずに彼らは降下し、私の傍らに着地した。彼らの体を支えている奇妙で繊細な脚は膝関節のところで分岐し、たなびく触覚と揺れ動く 触手になっていた。その翼は華麗な斑紋のある真珠色と茜色、乳白色と橙色の網だった。頭部は、飛び出した眼と落ちくぼんだ眼がずらりと連なって取り巻き、 ぐるぐると巻いて輪になったホルンのような器官がついていた。その器官の中空になった末端からは、中空に細糸が垂れ下がっていた。私は彼らの姿に仰天し た。だが解しがたいテレパシーによって、彼らが私に対して友好的な存在であることが確信できた。

 彼らが都市に入りたがっていることがわかった。彼らが私の窮状を理解してくれたこともわかったのだが、そのときの出来事に対して私は心構えができ ていなかった。この上なく機敏で優雅な仕草で、蛾に似た巨大な生命体のうち一体が私の右腕を押さえ、もう一体が左腕を押さえた。私が彼らの意図を憶測する ことすらできずにいるうちに、彼らは私の五体に長い触手を巻き付け、強力なロープを使ったかのように私をぐるぐる巻きにした。そして、私の体重など何でも ないかのように私を運び上げ、巨大な城壁を目指して空中に舞い上がったのだ!

 迅速に易々と上昇していくと、壁は私たちの横そして眼下を下方へと流れていき、熔けた石が波打つかのようだった。私は目眩を覚えながら、巨大なブ ロックが際限なく後退し沈んでいくのを見守った。それから私たちは広々とした城壁と同じ高さになり、守るものもない胸墻をよぎったり、峡谷のような空間の 上を飛んだりしながら、巨大な長方形の建物や無数の正方形の塔へと向かった。

 私たちが壁を通過するや否や、巨大な雲がまたもや稲妻を発し、私たちの眼前にある建物で不気味な光が明滅した。蛾に似た生命体は何の注意も払って いないらしく、奇妙な顔を見えざる目的地に向けて都市の直中へとまっすぐに飛び続けた。だが、嵐の様子を窺おうと顔を後ろに向けた私は、驚くべき光景を眼 にすることになった。都市の城壁の向こうには、黒魔術か魔神の労役で成し遂げられたかのように、もう一つの都市が出現していたのだ。そして、燃え上がる雲 が赤々とドームを作っている下では、高い塔が素早く前進しているところだった!

 二度目に一瞥すると、その塔が平原の彼方に見えたのと同じものであることがわかった。私が森を通り抜けている間に、塔は未知の動力を使って何マイ ルもの広がりを旅し、焔の都に迫っていたのだ。移動の仕方を見極めようと、より注意深く眺めたところ、塔が車輪ではなく、どっしりした短い脚の上に乗って いることがわかった。脚は関節のある金属の柱のようで、それを使って塔は見苦しいながらも大股に歩くのだった。それぞれの塔に6本以上の脚があり、塔の てっぺん近くでは眼のような大きい開口部が列をなしていた。その開口部から、前述した赤と紫の雷火が放たれていた。

 多彩な森はこの雷火によって焼き払われ、壁に至るまで何リーグもの広さにわたって無惨な有様だった。動く塔と都市の間には、湯気を立てている黒い 砂漠があるばかりだった。そして私が注視している前で、岩かどのごつごつした城壁を長いビームがさっと捉え、一番上にある胸墻が城壁の下の熔岩のように熔 けてしまった。この上なく怖ろしく、そして壮大な光景だった。だが一瞬後、建物が並んでいる直中に私たちは突入したので塔は私の視界からかき消されてし まった。私を運んでいる巨大な蛾のような生物は、帰巣する鷲の速度で進み続けた。その飛行の最中には、意識的に考えることも決断することもほとんどできな かった。息もつけず目の眩む自由奔放なる空中移動と、広大にして驚異的な石造迷宮の上方への朧気な浮遊の中にのみ生きていたのだ。その建築的な形象はバベ ルの如き途方もなさだったが、目撃したもののほとんどは実際には意識できていなかった。後になって、もっと平静に当時を振り返れるようになったときに、首 尾一貫した形態と意味を自分の印象に与えられるようになっただけだった。

 一切合切の広大さと異様さのせいで私の感覚はぼうっとなっていた。私たちの背後の都市に放たれつつある破滅的な一大異変や、私たちが逃れようとし ている災厄のことは朧気にしか理解していなかった。私には想像できない敵意ある勢力によって、私の考えの及ばぬ目的のために、この世のものならぬ武器と機 械で戦争が行われていることはわかった。だが私にとって、それはすべて四大の混乱であり、宇宙的な大破局という漠然として非人間的な恐怖だった。

 私たちは都市の奥へ奥へと飛んでいった。広々としたプラットホーム状の屋根や、何層も積み重なって高台のようになった露台が私たちの眼下で飛び 去っていき、舗道が流れていく様はとてつもなく深い黒ずんだ急流のようだった。地味な立方体の尖塔や正方形のモノリスが私たちの周囲や頭上の至る所にあっ た。そして屋根のいくつかには、黒っぽい肌と巨大な体躯をした都市の住民が見えた。彼らはゆっくりと威厳を込めて動いているか、あるいは謎めいた諦念と絶 望の態度で佇んでいた。武器を帯びているものはおらず、防衛の目的で使用されるとおぼしき機械類はどこにも見あたらなかった。

 私たちは素早く飛んでいたが、沸き起こりつつある雲はもっと速かった。間隔を置いて光る雲が都市の上に暗いドームを作る一方で、その繊維は天空の さらに彼方まで網目を広げ、反対側の地平線まですぐに届くだろうと思われた。建物は暗くなり、そして閃光が反復されるたびに照らし出された。轟き渡る震え の苦痛に満ちた脈動を私は体の隅々まで感じた。

 私を運んでいる有翼の生命体が焔の寺院への巡礼者であることを私は漠然と理解した。寺院の中心から放射されている星辰の音楽のものであるに違いな い影響に私はますます気づいていった。空気は柔らかく慰撫するかのように震えており、聞こえざる雷鳴の引き裂くような不協和音を吸収して無力化するよう だった。神秘的な避難所か、星辰と天空の安全地帯に自分たちが入りこんだという気がして、私の悩まされていた感覚は鎮められつつも高揚した。

 巨大な蛾のような生命体の華麗な翼は下方に傾きはじめた。眼前と眼下の少し離れたところに巨大な建築物が見えた。それが焔の寺院であることはすぐ にわかった。寺院を取り巻いている広場の荘厳な空間に私たちはひたすら降下していった。そして私は、非常に高い開けっ放しの入り口を通って中へと連れてい かれ、1000本の柱がある天井の高い広間を通り抜けた。奇妙な安らぎに満ちている朧で神秘的な薄明が私たちを包み込んだ。天地創造以前の古色と宇宙的な 広がりを備えた領域に私たちは入りつつあるように思われた。柱の立ち並ぶ洞窟を辿っていき、究極なる星の核へと至ろうというのだ。

 私たちが最後の巡礼者であり、今回の巡礼者は私たち3人だけであるらしかった。寺院の守護者たちも立ち去ったようだった。柱の並ぶ薄明の中をずっ と飛んでいく間、私たちは誰にも出くわさなかったのだ。しばらくすると暗がりに光が差し、光芒を放射する輝きの中へと私たちは突入した。そして広大無辺な 中心の部屋に私たちはやってきた。そこでは緑色の炎の泉が噴き上がっていた。

 私が覚えているのは、影の立ちこめた明滅する空間と、果てしなく高くて見えない天上と、ヒマラヤのような高みから見下ろしている巨像と、とりわけ 舗装された床の穴から吹き出しては神々の歓喜が具現化したかの如く空中に立ち上っている眩い炎の印象だけである。だが、これらすべてを私が眼にしていたの は一瞬のことだった。そして、自分を連れてきた生命体は翼を水平にし、炎に向かって一直線に飛んでいくところだということを私は理解した。彼らは片時も停 止せず、躊躇して羽ばたくこともなかった。


6.内なる領域

 私の感覚はぼうっとなり、混沌としていた。恐怖を感じる余裕もなければ、警戒心を抱く時間もなかった。経験したこと一切が私を麻痺させていた。し かも、焔の致命的な歌声は聞こえなかったにもかかわらず、その麻薬めいた魔力が私に効果を及ぼしていた。私は多少もがき、自分に巻き付いている触手をふり ほどこうとしたように思う。それは、ある種の機械的な反応を筋肉が起こしたのだった。だが、蛾に似た生命体は気にも留めなかった。立ち上っている火と、そ の誘う音楽以外の何物も彼らの意識にないことは明白だった。

 しかしながら噴き上がっている炎柱に接近したとき、予期していたような熱は実際にはまったく感じられなかったということを覚えている。代わりに、 言語に絶する興奮を私は神経の隅々まで感じた。まるで天空のエネルギーと創造者の歓喜が波動となって私の体に満ちているかのようだった。そして私たちは焔 に突入した……。

 私の前にアンガースがそうであったように、焔の中に身を投じたものの運命は一瞬ながらも至福の消滅だろうと私は決め込んでいた。束の間の燃え上が る溶融が生じ、その後は完全に焼き尽くされて無に帰するものと私は予想していた。実際に起きたことは、いかに妄想を逞しくしても及ばぬようなことだった。 そして、私の覚えた感覚の片鱗だけでも想起させようにも、語彙が不足しすぎている。

 焔が緑色の帳のように私たちを包み込み、大広間が視界からかき消された。そのとき、本質的な力と神的な歓喜そして万有を照らす光輝が、上方へと殺 到していく瀑布になり、私はその瀑布に捉えられて九天の高みまで運ばれたかのように思われた。私と私の連れは炎と神の如き合一を果たしたかのようだった。 私たちの肉体のあらゆる原子に超越的な拡大が生じ、空気のように軽々と飛翔していた。

 まるで私たちは単一の不可分な神性としてのみ存在しており、物質の桎梏から解き放たれて舞い上がっていくかのようだった。時空の果てを超えて、目 指す先は夢想だにできぬ彼岸だった。その喜びは言い尽くせず、その上昇の自由は限りなかった。私たちは至高なる天頂の星を飛び越していくように思われた。 そして、あたかも焔と共に絶頂まで達したかのように、私たちは焔を脱して休止した。

 私は高揚のあまり気が遠くなっており、炎の輝きのせいで眼がくらんでいた。いま私が見つめている世界は、私たちが馴染んでいるのとは別のスペクト ルから生じる目が回るような色彩と珍しい形態の広大なアラベスクだった。光線を織り交ぜ、輝きをもつれさせ、私の眩んだ目の前で巨大な宝石のように風景が 旋回した。私が態勢を整え、どっと迸るような知覚の中で細部を識別できるようになるのも、少しずつでしかなかった。

 私の周りにあるのは、極彩色のオパールとヒヤシンスの果てしない大街路だった。紫外の宝石の、並はずれたサファイアの、この世のものならぬルビー とアメジストのアーチと柱にはすべて多彩な光輝が漲っていた。私は宝石の上を歩いており、私の頭上には宝石の空があるかのようだった。

 やがて平衡感覚を取り戻し、新たに認識できる範囲に眼が慣れた私には風景の本当の様相がわかってきた。蛾のような二体の生命体はまだ私の傍らにい た。私が立っているのは百花繚乱の草原で、楽園のような植生の木々に囲まれた場所だった。果実も葉も幹も形態が三次元の生の概念を超越していた。垂れた枝 の、格子模様になった葉の優美さは地球の線や輪郭では表現できず、純粋にして霊妙な物質で作られているように思われた。至高天の光明に対して半透明で、そ のため最初に見たときは宝石のような印象を受けたのだった。

 私が呼吸している空気は神酒の風味があった。足許の地面は言い様もなく柔らかくて弾力があり、私たちの世界の物質よりも高次のもので形成されてい るかのようだった。私の身体的な感覚は爽快と幸福の極みにあった。疲労や不安の痕跡は微塵もなく、未曾有の壮麗な行事に自分も参加した後で予期されるよう なものだった。精神的な逸脱や混乱はまったく感じなかった。そして、未知の色彩や非ユークリッド的な形状を知覚できるようになった以外にも、私は触覚の奇 妙な変化や拡大を経験しはじめており、そのおかげで遠方の物体に触れるらしかった。

 燦然と光り輝く空に満ちているのは複数の多彩な太陽だった。それらは多重星系の世界を照らしている太陽のようだった。だが見つめているうちに、そ の光は柔らかく朧気になっていき、木々や草原の眩い輝きは静まっていった。まるで黄昏が迫っているかのようだった。その無窮の驚異や神秘を目の当たりにし ても私は仰天しなかった。たぶん不可能なことなどないと思えていたのだろう。だが私を驚かせ、信じがたいと思わせたものがあったとすれば、それは人間の顔 だった──私の失踪した友人ジャイルズ=アンガースの顔が、光の弱まっていく宝石のような森の中から現れたのだ。後に続いているのは別の男の顔だった。写 真で見たことがあったので、彼がフェリックス=エボンリーだとわかった。

 彼らは枝の下から出てきて私の前で立ち止まった。光沢のある衣装を二人ともまとっていたが、その布地は東洋の絹よりもきめ細かく、裁ち方も柄も地 球にはないものだった。二人とも楽しげで、しかも瞑想的な様子だった。そして、霊妙なる果樹の特徴である透明さが彼らの顔にも僅かながら感じられた。

「待ってたよ」とアンガースがいった。「僕の手記を読んだ後で君も同じ体験をしてみようとするかもしれないという気がしたんだ。僕の書いたことが真実か虚構かをはっきりさせるだけだとしてもね。君は初対面だと思うが、こちらはフェリックス=エボンリーだ」

 彼の声は楽々と明瞭に聞き取れたので私は驚き、麻酔薬に浸した綿が自分の聴神経に及ぼした効果がこんなに早く消えてしまったのはなぜだろうかと 訝った。だが、アンガースとエボンリーを見つけたという驚くべき事実を前にしては、そういう細かいことはどうでも良かった。この世のものならぬ焔の歓喜を 彼らも私も生き延びたのだ。

「僕らはどこにいるんだ?」彼の紹介に礼を述べた後で私は訊ねた。「白状するが、何が起こったのか見当もつかないよ」

「僕たちがいるのは、内次元と呼ばれているところだ」とアンガースが説明した。「僕らがクレーター=リッジから投げ込まれた世界よりも高次の空間と エネルギーと物質の領域で、イドモス市の歌う焔を通り抜けるのが唯一の入口だ。内次元は炎の泉で生まれ、炎の泉によって保たれている。そして焔に身を投じ るものはそこからこの上位の波動へと上らされる。彼らにとって、外世界はもはや存在しない。焔の性質は未知だ。イドモスの地下の中心部にある岩から噴出し ている純粋なエネルギーの泉で、人知を超えた理由から熱さを持たないということだけがわかっている」

 彼は話を中断し、相変わらず私の傍らに佇んでいる翼の生えた生命体を注意深く眺めているようだった。それから彼は言葉を続けた。

「僕自身もここに長くいるわけじゃないから、そんなにたくさんのことは知らない。でも、いくつか発見したことがある。焔を通り抜けてきた他のものた ちとテレパシーで会話する方法をエボンリーと僕は確立したんだ。彼らの多くは話し言葉も会話用の器官も持たず、思考の方式そのものが僕らとは根本的に異 なっている。知覚の発達が別の系統で、出身地の世界の環境も違っているためだ。でも、いくつかのイメージをやりとりすることはできる。

「君と一緒に来た人たちは僕に何かを伝えようとしてくれている」と彼は続けた。「どうやら、イドモスに立ち入って内次元に到達した巡礼者は君と彼ら で最後らしい。外なる地の支配者たちが焔とその守護者に戦争をしかけてきているんだ。彼らの人民のたいそう多くが歌う泉の誘惑に応じ、高次の領域へと消え てしまったからね。今も彼らの軍勢がイドモスに迫り、動く塔の雷電で都市の城壁を破壊している」

 自分が目撃したもののことを私は彼に話した。それまで茫漠としていた事柄の多くが今や理解できたのだ。深刻な面持ちで耳を傾けてから、彼はいった。

「そういう戦争が遅かれ早かれ起きるのではないかということは前々から懸念されていた。焔と、その魅惑に屈したものたちの運命について、外なる地に は多くの伝説がある。でも真実は知られていないか、ごく少数のものに推測されているに過ぎない。僕もそうだったが、焔に身を投じれば死んでしまうのだと多 くのものは信じている。そして内次元の存在に薄々気づいているものたちからは、内次元は怠惰な夢見人を誘惑して世界の現実から引き離すものだと憎まれてい る。致命的で有害な化物か、単なる詩人の白昼夢か、一種の阿片中毒者の楽園だと見なされているんだ。

「内次元については、君に語るべきことが千もあるよ。それから、僕らの体を構成している原子がことごとく焔の中で新たに振動した後で僕らが今や属し ている存在の法則と状態についても。でもさしあたり、これ以上喋っている時間はない。僕ら全員が深刻な危機にある可能性はきわめて高いからだ──内次元と 僕らの存在そのものが、イドモスを破壊しつつある敵対勢力によって脅かされている。

「焔は難攻不落だというものもいる。その純粋な本質は下等なビームなど受けつけず、外なる地の雷ではその源泉を貫き通せないだろうというんだ。だ が、ほとんどのものは破滅を懸念しており、イドモスが中核の岩まで破壊されれば泉そのものが枯渇してしまうだろうと予測している。

「こういう重大な危機なので、ぐずぐずしてはいられない。内次元を出て、より遠いところにある別の宇宙に一瞬で移動する方法がある──凡庸な天文学 者には、というかイドモスの周囲にある世界の天文学者には観測されていない宇宙だ。巡礼者の大多数はここにしばらく逗留してから、別の宇宙の世界へと旅 立っていった。君さえ到着すれば、エボンリーと僕も彼らの後に続くつもりでいた。急がなければならない。一刻の猶予もならないんだ。さもないと災厄に見舞 われることになる」

 彼が喋っている最中に、蛾のような二体の生命体は私の身柄を人間の友人たちに引き渡すことにしたらしく、宝石のような色をした空中に舞い上がっ た。そして、大街路が光輝のなかに消失している楽園のような風景の上を長々と等速で飛翔していった。アンガースとエボンリーは私の傍らに立った。そして一 人が私の左腕を、もう一人が右腕を掴んだ。

「自分は飛んでいるのだと想像してみたまえ」とアンガースはいった。「この領域では、浮遊や飛行は意志の力で可能になる。君もその能力をすぐ身に着けることだろう。でも君が新しい環境に慣れて、助けが要らないようになるまでは、僕らの介助と指導が必要だな」

 私は彼の指図に従い、自分は本当に飛んでいるのだというイメージを心の中で作り上げた。その心象の明瞭さと迫真性に私は驚いた。そして、さらに驚 いたことには、その心象は現実のものとなったのだ! ほとんど骨を折ることなく、宙に浮いている夢を特徴づけているのとまったく同じ感覚を覚えただけで、 宝石をちりばめた地面から私たち三人は飛び上がり、輝ける空を楽々と速やかに上昇していった。

 その体験を説明しようと試みても無駄だろう。私の中では新しい感覚が全領域に渡って開けたようだったが、それに対応する想念は人間の言葉にはでき ないものだった。私はもはやフィリップ=ハステインではなく、より大きくて強く自由な存在だった。以前の自己とは、大麻やカワカワの影響下で展開される人 格が異なっているのと同じくらい違っていた。主たる感覚は途方もない喜びと解放感だったが、大変な焦燥感が伴っていた。その喜びが脅かされることなく永遠 に続く他の領域に逃れなければならないという切迫感だった。

 燃え上がって光る木々の上を飛んでいると、深甚にして美的な歓喜が湧き起こってきた。この世界の形態と色彩が尋常の眼には見えないのと同じくら い、常識的な光景によって得られる普通の喜びを私の歓喜は遙かに上回っていた。景色が変わるたびに真の法悦があった。風景全体が再び輝き、私が最初に見た ときにまとっていた煌めきへと復すると、その法悦は頂点へと高まった。


7.イドモスの破壊

 私たちは高々と舞い上がり、何マイルも続く迷宮のような森や、長く豪華な草原や、官能的な襞のある丘や、広大な宮殿や、エデンの清純な湖や川のよ うに澄み切った水を見下ろした。それはすべてひとつの光り輝く霊妙な生き物のように震え鼓動しているようで、光輝に満ちた天空では燦然たる歓喜の波が太陽 から太陽へと伝わっていた。

 前進していくと、しばらくして私はあの光の部分的な陰りに再び気づいた。眠気を催す夢見るような哀愁を色彩は帯びたが、その後にはまた恍惚たる輝 きの時期が続くのだ。この過程の緩やかな干満のリズムは、アンガースが手記に書いていた焔の上昇と下降に対応しているように見え、何か関係があるのだろう と私は即座に推測しはじめた。この考えが頭に浮かぶや否や、アンガースが喋っていることに私は気づいた。彼が口を利いているのか、彼の言語化された思念が 聴覚以外の感覚を通じて私に伝わっているのかは定かでなかった。いずれにせよ、私には彼の言葉がわかったのだ。

「その通りだよ。泉と音楽の盛衰は、内次元ではあらゆる風景の陰りと輝きとなって認識されるんだ」

 私たちの飛行は加速した。友人たちがあらん限りの精神力を振り絞って速度を増そうとしていることを私は理解した。眼下の地は瀑布のような色彩の奔 流となって霞み、流れていく光輝の海と化した。火のように輝いている空気の中を、私たちは星々のように突進していくかのようだった。その限りない上昇の法 悦は、未知の災厄から全速力で脱出していく不安は言葉にできないものだった。だが私はそのことを決して忘れないだろうし、私たち三人の間にあった言い様も ない団結と理解のことも忘れないだろう。私の脳細胞のもっとも奥深く、もっとも永らえる部分にその記憶は刻み込まれたのだ。

 輝きが変動する中で、私たちの傍らや上下を飛んでいる他のものたちがいた。隠された世界や秘められた次元の巡礼者たちだ。私たちと同様に別の宇宙 へ進んでいくところであり、内次元はその宇宙の控えの間である。これらの生命体の身体的な形態と属性は信じがたいほど突飛なものだった。だが私は彼らの異 様さが少しも気にならず、アンガースやエボンリーに対して抱いているのと同じ確固たる親愛の念を彼らに対しても感じた。

 さらに前進していく最中に、二人の友達は私に多くのことを語ってくれたようだった。いかなるものなのか私にはよくわからない方法で意思を伝達し、 新しい存在となって学んだ多くのことを私に教えてくれた。この情報を伝えるための時間はあまりないかもしれないといわんばかりの深刻な慌ただしさで、地球 上にいたのでは絶対に理解できないような想念が伝達されてきた。五感や哲学の抽象的な記号や数学的な思考では認識できないようなことも、私にはアルファ ベットのように明白だった。

 しかしながら、これらのデータの幾らかは言語では大まかにしか伝わらないものだった。新しい次元の生活に加わっていく漸進的な過程のことを、新参 者が適合の期間に得る力のことを、あらゆる知覚が混じり合って増加することで得られる深遠で美的な種々の喜びのことを、私は教わった。自然力と物質自体が 制御できるようになっているので、衣類や建築物はただ意志の作用のみで造り出せるそうだった。

 より遠方の宇宙への移動を支配している法則のことも私は教わった。充分な長さの時間を内次元で過ごしていない者にとって、そのような移動は困難か つ危険なのだそうだ。なおまた、焔を通ってイドモスへと引き返していった者がいないのと同様に、より高次の次元から現在の水準へと戻ってきた者はいないの だとも聞かされた。

 アンガースとエボンリーは内次元に充分長くいたので、彼方の世界へと立ち入ることができるそうだった。超空間の通路と、その下にある恐るべき深淵 に一人で挑む者を支えるのに必要である特殊な平衡能力を私はまだ開発していないが、自分たちの補助があれば私も脱出できるだろうと彼らは考えていた。見通 すことの能わない無窮の領域があり、惑星や宇宙が累々としている。そこへ私たちは到達し、その驚異と壮観の直中で無期限に住まったり逍遙したりできるの だ。これらの世界では、より巨大で高度な科学法則の会得や、現在の次元の環境を超越した実在の状態に私たちの脳が適合することになる。

 自分たちがどれだけ飛んでいたのかは見当もつかない。なぜなら他の事柄すべてと同じように、私の時間感覚も完全に変化していたからだ。比較してい えば、何時間か飛び続けていたのかもしれない。だが私たちが飛び越していった崇高な地域を通過するには何年も、もしくは何世紀もかかるのではないかと私に は思えた。

 目的地が見えてくる前に、その明瞭で写実的なイメージが私の心に浮かんだ。疑いようもなく、ある種の思念伝達によるものだった。巨大な山脈が見え たように思う。神々しい嶺が連なり、地球の夏の入道雲よりも高くそびえていた。それら一切の上に、無色で渦巻状の雲に頂を取り巻かれた紫外の嶺が突出して いるのが見えた。不可視ながらも多彩な倍音に心が揺さぶられたが、その音は天頂の彼方の空から嶺の上に降り注いでいるらしかった。外なる宇宙への道が上空 の雲のなかに隠されていることがわかった……。

 ますます私たちは上昇していった。そして、とうとう地平線の彼方に山脈が現れ、紫外の最高峰が積雲の冠をたなびかせているのが見えた。私たちがま すます接近していくと、奇異なる雲の渦巻がほとんど頭上に迫り、天までそびえて多彩の太陽の直中に消えていた。私たちの先を行く巡礼者たちの光り輝く姿が 見えた。彼らは渦巻く襞へと入っていくところだった。この瞬間、天空と大地は再び燃え上がり、その輝きは頂点に達した。景色は一千の色彩と光輝で燃えてお り、それだけに予期せぬ蝕が唐突に起きたのは一層完全で怖ろしいものだった。何かがおかしいことに私が気づく前に、友人たちが絶望の叫びを上げるのが聞こ えたように思う。それまでに私が獲得していたのよりも微妙な感覚を通じて、迫り来る災厄を彼らは感じ取っていたに違いない。それから、目的地の山嶺が高々 と輝かしくそびえている向こうに、暗黒の壁がせり上がってくるのが見えた。それは怖ろしくも速やかで、疑いようもなく明白なものだった。巨大な波のよう に、至る所で立ち上がっては、内次元の多彩な太陽と火のような色の景色の上に崩れ落ちていた。

 影の立ちこめてきた空中で私たちはぐずぐずと静止していた。大破局が迫ってくる前では無力で、希望もなかった。そして全世界を取り囲み、四方八方 から私たちの方に押し寄せてくる闇を見ていた。闇は天空を喰らい、外側の太陽をかき消した。私たちがその上を飛んできた広大な地が縮んでいく様は、火をつ けられて炭化していく紙のようだった。だんだん小さくなっていく光明の中心で、私たちは恐るべき一瞬をただ待っていた。夜と破壊の荒れ狂う力は津波のよう な急激さで光明に迫っていた。

 光明の中心は縮み、ただの点になってしまった──そして圧倒的なまでの大渦巻の如く、大伽藍の壁が崩れ落ちてくるかの如く、私たちの頭上に闇が落 ちてきた。渦巻く空間と力の咆吼する海の中で、粉々になった世界の残骸と一緒に私は落ちていったように思う。落ちていく先は星々の下にある奈落であり、忘 れ去られた太陽と星系のかけらが散らばっている窮極の黄泉だった。それから計り知れないほど間隔を置いて、荒々しい衝撃が感じられた。まるで宇宙的な夜の 底で、これらのかけらの直中に自分が墜落したかのようだった。

 私は悪戦苦闘して意識を取り戻した。遅々とした途方もない骨折りであり、まるで動かしがたい重みの下で、無明にして不動なる銀河の残骸の下で押し 潰されてしまったかのようだった。まぶたを開けるだけでも巨人の力が必要であり、私の五体の重たいことは、それが人間の肉体よりも高密度の元素に変わって しまったか、地球よりも大きな惑星の重力を受けているかのようだった。

 私の精神作用は麻痺し、苦痛に満ちたものだった。そして徹底的に混乱していた。だが、落ちてきた石の巨大な塊の直中で、引き裂かれ傾いた舗道の上 に自分が横たわっているということを私はとうとう理解した。私の頭上では、ひっくり返されて引き裂かれ、巨大な穹窿をもはや支えていない壁の直中に鉛色の 空の光が降り注いでいた。私のすぐ傍らに、煙を噴き出している穴があった。その穴からはボロボロの裂け目が床に広がっており、地震で生じた断裂のようだっ た。

 私はしばらく周囲の状況が認識できなかった。だが骨を折って考えを巡らせた末に理解したのは、自分が横たわっているのがイドモスの寺院の廃墟だと いうこと、刺激臭のする灰色の煙を私の傍らで噴き出している穴は歌う炎の泉が湧き上がっていた穴だということだった。途方もない破滅と荒廃の光景だった。 イドモスに降りかかってきた怒りは寺院の壁や塔門をひとつとして残しておかなかったのだ。薄汚れた空を私は廃墟の中から見つめたが、その廃墟に比べたらヘ リオポリスやアンコールワットですら小石の山に過ぎなかったことだろう。

 ヘラクレスの努力をもって、私は煙る穴から顔を背けた。その薄く緩慢な煙は幽霊じみた渦を巻いて立ち上っていた。以前はそこから焔の緑の熱情が湧 き上がり、歌っていたのだ。そのときになって私はやっと友人たちに気づいた。アンガースはまだ意識を失っていたが、すぐそばに横たわっていた。そして彼の すぐ向こうに、エボンリーの青ざめ歪んだ顔が見えた。柱が倒れ、破壊されたペディメントが彼の下半身を床に押さえつけていた。

 終わらない悪夢を見ているような思いで、鉛が入っているように重い体を奮い立たせようと努力し、この上なく苦痛を伴って骨折りながらも動けるよう になった私は立ち上がるとエボンリーのところへ行った。一瞥したところアンガースは怪我をしておらず、やがて意識を回復しそうだった。だがエボンリーは巨 大な一枚岩に押し潰され、もう虫の息だった。12人の手助けがあっても彼の体から石をどけてやるのは無理だったし、彼の苦痛を和らげるためにしてやれるこ ともなかった。

 私がエボンリーの上に屈みこむと、彼は微笑もうとした。勇敢で痛ましい努力だった。

「無駄ですよ──僕はもう行かなきゃ」と彼はささやいた。「さようなら、ハステイン──それと、アンガースにもさようならと伝えてください」

 彼の歪んでいた唇から力が抜け、まぶたが閉じた。そして彼は寺院の舗道に倒れ伏した。夢のように非現実的な恐怖の直中で、ほとんど感情を覚えるこ となく、私は彼の死を理解した。私は相変わらず疲労困憊の極みにあり、考えたり感じたりできなかったのだ。麻酔から覚めた後にやってくる最初の反応のよう だった。私の神経は焼き切れた電線のようで、筋肉は粘土のように力を失って反応しなかった。私の脳髄は灰となって破壊され、さながら内部で大火があったか のようだった。

 どれだけ間があった後かは良く思い出せないが、どうにかして私はアンガースを起こした。彼はぼんやりと上体を起こした。エボンリーが死んだことを 告げたときも、私の言葉は彼に何ら感銘を与えていないようであり、彼は理解しているのだろうかと私はしばし訝った。とうとう、明らかに苦労しながらも己を いくらか奮い立たせて、彼は私たちの友人の亡骸を見やり、ある程度は状況の怖ろしさを理解したようだった。だが私がイニシアチブを取らなければ、彼は絶望 と倦怠の極みにあったまま何時間も、ことによるとずっとそこにいたのではないかと思う。

「さあ」しっかりしようと努めながら私はいった。「ここから出ないと」

「どこへ?」気怠そうに彼は訊ねた。「焔は源を絶たれてしまった。内次元はもう存在しない。自分もエボンリーのように死んでしまえば良かったのにと思うよ──気分からすると、死んだも同然だがね」

「クレーター=リッジに戻る道を見つけなければ」と私はいった。「超次元の回廊が破壊されていなければ、きっと見つけられるはずだ」

 アンガースには私の言葉が聞こえていないようだったが、私が彼の腕を取ると、おとなしく従った。屋根をなくした広間や倒壊した柱の直中で、私は寺院の中心から出口を探しはじめた……。

 私たちの帰還のことを思い出そうとしても朧気で混乱しており、延々と続く退屈な譫妄に満ちている。エボンリーの方を振り返ったことは覚えている。 彼は蒼白で、巨大な柱の下に相変わらず横たわっていた。その柱が彼の永遠の記念碑となるのだ。それから、山のような都市の廃墟のことも覚えている。生き 残っているのは私たちだけらしかった。見渡す限り廃墟には石が散乱し、溶けて黒ずんだブロックが転がっていた。そこではまだ溶岩が巨大な断裂の中で奔流と なったり、地面に開いた底なしの穴に流れ込んだりしていた。そして瓦礫の直中に、黒こげになった亡骸を目撃したことも覚えている。黒ずんだ肌の巨人たち、 イドモスの住民にして焔の守護者の成れの果てだった。

 巨人の城塞が砕け散った中で迷ってしまった小人のように、私たちは躓きながらも前に進んでいった。悪臭を放つ金属性の蒸気のせいで息が詰まり、疲 れ果ててよろめき、至る所で放射されては荒波となって私たちに押し寄せる熱のせいで眼がくらんだ。倒れた建物や、崩れた塔で道がふさがれており、私たちは その上を危なっかしく骨折りつつ乗り越えていった。そして、世界の根本まで穿たれているように見える巨大な断裂のせいで遠回りを強いられることもしばしば だった。外なる帝王たちの動く塔は撤退していた。かつては都市の城壁だったもの、引き裂かれて原形をとどめていない岩滓の上に私たちがよろよろとよじ登っ たとき、軍勢はイドモスの彼方の平原に姿を消していた。私たちの前には荒廃があるばかりだった──火に焼かれて黒ずみ、蒸気を噴き出している荒野が。草木 はまったく残っていなかった。

 私たちはこの荒野を横切り、平原の上にある紫の草原の斜面へと辿り着いた。侵略者たちの雷が通っていった道の向こうに斜面はあった。そこでは、名 前もわからない人々によって据えられた標識のモノリスが、蒸気を噴き上げている荒野とイドモスの瓦礫の山を相変わらず見下ろしていた。そして、二つの世界 をつなぐ戸口となる灰緑色の石柱のところに私たちはとうとう今一度やってきたのだった。