旧国鉄足尾線(間藤〜足尾本山)
 旧国鉄の足尾線はJR「桐生駅」から「間藤駅」までの44.1kmの旅客区間に 加えて「間藤駅」から「足尾本山駅」までの1.9kmの貨物専用線でした。1989年(平成元)年に第三セクター わたらせ渓谷鉄道に引き継がれ、貨物専用線は廃線となりました。

間藤から踏み切り跡まで
廃線跡探訪は冬から早春にかけてでないと、雑草が生い茂る線路跡を歩かなければなりません。 今回も雑草の線路跡を歩くことになりました。

『銅(あかがね)街道』と踏み切り跡
通称「あかがね街道」と呼ばれている道路を横切る踏み切り跡です。線路はここから渡良瀬川を越えて 本山小学校方面に伸びていました。

雑木林の中を鉄橋が走る
渡良瀬川を越えて本山小学校跡の脇を通過して線路は雑木林の中の鉄橋を通過してトンネルに向けて伸びていました。

トンネル跡
鉄路は鉄橋を越えてトンネルに入る。入り口の腕木信号は「GO!]を指したままでした。

本山駅跡に向かう鉄橋跡
貨物専用線の終着駅の鉱山駅に向かう鉄橋。C12の重連がここを通過する風景を見てみたかった。

足尾駅ホームの油庫
 蒸気機関車の最盛期に活躍した油庫(可燃物倉庫)が足尾駅のホームに残っていました。 蒸機全盛の時代には石炭燃料の助燃用として重油などの可燃物が保管されていました。

足尾鉱山跡
足尾線は大正から昭和にかけて、国の重要な産業鉄道として役割を担っており、当時の足尾町は 人口が1916年には38,000人を越えるなど宇都宮に次ぐ栃木県第2の都市として栄え、市制施行が期待されるほどだった。 足尾町は今では日光市に合併されている。あかがね街道から鉱山本体を望む。 (参考文献:「わたらせ渓谷鉄道とその沿線地域の変遷にみる諸問題と考察」(大島・劉−−高崎経済大学論集 第51巻3号)


−−−>廃線跡TOPへ<−−−