自閉症スペクトラムって?⇒⇒息子の行動からその謎を読み解く

CHAPTER1:自閉症スペクトラムとは?

そもそも自閉症というのは、一言でいうと【生まれつきの脳の中枢神経の機能障害・認知障害】なのだが、その機能障害の度合いがバラエティに富んでいるということをここで強調しておきたい。そのバラエティの幅広さを1990年代にイギリスのローナ・ウィング氏は『自閉症スペクトラム(連続体)』と提唱して、それまで(カナータイプ)(アスペルガータイプ)をかけ離れた障害特性ととらえがちだったのを【これらの両タイプは連続してつながっている】と定義を発表した。(カナータイプ)も(アスペルガータイプ)も一見すると(どこがつながっているんだ!)と思ってしまいがちなのだが、こう考えてみてほしい。例えば生活習慣病の一つである《糖尿病》。この病気も人によっては《食生活を気をつけて、適度な運動をしてコントロールをすれば、他の症状がでてこない人》から《インシュリン注射をお腹に毎日刺す必要がある人》《二次障害の心筋梗塞や目の病気を併発していて毎日投薬が必要な人》など色々いる。でも、彼らの病名は同じ《糖尿病》なのである。

ワタシ自身自分の息子を含めて、同じ特殊学級の仲間、保護者つながりの子供を観察するに、自閉症とは抱えている障害特性は似通っているが実に!表れ方が多岐に富んでいると感心すること度々である。

行動特徴・診断はシンプルに言うと以下の3つが挙げられる。

@社会性の問題/Aコミュニケーションの問題/B思考の柔軟性の乏しさ(想像力の問題)

より詳細をお調べになりたい方は、【日本自閉症協会・京都支部】のHPの『高機能自閉症・アスペルガー症候群の理解と援助』(大妻女子大学・よこはま発達クリニック/内山 登紀夫)を検索してください。9ページありますが大変わかりやすく書いてあります。更にディープに自閉症を勉強したい方は、(よこはま発達クリニック/院長・内山 登紀夫)のHPを辿って下さい。1990年代に放映されていたTVドラマの話題も絡めて説明されています。

 

CHAPTER2:自閉症スペクトラムの何が問題なのか?

彼ら当事者は@〜Bの特徴が微妙にからみあって、又その他(感覚過敏)(不器用)(学習障害)(多動性障害)の【外部からの情報を入れる際の彼ら独特な困難性】などを伴って、この混沌とした世の中を生きているわけである。【一般の我々とは違う感覚】を持ちながら、《一般向けの社会》で暮らしているから不自由この上ないわけなのだが、当事者達が“不自由だ!”と声を挙げても、ついつい一般側に「それ位我慢しなさい!」と言われがちで更に不自由さをかこっているという状況なのではないだろうか?一般側も彼らの独特さに“ついていけない!”と感じるときもあるけど、“ついていけない”のは『自閉症スペクトラム』についての【世間一般での認知度の低さ】も一因であろう。ついこの間もこんな事があった。息子が幼児期に通っていた保育園に【もうワタシが読まなくなった発達障害児についてのハードカバーの本多数】を寄贈した。「こういう本全然ないから、すごーく助かる。」と言われて少々複雑な気分に陥った。又その際に、去年の今頃日本テレビでやっていたドラマ『光とともに・・・(自閉症児を抱えて)/戸部けいこ原作・篠原涼子・小林聡美出演』のDVDを観て貰おうと持参した。園長に「これすごくいいから。自閉症児の子育てのドラマですし今もこの保育園に発達障害児いるでしょ?感動して泣けますよ。」と紹介したら、「去年の今頃は“冬のソナタ”で泣いてたな〜。」と園長はうっとりとした目で答えた。「・・・・・。」・・・・韓流スターの情報は世間にはこんなに行き渡っているのに、どうして身近にいる発達障害児の情報は世間には入りづらい?韓国ドラマ版で『光とともに』(ヨン様自閉症児の父親役に初挑戦!)とでも作ってくれればどうにかなるか・・・な?気を取り直そう。まあそれでも2000年代に入り、【自閉症関連の著作・資料】は毎月どこかから出版され、ネットで検索すればドバッと大量な情報が目の前に現れるようになっているのだから、世間一般での認知度は徐々に広がっているであろうと言えるだろう。

CHAPTER3:自閉症児を抱える親についての考察

どうも【自閉症】というネーミングのせいか、《自分の殻に閉じこもっている人》と受け取られがちなのは否めない。「そういう人には温かく抱きしめて“愛しているよ”と言ってあげれば直るわよ。」と思われがちである。この間も息子がささいな事でカンシャクを起こしていたら、ジイチャンが「ぎゅっと優しく抱きしめれば収まるのでは?」と言ってきた。ジイチャン〜。冷たい親だとワタシを見ているのね。抱きしめて【息子の情報入力の独特さ】が直れば何回でも抱きしめるさ、でもそれをしても直んないよ。いい加減わかってね。・・・とワタシャ内心舌打ちした。

当事者が起こすカンシャク・パニック(=一般社会との摩擦)は時としてすごく派手なので特に幼児期は【親の責任】を回りから強調される。巷では『子育て支援』なんてよく言われているが、その“子”って(一般社会では理解できる範囲の子供)が対象で【理解を超える“規格外”】だと「ちょっと我々の手には負えない。」と敬遠されがちである。そうするのね、

親は疲れる・すねる・いじける・ひがむ・ひねくれる・泣く・怒る・鬱になる・・・・どんどん心理的に追い詰められる・世間を恨む・自分の人生を嘆く・全て虚無的になる・・・。

でも、いい加減陰鬱な日々を過ごしているのも疲れるなあ〜と思う時期がいつか来る。暗くなり続けているのも結構(−)マイナスエネルギーを使うのだ。そろそろ(+)プラスに転化したいものだと考える。

『いかに世間にこの子を理解してもらうか?どうやればわかってもらえる?』『お願いですから、誰かワタシの話を聞いてくださーい!』

というのが、このHPを立ち上げた動機のひとつである。さて、では本題に行ってみましょう!!(やっとかい)

 

CHAPTER4:息子の自閉症スペクトラム症状・今から思えば・・・《赤ちゃんから幼児期まで》

※これはあくまで我が家の息子の例です。(自閉症の特性)は皆似たような症状を持っているでしょうが、あ・く・ま・で【息子の例】ですから、何から何まで同じという子供はいないと思われます。その点をご了承ください。

ワタシの息子が【自閉症スペクトラム】と正式診断名をお医者さんに聞いたのは、息子が小1の時でした。その前までは(耳が聴こえないのでは?)(知的障害を伴う多動)(LD)(発達遅滞)とまあ色々言われたものでして。しかし正式診断名を聞いたとき実は【やっと息子の正体がわかってスッキリしたー!】とは全然思いませんでした。逆に「えー、3才の時(自閉症ですか?)と別のお医者さんに聞いた時は、(違います!)ってはっきり言ったのにー!」と当時かなり内心反発していました。反発・・・じゃないな。そう「あなたの言葉だけを信じて生きてきたのにー!ひどいわ、裏切っていたのねー!」と最愛の彼の浮気現場を目撃した若い娘の気分でしたな、あれは。「『愛しているとのはワタシだけ』と言ったじゃないのー!それなのにどうして?あたしだけを見て!」おっと話が昼ドラになっているぞ。ってなもんで反発しつつも、その直後図書館で『自閉症スペクトラム/ローナ・ウィング著/東京書籍発行』を借りて読み、また息子の赤ちゃんの時からの行動を思い返して「そうか、あの時の行動はやはり自閉症から来ていたのか・・・。」とゆっくりゆっくり少しずつ受け入れていきました。

赤ちゃん時代

1:赤ちゃんの頃、あの子は重かった・・・。

決してヘビーな体重ではなかったのだが、どういうわけか抱き上げるとズシッとしておかげで手首が軽い腱鞘炎になってしまった。整骨院に通うワタシにオットは「鍛えてないからだ。運動不足。」と冷たく言った。整骨院でも似たような事を言われたが、今から思えば息子は抱かれる時に(こちらに体をあずけるという体勢を)取っていなかったのが腱鞘炎の原因らしい。(体をあずける体勢)とは(自分から抱かれやすい形になる)ので、抱く側として余計な力が必要ではないのだ。時として(体をあずけない)を通り越してこちらの腕の中で(そっくり返っていた)事もあった。・・・それが娘が赤ちゃんの時は、息子より体重はあったのにも関わらず、ペターとひっついてくれて大変抱き心地よかった「やっぱ女の子は柔らかいな。」と勘違いしてしまったのだが。

2:赤ちゃんの頃、目で自分の感情を訴えるのが弱かった・・・。

娘が赤ちゃんの頃はこちらが顔を向けると嬉しそうな表情をよく見せていた。目から『ラブラブ光線』が出ているようで「もっとあたしを見て!」と訴えているようだった。・・・だが息子がその時期の頃はどうも(ぼんやりしている)というか(目から感情が見えない)というかはっきりしていなかった。

3:親に向かって、ハイハイでの突進が・・・なかったような・・・。

娘が赤ちゃんの頃ハイハイが出来るようになると、こちら(親)が移動する度に突進してきた記憶は強く残っている。どうも、息子にはそういう場面があったか今一定かでない。そもそも、背中でズリハイしていたよね。

幼児前期(1才〜3才)の時代

1:人よりオモチャの方が興味が強かった。

歩き始めて公園に連れて行けば、近所の子のオモチャのみに注目していたようだった。その子がそのオモチャを使っていようがいまいが関係なく手を伸ばしていた。・・・この頃から、ワタシの【『ごめんなさい』とあやまってばかりの人生】の幕が開いたのだった・・・。

2:オモチャの使い方を伝授しようとしても拒否反応を示した。

ワタシが内心『ガーン!』とショックを受けた時の【拒否反応】は、ずばり“アレ”ですな。“アレ”とは“積み木の積み重ね”で「こうやって積むんだよ〜。」と積み木を積んだそばからいきおいよく手ではたいて積み木を崩してニコニコしていやがった。この様子を一才半検診の保健師さんの目の前でやられて動揺するワタシ。《親のやる事をマネしたがる》という動作の反対をしてくれて・・・この頃から【な〜んか変だな?この子】と思い始めたのだった・・・。【親が愛情(大げさ)をかけて作った物をことごとく破壊するなんてー!ひっどーい!】と瞬間息子に怒りがわくが、息子はニコニコしていてワタシは脱力感に襲われた・・・。

3:動きがすばやい。親と手をつなごうとしない。いつも“何かに急き立てられている”ような印象を持たせる雰囲気だった。

公園に行く時は、ダッシュで一人で出て行きたがった。【普通、一人で行くのはこわがって、親へ甘えてくるのでは?】と不可解だった。手をつなごうとすると、息子から手を振り払われて、【ママと手をつなぎたくないのねー!ひっどーい!】と悲しみに襲われた。照れて手をつながないという類ではなく、完全の拒否!という感じだった。ある日の夕方、反対方向から『手をつないでいる母子』を「いいな〜。」とうらやましく眺めていたら、近所の知り合いで「あら、○○さん!」とニコヤカに挨拶された。なんか寂しかった・・・。次第に息子のダッシュ力は加速力を増し、引き止めるとキーキー言うようになっていった。そしていつしかワタシも息子と一緒にいる時は“いつも急き立てられている気分”に陥り、現在も子供達が退屈そうにしていると、“何かおもしろそうな事、所へ連れて行かなければ!”という気分が襲ってくる。つくづく学生時代に体を鍛えていなかったことを現在後悔している。加齢と共にワタシ自身の瞬発力が弱っているのだ。そしてオットが後ろからこう言う。「運動不足だから。肥満気味。」「あんたには言われたくない!肥満傾向なのは、ストレスを過食で解消しがちだからだ!」とワタシは内心毒付くのであった・・・。

4:公園で遊ぶも、なんとも飽きっぽい性格を披露した。

公園に行くのを楽しみにしていた風ではあったが、あっちいったりこっちいったりと落ち着きがない事この上なかった。砂場でじっくり造形遊びはしなかった。そしてある程度その公園の中を堪能したら、公園の出入り口に駆け出していった。一定の公園で一定の時間遊ぶというより、三箇所位公園のハシゴをした時もあった。ただ、『小田急線の電車が間近で見える公園』は、この頃からとてもお気に入りになっていた。電車が通る度にうっとりと眺めていたものだ。【男の子だから電車好きだなあ〜。】と親は呑気に感じていた。

5:コミュニケーションがとれない!と感じた。

一才半検診で『言葉の遅れ』を指摘されて徐々に不安感に襲われていたのだが、『言葉』というより【コミュニケーション・お互いの意思の疎通】自体が上手くいかないことにあせりを感じていた。息子の“考え”というか“感情”が読み取れなくて『言葉がなくても、二人はお互いの心が読めた・・・。』なんて恋愛小説の一節みたいなことが出来なくて、「ワタシってこんなに鈍いのか?」と自分を責めがちだった。二才になった時にたまらず健康センターに子供を連れて行き「どうしてもコミュニケーションがとれないんです!」と保健師さんに訴えていた。今思えば、『我ながらナイスな訴え』だと自画自賛してしまう。だってワタシ自らが当時【自閉症】という言葉を知らなくても、本質を突いていたのだから。でも(ワタシってえらい!)なんて思っても誰もほめないって。

【コミュニケーションが取れない。】と訴えたら、健康センターの心理の先生は「多動かもしれない。」とワタシに言った。「多動?動きが多いってこと?」当時はまだそれがどういう意味を含んでいるかピンと来ていなかった。その夜、「多動なんだって。」とオットに言ったのは憶えている。【多動】・・・ならば、ともかく毎日いっぱい動かせば落ち着くのかな?と考えた。・・どうしてそう考えてしまったのやら。毎日動かせすぎたせいで、えらくスタミナがある男児にしてしまった。この時息子が二才、娘が七ヵ月の赤ちゃんの頃だった。

・・しかしですねこの息子、幼児の時は個人プレー傾向だったのに、今は「一人で○○へ行くのは嫌だ。」と“甘ったれクリーチャー”(by スピッツ)になっております。小学生高学年なのに「手をつないで。」と言いますし。どうやら、その【情緒的なつながり感】を求める時期は自閉症児者の場合は、一般の定型発達児より後に来るというかずれるんでしょうね。

コミュニケーションもですね、年月が経てば★本人の成長/★周りの人達の慣れというか成長/★コミュニケーションを円滑にしてくれるグッズ/を発見すれば少しずつですが遅遅とした歩みですけど『お互いの考えが読める。』ようになります。まあ、読めたら読めたで、『なんでそんな考え方をするんだ!』となるのですけど、まあそれは子供が大きくなってからの課題ということで。

・・・ゆるやかなくだり坂を、自転車に乗って「とっきゅう〜(特急電車のたとえ」と言いながらどこまでも加速して転がっていく息子。ただいま小学高学年。

                            

幼児後期に続く・・・。