チヨさんの思い出

“チヨさん”てつまりはオットの母なのですが(そうお姑さんです、ハイ)TVドラマの欄で少々説明しておりますが、3年前に病気で亡くなりました。このチヨさんは、【家庭料理教室の先生】として長年自宅で料理を教えておりました。今は、主(あるじ)なしの料理教室用の食器と料理器具と調味料がたんまりとオットの実家の台所に眠り、そして彼女が情熱をかたむけた料理のレシピデータが「いつ出番があるんだ。」と語れずに我が家の本棚に並んでいます。

 実は彼女が元気な頃、料理教室のHPを作ろうとオットが努力したのですが途中でリタイヤしました。・・・ので、ワタシが後を引き継いで彼女の残したレシピ集をここで少しずつUPしていこうかと思いこのコーナーを作りました。ワタシ自身彼女に実際料理を教わった教え子(えっ!)だったのですが《後を継ぐ》というのも無理だし、AS(自閉症スペクトラム)息子は《やや偏食小僧》で毎日の食事はルーティン&ワンパターンになっている今日この頃です。(⇒言い訳)

 どなたかがこのレシピ集を見て「まあおいしそう!この料理作ってみようかしら!」と思ってくださればいいなと考えています。

@チヨさんとの出会い・・・「聞いてないよ!」の巻 

オットに初めて実家に連れて行かれた時、いきなり裏口から家に入れられて「はあっ?」と感じました。A区ではそういう流儀なのでしょうかね?というのはウソでたまたまオットの実家の習慣だったそうです。そしてオットのご両親と初めて会ったとき、オットの母が【料理教室の先生】と伺って内心青ざめたのは否めません。(まずったなー。)というのが第一印象でした。と同時に(どおりでオットが既に栄養が十分行き渡った体格なわけだ)と納得しました。つまり(食べ物には困らない人)(やや肥満気味)だったわけで。その時にでたメニューが全部手作りの魚料理フルコースだったのは憶えています。(出前の寿司ならまだホッとしただろうに・・)デザートのケーキも全部完璧手作り!箸使いもおぼつかないワタシは内心「ひえ〜。」と思いながら魚をつっついてご馳走を食べていました。この時分、この家はまだ下水道が完備していなくて、トイレが水洗でないことも衝撃でした。「ここは23区内ではないのか?A区は皆そうなのか?」いや多分オットの家だけ水洗トイレではなかったのでしょうな。

【もう、驚くことないだろうな・・・。】と思っていたのに、まだ驚くことがありました。いつその事実を聞かされたのか定かではないのですが、オットとオットの母チヨさんと(似てないな・・・。)と一瞬思ったのですが、まさか本当に(血のつながらない仲)の間柄だとは予想外!その事を聞かされたとき、ふと頭をよぎったのは小学生の頃夏休みに読んだ『壺井 栄著/母のない子と子のない母と』でした。この本を一日かけて読んで感動していたら、母に「本読むのはいいけど、勉強しなさいね。」と言われたのは遠い夏の思い出・・・。しかし児童文学の世界が目の前の人の実話に近いとは驚いたのなんのって!(とある自立している手に職を持っていた女性)がいきなり二人の小学生の母親になるとは(しかも出会いがお見合い!)勇気があるというか偉いというか、少々理解に苦しむというか・・・。子供以外にもジジババと親戚いっぱいいる所によく入ったものだと、彼女の感性についていけるのか、かなり不安になりました。

今になってやっとわかったんですけどね、何故彼女が二人の小学男児のいる大家族の嫁として入ったのか・・・おとうさんがイケ面だったんだ。そういうことにしておこう、うん。

そういえばA区の実家へ行く途中で【荒川都電=路面電車/都内唯一のチンチン電車】を眺めたのも、初めてでした。子供の頃TVドラマの『俺たちの旅』で、江ノ電が出ていたは憶えていましたが、目の前で車と一緒に走っている都電を見て、「よく事故らないものだ。」と妙な感心をしていました。またオットはお祖父ちゃんの代からA区に住んでいることを、「(三代続いて)江戸っ子でい。」とふざけていました。つまり「代々東京生まれの東京育ちに誇りを持っている。」ということを強調したかったのね。(ちなみにワタシは京都生まれで、生後一年ですぐ引っ越した。)(ワタシの親は地方出身)

結婚式の時に仲人さんに「東男と京女(あづまおとこときょうおんな)」と皆に紹介されて(だから?なんなんだよ〜?。)と思いましたねえ。ところで「東男と京女」ってどんな意味があるのでしょうか?どなたか教えていただきたいですなあ。この組み合わせっていいの?でも、ワタシャ自分のこと『京女』とはちっとも感じませんけど。

(Aに続く・・・のか?)   

Aオットは“食”にうるさかった・・・「ひょえ〜」の巻
よく結婚とは“異文化交流”とも例えられるが、【食に関する見解の違い】これには困った。ワタシが“食”に関して鈍感なのに対して、オットがこうも(細かい)というか(うるさい)というか・・・結婚当初は「この海原雄山!」(by『美味しんぼ』)とあだ名をつけていた。オットのお母さんに張り合おうという気はさらさらなかったが、オットの側としては“食のレベルが下がる”のは嫌だったでしょうね。でもこっちとしては、普通新婚さんだったら、

「君の作るものはなんでも美味しいよ。」とでも言ってくれると期待していたんだけどねえ・・。(苦笑)そうこうしている内に、お正月が近づいてきた。ワタシはオットにこう聞いた。

「おせち料理って毎年どうしていたの?」「全部おかあさんが作っていた。」【ひょ・ひょえ〜】とワタシャ狼狽した。ワタシはおせち料理というのは【デパートで買ってくるもの】とずーーーーと思い込んでいたので【ど・どうしたらいいのだ〜。】と頭を抱えた。

というわけで、ワタシは東京のハシッコのH市から千葉よりのA区のオットの実家まで週一回【チヨお料理教室】に通うようになったのである。チヨさんからすれば、【さぞ教えがいのある生徒】ではあったのだが、今思えば【いい話相手】が見つかったとも言える。ジイチャンは無口だし、二人の息子の上の方はとんと家に寄り付かないくなっているし、下の方(オット)は無愛想に育ってしまった今、【思いっきり自分の歩んできた人生を語れる相手】が自分の自慢の料理を習いにくるのだから・・・嬉しかったよね〜。(今となったら確認しようがないけどね)

(Bにちょっと寄り道をする)

Bチヨさんの二人の息子・・・「ぶっとんでやがる」の巻
チヨさんが最初に子供達に買ったものが『新品のパジャマ』(古いのを着ているのが可哀想に見えたらしい)だったそうで。チヨさんが結婚当初はまだ(ホントか?)可愛げがあったであろう息子二人。自分がお昼ごはんなどを作ってる時“手伝う!”と言ってまとわりつく子供達・・・。しかし長じるにしたがってオットはともかく、兄はこう言ってはなんだが《ぶっとんでるキャラ》だったそうで・・・。子供の頃から少々枠をはみだしがちだったそうだが、《バイク小僧》→《ホ○ダのエンジニアの学校》→《自衛隊入隊したり》→《海外青年協力隊で二年くらいアフリカに行っていた》と思ったら、→→「海外移住したい。」と言い出して、さっさとオーストラリアに飛んでしまったほどでして。周りも(しょうもないな、あいつはー。止めても無駄でしょ。)という感じで許しちゃったらしい。

《お前、長男だろ!》なんて表立って言えなかった弱気なワタシ・・・クク。長年つきあっていた彼女も一緒に連れていってしまって、今現在は三人の男の子の父親としてオーストラリアに根を生やしております。三人の子の名前が英字で書くと《RICK》《KAI》《SORA》(漢字はご想像にお任せします)だってよ。《ネイチャーかい!》 本人いわく最後の子の名前を決める時は「これしかないでしょ。」と言っていたそうですな。

移住者ではありますが、現地に溶け込んで子供たちにも友達がいっぱいいて、海のそばであくせくしないで暮らしているんでしょうね。実にうらやましい。

SORA君の誕生祝にベビー服を贈ったのだが、お返しが下の写真のチョコレートと紅茶のセットでした。

【ちっ、お返しはKEN・DONE(オーストラリアの有名イラストレーター)のTシャツを期待していたのに。】 

ちなみに、オーストラリアではオートバイは乗れないだろうとジイチャンの談です。

まあ、《ぶっとびキャラ》といったらうちの息子には勝てないけどね。

※食べられる貝殻

(Cに続く)

Cロード・トゥ・ザ・オットの実家・・・「めんどくさいアクセス」の巻
今もなお、オットの実家までは(めんどくさい)経路を使わざるをえないのが現状である。車で行っても、鉄道を使っても同様である。なーんでこんなにめんどくさい?どうして同じ東京都内同士なのに、移動に時間がかかるのか?身軽(子供がまだいない)な時は少々めんどくさくても全然平気だったが、子供二人連れてあっちの電車、こっちの乗り換え電車はイライラすること多々ある。(車を使え?ワタシは自慢じゃないが免許を持っていない!)

息子がやたら鉄道に詳しくなってしまった今、「○王線使おうよ。」と言っても、「○田急線がいい。」(○田急は駅数が多いんだよ〜。車内が混むんだよ〜。でも反対したら怒るし〜。)「ちっ。」と舌打ちしながら○田急の切符を買うワタシ。「(妹)アタシがボタン押す!」「(兄)ボクが!」・・・う、うるさーい!

しかしなによりめんどくさいのが(最寄りの駅からオットの実家まで歩けない!)ことであろう。最寄り駅から(絶対都バスを使わないと移動できない距離)である。池袋、王子、田端、まだあるが省略。バスが混むと息子はイライラしてくるので、最近はタクシーを使わざるえない。ケチなワタシはまた「ちっ。」と舌打ちする。タクシーでもワンメーターではつかないのよ。

更にオットの家の近所ってさー、段々道が狭くなるのよ〜。都バスが2台すれ違うと人が歩くところがないほど狭いの。そしてオットの家は、“もろ路地裏”という所に建っている。ニュータウンに住んでいるワタシからすると余りの道路幅の狭さに子供の手を引いて歩くのに少々ヒヤヒヤしてしまう。オットは子供時代チャリ(自転車)であちこち移動していたらしいけど、息子にはそのマネはさせたくない!と思わせる。こわいよ。オットが見かけのわりには機敏なのは、こういう環境で育ったせいだろうか?

オットの兄がだだっ広いオーストラリアに行ってしまったのも、(広い所への希求心がなせるせい)だったのかもしれない。(とかなんとか言っちゃったりしてね。)

(料理教室にまじめに通っていた頃)子供が生まれる前)当時は、H市から電車で新宿に出て、山の手で池袋に出て、そこから都バスを使った。ここまで約1時間)ここからが道路が混むのでやたら時間がかかった。池袋〜王子経由〜オットの実家だったのだが、王子駅に着いた段階で、「やっと半分!」て感じだった。下手すると池袋〜オットの実家まで45分はかかっていたような・・・。春になると王子の駅そばの『飛鳥山公園』の桜並木がドッパーと満開状態なのをバスの窓からよく眺めていたものだ。

今は池袋からバスに乗る機会はめっきり少なくなった。そのせいか、バス乗り場がどこなのか忘れてしまっている。あんなにセッセと通ったのに、池袋の駅前の混雑ぶりに頭が混乱するおばさんなワタシ。(IWGP・池袋ウエストゲートパーク)は昼間はすごいっす。ホント。

(D以降はいづれまた)