scene1:「あ、とーべんさんじゃん!」4月23日(土)NHK放映『ETVワイド ともに生きる』より

スイートテイスト

  以前で録画をしていたNHK『ETVワイド・ともに生きる』を見ていた時でした。なんと、あの人が出ているではないか!「とーべんさん!」とーべんさんこと“湯川 とーべんさん”が発達障害者のAKIさん(イラストレーター)とコラボというかイベント(とーべんさんのコンサートに参加して、傍らで絵を描くという所か)を時々一緒に活動していて、ETVワイドではAKIさんは石井 竜也さん(ex.米米クラブ)の歌を聴きながら、絵を描くという趣旨を放送していました。「お懐かしや、とーべんさん・・。」発達障害児を育てていて尚且つとーべんさんの事を知っている者は、全国探しても、ワタシ位なもんだろう・・・とふとほくそえんだりしてね。

ワタシがとーべんさんの事を知っていると言っても、そんなにキャリアは長くない(正直言って去年です)のですが、ちょっと説明させてね。彼は伝説のバンド『子供ばんど』に度々参加していますが、その他たくさんのミュージシャンと一緒に活動しています。最近はソロが主体みたいです。で、1990年半ばとある某俳優のCD2枚にベーシストとして参加しておりCDの録音風景の写真の中でとーべんさんのお顔を拝見できます。この頃から派手なTシャツがお好みだったらしい。また1995年9月の【日比谷野音のライブ】にも出演していまして、その時のライブ(DVDをオークションで購入)をワタシは深夜時々眺めていたわけで、「あのライブから10年経つとやっぱりとーべんさんもほっぺたがふっくらしているな・・・。」と別の感慨にふけっていました。(人のこと言える立場か!)ライブビデオの類って出演者の表情や仕草が至近距離で見れるから結構好きです。このDVDでも、(短パンだ、)(あ、マラカス投げた。)(あ、タバコ捨てた。)(あ、拾った。)(あ、ピックがなくなった。)(あ、名前言い間違えた。)(あ、水かぶった。)まあ色々。生ライブって実際行くといつも出演者が米粒か人差し指くらいしか見えないんだもん。それでも舞台に出てきた途端、キャーキャー叫んで総立ちなんですけどね。

ワタシ自身独身の頃はQUEEN/ブライアン・アダムス/ジョージ・マイケル/ポール・ヤング/マイケル・ジャクソン/シーナ・イーストン等々のライブに行っていたけど、今は全然縁遠く子供に邪魔されない時を狙ってコソコソとCDを聴いたりDVDを見ている日々を過ごしています。子供が今より小さい時は、【毎日が戦争状態】だから音楽を聴く余裕もありませんでした。そして【お子様中心の生活】は相変わらず続行しているのですが、その最中に(発達障害児を抱える自分にとっての情報番組)の中に「場違いな!」とつい思われるとーべんさんが出てきた日にゃあ、「ロックと発達障害者がつながっている〜。」とこれまた変な感動をしてしまいました。『ロックと発達障害者との共同活動』なんて想像の域を超えていましたもの。

その後、とーべんさんとAKIさんのそれぞれのHPをネット検索して調べましたところ、このお二人お付き合い深いんですね。付き合いながらお互いの事を少しずつ理解していったという印象を受けました。AKIさんがどんな障害特性があるかはっきりとはわかりませんが、発達障害者のAKIさんがETVワイドにあそこまで協力できたのは本人の努力は元より、今まで彼に関わってきた人達(とーべんさんも含めて)との地道な積み重ねが基盤にになっている筈です。発達障害児者にいきなり「さあ、これをやって!」と言っても旨くいかないもの。彼が自分の能力を上手く表現できるまでの周りの人達の暖かい支援があの様子で垣間見られて、「ウチの息子もああいけたらなあ・・・。」と思いました。

いつか時間ができたら、息子を連れてAKIさんのお店にふらっと遊びに行こうかと計画中です。その時に息子の描いた絵を持参して「これいけてる?」とAKIさんに聞いてみたいです。AKIさん何と答えるか?できたら日比谷野音のライブDVDを彼にも見せてあげたいですね。

さて『日比谷野音のライブに出ている某俳優』とは誰でしょうか?いえね、ワタシもその某俳優さんがCD出していたって聞いて「えっ?歌うたっていたの?」だったんです。今全然その気配ないですもの。でも調べたら結構(昔歌もやっていました。)って方(男優・女優)多いです。人によっては(聞くのがこわい・・・。)というのもありますけど。(笑) え?わかんない?まだ教えないよ〜ん。ヒントはこちらの画像から。

 

ちなみに, ETVワイドの本題自体の感想は、いつか書くつもりです。

参照:『ETVワイド ともに生きる 1回目のテーマ・障害者と教育(4/23放送、5/21再放送) HPはこちらhttp:///www.nhk.or.jp/heart-pj/02_tr.html 

 (平成17年5月25日記録)

scene2:Y新聞ななめ読みの日々(5月下旬〜6月6日までの記事から)

ビターテイスト

 オットの兄はオーストラリアに住んでいます。永住権も取っているので、日本に帰ってくる気はないのでしょう。3人目の子供も生まれたばかりだから、当分日本に一時里帰りの予定はないと思われ、ジイチャン(お父さん)は3番目の孫をまだ抱くことができません。

兄(長男)一家はすんごく遠いところに行ってしまったので、実質上は弟(次男)一家の我が家が跡継ぎっぽくなっています。親戚の結婚式は兄は免除ですが、オットは必ず出なければなりません。この結婚式ね〜、息子とワタシは欠席してます。息子は次世代の最初の子供なのですけど、【見た目にはわからないハンデを抱えている】【親戚にこのハンデについての知識が皆無】【次世代の第一番目の子供故にチェックが厳しいだろう】なにより【日頃あまり接する機会がない親戚に会うという事が今の息子には苦痛だろう】という“配慮”からです。

オットが幼少の頃は諸事情から祖父母・結婚前の叔父と叔母・父・子供二人と大家族でしたから結束は固かったでしょうけど今は時代が相当様変わりしていますから、息子の事情を説明するのは・・・・正直言いましてかなり面倒くさい!です。説明したからと言ってもスンナリ理解してくれる保障もありませんし。

【家意識の変容?・しかし・・・】

5月25日のY新聞朝刊の『生活ふぉーらむ』に(長男の妻・「損」7割)という記事が載っていました。そして今の40代からそれ以降の子供は大体が2人〜3人の兄弟姉妹関係しかなくて(TVで大家族スペシャルて時々あるけどね)家を継ぐ継がないという問題は、(あなた継ぐ人)(あなた継がない人)と極端に役割分化されている状況であること、または(跡継ぎがいない)ケースも生まれているから、『根強い「家」意識・変える時』と見出しに載っておりました。

取材した記者のコメントが【小学生の長男・自由に生きろよ/海外行ってもOK】とありましたが、これ読んでワタシは『甘いな』とつぶやいています。甘いっす。実際ただでさえ数少ない自分の子供達の内の一人が海外移住なんぞされてみろ、後に残された子供が全て【家意識】を背負わなければならない上に、更に『【家意識】を分け合って背負うということもできない状況』は正直しんどいです。

大体ね、日本人というのは年を取るとやはり【血のつながった人間がそばにいてほしい】という感情が出てきてしまうんです。『子供には自分の人生を歩いてほしい』なんて言ってても、自分自身のの体が衰えて誰かの助けが必要になってくると『赤の他人に自分の世話をしてほしくない。自分の家に他人が入ってくるのに抵抗を感じる。やはり身内にみてもらいたい。』となってくるんです。日本人のメンタリティってそういう風になっています。今年の春にワタシの実家の母が具合が悪くなった時に如実にその感情が表れてかなりワタシ自身動揺してしまいました。

【動揺したわけ】

(家を継ぐ)(家を継がない)という以前の問題に、我が家の場合【自閉症というハンデを抱えた息子の将来をどうするのか】を頭の片隅で常に考えなければならないのです。『自分の人生を自分で考えて歩んでほしい』なんて言えない子供なんです。こちら(親)が子供の人生をコーディネイトしてあげないとならない⇒息子の事で手一杯なのに、何故年老いて徐々に弱っていく親の事まで考えなければならないのか?オットとワタシ二人だけで【障害を抱えた息子の未来】【年老いた親の老後】を考えていかなければいけないのか?この二つの課題を誰かと分け合うこともできないのか?多分今後日本での少子化・高齢化社会化が加速し続ける中で、我が家みたいなパターンの家族が徐々に増えていくと思われます。自閉症児自体増えてきているというしね。だから国での(障害児者福祉)(高齢者福祉)の急ピッチの充実を望んでいるのです。福祉社会の充実が期待できるのか?、それともワタシが二つの課題に破綻してしまうのか?・・・・いやそれよりも、日本人のメンタリティ(身内の問題は家族で抱えるべき)が変わるでしょうか?

【とある例】

6月5日のY新聞の日曜版に新刊案内の中での金融マンで歌人でもある渡辺 幸一氏の新著の案内を読んでいて“とある記述”に目が止まりました。(イギリスに移住した理由は息子が自閉症だから)という内容でした。「子供が自閉症なら・・・。それなら、日本を脱出しても誰にも責められないのか。移住の正当な理由に足りるのか。」時々無性に特に息子の障害ゆえに嫌な目にあった時などに

「何故、私達が日本にいて、子供が健常児の兄夫婦がオーストラリアにいるのだろう?海外にいれば、こんな窮屈な思いをしないですむのに。人種差別はあるだろうが、障害者差別だって辛い。」息子の行動を年下の子にまで小馬鹿にされたり、新しい行事毎に息子の行動にハラハラし周りの目を気にしたり・・・が続いて気持ちがくたびれるとそう内心愚痴っているワタシがいます。

実際海外では自閉症児がパニックを起こしても「Autism.(彼は自閉症なんです)」と一言説明すれば「No problem.(あっそ)」と返ってくるそうです。問題行動を起こしたとしても、「自閉症ならしょうがないわな。」という意識で、程よく無関心を装ってくれるそうです。息子の言葉をあからさまに本人のいる前で口真似されること(これはすごく頭にくる)は多分ないでしょう。そこで渡辺氏のことをオットに話してみました。オット曰く「自分には海外でできる仕事なんかないよ。」でした。海外で生きるというのも、そこで通用するの実務能力がないといけないらしい・・・。とりあえず渡辺氏の著書を図書館から借りてみました。

多分これからも

重い足でぬかるむ道を来た  トゲのある藪をかき分けてきた  食べられそうな全てを食べた /平気な顔でかなり無理してたこと  叫びたいのに懸命に微笑んだこと (by スピッツ『春の歌』より)・・・そうしながらこの日本で、東京の片隅で、歩いて生きていかざるをえないのでしょうな。怒ったサルの様に歯を食いしばって歯軋りしながら・・・。

春の歌 愛と希望もつくりはじめる・・・か?聞こえるか??

もうすぐ梅雨だ・・・。

参照文献:渡辺 幸一著『イエロー/差別される日本人』(栄光出版社・H11年発行)『ロンドン金融街で学んだイギリス式仕事と人生の絶妙な知恵』(河出書房新社・H16年発行)『イギリスではなぜ散歩が楽しいのか?』(河出書房新社・H17年発行)  ※まだこの他にも著書はあるそうです。 

(平成17年6月9日記録)

scene3:オットは夏のボーナス払いで『i-○od』と『新しいデジカメ』を買う

スイートテイスト

6月5日、A区のジイチャン家から夜遅くオットと息子が帰宅した。「おそいじゃん。」「電器屋寄ってた。」いつもは車の運転でくたびれて不機嫌なのにこの日はそうではなかった。そして「買っちゃった。」ととある物をテーブルに出した。「これなに?」「PCで音楽を取り入れてウォークマンみたいに聞けるの。千曲くらい入る。」「すごー。」「デジカメも。」「家にあるじゃん。」「今までのは100万画素だったけど、これは500万画素。」「五倍か!」「これがカメラ屋で現像したデジカメ。やっぱ違うね〜。」「うん、いいね。」「高かったでしょ。」「(デジカメのメモリーカードを見せて)これだけで1万円。」「こんなちっぽけなのが!」「夏のボーナス払いにしたから。」

写真では息子がオレンジの展示用の電車の中でモデルをしていた。

ワタシ「ここどこ?」   オット「飛鳥山(北区王子にある公園)」   

ワタシ「こんな電車あったかな?(説明看板を読んで)え?これ都電?」   オット「そうだよ。以前はこの色だった。」

ワタシ「昔っからクリーム色で緑のラインじゃなかったの?」   オット「前はこの色だった。」

ワタシ「そうなの?今の色の方が、古臭いね。(失礼な奴)」

↓今現在、三ノ輪〜早稲田まで走っている荒川都電。

実はここ近辺(田端〜赤羽あたり)は新幹線も見えるスポットが多々あるので結構息子は気に入っています。鉄道好きの自閉症児にはいいかもしれない。

「そうだ、来週の6月11日ワタシ朝からいないから、子供頼むよ。」「どこ行くの?」「・・・え、映画の初日公開日。この間(5月28日・子供の運動会日)券買ったから。」「何見るの?」

「・・・『戦国自衛隊1549』の初日。有楽町マリオンで出演者挨拶するの・・・。」

「なんだよ、運動会の昼休みに“用事がある”って出たのはそれかよ。てっきり仕事で出たのかと思ったのに。」とツマのミーハー振りにあきれていた。    「出演者って江口 洋介かよ。」

ぎくっ。おくびにも出さなかったのにすっかりばれてる〜。ばれるって。『逃亡者』と『救命病棟24時・3』『東京ラブストーリー(去年笑いながら観ていたが)』録画してりゃあ。DVDやビデオ購入してりゃ何も話さなくたってばれるって。夫婦の会話で話題にしてないからってあちこちにそれらしき物置いてりゃわかるって。

「(あせりながら)でもこれ、原案が半村良でも福井晴敏だし。昔の(戦国自衛隊)観た?」「観てない。」「ほら、『終戦のローレライ』とか『亡国のイージス』とか立て続けに映画化されている今すごく注目されている作家でね。(と、ミーハー色を払拭するのにあせるワタシ)」「福井さんって、ほらこの間NHKの夜おそくやっていたじゃん『ガンダム特集』にも出ていたよ!」「あ、あれに。」オットの興味は福井氏に移ってとりあえずホッとした・・・。

福井晴敏氏はガンダムで人生を語る

いつぞやか忘れたが、ふと観たNHKの夜番組『ガンダムについて』という内容で、たまたま二人で見入っていた。実はオットもワタシも子供の頃ガンダムを観ていた【ガンダム世代=ガンダムの話を始めると途端に子供にかえってしまう輩】わけですね〜。ワタシャとあるデパートでのキャスバル兄さん(シャア)とアルテイシア(セイラさん)の声優ショーまで友達と行っていたくらいで、オットはいまだに【ガンダム】【イデオン】の文庫本を本棚に並べているし。しかし、よる年波には勝てない。メインストーリーは大体憶えているが、細かいのは忘れている・・・。ストーリーで地味な女スパイが最期はかなく死んでしまうというシーンで珍しく夫婦の会話があった。

ワタシ「こんなシーン、あったかなー。」  オット「あったよ。」  ワタシ「おっぼえてないなー。」

・・・にしても、福井氏、目をキラキラさせて(るように見えた)ガンダムを語る語る。地味ですぐいなくなる女スパイについての解説が細かい。シャアのガルマ・ザビ(ザビ家の三男坊)への弔いの言葉「坊やだからさ。」についての解釈も奥が深すぎる。(そ、そこまで考えるんかい!)とつっこみを入れたくなるほどで、とどめが「ガンダムの話になったら一晩中、止まりませんよ。」という風なことを言っていた!【ガンダムで人生を教わった】とでも言うのではないかと思わせた。

流行作家のバックボーンの一つは『機動戦士ガンダム』だった。6月11日、福井氏も果たして挨拶するだろうか?初日公開まで後6日。

scene4:i-○odの中身

昔給食にでた“コーヒー牛乳味のミルメーク”はまだ実在する

この一週間、オットはPCで音楽を取り込んでセッセとi-○odに入れ込んでいた。ワタシ用とオット用と別々のシリーズにしたのだが、オットの選曲がなかなかおもしろい。最新の音楽でなくて、『青春時代を思い起こさせる楽曲』てなところでしょうか。最初がサザンなのだが、次々と本人が10代後半〜20代で何をよく聞いていたかこのリストで窺い知れる。ざっとこんな感じである。

サザン『真夏の果実』『涙のキッス』・・・・・・工藤静香『黄砂に吹かれて』『恋一夜』・・・・・松田聖子『青い珊瑚礁』『赤いスイートピー』『ピンクのモーツァルト』他初期のヒット曲多数(な・懐かしいー!!)・・・森高千里『ザ・ミーハー』『ザ・ストレス(中近東ヴァージョン)』『とう(漢字変換難しい)が立つ』『JINJINJIN』・・・中山美穂・・・・中森明菜(オットは全部CD持っている)・・・後SPEED・・・アイドルは続くよどこまでも。ちと古いのが気になるが。でも、オット用も聴いていると何やら心地よいです。中山美穂(ミポリン)は今パリの空の下・・・。遠いなあ・・・。

ワタシ用のは今のところスピッツしかいれていません。とりあえず次はQUEENにしようかと。QUEENは古くないんだよね〜。今ミュージカルやっているし。話は飛びますが、お茶のCM『若○者』のBGMは何だかわかっている人はどれ位いるでしょう?あれはDavid・Lee・Rothが在籍していた頃の『VAN HELEN』のデビュー曲/キンクスのカバーヴァージョン『You Really Got Me』でギターがEdward・Van・Helen(当時17才位だったか?)です。TVでかかる度につい振り向いてしまいます。最近80年代〜90年代の洋楽があちこちでかかっているから気分は『ドレミファドン(古!)』のイントロ当てクイズの気分です。

どういうわけかワタシの好みのベースはハードロック系なんですねえ。自分でも?なんですが。そうかと思えば鬼束ちひろの全CDを揃えたりクラシックやオルゴール集とか水晶琴のCDとか持っているし。薬師丸ひろ子や今井美樹やらもあった。(忘れてた!)今CDケースを眺めたら、200枚は持っているのかな?節操がないというのか許容範囲が広いというのか・・・。時期によってはギターソロがギュインギュインいっているのを聴いているのが辛い時があるからか。精神状態によって聴く曲が様変わりするのね、きっと。で、今はスピッツだから(精神状態はまあまあ元気)なんだろうな、うん。

昔々ウォークマンが出た頃は、なんか重いという印象がきつくてそれ以来こういう形の鑑賞はしなかったのですが、ここまでコンパクトになるとはやはり便利ですねえ〜。深夜一人これで音楽を聴きながらPCの仕事するのが病みつきになりそうです。ちなみに外ではあまりイヤホン形式のはしない主義です。・・・・なーんて言いながら、6月11日に持っていって、上映を待ちながら森高千里の『ザ・ミーハー(スペシャル・ヴァージョン)』を聴いてニヤついていたんですけど。

午前10時15分、今後の公開予定の映画のCMが多くてイラついてしまったが『戦国自衛隊1549』の上映が開始された!

(次のシーンへ続く)

scene5:It's Fine Today もしくは正夢ってか?

!(ビックリマーク)な味

そもそも劇場でのワタシの席は前のほうの右通路側のはしっこだった。「まあ、ここなら出演者挨拶の時は人差し指よりは大きく見えるだろう。」としか考えていなかったのだが・・・。映画が終わって観客が拍手して、日テレのアナウンサーが「出演者の挨拶があります。皆様後ろをご覧ください。」てなもんで、後ろを振り返ったら、ピンときた!

ワ、ワタシのすぐ横の通路を出演者が通るのか!えーーーーー!!うっそーーーー!!

嘘じゃなくてホントだった。扉が開いて歓声の中、鎧甲冑の武士の後にしゅ・出演者がぞろぞろと、すぐ真横を福井晴敏氏をはじめ主要出演者メンバーがあ・歩いてるーーー。す・すぐそば!!どんな感じというと今思い返せばこんな感じか→土俵に上がる力士が通る“花道”のそばの桝席に自分が座っている感じ・・・・よく力士の体ビタビタお客さん触っているでしょ、そうしたくなる気持ちをあの時持ちましたな〜。無意識に手がでるわな、そりゃ。・・・ああ、でも握手できなかったよーーーー。(泣)(握手したければ競争率高そうな人は避けるべきだったな、クソッ。 )(握手したからどうなるってんだ?“もう手洗わないー。”なんて言ってもどうせすぐトイレとかいけば洗うだろうが!と強がってみる) 

※お相撲さんと一緒にしないで!と座布団投げられそうな例えっすね、我ながら。

でもやっぱりすぐそば!超至近距離で江口氏を見たんですなあ・・・。人生こんな事もあるんだなあ・・・。

映画の時より髪と髭がのびていて、ちょっとワイルド系でした。多分台湾の映画撮っている最中とのことだからその関係でしょ。が、最近演じていた寡黙な役と違って結構しゃべってました。(主演だからそりゃ話さなきゃねえ。)鹿賀氏はTVドラマではよくしゃべるようなキャラ演じていますが、ご本人はすんごく静かな雰囲気でした。以前よく観ていた『料理の鉄人』の司会のキャラがいかに作られたものだったのか、やはり演技派ですねえー。ちなみに衣装は江口氏が黒ジャケで鹿賀氏が白ジャケで対照的でした。『セカチュー』で評判になった綾瀬嬢は夏らしい白の袖なしワンピースで清楚な感じでした。北村氏は髪が茶色でした。前日観た『T&D』での黒光りとの印象と違っていたんだけど、・・・・それにしても『T&D』のヤスオキャラが余りにも強烈過ぎて映画の時その印象を払拭するのに少々時間がかかりましたね。

プレス向けの写真撮影の時に椅子に座った江口氏、膝を指でパタパタリズムとっていたとういうか手動かしていたのがなんとなく目立ちました。よっぽど嬉しくてウキウキしていたのか、それとも緊張の余り逆にテンションが上がってしまったのか、どっちでしょうね?(たまにいるんですよね。緊張しているのにはしゃいでいる様に見える人。)隣に座っている鹿賀氏がとっても寡黙に見えたせいでしょうかね、ホント対照的。

「原作者(福井氏)って後ろに立つんだ。原作者なのにね。」とちょっと意外な感じでした。“原作あっての映画”だと思うんですけどね、ワタシャ。

最後に日テレのアナウンサーがちょっと言い間違えたら、江口氏揚げ足とっていました。ちょっとアレンジしてここに記録しておこう。

日テレアナ:「全市町村へ『戦国自衛隊1549』出陣!」  江口:「そりゃ、大変だ。」

劇場でもらったうちわを期間限定でここに貼っておこ。手塚監督も「どんどんPRして下さい。」って強調していたから、別に構わないのではないかな?それについグッズも買ってしまったから、それもここに一部ご紹介します。『戦国自衛隊1549饅頭』も売っていたのですが、・・・それはちょっと遠慮しました。ちなみに映画に出てきていた時計は売っていなかったような記憶・・・。

※蒸し暑い時にべんり・・・。

※似たような帽子こんなに集めてどうすんだ?

つか正夢 君に会えたら『ミーハー!』だと笑ってほしい。・・・とスピッツの(正夢)のデタラメ替え歌を当分歌っていよう。

(まだこの話題を引っ張る)

scene6:角川映画を観る時は・・・

子供の頃は単純だったなって感じ

今から思えば角川映画は子供の頃は宣伝につられてよく観たよーな気はする。『復活の日』は劇場で見たよ・・・な?草刈正雄主演/オリビア・ハッセーが恋人役で「ヨシズミー!」って主題歌もうろ覚えだけど“It's not too late〜♪”だったような・・・。角川映画の原作は大体いつも読んでいたのは憶えている。

『人間の証明』森村 誠一(ストウハがストローハット)  『野性の証明』森村 誠一(高倉健がカッコよかった)  『復活の日』小松 左京(人類滅亡の危機) 『時をかける少女』筒井康隆(原田知世ちゃんはかわいい) 『Wの悲劇〜woman〜』(“あなたは私の踏み台よ”って薬師丸ひろ子さんが汚れ役を)  『転校生』(小林聡美さんが面白かった)・・・は角川でしたかねえ?う〜ん・・・。

男性が主役の原作は映画より更にエッチでバイオレンスなシーンがあったような・・・。どーしても意味がわからない所があって困った当時のワタシはまだ可愛かったな、なんちて。

ただ、今回の『戦国・・』もそうなんですけど、角川映画は原作読むなりある程度予備知識入れたほうが、より楽しめますねえ。どうも角川映画って“説明不足”て感じがあって(えっ?)(えっ?)(どういう意味?)(いきなりそう出てくるんかい!)て感じてしまいました。重要な意味があるであろうシーンがサラーと流れちゃっていた印象がありました。だから原作でその消化不良を正した方がいいかもしれない。登場人物のキャラも原作の方が、より詳しいから感情移入しやすいですね。的場と鹿島の内面葛藤とかが映画ではあまり触れられていなくて、まあメインは後半の戦いのシーンではあるんだけど。最後のシーン、つい「もったいなーい!」なんて呟いたりして。(ネタバレ?)

そういうわけで今、『戦国・・』の原作を購入して読み始めています。まださわりの部分ですが、原作の印象は(エッチなシーンがないかも?)です。福井氏は【ガンダム好き】だからエッチシーン好きじゃないのかも?多分(セイラさんの入浴シーン/有名)でドギマギした小学生だったんだろうな。(わかる人にはわかる話)

だから、お子様にも安心して見せられます『戦国自衛隊1549』。キスシーンもないから。

子供の頃は角川映画の決めセリフのみが頭に残って(ワー、おもしろそう!)となりやすかったけど、どうもこの年になると乗りづらい。子供の頃は、ホント単純だったよなあ・・・。

(平成17年6月13日記録)

scene7:アップダウンが激しい二週間

おかげでお腹の調子が悪い。コーヒー禁止!

「わー、いいことあった!。」という感動も、日常茶飯事に埋もれがちだわ(ため息)。大体、(いいことあると、その分反動が激しいんだよな〜。)という変な覚悟がいつも付きまとっているし。実は先週は子供二人の別々の小学校での【学校公開ウィーク】だったので、あっちの学校、こっちの学校へ行って様子を見に行ってほ・ん・と・う・に色々思うことあってへばってはいたのだ。それを、6/11にウキウキ嬉しいことがあったから少しは浮上(潜水艦?)したんだけど、今週また海底に撃沈されたような気分に襲われてしまった!・・・・気持ちの整理がつかないし、来週何かしかのアクションを起こすつもりだからここにはまだ載せない。

梅雨に入って急に涼しくなったせいかもしれないが、体が冷えたのか胃腸の調子が悪い。こう胃がヒリヒリするとさすがに温かいほうじ茶の方がよくなるな・・・。

今週末、息子の学校に急なお休みがはいったので息子と二人で【多摩川方面】へ散歩に行った。そう【多摩川】、スピッツのCD『CRISPY!』に入っているあの【多摩川】。息子が幼少時よりよく通っていたとある交通公園が多摩川のそばにあるのだ。スピッツのボーカル・草野さんがどこの【多摩川】を見て、この歌を作ったのか?ですが、せっかくデジカメを新調したんだからと、撮影しました。

さあ、スピッツファンの方!これが【多摩川】だ!!

 河原の可憐な野草も撮ったぞ!!

※涼しげですが、増水時大変そう。

※たんぽぽではありません。

※ただ今河川工事中。

※野ばらっぽい。

(平成17年6月18日記録)

scene8:HPを立ち上げて約一週間です。

HPを読んでくれた方へ謝々!

HPを立ち上げる際に関連本を数冊購入してあーだこーだと頭をひねってどうにか難産の末生まれたマイHP。プライベートの仕事柄、文章を作るのは一旦波に乗れば上手くいくのだが、・・・つくづく自分が凝り性だと感じている。(この画像入れよっと。)(この色使おっと)とかデザイン面でついあちこちいじくってしまうのだ。そうするとどうなるか?いざFFFTPでインターネット上に乗せようとすると画像などが上手く入らない事が発生する。(え?どうして?)この一週間何度作業をプレイバックしたことやら。なら、【凝るなよ。】と自分に言い聞かせるのだが、やっぱり【こだわってしまう。】

うける為には、なんでもするわ!(タイガー&ドラゴンのどん太みたいだな。)

それにマニュアル本を手元に置いていても、(こういうHPの載せ方でよかったんかいな?)と疑問が湧く時もあって、つい手がとまってしまう。あのー、日記形式って新しいのが一番上にでる筈なんだよねえ。・・・まあ7月から考えよ。

しかし何だね、ここのページに(ミポリン=中山美穂のこと)や、(オリビア・ハッセー)の事を載せたら、ミポリンはいつの間にか日本に帰ってきてCMに「ただいま」なんて言って出てくるし、オリビアは今週の週刊新潮に近況が写真つきで載っているし、(映画『復活の日』が四半世紀前だと記事に載っていて感慨深い)やけにシンクロナイズ(他のものに合わせて同時に起こること)している今日この頃。   『シンクロニシティ〜♪』と歌っていたのは“ザ・ポリス”。リードボーカルのスティングの『青海亀の夢』は持っていますな。明日出してみよ。

・・・実はワタクシ、今日の朝まで情緒不安定でした。何故そうなったかといえば(6月18日の記録)あたりから引きずってはいたんだけど、昨日久々にぶち切れてしまいましたな。細かくは言えないのだけど、大まかな結論はこうです。題して、

【変わらざるもの】と【変わるべきもの】

変わらざるものとは、息子みたいな発達障害児の障害特性のことである。いくら病院や民間の療育機関を利用してきても、普通(定型発達とも言う)に近づけようと努力したとしても、やっぱりパーフェクトに普通になることはできまい。だって(自分を取り巻くあらゆる事象・事柄)を独特の感性で受け取っているのだが、その独特の感性はイコール障害特性なのだから、決して消えようがないのである。独特の感性と言えば、「個性的なんでしょ。」と受け取られがちだが、「個性」で片付けられない面もある。

昨日こんな事が学校であった。5時間目に『なんたら教室』とか言って1年〜3年+息子がいる特殊学級の生徒12名がホールに集ったらしい。(後ろの人は、見えずらいだろうという配慮)で、ある学年だけが椅子に座れて、他学年(特殊も含む)は直に体育すわりということになった。・・・が、息子はその配慮について納得できなかった。「なぜ、自分は椅子に座れないのだ!椅子に座りたい!」と訴えたらしいが、色々な手前があって許可が降りず、息子はカンシャクを起こしたらしい。そのなんたら教室はさぞ騒々しかったと想像できる。下校時迎えに行ったら自分の感情を必死にコントロールしようとしている息子と困り顔の担任がいた。・・・その時はワタシ(親)は「また、そんな些細な事でパニック起こしたのか。」と息子にあきれるなり情けなくなりで、その夜はワタシの方が段々キレて息子に怒鳴っていた。

ここ2週間ばかり、息子が他のことで親を悩ませていたので、「もう勘弁してよ。お前の世話は疲れる・・・。」とうんざりしていた。・・・しかし、ここで5時間目の様子をワタシの頭の中でプレイバックしてみて、息子の起こした行動(パニック)より、周りの対応のまずさに徐々に気がついてきた。

《周りの対応の何がまずかったのかーーー?》オットともその夜話したのだが、まずオットがこう尋ねた。

オット:「どうして、全員体育すわりにしなかったんだ。あいつに《椅子に座ることができる人》《座れない人》の違いが理解できるわけないだろ?」

ワタシ:「・・・多分本人に担任から説明があったかも知れないけど、それでスンナリ納得・・・できないよね。(息子独特の感性というか、こだわりというか)でも、ワタシも担任に言ったんだ。(ひょっとして5分だけでも椅子に座らせたら、それですっきりしたんじゃないか)と。そうしたら、他の特殊学級のクラスメイトが今度は納得しないだろうからとそれも許可されなかったらしい。」

★★何がまずいのか?★★ 

  1. そもそも、そのホールで《椅子に座ることが出来る人》《座れない人》と区別したこと。

  2. 区別した事情を、息子が納得できるように説明できたのかどうか?(後ろの人は見えずらいだろうという配慮)など息子には見えない。見えるのは、《どうして自分は椅子に座れないのに、他学年の子達は座れるのだ?》という事実だけだ。大体、自閉症児者は、目に見えないもの(気配り、配慮など)は、本当に理解し辛い。それが障害特性なのだから、目に見えないものを理解しろ!と強制されても、ド近眼な人からメガネを取り上げて「ちゃんと見なさい!」と強要しているものだ。

 

だが、さらに突き進んで考えると・・・・。

なぜ、息子を含めた(ハンデを抱える児童)が、椅子に座れないんだ?常々世間一般ではこう言うではないか?「ハンデを抱えている人達には、親切にしなさい。」って。公共の場では(ハンデのある人)にはそれなりの配慮をする様に暗黙の了解になっているのではないか?「何から何まで全部我々と同じようにできないのだから、助けましょう。」って。・・・なのに、なんでここではそういう(それなりの配慮)を示さないのだ?車椅子を利用している人なら後ろから押してあげたり、白杖(目の悪い人が持つ白い杖のこと)を使う方がいれば、丁寧に手を添えて道案内をするでしょ?手話で会話する人には、手話で答えてあげるでしょ?なのに、「頭の中身にハンデを抱えている人達」には、どうして健常者と同じ行動を強制するのよ?

どうしてこうも学校内で(健常児(定型発達児)や大人の都合)に無理やり合わせさせられるのか?で、「できない!」とわめけば「ナンダあの子は!」「わがままだ!」というレッテルを貼る。いい加減にしてくれよ、トラウマ(古傷)が疼く・・・。

《ワタシのトラウマ》実は、息子は小学校低学年まで妹が今いる小学校(普通学級)に在籍していたのだ。25人クラスが二つしかない学年だったし、この時はさほど健常児との知的な差はなかったから先生の目も行き届くだろうと思っていたのだが・・・「お宅の子、一人だけ見てるわけにはいかない。」とまあ正直に言えば(厄介者扱い)を受けて特殊学級のある学校へ移った経緯があるのだ。しかしなんだね、特殊学級に行っても、結局は(健常児者の都合)に合わせなければいけないのかい?

(健常児者と同じように出来ない)から、特殊学級に移ったのに、これでは意味ないじゃないか?実は(今回はこのフレーズ多いな)6月18日の記録でも愚痴っていたのは、今回と同じパターンだったのだ。もう〜、ここではっきり学校側に訴えなければ、【ずっと(健常児者と大人の都合)に特殊学級の子供が無理やりあわせさせられてしまう】と危惧したのだ。というわけで、今朝午前中、息子の学校へTELをして副校長に「もう少しこちらの事情を考慮してほしい。」とキツメに伝えた。でもTELの所要時間はたったの10分・・・。もっと色々言ってやれば良かったかも・・・。スッキリはしたけどね。

変わるべきものとは・・・もうおわかりでしょうか?「頭の中身にハンデを抱えている人達」にも、“それなりの配慮”をしてほしいって事です。よく【健常者と同じように何でも出来るように訓練する】という考えもあるが、何から何まで全部同じようには出来ません!しかしここで大事なポイントがある。“それなりの配慮”って言っても「頭の中身にハンデを抱えているのだから、何もさせないで。」とは決して言っていない。「頭の中身にハンデを抱えていても、それでも理解できるように物事を教えてほしい。彼らの能力にあったやり方で、彼らの歩みに添った形をとって、彼らと向き合ってほしい。」

【愛をもって彼らに接してよ。頼むよ・・・。そこに愛が欲しいのよ・・・。】

※6月19日、八王子の山奥にて。息子撮影。 ※100万画素の古いデジカメで撮りました。
※山奥でも暑かった・・。 ※日帰り入浴もしました。

(H17年6月30日記録)