野島ドラマなんだからさA・・・『愛という名のもとに』(細かく突っ込みすぎか?)(1992年フジTVにて放映)

このドラマを一言で言うと、大学時代同じクラブ(ヨット部)で共に汗を流し感動を分け合った仲間達が、卒業後別々の道を歩むも(マア、お互い色んな事あっっちゃってさー)て感じで数年後再会し、更に仲間同士で色々あり過ぎちゃって困っちゃう〜、・・・て感じでしょうか。ワタシは学生時代女子ばっかりの環境だったから【こういうのよくわかんないや。】とリアルタイムでは観ていなかったな、話題になっていたのは知っていたけど。

でまあ、今頃になってこのドラマを観て【あの頃、君も若かった〜♪】なんてメロディが頭に流れていたんだけど・・・・大まかなストーリーはここでは省いて最終話あたりの事を説明しよう。

登場人物のノリ(女)が、ジュン(男)の子供をみごもったんだけど、「今のジュンじゃダメなの。」と一旦離れて身重の癖に喫茶店に勤めたり(一体いつまで勤めることができたのだろうか?)、実家を出て自活したりとてきぱきしだした。それを見ていて己の不甲斐なさであせっちゃっうジュンくん。悶々としているとジュンの前にめがねのおじさん(障害者福祉センターの職員さんか?/ボランティア募集に区役所にやって来て煙たがられているんだけど)が現れ、最初反発しながらもいつの間にかボランティア活動に目覚めてしまう。

そして担当したのは『病気で耳が聴こえない女の子』で今5才で一言も口が聞けないけど、【少しでも望みのあるうちは、普通の小学校に入れてやりたい】なんて感じで言語訓練をするのだが・・・、おいちょっと待て。

まず第一に疑問に思ったのが【5才で全然話せないのに、『普通の小学校』へ進むことがその子の幸せにつながるのか?】で細かく箇条書きにするとこうなる。

@5才の段階で一言も口が聞けないのに、ちょっとの訓練でペラペラしゃべることができるかい?つーの!!

A普通の小学校へ入ったからといって皆と同じように言葉が流暢に話せる保障ないじゃんか!それどころか【言葉の遅れ】は学年があがるにしたがって更に広がっていくぞという懸念。

次に疑問に思ったのは【ドラマとしての“安直な設定”】だった。

Bそもそも普通の小学校へ行かせたい覚悟がある親なら、子供を大学病院か専門の療育センターに通って専門家による言語訓練を受けるべきでしょ?(ワタシはそうした)どっかからスカウトしたボランティアがする課題ではないでしょ!

Cしかも素人に言語訓練なんかできるかい!

ワタシの高校時代の友人は大学院に進んで更に専門の勉強を何年もして【言語聴覚士】の資格を取って大学病院に勤務している。大概の【言語聴覚士】は勉強と研鑽を長年重ねて技術を身につけ、地道に努力して対象児者と向き合っているだろう。それをさ、何にも知らない素人がにわか仕込みでそういう振りしているんだもの、笑っちゃうよね。本職の方達があのシーン見たらなんて思うのかな?

でさ、お約束通り約半年というスピードでその女の子はジュンの言語訓練を受けたおかげで話せるようになって皆うるうる感動〜!!子供もちょうど生まれてノリとジュンは(もう大丈夫)なんてお互いの愛を確かめ合うのであった・・・・てか。

素人が半年ちょっとの言語訓練しただけで対象児が“あ・あそこまで話せる”なんてありえな〜い!!

一番シャクにさわるのは・・・とある男女のエピソードを感動深くまとめる為に(ありえない設定)をスパイス代わりに使うなよ!!

まあ、それこそがTVドラマの醍醐味だと言われればグウの音も出ませんけど。

話はずれるが、(このせまっくるしい国を飛び出したくてしょうがない)と仰っていた“鳥の様に翼を広げて自由に空を飛ぶような自由奔放な”トキオを見ていて、妙に「むっ」としていたワタシ。こんなセリフを言いそうな人物が身近に実在していたよーな気が・・・。その実在の人物、“本当に仲間を大切にする方”で、たまに自分の実家に帰ってもすぐ“昔の仲間”の所へ出かけていきがちだった。また見た目が愛嬌があって愛想がよくて、皆には慕われていたよーな・・・。その実在の人物にあえて文句を一言、ここにこう書いておこう。

おい、親さびしがってるぜ。(苦笑)

(注意:このTVドラマに出てくる人物とはまるっきり関係ございません。)

(H17年8月4日記録)

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(壁紙はこのTVドラマの主題歌のイメージに合わせました。涼しそうでしょ?)