▽イージオール▽


 「イージオール」 
〜〜〜 ̄▽ ̄〜〜〜


「お−ぃ藤江−−−ッ長すぎるぜ!」

「長すぎる」と言えば、どれほどの年月が経ったのだろうか。オールを置いてから(丘に上がってから)、30数年が経った。されどたかが30年。「何もかわっていない」と言えば変わっていない。手のひらをジッと眺め入っていると、
豆こそきれいに消えているが、当時の映像が映し出されてくる。
 外部環境は変わったが、内面は変わっていない。そうそう人間の内面など変わりようがないであろう。
 □〜〜〜〜〜▽〜〜〜〜〜▽〜〜〜〜▽〜〜〜〜〜▽〜〜〜〜□

波間に浮かぶブレード、浮いちゃイカンのであるが、浮いてくる。「浅い!」と舵手席からOBの怒号。「そうだ、そうだ、その深さ、一気に、その泡だ!」サンザン漕いだ(漕いだと言えない、漕がされた)挙げ句、艇を岸につけ、「深くこれ位の深さ、深すぎてもイカン、最後こう胸までオールを引き切れ!」先輩の模範に続き、「つぎ、河口」「つぎ、鈴木」「つぎ、上田」・・・。
 「そうだ、そう引くのだ、そう!その泡だ!」とオールを引いた後に水面下からブクット盛り上がる泡を見ろと先輩は口角泡を飛ばす。何十本に一本、「それだ!」と言われるが、泡を見たって全部同じ泡に見える。胸までオールを引くと水からオールが抜けない。
岸で漕ぐ方がオールが重く、思うように引けない。当然だ、艇が固定されており、抵抗がオールを伝わってもろに腕に、肩に、腰に、足にくる。足にくるなら正しい漕ぎ方である。
腕だけがこわばってくる。足で漕ぐのだと先輩から教わる。オールで受けた抵抗を足まで支える背筋、腰の力、全身の力のない1年生にとって「足で漕げ」と言われても、足で艇を漕ぐということが解らない。出来ない。そもそも握り(握力)が続かない。
 これで練習完了と思いきや、艇庫の前の空き地でストレッチャーを漕ぐ、野球で言えば素振りである。オール(50cm程に切ったもの)を握り、何百本とストレッチャーを漕ぐ。
艇の上で水をかくより違ったきつさを感じる。肩がこわばり腕が落ちてくる。「腕あげて!」厳しい先輩、OBの声!艇の上と同じように、 
「パドル行こう、さぁ行こう」・・・・・・「ライトパドル行こう、さぁ行こう」・・・・・・
(何十回かにこの繰り返し)・・・・・・・・・・・「イージオール」。

 

この「イージオール」をどれ程待つか。パドルとはレースと同じ全力での
力漕。「ライトパドル」とは7割ほどに力を落としレースをイメージしながら漕
ぐ、「イージオール」とは「漕ぎ方やめ、オール上げよ」の漕艇用語である。   
「easy oar」である。「easy」とは「だらしない」とか、「安易な」
「漕ぐふり」とかの意味があると教わったものである。パドル「paddle」
とは、カヌーでも言われる水をかく「かい」のことである。
(確か全日本優勝の樫村先輩だった)。そしてまた、「パドル行こう、さぁ
行こう」と繰り返す。「イージオール イージ」でやっと練習完了だ。しかし、
これで終わったわけではない、クラッチ(オールと艇との接点部分の金具)につ
いたグリースを奇麗にふき取り艇を艇庫に格納し、整理体操をして初めて練習完
了である。艇は彼女、いたわってやらねばならない。

 冒頭の長すぎるというのは、「パドルが長すぎる、勘弁してくれよ」というコッ
クスに対する訴えである。しかし実際、声を出してコックスに言うわけではない。
コックスに対する反抗は許されない。コックスはレース中、漕手の能力を見極め、
疲労度を意識したピッチで艇を進める責務を負っている。100%選手の体調を
知らなければならない。しかし練習中は違う。長く長く、漕手の体力の限界を超
えて漕がせる。コックスが同期の藤江には言ったことがあったと思う。あまりの
パドルの長さに耐えかねて。「バッキャロー、コックス席で、ネテンジャネェゼ!」、
今の若者ならこうであろうか。コックスは極めて重要な役割である。
  実際コックスが、ボゲットしているととんでもない事が起きることがある。
 我が失敗の苦い思い出である。3年次の夏、後輩艇のコックスをつとめながら指
導中のことであった。コースを中央よりにとって進行中、先方から「無フォア」が
こちらに向かって全力で疾走してきたことがある。中大艇だったか、直前になるま
で気づかなかった。漕手たちの背景に忽然と相手艇が現れた。こういう場合、オー
ルを引かせないといけないにもかかわらず、「オール引いて」が言えない。びっく
りすると人は声が出なくなるものでもある。急旋回の舵を切るのが精一杯であった。
体調が悪く感度が鈍っていた時期でもあった。相手艇は「無フォア」、すなわちコ
ックスの乗っていない艇である、若干急旋回してきた感があったが、回避の責任は
こちらの「コックス付」側にあった。

  命にかかわる事もある。その年の春、確か一橋大のエイトだったと記憶するが
荒川でのロング練習中、杭に側面をえぐられ、何名かのオアズマンの命を失う事故
が起きていた。
 岡山大での春合宿の最中にニュースを耳にし、旭川に黙とうを捧げた。それ程コ
ックスとは大事な難しい役割を担うのである。本論に戻ろう。

 
 OBの指導に対して、「OBは楽だよな!言うだけだもんな」など、今の多くの若者が言いそうなことは言わない。誰も。当時の?若者は素直だったし、それ以前に先輩・OBと後輩の力や技術・力量の差は歴然だった。休日も返上で、後輩現役選手のための指導に戸田まで駆けつけてくれる先輩OBに、そんな言葉など誰も発するわけがない。正確に言えば、「選手の卵の指導に」というべきであろう。漕ぎ切れれば指導など要らない。オールが浮いてこなければ指導などいらない。オールを初めて握る1年生部員にあの馬鹿でかいオールなど引き切れるわけがないのである。
 オールを引き切れること自体に尊敬の念さえ覚えていた。100m、200m漕ぐのにもう限界感を痛感する。これでレースは2000mと聞くと、気が遠くなる。漕げるようになるから心配するなと諭された記憶がよみがえってくる。樫村先輩だったか。
 
汗の臭いのプンプンとする汚い部室で、良くミーティングを行った。わが漕艇部は民主的であった。イギリス発祥の紳士のスポーツと言われたせいか、伝統的にしごきなど一切なかった。しごきのようなそんな非合理的練習では勝てないスポーツなのである。言いたいことを本当に言わせてくれた。合宿中の部誌には思うことを書かせてもらった。今で言うディベートも自然とやっていたと思う。しかし、この当時から連帯責任、団体責任という
事を常々言われ、これだけは徹底的に指導された。今日的課題である「組織と個人」の関係を漕艇部で学んだ。自由とは何かを良く議論した。「規則あっての自由だろ」と先輩から語られ、気づきもした。西川先輩、清水先輩ありがとう。

 また食当も選手も同じなのだと言うことを徹底して指導された。食当とは、食事当番の略であり、選手の練習中、合宿所で食事を作る役目を担うのである。1年生部員や先輩でも故障者がその当番にあたった。時には女性マネージャも合宿所にきてくれ食当やってくれた気もする。食当が食事の準備をしてくれなければ、選手達は練習に集中が出来ないのである。裏方の任務の重要性、自分も他の者も食当を何度も行ったし、この思いを体得し、肌に擦り込んだ。限られた予算の中で如何に良い食事を作るか腐心した。材料の買い出しから行うのであるが、肉が充分に買えず、部誌には「肉、肉…」の文字が並んでいた記憶がある。(遠藤先輩、マネージャーの・・・女性3名 すまん名前忘れた。ありがとう。)

 シーズンオフは12月初旬から1月3日までであり、あとは試験前1週間以外ほとんどフルに練習だった。火曜日〜金曜日は大学内で筋力トレーニング(月曜日は休みだった)。
土曜日の午後と日曜日は実際の漕艇練習。365日中120日程度を合宿所で過ごした。
自分としては2年次に「シングルスカル」で全日本ジュニア選手権2位、お花見レガッタの「付フォア」優勝が良い思い出である。ミュンヘンオリンピックを目指したと言えば格好が良いだろう。スポーツ人口の少ない漕艇では、少し頑張れば可能であった。夢は持っていたが、夢だけでは実現できない。 

 しかしわが漕艇部の全日本優勝は2度。1度目は3年先輩と4年先輩で組んだ「付ペア」(樫村先輩、樋熊先輩、コックスは建部OB)。2度目は13名の同期中、3年次まで残った3名のうち自分を除く他の2名が漕いだ「付ペア」の関と近藤、コックスは1年後輩の福原だった。
 その夏小生は風邪をこじらせ、夏合宿には遅れて参加し、食当に徹していた。関と近藤の優勝にはうれしかった。真からうれしかった。関の漕ぎとガッツには何の心配もなかったが、時に弱気になる近藤の漕ぎに心配な面があった。直前の練習まで、後半バテルとオールが腹に落ちるのである。すなわちフィニッシュが浮くのである。
 この点をレース前日のミーティングで指摘した(同期ではあったが、関から頼まれ練習中の漕ぎの状況チェック、すなわちコーチ役を担った記憶がある)。
 全日本選手権決勝当日のレースでは近藤はフィニッシュまで水をきっちり掴んでいた。1500m辺りで優勝を確信した。本当にうれしかった。自分が優勝してもああはうれしくなかっただろう。食当の者もすべてチーム仲間との意識でいた、漕手でなくとも優勝チームの一員なのである。皆そう本当に思っていた。皆が跳ね上がって喜んだ。OBも喜んだと思う。
スポーツの感動はここにある。
 
 打ち上げの席で先輩OBから「風邪引かないこともオアズマンの条件なんだよ」と言われ、「ハイ、そう思ってます」と応えた記憶がある。真にそう思っていた。一応一人前のオアズマンに成長していた。

時はさかのぼり1年次の冬12月だったと思うが、戸田から松戸まで遠漕
したことがあった。ここでの快感は今も忘れない。1時間、2時間、そし
て3時間、4時間もっと漕いだかもしれない、ぶっ続けで艇を漕ぎつつけ
る。しかもナックル艇である。1年生にshell艇(レース用の艇)など漕が
せてもらえない。重い。汗もかれ、塩がふき、塩も落ち、疲労を超えて快
感が走る。1年次、皆とわいわいやっていたこのころが一番楽しかったよ
うに思う。
    2年次、シングルスカルに転向した。1人荒川で練習に励んだが、きつ
かった。何がきついと言って、止めようと思えばやめられる事、これ以上
きつい練習はない。言われるとおり皆と一緒にやる練習などいわば誰でも
やれるのである。言われたとおりにやり、限界がきて疲れればへこたれれ
ばよいのである。Row out(気絶)それしかない。
    1人程きつい練習はない。特に荒川での練習はきつかった。あまり無理
すると命にかかわるという意識もきつさのベースにある。2年次になると
滅多にないが、オールを水に取られて、手からオールが放れてしまい、沈
(スカルが横転し)する事がある。泳げる、泳げないにかかわらず、練習
で体温が上がり、かつ疲労した体(心臓)が急激に水没するとやがて心臓
が停止する。冬場の水温、特に春先の雪解けの水温には注意が必要であっ
た。先に述べた一橋艇の事故も雪解けの低水温によるものと言われた。
    また川での練習は常に周囲に気を配る必要がある。杭は当然であるが、  
時折大きな船が行き来する。波と艇を平行にし、水の進入を防止する。そ
の間、練習は中止である。本論に戻そう。


 それからしばらくして、事情(こじらせた風邪の結果の体調不良)により退部した。
3年次まで残ったのだからあと数ヶ月で現役卒業である。ことさら退部しなくても残ろうと思えば残れた(OBの一員になれたと思う)が、そういう気づきもなかったし、妙なこだわりと大学院で勉強しようと半ば本気で考えていたことから、貴重な先輩、同僚、後輩たちをここで失うことになってしまった。しかし先輩・OBに指導され身に付けたオアズマンシップはそう簡単には失われない。


現代的課題視点】

自分の精神形成は漕艇部を中心とする生活での内部洞察と葛藤で培われたと思う。

 やってきたスポーツにより思考パターン、行動様式は決定づけられると爾来思っており、今もこの思いは変わらない。スポーツとは型の追求であるから、体に鞭うち鍛え上げ極めた型はそうそう変わらない。ひたすら漕ぎ続けるという漕艇の型はおそらく小生の行動パターンを根っこから支えるものであろう。一見単純に見える「漕ぐ」という行為の中にも技術向上に際限はない(合宿所でドイツ語まじりの技術解説書を皆で読みながら研究したりもしたものである)。
 2000mのレース中、リレー競技のようなバドンタッチもないし球技のようにパスすることも出来ない。最初から最後までチームで漕ぎ切らなければならない。まぐれで勝つということも100%あり得ない。運が良かったということも100%あり得ないスポーツである。日頃の練習、すなわち合理的トレーニングメニューにより弱点を補強し体力と技術力の向上の成果により、チーム力を最高につけたチームが必ず勝つスポーツである(コックスの余程のミス、異変が無い限り)。個人技ということはこのスポーツに限ってあり得ない。あくまでもチーム力が問われる。
 
 昔OBや先輩から指導を受けた連帯責任ということ、団体、組織のあり方が、昔からそうなのであろうが今日も現代的課題でもある。このスポーツに置き換えて考えると理解が容易である。
・日頃の練習のあり方(練習・補強メニューづくり、部下指導、仕事の技術の伝達方法、業務マニュアルづくり、OJT、WEB研修)
・自らの飽くなき技術向上への研究と挑戦(自己啓発)
・漕手(営業、研究開発、製造部門等ライン)の役割、
・コックス(リーダーシップ、マネジメント)の役割、
・食当(スタフ、支援部門)の役割、  
・マネージャー(トップとの折衝、総務、経理業務、コンティンジェンシープランづくり)。

 

→先輩の馬場マネージャーには大学当局との折衝(予算確保)、艇の借用調達(練習艇
に不足しており慶大、早大などへ良く艇を借りにいった)、合宿場所の確保折衝(当時
合宿所はなく民家の部屋を借りていた)などの総務、経理業務、そして練習時の漕手
の代役までありとあらゆる裏方に徹して頂いた。それでも漕手はブツブツよく不平を
馬場マネージャーにぶつけていた気がする。今は反省あるのみです。馬場先輩の故郷、
長野の虫食いリンゴうまかった。
 【参考記録】自らは合宿予算捻出とトレーニングのため、クロネコ大和のデパート
配送所に夏合宿前の20日間をアルバイト勤務した。2年間実施したがこ
れは良いトレーニングとなった。クロネコ、小さな運送会社から成長した。
 7月後半〜8月31日までの合宿費用は15,000円だった。
  (参考:1年次の小遣い:月5,000円、卒業時の初任給:月額53,000円)


・そしてそれらが一体となりチームとして勝つための有りとあらゆる事柄(OBによる激励、家族への応援依頼、財力支援、神頼みの差し入れ<ビフテキとカツ>、そして 合宿所を提供してくれた大野さんの奥さん差し入れの蜂蜜レモン、お陰で関・近藤勝てた。)
 
 「レースで艇を並べた時には既に勝敗は決まっているんだよ」と建部OB(コックス出身)
から指導を受けた記憶がことさら思い出される。 
 
 当時我々後輩はこのようにOBや先輩から技術を引き継ぎ一歩一歩向上していくというステップを経て成長していった。
  まずオールの引き方を教わらない限り、オアーズマンにはなれずレースにも出場できないのである。現代のビジネス社会に置き換えて考えてみると、課題はレースにエントリーできない者が増えてきていることにあるのではないだろうか。
ITを使えるという技術ではない仕事を進める技術である。上記の(練習。補強メニューづくり、部下指導、技術伝達・・・等)ここが疎んじられていると思われてならない。現場でのトレーニング実習だ。

  オールが引けなければレースに出場はできない。仕事遂行上の技術とITの技術とが大きく混同されている気がしてならないのは小生だけであろうか。
 特に他者との関わりの中で仕事を進める技術とITを活用する技術は全く別物である。
 仕事を進めるにあたりIT技術を使うが、仕事の技術とはITの技術とは次元を異なり議論されるべき事柄と考えられる。仕事の技術向上の前提は相手(対象)を知ると言うことではないだろうか。

 漕艇の場合は艇を目標とする位置に進めるために水のキャッチ方法を知り、無駄のないオールさばきを実践し、2000m漕ぎ切るだけの体力のもとに、速く到達位置に達するということである。水のキャッチ方法(外部対応)、無駄のないオールさばきの実践(外部対応、内部対応)、体力のもとに(内部対応)、速く到達位置に達する(目標)。ここでもアージリス理論が生きる。 
 オールがスクリュー艇に変わろうが、ジェット推進の艇に変わろうが目標達成の技術はスクリュー技術、ジェットエンジン技術とは違う別次元の技術であることは歴然である。操縦技術といっても良いだろう。どんなに快適で速くとも未熟な操縦技術者のコンコルドには誰も乗らないだろう。対象が水や空気すなわち艇や飛行機という機械でさえそうなのであるから、相手がお客様の場合はもっと歴然である。

【ボート競技をご存知でない方のために参考に添付します⇒体の動きをご理解ください。】

ちなみに漕艇の場合の操縦技術とは、コックス、漕手そして艇が一体となっ
て、エイトであれば8本のオールの総力の最大値をロス無く水に伝え、反作用と
しての推力を如何に最大化するかというところにある。そのためには「みずすま
し」のように一体になる必要がある。他者との一体感が最も重要である。全身で
力漕しながらも足を締め艇のバランスを取るという全体バランス重視がまず必要
とされ、その上で「ロス無く」とは、キャッチ(水を掴むこと)を同時にするこ
とで推力の最大化が可能となる。また水中の引き、フィニッシュも同時である必
要がある。1人でも速すぎたり遅すぎたり、またブレードの深さが違っていたり
すると推力を低減することになってしまう。これら一連(キャッチ〜フィニッシ
ュまでの一連のブレード活動)の妥当性はフィニッシュ後の泡の出方で判断でき
る。冒頭のOB先輩からの指導部分で記載したとおりです。今なら小型の水中カ
メラを8個艇側に付けて観察するようなことも可能かもしれない。人間ならでは
の操縦技術が要求される。芸術的ともいえます。

 しかし心を持った人間が相手であり生き物たる組織が相手である場合、当該組織目標達成上求められる技術は、目標達成上のプロセス技術であり、エンジン性能を上げ、速く強力に水をかき切るエンジン性能よろしければ良いという技術ではない。すなわちこの場合、ツールの技術が本質的課題ではないことは自明であります。

(コーヒーブレイク)
 また組織とは人の集まりでありますから、対象相手は人であります。人の構成
分子の70%は水であると考えてみると、我が漕艇で培った推力を生む方法は実
は同じなのかもしれない、水は生き物であり、水を怒らせると怖いのも似ている。 
このように思ったりなどもしております。

 一方非創造的、非人間介在の破壊行為はツールの技術性能だけが本質的に問題となる。したがってここでの議論の対象ではないが、両極にあるものとして認識しておく必要がある。原爆等戦争につかわれるツールを想像すれば解り易いだろう。落下点の超上空からただ離しさえすればそれで何百万人の命を殺傷することが可能だ。それは水爆の技術性能さえ上げればいとも簡単に実現できる。しかし同じツールでも平和利用の原子力発電は逆に超綿密な 操縦技術(操業技術)が必要だ。

 技術というものをこのように明確に分けて考える必要がある。混同は人類を不幸に陥れる。したがって客先の課題へのソリューションを提案において、プロバイダーたる者の責務は客先の客先のその先の客先のニーズまで視野に入れておく必要がある。そうでなければ真に創造的ソリューションプロバイダー足り得ない。
また社会貢献に値しないと考えるのであります。
 
 特に営業技術(顧客対応、介護サービス等人を対象とする広義の技術)さえITに代替えが可能のような誤認がある点は、ゆゆしき風潮と思えてならない。
これら誤認がIT技術に詳しい若者がITに疎い高齢者に仕事遂行上の技術すなわち本質的プロセス技術を学ぼうとしない風潮に拍車をかけ、わがままで自己中心的人間を現出する元凶となっているのだと考えられます。これは何もIT技術に関してのみならず他の技術領域についても言える事であり、さらに技術領域を超えて歴史や文化、言語、倫理規範等の継承上の危機感として把握されるべき課題でもあるとも考えられます。しかしながら上に述べた技術についての本質的誤認識、中でも人は情報によって認知を深めるという意味において、決定的に重要であるはずの情報通信技術の進展に関する正しい理解に基づく社会的、政治的、文化的、市民的な価値共有すなわちいわば国家ビジョン構築がなされないまま、野放図に技術進展を許していることが、「良き」につけ「悪しき」につけ継承とい
うものを断絶するものとして作用を強めてきていると考えられる。
 
  ただし今や鉛筆やボールペンと同じ感覚で使えなくてはならないITを使えないことには話にならないが(実は誰がそう判断するかが問題ではあるが、「ニーズ変容」部分で後述します)、これもツールであり、デジタルデバイド問題として大きな課題ではあるが、本質的課題とは異なることを明確に分けて認識しておく必要があります。
  特殊な一部の者が使えさえすれば良かった技術から、一般大衆にもその操作が求められる技術へと社会生活上の「ニーズ変容」が進む場合の弱者対策である。
特にそれが高齢者である場合には特に深刻な社会問題と考えるべきである。なぜならば、高齢になればなるほど使いにくく高齢者が暮らしにくい社会や国家が長続きするとは考えられないからである。その意味での技術向上が望まれ、その意味での技術力の向上の見込めない技術は本質論からすれば社会的に不要な技術と考えられ捨象されるべきと考えます。また必然そうならざるを得ないと考えるものであります。
 つまり時間が高齢者にとって味方でなくては、安定した幸福な社会とは言えないだろう。若い人も、時と共に老いるという必然を考えるまでもなく、安心して暮らせない社会ということになる。時間の本質は人にとっては成長や癒しでもあるが、老いであり無への回帰なのである。
 今の日本の現状をどう認識、表現すればよいのだろうか。

 なお上記ニーズ変容とは実は誰から見たニーズなのかと言う点が重要で、産業者のニーズか生活者のニーズかが最近問われ初めてきいるところである。したがって企業活動の原点を問い直す時期にさしかかってきているとも言えるだろう。
産業者の構成員も生活者であるという気づきが求められる。


▽再び漕艇、そして今▽ 


 
ある日曜日の荒川での練習、小生のシングルスカルの早々とした、しかし予定通りの練習からの引き上げに対し、建部OBコックスのエイトクルーが、陽が落ち、真っ暗闇になり数時間経っても上がってこず、警察に捜索願いを出した夜の事が、今鮮明に蘇ってくる。
馬場マネージャーが戸田橋派出所に走り、荒川沿い所轄の警察署に連絡をしてもらい、待つしかないと樫村先輩と小生が荒川の船着き場で気をもんでいるところに、声も無く帰還したあの時のエイトクルー、今も元気か!そして30年を経てどこで何を目指しやはり漕ぎ続けるのか。 

 そして我が艇もいづこへ舵を切り、どう漕ぎ続けるか、これからが正念場である。

外部環境は大きく変わっても、やはり今も連帯責任、組織や社会やそして国を意識せずに
漕ぐわけにはいかないだろう。何よりも今は家族のためにも。しかし子供たちは大きくなった。下の長男は来春大学1年生、小生がオールを握った年齢に達する。 

 一方の親は30年間のパドル、長い長いパドル後の、今一時の「イージオール」である。