「あ……。ヤバ……」

 朝の教室内。あと10分程で担任教師が現れ、ホームルームも始まろうかという時間にな
     かみや               しいな いすみ     つぶや
り、私立華宮男子高等学校2年B組・椎名伊澄は小さく呟きをもらした。

 どうしようかと頭を抱えてみるが、そんな事をしてみても意味は無く、ヨシと勢いをつけて席

を立った。



「?…椎名?どした?」

「俺、早退するわ」
 いぶか                         にが
 訝しげに声を掛けた隣の席のクラスメイトに、苦笑いで答える。

「マジで?何で」

「う〜…ん、体調不良……?」

「ハ……?(なんで疑問系!?)」









コンコン

「はい、どうぞ」
                ありす しおる
 華宮高校保険医である有栖汐瑠が、ノックの音に返事を返すと、そぉっとドアを開けて
             のぞ
見知った人物が顔を覗かせた。



「おじゃまします……」

 ……普通ここは、「失礼します」だと思うのだが…。

「あれ、椎名君。…どうしたの?」

 有栖は、「おじゃまします」って……!とツッコミたい気持ちを押さえて、問い掛けた。少し

半笑いだ。



「ええ……と、体調が悪くて。熱…熱っぽいというか、だるくて。……早退を…」

「…?」

 椎名の、たどたどしいを通り越して挙動不審なまでの雰囲気に、有栖は首をかしげる。

 彼とはマンションが一緒なため、学校外で顔を合わせる事の方が、むしろ多いくらいなの

だが……。こんな挙動不審な人物ではなかったはずだ。このままでは、隣で監視カメラを確
                  きさきなおや
認しているであろう理事長の后尚也が、不審に思って様子を見に来てしまうかもしれない。

 ちなみにこの保健室と、今学期から隣に移動して来た理事長室の間には一枚の扉が作

られ、廊下に出なくても二つの部屋を行き来できるようになっていた……。


              はか
「じゃあ、とりあえず熱を測ってみようか」

「え゛…あ、ハイ」
                        ますます
 疑問に思いつつも体温計を手渡すと、益々不審な返事が返ってきた。



(これは、もしや……;いや、生徒を疑うのは良くないよね。もう少し様子を見よう)









(マズイな……)

 椎名は困っていた。

 何がって、体調不良など、ただの仮病だからだ。


            なん
(だが俺は、今日は何としても帰らなければならない……)


       かた    にぎ  し                    あら
 椎名は、固く拳を握り締め、この局面を乗り切る決意を新たにした。









pipipipi pipipipi…

 体温計の電子音に、机上の書類から顔を上げた有栖が、その場に座ったまま問い掛け

た。

「何度?」

「えーと……」
                       
 一応確認してみるが案の定、36度7分。完全な平熱だ。しかし、今日の椎名はこのまま

正直な数字を答える訳にはいかないのだ……。



「38度2分…です」



「………」



(え!?なんか俺、ダメだった!?)

 ダメといえば、もう、最初から色々ダメダメなのだが……。


        あわ                        びしょう
 目に見えて慌てだした椎名の様子に、有栖はクスリと微笑をもらす。

「へたっぴ」

「え!?」
                    びねつ
「そういう時は、37度5分くらいの微熱にしておくんだよ。どう見たって、そんな高熱あるよう

 に見えないんだから」


                       いす                        ひたい
 有栖は、言いながら立ち上がると、椅子に座った椎名の前で立ち止まり、そっと額に右手

を伸ばした。

「ほら、ない」
                                          ほほ こうちょう
 額に手を添えられたまま、目の前でニッコリと微笑まれ、思わず頬が紅潮してしまう。
                                   あらた
 椎名は、有栖がとても可愛らしい顔立ちをしている事を、改めて知った。一つ一つの整っ

たパーツは綺麗だが、全体的にやはり可愛い。


                                けびょう        よそお
 一方の有栖としても、大人っぽい外見に見合わず、仮病一つもまともに装えない様子の

椎名が、可愛くて仕方がない様だが。



「どうした?…学校つまんない?」

「イヤイヤイヤ。そうじゃ…なくって」

「ん?」



(ん〜〜、どうすっかな……。もう、しょうがないか…)
    かし
 首を傾げてくる有栖に対し、ここまで来たら仕方がない、と真実を話す決意をして口を開

いた。

「実は…、今日から始まる再放送の時代劇がありまして……。録画予約をし忘れていた事

 にさっき気付いて」
                      あっけ          またた
 理由を話し始めた椎名に、有栖は呆気に取られた顔で瞬きをし、
       はっぴゃくやちょう
「それって、『八百夜町夢物語』?」

 と、聞いてきた。


         さと め こう た ろう
「えっ?はい。里目浩太朗の……」

「俺も好きだよ、里目浩太朗」

「え!!マジですか!?」

 有栖は、椎名の勢いに「うん」と答えながら笑った。

 こんな所に、こんなマイナーな趣味が合う人が居たなんて!なんだか嬉しくなってしまう。



「じゃあ、家に帰って録画予約したら、また学校に戻って来なよ。保健室で寝てたって事に

 しておいてあげるから」

「っいいんですか?」

「いいよ。『八百夜町夢物語』は俺も大好きなんだ。最終回、泣けるぞ」

「ありがとうございます!」
    ひざ
 頭が膝に付かんばかりに礼をしてから、ドアに向かった椎名に「あ、そうだ」と、有栖の声

が引き止めた。

「はい?」
                      てのひら            びん   あめ
 振り返ると、有栖は、机の上にある 掌 程の大きさのガラス瓶から飴を一つ取り、椎名に

手渡した。

「はい、仮病記念」

「け…、けびょ……。ありがとうございます…;」








           みちのり                      なが               いっ
 マンションまでの道程を歩きながら、椎名はボンヤリと空を眺めていた。先程の有栖の一
きょいちどう 
挙一動が、頭から離れない。
                           はず
 自分の通う高校の保健医であり、男である筈の有栖にときめいた自分を自覚していた。


               り さ こ            いた
(いや、ないない。俺は理沙子という彼女もいる、至ってノーマルな男だ。それはないっ)

 しかし、ふと
     いづる     けいすけ
(でも、出流ちゃんと慶介を見てると、別に男同士でも良いような気がしてくるよなぁ……)

 とも思ってしまう。



(いやいやいや、ないないない!俺はないって!いかんいかん、男子校マジックか!?)

 それに、有栖の後ろには理事長の存在がある。未だ二人の関係性は謎だが、有栖に恋
            しょうがい
をした場合の大きな障害になる事は間違いないだろう……。


       た                       やぶ
 はぁ、と溜め息をつき、有栖にもらった飴の袋を破り口に入れると、ほんのり甘酸っぱい

レモンの味が広がった。








◆END◆




2006.7.18

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Virus 〜Prelude