「類似作品について」 

作者名 作品名 コメント(投稿者・投稿日付)
しりあがり寿 『他所へ‥(よそへ)』

〔リトルボーイ´88bR掲載〕

斎藤が見たのは実力派どうしの作品です。ひとつは『他所へ‥(よそへ)』。これは傑作でした。もうひとつは『あなたがいるなら』です。事件事故にまきこまれたカップルが二人で一体のロボットになって、切り替えレバーで交代に目覚めながら生きていくという話で、前面にレバーのある真四角で不細工なボディ、その上に二人の顔。もろに関連があることはまちがいありませんが、西炯子クラスの作家が安易な模倣をやるわけもないので、これはオマージュに間違いないと思いました。が、コミックスではどこにもその記載がないことに少々ひっかかりましたけどね。(斎藤いつきさん・99/10/21)
西炯子 『あなたがいるなら』

(「さよならジュリエット」収載)

土田よし子 『つる姫じゃ〜!』 設定は違いますが、ほとんど同じお話がいくつもあります。『つる姫じゃ〜!』と似たギャグ漫画は多いようなので、よほど影響が大きかったのでしょうか。(まりえさん・01/07/15)
たちいりハル子 『パンクポンク』
細川智栄子 『王家の紋章』 YOPPYさんのカキコを読んで思い出したのが、『王家の紋章』と『天は赤い河のほとり』のこと。『天赤』のあらすじを聞いた時には「話王家といっしょじゃない??」と思ったけれど、読んでみたらずいぶん印象は違いました(あ、でもこれも途中までしか読んでないや)。こういうのは「同じ素材で違う料理を作る」って感じなんでしょうね。(めぐみ・99/10/21)
篠原千絵 『天は赤い河のほとり』
萩尾望都 『イグアナの娘』 萩尾望都先生の『イグアナの娘』と高屋奈月先生の『フルーツバスケット』(正確には第23話)は、共通点が多いです。
『イグアナ…』のリカの母親は自分の目にはイグアナに見えてしまう(自分も魔法使いに人間にしてもらったイグアナだった)娘のリカを嫌い、ちゃんと人間の女の子に見える妹のマミばかりを可愛がり、『フルーツ…』の紅葉の母親は、異性に触られると兎に変身してしまう息子の紅葉のことを(紅葉の母親の場合は我が子を生んだ記憶さえ)拒絶し、普通の子の妹のモモばかりを可愛がっている点はもろに共通しています。
でも、リカは父親が味方になってくれて、母親の行いも改めようとしてくれていて、結婚運にも恵まれていたけれども、紅葉は父親も自分の妻と娘のモモちゃんばかり大切にし、「家庭を守るため」妻からわが子の記憶を消し、「ママの分も紅葉を可愛がる」といっていながら紅葉とモモちゃんが仲良くすることすら禁じています。(実は父親が一番紅葉を疎んじている?)どちらかといえばリカの方が家庭運に恵まれていると思います。でもドラマのリカの母親は自分がイグアナだということを忘れていたけど、原作のほうのリカの母親は自分の正体をちゃんと知っていたから(そのことをにおわせるラストでした)魔法使いに頼んでどうにかしてもらうことも不可能ではなかったと思います。そうしなかったのはリカに対する精一杯の愛情表現からでしょうか。(単に夫に自分の正体がばれてはいけないからじゃないのか)みなさんはどうお思いですか。( リトルホワイトさん・04/10/20)
高屋奈月 『フルーツバスケット』
東宮千子 サクラサク百花寮 先日古本屋さんで『サクラサク百花寮』を買ったのですが、これが『花ざかりの君たちへ』とそっくりなんです。男子寮に女の子が入寮するところとか(間違いとかではなく)、同室の子とごく一部の人を除いては、みんながその子を男だと思っているところとか。高校の名前も同じ「桜咲学園」だし。(読み方が「おうしょう」「おうさか」と違うけど。)細かい設定やエピソードなんかはもちろん違います。でも今まで気に入っていた「花ざかり…」が、急に物真似っぽく見えてしまって。好きだっただけによけいショックだったんですよね。こんなのアリ?って思いました。裏切られた…みたいな。東宮先生サイドから文句が出なかったのかなあ、なんてことまで考えたり。こんなことはよくあるのかしら。(YOPPYさん・99/10/21)
中条比紗也 『花ざかりの君たちへ』