新田菜穂子の受付観察日記




雨の日の来訪者。

                            某月某日 雨。



いつもよりちょっと遅れてやってきた田中館長が、

扉を開けて外へ向かい何事かを言っていた。

「誰かいたんですか?」

尋ねると、田中館長は柔和に笑んで、

「小さなお客様ですよ」

と答え自宅の方へ消えた。

猫か何かだろうかと思って様子を見ようと近づくと、

バスタオルを持って戻ってきた田中館長が、

そっとしておいてあげてください、

と人差し指を口にあててきた。

釈然としない気分で持ち場に戻り、待つことしばし。

ずぶ濡れの少年が躊躇いがちに扉を開けてきた。

制服を着ているところからすると、中学生、いや、高校生か。

「すみません」

おずおずと口を開いた少年に私が答えるより早く、

田中館長がバスタオルを高校生にかぶせる。

「待ってたよ。あっちでココアでも飲もうか」

後は頼みますとこちらに告げ、

会心の微笑みとともに事務室へ消えていく田中館長と少年。

その後ろ姿を眺めながら、

面白いことが起こりそうな予感に1人ほくそ笑んだ。





天の岩戸。

                    某月某日 久しぶりの晴天。


お昼休みの後持ち場に戻ると、

田中館長が不機嫌を絵に描いたような顔で資料室に入っていった。

また喧嘩だろうか。

今朝がた館長のお父様である宗治郎様が

お仕事から戻られているらしい、と

警備員の風見さんから聞いていたから、

多分一戦あるだろうとは思っていたけれど。

これはまずい。

下手をすると完全にボランティア残業だ。

何しろへそを曲げると資料室から出てこなくなってしまうのである。

これは是非とも天の岩戸から出てきてもらわなければ。

「それにしても、何で毎回飽きもせずに衝突するのかしら」

呟いてみたものの、そんなことは当人たちにしかわかるはずもない。

とにかく、今は出てきてくれるようなものを考える方が先だろう。

事務室にあるお茶請けの数々を思い浮かべながら、

「御用の方は呼び鈴を」のプラカードを立て、

私は1人事務室へと向かうのだった。





和みのお客様。

                          某月某日 晴れ。


あの雨の日以来、

あの高校生がちょくちょくこの美術館に現れるようになった。

田中館長もあれでなかなか忙しい人でいないことも多いのだが、

学校帰りの出で立ちでやってきては作品を眺めたり、

風見さんと談笑したりしている。

かくいう私はというと、あまり会話に加わることはせずにいる。

別に会話を避けているつもりはないが、

正直言って眺めている方が楽しいのである。

華奢な身体の少年が田中さんや風見さんについて

あちこちしている姿はまるで仔犬のようで。

見ていて実に和む光景だ。

それに、私の勘で言わせてもらえば、

彼は容姿的に言っても将来はかなり有望である。

話の端々から彼が直己という名前であることは判明しているし、

もうしばらく傍観者として楽しんでから

会話に加わってみようと思う今日この頃なのである。





変化。

                      某月某日 朝から小雨。


昼下がり、いつものように高校生の直己君がやってきた。

けれども今日はいつもと何かが違う。

何だかひどく消沈しつつ、

けれどどこか高揚したような雰囲気を纏って、

誰とも会話することなく作品の方へ向かっていってしまった。

それから、何時間も戻ってこない。

大分経った頃に風見さんがやってきて、

直己君はどうしたんだろうね、と首を傾げてきた。

「さあ、私は彼と親しいわけではないので」

私も首を傾げると、風見さんは驚いたようにこちらを見つめ、

「そうだったかな?」

と訊いてきた。

私はそんなにお節介な人間に見えるのだろうか。

そんなことを思いながら曖昧に頷くと、

風見さんはそうか、と呟き顎に手をやった。

「さっきからずうっと広間の女性像の前に佇んでいるんだよ」

また親御さんと何かあったのかね、と腕を組む風見さん。

その言葉であの日ずぶ濡れになっていた理由を知ったが、

今日の直己君は

何となく初めて会った時の彼とは違う気がしたので、

どうなんでしょう、と曖昧に答えるだけにしておいた。





新しいお客様。

                  某月某日 朝から雨、時々雷。


昼過ぎにショートカットの若い女性が入ってきた。

紺のスーツ姿の女性は、

深いため息とともに会場に向かっていった。

どれくらい経っただろうか。

気がつけば雨も上がり、傾きかけた紅い陽が燦々とさしてきた。

そこへ田中館長がやってきて広間を覗き見、

「新しいお客様かい?」

尋ねてきたのではい、と答えると、

田中館長は陽のさした広間をもう一度眺め、嬉しげに呟いた。

「僕と同じだ」

何のことかはわからなかったが、

その表情を見ると彼が恋に落ちたことは明白だった。

鼻歌まじりに事務室へと戻っていく田中館長。

入れ替わるようにして戻ってきた女性の表情もまた、

先ほどとは打って変わった幸せそうな顔つきで。

またまた何かが始まる予感に胸を弾ませながらも、

若いっていいわね、と思わずにいられない一日だった。





春の予感。

                          某月某日 晴れ。


近頃お昼過ぎになると毎日のように来館者があって少し嬉しい。

やってくるのは例の女性で、

いつもスケッチブックを片手に和やかな笑顔でやって来ては、

日暮れ時まで滞在していく。

風見さんの話では、女性はずっと広間の椅子に腰かけ、

女性像をスケッチしているらしい。

本当にここの作品が好きなのだな、

と思うとなんだか嬉しくなってしまう。

それに、彼女が来ると色々と面白いものが見られるのだ。

風見さんもどことなくうきうきしてる感じだし、

何より田中館長の行動がおかしくてたまらない。

とにかく何かと理由をつけて

私を事務室へ追いやりたがるのである。

いそいそと自分が受付に座る姿は健気過ぎて爆笑ものだ。

今のところ

女性は田中館長の存在にまったく気がついていない状態だが、

この恋の行方がどうなるのかを考えるだけでも顔がにやける。

しばらくは退屈しない毎日を送れそうで喜ばしい限りだ。





奇妙な構図。

                   某月某日 晴れときどき曇り。


今日は久しぶりに直己君がやってきた。

相変わらず表情は硬く、

田中館長への挨拶もそこそこに広間の女性像の前に佇み始めた。

しばらくして、いつものように女性が現れ、

私は館長に事務室へ追いやられた。

休めるのはありがたいが、

仕事に来ているのだから少しはそこの所を汲んで欲しい。

受付にいても暇なことに変わりないが、

こちらにも仕事人としてのプライドがあるのだから。

などと思っていると、田中館長が慌てて事務室にやってきて、

かわってください、と言ってきた。

これもいつものことなのたが、

恋は自分の存在を知ってもらうことから

始めないと何も進めないので、ちょっとばかり進言してみた。

田中館長は困ったように眉根を寄せ、

「わかってはいるんですが」

と答えてきた。

肩を竦めながら受付へ戻ると直己君の姿はなく。

代わりにこれまでより、

もっと瞳を輝かせた女性がこちらへやってきた。

お帰りかしら、と尋ねると女性は微笑み、

「長々とお邪魔しました」

おじきをして帰っていく。

上手く言えないが、波乱の予感がした。





視線の行方。

              某月某日 雨のち晴れ、ときどき曇り。


今日も昼過ぎに直己君がやってきて、

その後女性が現れた。

心なしか顔が蒸気して見えるのは、気のせいではないだろう。

さらにその後を田中館長が出てきて見つめる。

彼も女性の微妙な変化に気づいているのだろう。

瞳が少し悲しげだ。

思った通り複雑な様相を呈してきたので、

素直に楽しんでいいものか迷う。

風見さんはこの状況に気づいているのだろうか。

今度一度話してみようか、などと考えながら一日を過ごした。





直線関係。

                          某月某日 快晴。


今日も今日とて奇妙な一直線がロビーから続いている。

誰かが誰かを見つめているという構図は、

ドラマや少女漫画だけの話だと思っていた。

清々しいほどに一方通行。

こういう場合、受付としてはどう対応するべきなんだろう。

そんなことをつらつらと考えていたら、

事務室に戻る田中館長が小さなため息を落とした。

大分煮詰まってきているらしい。

どうにかしてあげたい気もするけど、

私がしゃしゃり出てどうにかなるものとも思えないので、

結局今しばらくは様子を見守ることにした。





恋模様、三者三様。

                      某月某日 朝から小雨。


今日は直己君も女性もいつもより早くやってきて、

いつものように広間へ向かっていった。

足音に気づいたらしい田中館長が出てきて、

そっと広間の様子を伺う。

そして、ため息をついて去っていく。

しばらくして、

直己君がやはりため息をつきながら黙礼をして帰っていき、

その後、少し青い顔をした女性が足早に去っていった。

特別変わった何かがあったようには見えなかったけれど、

女性にとっては重大な何かがあったらしい。

他の2人も日毎にため息が重くなってきているし。

まあ、恋とは得てしてそういうものだ。

できればうちの館長と幸せになって欲しいけれど、

こればかりは神のみぞ知る、だと思うしかない。





焦れったい。

                          某月某日 快晴。


今日も今日とて直己君と女性がやってくる。

直己君はいつも通り、

女性の方はグレーのパンツスーツでも

暑そうな様子で額の汗を拭きながら入ってきた。

いい機会なので、少しだけ探りを入れてみる。

案の定平静を装う瞳の奥が憂いを帯びていた。

直己君に想い人がいるらしいことに気づいたのだろうか。

……そのことについては私の勘でしかないのだけれど。

それにしても、憂いを帯びた女性というのは、

子供を身籠った女性と同じくらい魅力的な気がする。

なんてことを思いながら事務仕事をこなすことしばし。

突然、女性が短い髪を振り乱すようにして、

逃げるように館内から出ていった。

何事かと広間を窺うと、

心配そうに眉根を寄せる風見さんと目が合った。

「体調が悪いそうだ」

私の視線を受け答えてくれた風見さんにそうですか、

と頷きながら、本当の理由は別にあるんだろうな、

と思い至り何となく複雑な気分になった。





座談会。

                           某月某日 雨。


直己君はいつものようにやってきたが、

女性はついに顔を見せなかった。

田中館長と交代で入った休憩時間に、

先に愛妻弁当を食べていた風見さんと

いつの間にか直己君の話になる。

「どうやら彼は恋してるみたいでなあ」

との言葉にやはりと思いながら話を促すと、

風見さんは話を端的にまとめてくれた。

直己君の恋の相手は隣のクラスの女の子で、

告白したいが勇気が出ない。

それで後ろ姿がどことなく似ている気がする広間の女性像を眺め、

日々「明日こそは」と決意を固めているのだそうだ。

何とも微笑ましい話だが、疑問が一つあった。

「そのこと、田中館長は知ってるんですか?」

「先に相談したらしいから知っていると思うが、

それがどうかしたかね」

「いえ、別に」

手を大げさに振りながら誤魔化したが、

同時に得体の知れない怒りもこみ上げてくる。

まったく、

うちの館長は千載一遇のチャンスに一体何をしているのだろう。

早いところ捕まえないと、

どこかの誰かに攫われてしまう可能性が高いってことを、

早く自覚するべきだと思う。





願うことは。

                          某月某日 晴れ。


今日も直己君以外のお客様は誰もいない。

田中館長はうっとおしいくらいに落ち込んでいて、

正直言ってうざったい。

だから早く話しかけろと言ったのだ。

去ってしまってからでは何もかも遅いのだから。

そう怒鳴りつけようとして、すんでのところで思いとどまった。

私自身、若い頃の後悔は数えられないほどあるし、

特に恋に関しては人のことを言えた義理ではなかったからだ。

まあ、それもこれも経験だろう。

一応はそう納得したけれど、窓辺で人知れず涙ぐむのだけは

お願いだからやめてもらいたい。





夏のはじまり。

                          某月某日 晴天。


突然の急転直下。

久しぶりに現れた女性は、

どこか憑き物が落ちたように迷いのない顔で現れ、

直己君はなんと可愛らしい女の子をつれてやってきた。

彼はついに告白し、見事に成功したらしい。

嬉しげに風見さんへお礼を言いにいき、

後からやってきた田中館長へも初めてできた彼女を紹介していた。

報告を受けた館長もとても嬉しそうだ。

それは今時珍しいほどに裏表のない、心からの感情らしく。

こういう時、田中館長という人の人柄に感心してしまうのである。

「僕も頑張らないとなあ」

と呟いた館長の瞳には迷いがなかった。

邪魔にならないよう定時に帰宅したのだが、

結果如何ではからかいのネタが増える。

楽しみが増えることを祈りながら、

帰宅途中では久しぶりに鼻唄が出た。





話しかけてみよう。

                   某月某日 晴れときどき曇り。


田中館長と女性、(遠藤彩香ちゃんというそうだが)は、

どうやら素敵なカップルならぬ

素敵なビジネスパートナーになったらしい。

いいのか悪いのかはわからないが、

彩香ちゃんは見るからに明るくなったし、

ふとした時に田中館長の言葉で赤面していたりする様子を見ると、

結構うまくいっているようだ。

直己君は彼女との付き合いが忙しくて来なくなるかと思いきや、

相変わらずちょくちょくこの記念館へ遊びにくる。

ここまで来ると何となく長い付き合いになりそうだから、

話しかけてみようと思い至り、思いきって名前を訊いてみたら、

「今さら?」

と爆笑されてしまった。

確かにわざわざ名前を訊く必要はなかったかもしれない、

とその時になって気づき穴があったら入りたい気持ちになった。





相談マトリョーシカ。

                     某月某日 晴れのち曇り。


事務室でお茶を飲んでいたら風見さんがやってきて、

少し時間があるかと訊かれた。

「こういうことは女性の方がくわしそうだから」

と話しはじめたその内容に私は飽きれた。

何でも直己君が彼女の誕生日に何をあげたらいいかを

迷っているとのことだった。

「館長はなんて答えてあげたって言ってました?」

「それがまったく思い浮かばなくて、

結局後日買い物に付き合うと言ってしまったらしい」

まったく田中館長らしい対応だ。

せっかくのチャンスなんだから風見さんに相談せず、

彩香ちゃんにすればいいものを。

「一応ぬいぐるみなんてのはどうかと伝えてはみたんだがね」

鼻を掻きながら俯く風見さん。

相手によるが

大人ぶりたい年頃の女の子にぬいぐるみはないだろう。

そうは思ったのだが、

そのまま伝えては角が立つので、さりげなく提案してみた。

「まあ、最近の女の子は私たちの世代より

大人びているところがありますから。館長にはアドバイザーとして

彩香ちゃんについていってもらうようにしたらどうでしょう?」

「ああ、そうか。そうだな。遠藤さんなら年も近いしな」

しきりに頷く風見さんを見ながら、

それは私が年増だということか、と叫びたい気持ちになったことは、

ここだけの秘密だ。





夏の嵐。

               某月某日 晴れ午後から一時雷雨。


朝から彩香ちゃんが来るとのことで、

田中館長が何かと落ち着きがない。

とにかく何をしていてもドタバタしているので宥めていると、

爽やかな笑顔でやってきた館長の想い人が、

来るなりとんだ爆弾を投下した。

携帯についた人形のストラップをかわいいですね、

と褒めた館長に対し、

彩香ちゃんはあろうことか次のように発言した。

「親友から貰ったんです。

彼、子持ちなので家族でこういうの探すの好きみたいで」

「へ? か、彼?」

惚けたように口をあんぐりと開けて固まってしまう館長。

しかたがないので私が間に入り、

「お友達は男性なの?」

と尋ねると、彩香ちゃんははい、と頷いた。

「大学時代からの付き合いで、

今は彼の奥さんともども仲良くさせてもらってて。

このストラップも正確には彼の奥さんからの

プレゼントなんですけど……って、田中さん?」

心配そうに田中館長の名前を呼ぶ彩香ちゃんに、

我に返った彼は引きつった笑みで答えていたけれど。

話をきちんと理解しているのかどうかは怪しいところである。

はてさて、彩香ちゃんへの誤解が解ける日はいつになるのやら。





嫉妬それぞれ。

                          某月某日 晴れ。


朝から田中館長の機嫌が悪い。

こちらに当たるまいとして必死に堪えている姿がどうにも痛々しい。

するとそこへ、彩香ちゃんがやってきた。

「昨日田中さんの様子がいつもと違ったように感じたので」

おずおずとそんなことを言ってくるので、

「ああ。まあ、たいしたことじゃないんじゃないかしら」

と答えると、彩香ちゃんの瞳が不安げに揺れる。

「それって、理由をご存知だということですか?」

どうやらうっかり嫉妬のスイッチを入れてしまったらしい。

恋は人を不安定にさせるものとは言うけれど、

あれやこれや説明するのにかなりの時間を要してしまった。

やれやれである。





励ましよりも。

                         某月某日 小雨。


朝から企画展の打ち合わせ。

ぎこちない雰囲気の2人を挟みつつ、時間が過ぎる。

それもこれも、お互いにきちんとフォローしていないせいなのだが。

まあ、要するにお互いに真剣だという証でもあるので

放っておくことにした。

そもそも、恋愛に他人が入って上手くいく試しは皆無と言っていいし。

この間、うっかり入りかけて結構面倒なことにもなったので、

今回は静観に徹することにして早々にその場から去った。

結果がどうなるか気にはなるが、

湧き出でる好奇心は冷たいお茶を飲み下すことで抑え込んだ。





春再び。

                    某月某日 雲一つない晴天。


どうやら2人はめでたく仲直りをしたらしい。

その証拠に、

今日の田中館長の足どりはスキップでもしそうなぐらいに軽かった。

「やあ、新田さん。おはよう」

などと手を挙げてくるので正直少し引いてしまったが、

平和なのは何よりである。

せっかくなので軽くからかってみたら、

顔を真っ赤にして答えてきた。

「いやあ。実は今日、食事を作ってくれることになって……」

だからどうだというのだろう。

咄嗟にそう返しそうになったのを、必死でこらえた。

頭に花が咲いている人たちには、何を言っても無駄なのである。





それでも縮まぬ距離。

                    某月某日 晴れときどき曇り。


今朝、職場に着くなり何故か来ていた

彩香ちゃんにトイレへ連れこまれた。

頬を染めて言うことには、夕飯を作り一緒に食べた時に、

テレビを見ながら何やら意味深なこと言われたとのこと。

「深い意味がないのはわかってるんですが、

どうしても意識しちゃって。

なんだか田中さんと上手くお話できないんです」

あんた中学生か、と叫びたい気持ちを抑え私は笑顔を作った。

「案外期待できるんじゃない? もうそろそろ、

素直になってもいいってことじゃないかしら?」

そうでしょうか、と自信なさげに上目遣いをしてくる

彩香ちゃんをなだめながらトイレを出る。

と、そこに田中館長が現れ、

彩香ちゃんと目が合った途端、

これまた顔を真っ赤にしてそそくさと資料室に入ってしまった。

なんだかものすごく

頭を掻きむしりたい気分になってしまった、そんな一日。





お弁当ウォーズ。

                           某月某日 快晴。


今日は何だかきちんとしたものが食べたくなって、

いつもよりきっちりとお弁当を作ってみた。

お昼になっていそいそとお弁当箱を開けていると、

風見さんがやってきて何故かお弁当交換会になってしまった。

お互いのお弁当を少しずつ摘まんでいると、

そこへ田中館長がやってきて、やっぱりお弁当を広げてくる。

「館長、受付は大丈夫なんですか?」

と尋ねると、臨時休館にしてきました、とのこと。

いいのだろうか、そんなことで。

ただでさえ零細企業並なのに。

そんな私の視線をよそに、

田中館長はご機嫌な様子で2つのお弁当箱を出してきた。

一方は彩香ちゃんが作ってくれたもの、

もう一方は自分で作ったものなのだそうだ。

昨日どちらがよりおいしいお弁当が作れるかという話になり、

勝負することになったんだとか。

「2つとも食べてみて、おいしかった物を教えてください」

満面の笑みを浮かべる田中館長の顔を眺めながら、

風見さんともどもため息をついたことは、言うまでもない。





午後の香り。

                            某月某日 晴れ。


正午少し前から久しぶりに直己君がやってきた。

午後から資料整理の手伝いをするとのこと。

早めにお昼休みをいただいた私は、

馴染みの喫茶店で昼食を摂った。

帰り道で飛行機雲を見かける。

ふと昔の恋愛を思い出し懐かしい思いに浸った。

館長と彩香ちゃんはどんな関係を築いていくのだろう。

できればいつまでも幸せであって欲しい。

そう願いたくなるような、そんな一日だった。





雨上がりの収穫。

                      某月某日 小雨のち晴れ。


休憩時間にコーヒーブレイクをしにいつもの喫茶店へ。

帰り道、

大きな水溜まりの前で何やら考え込んでいるらしい

彩香ちゃんを見かける。

声をかけようとしたところ、

彩香ちゃんはきょろきょろと辺りを見回して、

おもむろに水溜まりの中へと身を踊らせた。

それはそれは楽しげに水遊びを堪能している。

ココは見ないふりをしてあげるべきなのかもしれないが、

それではあまりに面白味がない。

私は思う存分彩香ちゃんをからかうことに決め、

彼女に声をかけた。





受付のプライド。

                      某月某日 晴れのち曇り。


午後から直己君がやってきて事務室でノートを広げていたので、

声をかけてみた。

「宿題?」

「うん。ねえ、新田さん。これって何て読めばいいのかな?」

どれどれと覗いてみると科目は日本史で、

なんだかわからない漢字がズラズラと並んでいる。

見たことはあった。が、正確な答えが出てこない。

「あ、わかんないんだったらいいよ。

田中さんか風見さんに訊くからさ」

ありがとう、と礼を言い、宿題に戻る直己君。

まずい。大人、というより、

仮にも学芸員の資格を持ち美術館の受付をしている身で、

ああいった漢字がわからないというのは、

なかなかに情けない気がする。

漢検でも受けてみようか、何てことを真剣に考えていたから、

その後の業務は気もそぞろだった。





幸せな時間。

                           某月某日 曇り。


昼過ぎに彩香ちゃんがやってきて、

親友からのお土産のお裾分けだと言って紅茶を持ってきてくれた。

せっかくだから一緒にお茶にしようと誘ったのだが、

別口の仕事があるとのこと。

館長は資料室に籠りっきりだし風間さんは仕事中だったため、

仕方なく1人で飲んでみた。

表示にはアッサムとあり、

濃い色で渋そうな気がしたのでミルクかレモンか迷ったが、

レモンを入れる。一口含んで、幸せな気分でいっぱいになる。

レモンの香りと紅茶のかぐわしい香りが口内に広がり、

心が洗われるようだった。

こんな日も悪くない。そう思える一日だった。





一粒の重み。

                       某月某日 一日中曇り。


直己君がやってくるなり深刻な表情で、

田中館長がいるかと訊いてきた。

あいにく外出していたため、その旨を伝えると、

明らかに落胆した様子で、

ちょっといいですかとこちらを見つめてきた。

どうやら何か悩み事があるようだ。

頷くと、進路の件について相談された。

「俺、なりたいものがわからなくって」

まだ高校1年生で決める必要もないのでは、と答えてみたが、

余裕のない彼の耳には届かなかったようだ。

「俺、美術好きなんだけど。けど、描くのは得意じゃないんだ。

親は普通の大学に入れの一点張りだし。

塾の先生にも甘えてるって怒られてさ」

うつむきながらぽつりぽつりと呟く彼に、

私は一切のごまかしも効かないことがわかり、

本音で答えることにした。

耳の痛い話でもあると思うが、

反対に少しでも指標になる可能性もある。

私の言葉を直己君は黙って聴いていたが、

こちらが話終えると小さく微笑み、

ポケットからチョコレートを出して私の前に置いた。

「ありがとう、新田さん。

少しすっきりした。これからよく考えてみるよ」

小さなキューブ型のチョコレートを残し、笑顔で去っていく。

私は残されたチョコレートを手にとりながら、

そこに込められたものの重みをしみじみと噛みしめた。





亀動く。

                      某月某日 晴れ一時豪雨。


今朝から田中館長の様子に変化あり。

いつもならば

こちらが彩香ちゃんのことをからかうとすぐにあたふたするのだが、

今日は動じるどころかはにかみつつもしっかりと受けとめてくる。

ついに彼女へ告白する気なのだろうか。

茶化し気味に尋ねてみたら、はい、と肯定の言葉が返ってきた。

私は内心で笑いだしたい気分になりながら、

努めてにこやかに答える。

「よかったですね。骨は拾ってあげますから」

館長は私の目を真っ直ぐ見つめ、はい、ともう一度頷く。

そうこなくっちゃ、と内心で拍手を送った。





夏の終わりと収穫の秋。

                           某月某日 快晴。


朝から鼻唄交じりの田中館長。

首尾はどうだったかを問うとそれはそれは幸せそうな顔で、

「おかげさまで」

と返してきた。

何でも今日は彩香ちゃんから

親友の奥さん主催のホームパーティーへ来て欲しい

と言われているのだそうだ。

奥さんとお子さんとはちょくちょく会っていたのだが、

親友さんとは初めて会うから緊張する、と館長は微笑んだ。

強くなったんだなあ、と感心してしまうほど、

晴れ晴れとした笑顔だった。





傍観者の願い事。

                           某月某日 晴天。


秋晴れの一日。

田中館長は大学へ出向、

風見さんは持ち場にいたので1人受付に座り、

扉から見える僅かな外の景色を眺める。

ここのところ結構人の出入りが激しかったため、

こんなにのんびりとするのは久しぶりだった。

何より、めでたくお付き合いを始めた

彩香ちゃんと田中館長のお熱いことお熱いこと。

しかも2人それぞれからノロケ話を聞かされるため、

身体中が甘ったるくて堪らない。

平和なのは結構なことなのだが。

正直、他人の色恋沙汰ほど独り身にこたえるものもなく……。

私もそろそろ新しい恋を見つけようかな。

そんなことを、真剣に思う今日この頃。





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