* * *






    やがて、夜がやって来た。

   窓辺から差し込む光は、昼間の陽光とは打って変わって儚く淡く、

   遠くへ広がる藍色の空を、やわらかく包み込んでいる。

   そこへ、誰かが部屋の扉を叩く音が聞こえてきた。



    月明かりの下、明かりも点さず荷物整理に没頭していた栞は、

   突然のノック音に身を竦める。




    広く暗い部屋の中に小さな音が響いた。

   「はあい、どなた?」

    問いながら腕時計を見ると7時を少し回ったところである。

   夕食にはまだ少し間がありそうだが、いったいなんの用だろう。

   栞は松本のおかめ顔を想像しながら、彼女が扉を開けるのを待った。

   けれど、返事はない。




   気のせいか、と扉から目を離す。

   すると、三度(みたび)扉を叩く音がした。




   「どなたですか? 松本さん?」

    怪訝に思い無意識に声を張り上げる。

   やはり、返事はない。

   首を傾げながらも、思い切って扉へ向かい開けてみるが、

   誰の姿も見当たらない。

   「へんなの……」

    松本のことだ。

   きっとまだ時間より少し早いと途中で思い直し

   声をかけずに去ったのだろう。

   そう考えて、扉を閉める寸前それに気づいた。

   「……花?」

    扉の横に置かれた、真っ白な花束。

   明るい人工の光の下、綺麗にラッピングされたそれは赤い絨毯によく映えた。

   「誰からだろう」

    不信に思いつつも栞はその白い花束を抱え込む。

   ためつすがめつ見るうちに、カードが一枚添えられているのを見つけた。

   栞は花を痛めぬよう、細心の注意を払ってカードを取り出す。

   2つ折になったそれを開くと、

   そこには送り主を表す文字は何もなく、

   ただ栞には身に覚えのないメッセージが短く記されていた。







     愛しい貴女に

     僕の情熱のすべて、紅い唐菖蒲を送ります












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